コラジオ(3-1)

「さてと。それじゃあコラジオくん。今日から君にはチアーレ商会の一員として働いてもらうことになる。僕は第六支部店相談役のコーシ。君は僕の補佐になってもらうつもりだ。ここまではいいかい?」


 コラジオがベーネ商店を追放されて数日後。コーシの紹介もありチアーレ商会第六支部店の店員となったコラジオは、店の裏手で指導を受けていた。


「はい! わかりました!」


「よろしい。君に求めているのは、新たな商法の考案だ。もちろん接客もこなしてもらう。それと、冒険者への窓口役だな。ひとまずはベーネ商店での商法をこちらでも続けてくれればいいさ」


「はい! ありがとうございます!」


 こうして第六支部店に迎え入れられたコラジオは、ベーネ商店の時と同様に冒険者相手の商売を始めた。


 冒険者とコラジオの関係は変わらず良好だ。というのも、ベーネ商店での強盗事件は冒険者が実行したことではないとコンパとコーシの証言により確認されていたからだ。


 冒険者に罪をなすりつけようとした誰かの仕業であるのは明白であり、それによって得をするのも一人だけだったため首謀者もわかっている。その状況下で、商品を用意できなかったコラジオに対して不信感を抱く様な器の小さい冒険者はいなかったのだ。


 そうしてチアーレ商会でも冒険者との商談というある程度大きな仕事を任されていたコラジオは当初の目標へ着実に進んでいたが、一つ想定外があった。それが判明したのは、初めて店内でカリーナと再会した時のことだ。


「あっ、カリーナ店長! おはようございます!」


 カリーナへの憧れと尊敬、そして淡い恋心を胸に商人の道を進んできたコラジオは予想よりも早めの再会に嬉々としてカリーナに挨拶をした。


 しかし、カリーナから返ってきたのは怪訝な視線。


「はい。おはようございます、コラジオさん。それでは」


 しばらくコラジオを見つめた後に、冷たい視線へと切り替えたカリーナはそれだけ告げて去ってしまったのだ。


「えっ……。あれ?」


 予想もしていなかった対応にコラジオは固まることしかできなかった。


「おや、コラジオくん。店長と話していたのかい? 確か名札を見せてくれたときに、ご縁があったとか言っていたが……」


「あ、はい。そのはずなんですが……。何か嫌われること、してしまったんですかね?」


「どうだろうか。店長は商人に対して冷たい態度が多いと聞くね。僕に対してはそんなことないんだが……」


 不思議そうに首を捻るコーシを見つめ、コラジオは自分の何が気に障ったのだろうかと考えこんだ。けれど、一度話しただけでは答えもでない。今はとにかく大商人を目指すのだと、コラジオはより一層仕事に打ちこむようになった。


 中堅冒険者や有名な商人との交友関係の強化。有用な職人との新規契約。【ほわほわ】とした雰囲気の扱い方に慣れ、相手の警戒を解く方向に利用できるようになったコラジオは会話を武器に多くの成功をおさめた。


 だが、そうして仕事で成功すればするほどにカリーナからの視線は冷たくなっていったのだ。


「まだ、功績が足りないのか? カリーナと同じ土俵に立つためにはどうすればいい」


「お悩みかい、コラジオくん」


「あぁ、コーシさん。そうなんですよ。どうしたら、私は店長から気に入ってもらえるのかと思いまして」


 コーシは特にコラジオが仲良くなった一人である。元々冒険者であることも要因となり商人らしからぬ裏表のなさを持つコーシは、相手をまず信じることを信条とするコラジオと相性が良かったのだ。


