1月15日
今日は曇天だった。冬とはこんなに寒かっただろうか。毎年夏を経ると去年の寒さを全く覚えてないところが人間臭くて好きだ。こんな気候な訳で、僕はコートを登校時に羽織ることにした。なんてことないピーコートで紺色の無地だった。朝の通学路は、少し早い時間に登校する癖が抜けない僕がいつも見る乾いた雰囲気を感じさせた。人がたくさんいるのに誰も話してはいなかった。枯れたように葉を落とした街路樹を眺めていると、背中から声が掛かった。
「おはよう。唯都」
おはようと返した。隣に並んで歩く。
「会えたねー。ちょっと早く家出たんだ」
「そうなんだ」
「そう。でも十分の差でも全然違うね」
「明度が?」
「メイドさん? 寒さがだよ。日が昇るのが遅くなったよね。日が出てないと寒いの」
冬至は過ぎたから早くなってるんじゃないだろうか。冬至は日没だけに関連するものだったか。興味がパンかすほども無い。
「それはそうとさ」
僕はチェック柄のマフラーに口元をうずめて尋ねる。彼女も同様にして、微笑みかけてきた。
「髪切ったよね」
驚いて「ふふ」と笑われた。
「気付くんだ。唯都でも」
「うん」
「昨日美容院行ってボブにしたの」
外国人の男性美容師に切ってもらったという意味か。
「短いのは好みじゃなかった?」
「いや、似合うよ」
「良かった! 髪型のセンスに自信無くてさ」
「そうなんだ」
「うん。だってね、前髪自分で丁度良いって思うように切ってるのに、友達は口を揃えて短いって笑うの」
「嘘だよ。似合うもん」
「ホントに? そうかなー。唯都は今の髪型似合ってるから変えなくていいと思うよ」
変えるつもりは無いが。
「あれ? 今日体育あったっけ?」
「あったね」
「うわー。嫌だな。外じゃん」
「確かに」
「寒いもんなあ。ソフトボールでしょう? 苦手」
「なるほど」
「ボール大きくて全然相手に届かないの。キャッチボールすらまともにできないんだよ!」
「わかるよ」
「唯都は運動神経良いからいいけどさ」
「そうかな。運動できなくてもちょっと頑張ってやればコツは掴めるんじゃ——」
「無理だよ。難しいもん!」
「……まあね」
僕らは校門が見える位置まで来た。
「あ、唯都。今日も一緒に帰る?」
上目遣いでこっちに向いた。僕はどんな表情していたか、自分のことなのでわからない。
「ああ。図書室で待ってるよ」
「オッケー。ふふ」
相変わらず何を考えているのか不明な顔で微笑んでいた。校門をくぐる。くぐると言っても鳥居のような門ではなく、壁面が途切れている空間のことである。高校名の書かれた地味な黒緑色のプレートがくすんでいる。
「じゃあ教室に行こっ。大好きだよ、唯都」
西川さんは声を細めてからそう言い、教室に向かって行った。短くした髪が上下に揺れている。前のポニーテールでは左右に元気良く揺れたのを覚えている。
下駄箱で上履きに履き替えながら、西川さんという僕の恋人について考える。その前に変な感想を抱いたのだが、忘れた。
三時間目が体育というのは知っていたが、こんなに気だるいものとは。冬に指先の感覚を失いながらするスポーツは果たして健康的なのかと疑ってしまう。ソフトボールのゲームは男女別れた。僕は男子の後攻チームに割り振られた。足を引っ張るのは嫌だなと思ったため、ショートに入ってと言われたときは焦った。普通は経験者が務めるポジションだろう。ゲームはどうってことない内容で進んで行った。僕はゴロやフライ処理、カバーリングも順調にこなせた。バットは湿りがちだった。
そして授業があと十分になった頃、僕は守備についていた。バッターボックスには未経験者が入っている。前の打席ではボテボテのサードゴロだった。スイングを見る限り、まさに初心者の振り方だった。上体だけでバットを振って、振り切ったあとには体がくるりと回ってしまっている。こりゃ三振だなと野球部で投手をしている彼に信頼を寄せたのがまずかった。日本では古代から坊主を信用してはいけないと言われている。
彼の投げたボールは甘いゾーンに入った。バッターは思い切って振り抜き、ゴロが三遊間に転がる。当たりは微妙だが飛んだ所が絶妙だ。僕と三塁手の間。三塁手は前に出ていたからギリギリ手が届かず、僕は一歩目が遅れた。頭で昔の監督の怒鳴り声が響くようだ。バッターはそんなに速く走っていない。ただし間に合うかは別だ。変に投げない方がいい気もした。ツーアウトでランナー無し、だったっけ。ワンアウトか。どっちでもいい。僕は逆シングルでボールを掴み取る。目一杯手を伸ばしたのだ。我ながら良く追い付いた。ここからだ。僕はグローブの中で球を握るが、ボールがデカイので鷲掴みになり、正直制御できるかわからないな、と思いつつ右足でブレーキを掛ける。体を無理やり反転させ、ファーストの手前めがけ、叩きつけるように投げた。ボールは思惑通りファーストの前でワンバンし、掬い上げるように手に渡った。審判役の生徒がアウトを宣告して、歓声が上がる。サードの子が「ナイス!」と半ば驚きながらグータッチをくれた。他のクラスメイトも敵味方かかわらず拍手や称賛をくれた。慣れないせいか気味が悪い。ちなみにワンアウトだったらしい。目線を外したらグラウンドの反対側が見えた。そこでも女子が試合をやっているのだが、攻撃中の女子が数人こちらを観戦していた。その一団の一人、西川さんが僕に気付いて拍手をした。
