シロ(3-4)

「おい、解体室で敵襲があったらしいぞ」


「ほっとけ。俺らは何があっても奴隷を見張るようにグリエロ様から言われてるだろ」


「それもそうか。にしてもグリエロ様も奴隷商のくせに奴隷にビビりすぎだよな。常に見張っておくなんてよ」


 梱包室に入ったシロの耳に飛びこんできたのはそんな見張り二人の会話だった。だがシロはその話を聞く余裕もなく、部屋の中央に置かれた大きな檻を凝視する。そこには捕まった多くの奴隷がいた。けれど幾度となく確認してもいないのだ。里の仲間であるクロが。


 既に回収されたということはないはずだ。檻の中にいる奴隷にはクロと同時に引き渡された顔も混じっている。


「ここにいないなら、残るはあそこ。でも、クロだけどうして……」


 シロの認識下にある解体場内で正体不明な人の気配があったのは事務室だけだ。その上、事務室は不自然なほどの無音に変わっていた。何かが起きたのは間違いない。


「でも今は、ひとまずこの人達を保護しないと」


 悩んでも仕方ないと、シロはチアーレに渡された魔道具に魔力を通した。魔道具から返ってくる魔力がシロに魔法の使い方を教えてくれる。発動したのは『結界』の魔法。奴隷の檻を包むように、干渉を遮断する半透明の膜が形成される。


「おい、なんだこれ。これも敵襲の仕業か?」


「これは……。結界か! 敵襲から守るためにグリエロ様が? でもそんなこと聞かされてないぞ」


 見張りの二人は突如現れた結界に気がつき、その視線が奴隷の檻に釘付けとなった。その隙にとシロは梱包室から廊下に抜け出る。廊下の見張り達は解体室の抗争に加わり、いなくなっていた。


「早く、クロを助けないと」


 焦りを抑えて周囲の安全を確認したシロは、真正面の事務室に繋がる扉に手をかける。


 その瞬間、シロの背筋を悪寒が奔り抜けた。


「おらよぉっ!」


 壁を突き破り横薙ぎに振われた剣がシロの腹に迫る。一瞬で訪れた死の気配に、シロは時がゆっくりと進むように感じた。


 屈むのでは間に合わない。咄嗟にどうにかそこまで判断したシロは反射的に地を蹴った。


「『加速』っ!」


 跳ね上がる身体を無理矢理に加速させ、シロは剣を回避する。バラバラに吹き飛ぶ扉の奥から、以前戦った用心棒の瞳がシロを見つめた。


「捕まえたぜ」


「にゃっ」


 空中で無防備なシロの足が用心棒に掴まれる。逃げようのない力で足を握られ、振り回されたシロは部屋の中に投げこまれた。


「ーーーー!」


 床に背中から叩きつけられたシロが声にならない叫びを漏らす。呼吸しようとしても、肺に空気が入ってこない。突然の呼吸困難にシロの意識が混乱する。それでも戦闘中に悶えている暇はない。息苦しさに胸を押さえてシロは慌てて立ち上がると、次の攻撃に備えて用心棒を見据えた。


「いいねぇ、お嬢ちゃん。戦い慣れた女は好きだぜ」


 用心棒は扉の前で退路を塞ぐようにどっしりと構えて笑う。その姿から、シロは用心棒の戦意がないことに気がついた。


 甘く見られている。そう感じたシロは怒りに全身の毛を逆立たせた。


「どういうつもり? わたしは誇りある戦士。情けならいらない。わたしを馬鹿にしないで」


「あっ? 情けじゃねぇよ。お嬢ちゃんと話したいって、そこの二人に言われたから俺様は待ってんだ」


 噛みつかんばかりのシロの気迫を気にもせず、用心棒はシロの奥を顎で示す。その仕草に背後を振り向いたシロの視界に映ったのは、痩せ細った男ともう一人。黒の毛並みを持つ猫人の少女、クロミャウラだ。


「クロ! ……どうして、そんな目で見る?」


 ようやく仲間を見つけたとシロが喜んだのも束の間。クロに睨みつけられているのだと気づいたシロは、気圧されるように一方後退る。捕まっているとは言えないその姿をよく見れば、クロには枷さえ着いていなかった。