「うーん。それなんだが、いっそのこと本人に聞いてみたらどうだろう。店長は聞けば大体のことは嘘偽りなく話してくれる人だから」


「聞いてみる……。そうですね、それが確かに一番早い。わかりました! 今から聞いてきます! ありがとうございました、コーシさん!」


「あ、あぁ。彼は行動が早いな、本当に」


 コーシの呟きを背に居ても立っても居られず、コラジオはカリーナのいる執務室まで向かった。


 緊張も一瞬。深く呼吸をしてコラジオはコンコンと扉を叩いた。


「はい。どちら様でしょうか」


 久しぶりに聞いたカリーナの声にコラジオの心臓が跳ねる。けれど、商人として数々の対談をこなしてきたコラジオは緊張を表に出さない話し方も心得ていた。


「コラジオです。私用で店長とお話をしたいと思いまして」


「……なるほど。入っていいですよ。少し書かなければいけない書類があるので待たせることになりますが」


「ありがとうございます!」


 許可を受けて、コラジオは元気よく執務室の中へと入る。目の前には大きな机とそこに積まれた書類の数々。そしてそれを処理するカリーナの姿があった。


「いいなぁ」


 小さく声が漏れる。貧民街で孤児として生きてきたコラジオにとってその姿は憧れそのものだ。文字の読み書きすら学んでいないコラジオはカリーナの書類を書く姿が輝いて見えていた。


「じぃっと見られているのも気が散りますね」


 サッと筆を走らせ、書類を横に置いたカリーナがコラジオを見つめて苦笑いを浮かべる。その翠の瞳から向かう視線は、初めての時に比べて遥かに冷たかった。


「それで、お話したいこととは何でしょう」


 筆を置き、身体を楽にさせたカリーナはコラジオを見つめて淡々と問いかける。その質問に、一瞬コラジオは何と答えるかに困った。


 どうしたら気に入ってもらえるのか。当初聞こうとしていたのはそれだ。だが、本人を前にしてその質問はあまりにも情けない。まるで、カリーナという上司に取り入りたいだけに聞こえるのではないかと。


 そしてそうでないならば、恋心を抱いているという告白に他ならない。だが、告白にしてはあまりにその質問は情緒に欠ける。


 ならば、いっそのこと全てを話してしまおう。自分の想いに何も恥ずかしいことはない。そう結論をだしたコラジオはカリーナを真剣に見つめた。


「カリーナさん。私を、憶えていますか」


「えぇ。効果屋さんで会った人よね。それを聞きたかったのかしら?」


「違います。伝えたいことがあって来たんです」


 カリーナはコラジオを憶えていた。きっと、カリーナにとってそれは大した出会いではなかったのだろう。生きてきた中での数多くの出会いの中の他愛もない一つに過ぎないのだろう。けれど、コラジオにとっては違った。


 仲間に裏切られ。仲間を失い。仲間のために大物になると決めた時。コラジオならば大物になれるかもしれないと言って、商人になるきっかけをくれたのがカリーナなのだ。


 初めて怖がらないで触れあってくれたカリーナに、コラジオは心の底を震わされた。


「あの時、貴女は私のことを素直で好ましい人と言ってくれた。そんなこと言われたのは初めてで、嬉しかった」


 フェクトの言葉を信じるならば、カリーナもコラジオから【ズンッ】と押し潰されるような威圧感を受けていたはずなのだ。


 冒険者でさえ緊張するような威圧感を受けてなおカリーナはコラジオと平然と接し、そして内面を見ようとしてくれた。普通にできることでは、ない。


「貴女は凄い人だ。人としても、商人としても」


 商人になろうとして、その大変さをコラジオは知った。人と意見を擦り合わせる会話術。先を見据える頭脳。損得を見極める計算力。そして、純粋な運。商人にはあらゆる力が必要だ。