四時間目は現国だった。非常にくだらない授業だった。小説読解はまだ面白いと思えるが、評論理解の方はつまらなくて舟を漕ぎそうだ。余談だが僕の行きたい都市の一位はヴェネチアだった。何かの雑誌のルポルタージュで読んで綺麗だなと子供っぽい憧れを抱いたのだ。
授業の話だけど、教科書の評論は学者が紋切り型の文章を組み立てるだけで、読んでいても面白いと思わない。偏屈になって少し言い過ぎた。面白い文章もあって後で原作を読んでみたいと思うこともある。だけど大抵納得いかない部分が出て来たり、論理の飛躍を強引に通してる所を見つけたりして途端に読む気が逸れる。これらが僕の睡眠導入剤になるのは否めない。今日の講義の内容は、知らない学者が書いた言語学の文章だった。言語に優劣は無いとか、言語の分節に従って僕らの生活は理解されていて、あくまでその分節は恣意的なものだから言語によって世界の見方や価値観は異なるっていう話だ。今は、ばあさんの教師がソシュールについて熱心に説明している。僕は構造主義が共産主義や浪漫主義とどう違っても良かったし、ラングとパロールの区別の仕方も理解できなかった。それに彼の論理が僕らの生活に役立つ訳も無い。役立つとしても哲学者のような思索家の暇潰し、あるいは本業か、僕ら学生の赤点くらいだろう。
外を見る。僥幸なことに窓際の席を再び確保できたのだ。景色を眺めなくては損というものだろう。外といっても特別面白いものは見えてこない。だったら空を見るだけ。空は眺めてても飽きなくて首が疲れたら目線を外すだけでいい、だったか。何かの本で読んだものの、微妙に違う気がする。空から何か連想しようと曇り空を見つめる。青空なら変化もあったはずだが曇りはつまらない。
例えば空が飛べたらいいと考える。そこで空を飛ぶためにまず空とは何かを考えた。二十世紀初頭にどう飛ぶかを考えたらライト大兄弟になれたかもしれない。でも僕は人文学向きらしい。空はどこからが空なのだろうか。地上何メートルか。試しに手元の電子辞書で調べてみると「(上空が穹窿状をなしてそっていることからか)①地上に広がる空間。地上から見上げる所。天。おおぞら。虚空。空中。──」(『広辞苑第七版』岩波書店)。昔の人は空が丸いと気付いていたのか。スマホで調べると「頭上に高く広がる空間のこと」との記載がある。いずれにせよ空は高さを区切る言葉ではないらしい。「頭上」では体がすっぽり埋まる落とし穴に嵌まった人を想定すると地上は全部空である。辞書とも同じだ。僕はそいつのいる穴の横、地面でジャンプすれば空を飛んだと言われるだろう。簡単に空を飛べてしまった。そんな気分はしないし、彼から早く助けろと叱られるだろう。少し違和感がある。例えば建物の中にいるとき空は無いだろう。天井を見て、空で電球が光っているなんて言わない。では飛行機に乗っているときはどうだろう。空を飛んでいる状態だと機内では頭上も眼下も空になる。スカイダイビングという言葉がまさにそうだろう。空に飛び込むものだ。空は下にあるものになってるじゃないか。それとも日本語の「空」は英語の「sky」とはニュアンスが別物なのか。英英辞典を引くと「the space above the Earth where clouds and the Sun and stars appear.」(『ロングマン現代英英辞典』PERSON)らしい。ますます良くない。雲と太陽と星が見える場所? 飛行機では雲は上にも下にもあるが太陽と星は宇宙の遥か彼方、頭上だ。『天空の城ラピュタ』は確か英題が『Laputa castle in the sky』だったはずだし、英語でも飛行機は空の「中に」あるという理解で合ってるはずだ。ここまでで言えることはネットの「頭上」はおかしい。そこを辞書のように「地上」に変えたらどうだろう。燕が低空飛行で地面すれすれにいたら、空を飛んでいると言えないだろうか。言えるけど、地面すれすれを指してここは空だと言えない。やっぱり最低限として地面に立った話者の頭より高い位置でないと駄目らしい。飛行機など地面から足が離れているときは別。また、宇宙と直接繋がっている空間であることも必須条件かなと思った。
結論、言葉では明確に定義できない。ケースバイケースで使える範囲は決められる。授業の短い時間では解答は得られない。