「その理由は僕が説明いたしましょう、シロニャヴェアさん」


「お前は……」


「奴隷商のグリエロ・ニィエと申します。そちらの用心棒がウォーリ・ボトフさん。どうぞよろしく」


 恭しく一礼するグリエロの動きに合わせて、ジャラジャラと装飾品の揺れる音が響く。グリエロの身体はあらゆる装飾品で飾り立てられていた。


「どうでもいい」


 今なら殺せる。グリエロが頭を下げた瞬間には、既にシロは短剣を構えて地を蹴っていた。扉の前にいるウォーリでは追いつけない。止められる者は誰もいないはずだった。


「アンタはいつもそう」


 キンッと鋭い音を響かせてシロの短剣が杖に止められる。切り結んだ相手は、クロだった。


「自分が正しいと思いこんでる」


 振り払われた杖に押され、シロの身体が宙に浮く。クロの膂力はシロを遥かに上回っていた。


「ありがとう、クロミャウラさん」


「まだまだご主人様には学ばせてもらいたいことがあるからね」


 クロを助けるためにと振るった短剣をクロ本人に止められて、シロの頭が混乱する。まるでクロが自ら奴隷になろうとしているように感じて、シロはクロの正気を疑った。


「さて、クロミャウラさんですが……。彼女は売るのではなく僕の奴隷にすることにいたしました。というのも彼女は実に! そう、実に意欲的です! 呪具を恐れない!」


 興奮したようにグリエロは手を震わせながら、クロの手を取り撫でる。いや、よく見ればグリエロが撫でていたのはクロの指にはめられていた指輪だった。


「失礼、少々取り乱しました。僕は呪具に目が無くてですね。呪具は人を救うのですよ。だから僕は奴隷狩りに捕まった哀れな子達に呪具を与えて幸せに導いてあげるのです」


 そう語るグリエロの装飾品も全てが呪具なのだとシロは気がつく。呪具は人を狂わせるという言葉を思い出し、シロはグリエロが正気ではないのだと理解した。


「そうそう、ご存知でしたか? クロミャウラさんは里から出たかったのですよ。だから里の近くに来た奴隷狩りに自ら接触し、街に案内してもらうつもりだった。そこに貴方が現れて襲いかかるものだから奴隷狩りは貴方達を捕まえたのです。なんと可哀想なことか。貴方のせいでクロミャウラさんは奴隷となってしまった!」


 グリエロが悲壮に顔を歪める。その隣でクロは表情をより険しくしてシロを睨みつけた。


「ですが、奴隷となってもクロミャウラさんは諦めなかった! 僕が奴隷から成り上がったという話を聞き、その方法を教えてくれと言ったのです! あぁ、素晴らしい。まさに僕の理想。ですから僕は教えたのです。呪具の使い方を!」


 グリエロから漂う気配が異様な物に変わる。見れば、グリエロの指にはめられた複数の指輪がぼうっとした光を放っていた。


「そしてクロミャウラさんは力を手に入れた。ですがまだ完成ではないのです。彼女は里と決別しなければいけない。輝かしい未来のために、これは必要な儀式なのです! さぁ、クロミャウラさん。貴女の手で、しがらみを断つのです」


「えぇ、もとよりそのつもり。ねぇ、シロ。決闘をするわよ。アンタは好きでしょ? そういう誇りとか正々堂々とかいうやつ」


 クロが杖を構えて獰猛に笑う。その表情はシロの知る物とはかけ離れていた。クロもまた呪具で正気を失ってしまったのか。だとすればそれは誇りある決闘とは呼べない。クロを救うためにも優先すべきは保護だと、シロは『結界』の魔道具に魔力を通そうとした。


「おっと失礼。僕は魔道具にも詳しいのですよ」


 グリエロが指をパチンと鳴らす。瞬間、何かに弾かれたように『結界』の魔道具が吹っ飛ばされた。


「さぁ、これで準備は整いました。決闘の始まりです!」


 吹っ飛んだ魔道具がカランッと落ちた音を合図に、クロがシロに向けて駆けた。その速度はシロよりも遥かに遅い。だが、クロと戦う覚悟も決めていなかったシロは咄嗟に反応することができなかった。


「ボーッとしてんじゃないわよ、シロ!」


「うっ……」


 振われた杖がシロの腹を殴打する。容赦のないその一撃に、シロは戦わねばならないのだと意識を切り替えるしかなかった。

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