 コラジオは運がただ良かったのだと理解していた。出会いの運だ。


 それに比べて、カリーナはどれだけの努力をしてどれだけの困難を背負い店長をしているのか。それを思えば、尊敬と憧れの気持ちは日に日に増した。


「私も同じくらい凄い人になりたいと思った。貴女と対等になれるぐらいの人になりたいと。私はーー」


 けれど、何故目指すのは対等なのだろうか。そう自分に問いかけて、くだらない結論に至る。


「貴女を好きになってしまったから」


 人として、商人としてなどという高尚な考えではない。好きな人と同じ目線に立ちたいという俗な恋心があるだけなのだ。


「それを、伝えたかったんです」


 思いの丈を吐き出して、コラジオはカリーナを見つめた。喜んでくれるとは思っていない。コラジオにとってカリーナは特別だが、その逆がそうとは限らないのだから。


「……そう」


 一言、ただ呟いたカリーナの表情は悩ましそうなものだった。


「貴方の話は理解したわ。凄いことだとも思う」


 言葉を探すようにゆっくりと、そして淡々とカリーナは言葉を紡ぐ。


「商人として、何もないところからここまで来るのは簡単なことではないはずよね。感心するわ」


 言葉とは裏腹にカリーナの表情は冷たい。


「嬉しいとも思う。そこまでの情熱を私に向けてくれる人はいなかったもの。けれど……」


 カリーナはそこで言葉を切って、片目を瞑ってコラジオを頭の先から足の先まで見つめた。


「貴方、不愉快なのよね」


 端的な感想にコラジオの表情が凍りつく。気に入られていないことは認識していたが、直接本人に言葉にされると受ける痛みは大きかった。


「それに、私を相手にするのって大変なのよ? 貴方の地位じゃ足りないの」


「……そう、なんですか?」


 チアーレ商会の店員程度では認められない恋。その理由が理解できずに首を傾げたコラジオに、カリーナは金属札を差しだした。


「それは、名札ですよね?」


 自分も持っているカリーナの名札を見せられ、コラジオは余計に頭を悩ませる。


「これはね、こう書いてあるの。カリーナ・コルメ・チアーレ。私の名前よ。意味は、わかる?」


「チアーレ……」


 商会の名前と同じ家名。それが意味することは一つ。カリーナが商会長の娘であるということ。


「私と交際するなら、店長くらいにはなってもらわないとお父様が許してくれないわ。例え貴方を私が好いていてもね」


 カリーナは憂いの瞳で遠くを見つめる。その視線がコラジオに重なって、カリーナは困ったように微笑んだ。


「私も、初めて貴方を見た時は素敵だと思ったのよ。貴方からは嘘の気配がしなかった。真っ直ぐに辛い中生きてきたんだなって。でも、ここに来た時には貴方は変わってた」


 そこまで言って、カリーナは机の上に置いてある時計を見つめて深く息を吐いた。


「もう、話はここまでね。仕事をたくさん片付けないといけないの」


「わかりました。……その、カリーナさん」


「なに?」


「貴女に見合う人になってみせます」


「そう。……楽しみに待ってるわね」


 呆れたように微笑んでカリーナはコラジオに手を振る。


「それでは、失礼しました!」


 コラジオは元気さを失わずに恭しく一礼をすると、執務室を出ていった。


 その背を最後まで見つめたカリーナは、少し名残惜しそうに扉へ手を伸ばして小さく首を横に振る。彷徨わせた手を机に置いて、カリーナは小さくため息を吐いた。


***


 閉まる執務室の扉を背に、コラジオは強く手を握りしめる。自分の何が足りないのだろうか。どうすれば、不愉快じゃないのだろうか。疑問は尽きないが、聞く気にはならなかった。それを聞いてしまえば、完全に失望されると確信していたから。


「俺っちが、初めて会った時と変わったこと」


 商人になったことだ。フェクトに対してもカリーナは冷たかった。けれど、商人自体が嫌いなのではないとコーシは言う。では、何が違うのだろうか。コーシとコラジオの差とは。


「コーシは、信じるに足る人だけど……」


 そこまで考えて、コラジオはふと思いついた。逆に、コーシとカリーナの共通点は何か。示唆はカリーナの言葉にもあった。


「嘘の気配」


 コーシもカリーナも決して嘘を言わない人達だ。商人らしからぬとも言える、裏表のなさ。それが二人の共通点。


 コラジオも嘘を述べたことはない。人を信じ、信じてもらえるよう誠実であることがコラジオの信条だからだ。


 けれど、効果はどうなのだろうか。生来の物ではない効果を得たコラジオの姿はカリーナにどう映っているのだろう。変わったと言うならば、【ほわほわ】とした効果こそがコラジオの最大の変化なのだ。


 そう気がついたコラジオはその日の仕事終わりに、効果屋へ行くことを決めた。

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