だけど別の視点からの示唆は得られる。「空」は「そら」と読むが「くう」「から」「あき」とも読める。つまり「空」は空っぽで何も無い状態も指す。「そら」の範囲を地球を覆う大気が存在する所までと見立てたらその中身が空の状態を「空」と呼ぶのかも。
ところで僕はなぜ「空」なんて字義を考えていたのだろう。
学校から解放されて僕は図書室に行った。ここで西川さんを待って帰る。時間を潰す所がここしか思い付かないからという消極的な理由であるが、ここ数カ月で読書をする習慣がついていたので好都合だった。
僕はとりあえず端の席を確保してリュックとコートを置き、本棚に向かった。文庫本の並ぶ「あ」の棚に歩いていく。棚と棚の隙間には長方形の窓から西日が差していた。後ろの棚に寄り掛かるようにしながら棚に目を走らせていく。特に探している本がある訳ではない。単なる暇潰しだ。「あ」から見ると初めに芥川龍之介の小説に目が行く。芥川でとりわけ僕が好むのは晩年の作品だった。もちろん『老年』などから時代を追って読んでいった結果その面白さがわかるのだけど。彼は最期、服毒自殺をしたと聞くのだが、晩年書かれたという作品も割合描写が精緻であり、とてもそんな精神を抱える人間の業には思えなかった。そして時々思うのだが、作家は常人と同視点から世界を見ていないのではないか。少なくとも人に面白いと思われる小説は変人、奇人、狂人、天邪鬼であれ基準点からずれた思考を持つ人間が書いたものではないか。
今日は芥川を読むような気分でもない。僕は一歩足を横に移動させる。僕が手に取ったのは大岡昇平の『不虜記』だった。以前大岡の書いた小説を本屋かどこかで一部読んだ記憶がある。タイトルは忘れたがその本の日本兵の出兵の心境がいやに胸を打った。また彼の言い回しには難しい所が無く、すらすら読める。僕は一人称の主人公が泣き出す場面だけを読んだのであるが、彼の文章ではそれが浮いていなくてえらく感心した。小説中、登場人物の涙というのは大抵読者の気持ちを置き去りにして白けさせる機能を持ってしまう。人は強烈な感情の動きに応じて泣くものだろうから、作家は慎重に涙を提示するべきと思う。彼の小説の涙は突然だった。適当に開いたページにあった文章を読んだ僕がそう言い切っていいものか悩むが、僕はその文脈から泣き出すなんて考えられなかったから置き去りにされる感よりも、極限状態の人間の悲哀を感じさせた。果たしてそれが『不虜記』に載っていたものか忘れたため、以前読んだ場面を探す目的から手に取って読もうという気になった。
僕はそれを持って席に戻った。図書室は静かで寂しかった。背の高い女子生徒が一人、背丈の二倍あるような本棚を手持ち無沙汰に見上げている。他は三年生だろう。三人ほど自習スペースでやたら分厚い参考書とにらめっこをしていた。座って本を読むのは僕だけだ。
本を開いてページを繰っていった。最初はカタカナの地名が逐一わからないのと、時系列が整理できず読みにくかった。それも読み進めるうちに気にならなくなる。やはり想定の通りに僕に合った文章だった。だが悲しいことに以前読んだというあの場面は恐らく出て来ないだろうと予想できた。作品の頭から彼は既に戦場に到着していた。まあ暇潰しだからそれも構わないのだが。
僕が本から顔を上げたのは西川さんの部活終了時刻の十分前だった。終わってもすぐには来ないと知っている。区切りが良かったので終わりにしようと思ったのがその時間だったのだ。今は十七時二十分。僕は手持ちのしおりを一応挟んでおく。それで伸びをして辺りを見渡した。室内には三年生が一人。あとは皆引き払ったようだった。窓の向こうは真っ暗で日がとうに暮れてしまったと示していた。僕はしおりを摘まんで再び本を開く。もう少し読もうとした。はっきり言うとかなり面白かった。僕はまだ四分の一ほどしか読んでいないのであるが、ここまでで興味を惹かれるポイントが二点ある。もっとも、一つは期待していたものだ。日本兵の諦念だ。僕は戦争の作品で見るような国のために、陛下のために死ぬ、英英辞典にいう「kamikaze」的な思想が日本人を支配していると信じていた。しかしながら作者は作中で日本軍の劣勢を悟っていたし、ゆえに無益な戦いで死ぬのを受け入れなかった。彼の戦友も逃亡を企てていた。上司には割り切ったふうがあってどこか怠慢な口調の者がいた。不虜仲間は観念して笑っていた。僕は日本人が本当に玉砕しようと考えていたなんて思いたくなかったのかもしれない。作者が手榴弾や銃であっさり自殺を図ったことには驚いたが、それは命の軽視よりは苦痛からの脱却であったろうから、死ななくて良かった。僕は多少この作者に共感し得るのだ。彼の内省的な面や人間臭さにそれはあった。読み進めていくと後々わかるのであるが、これは不虜となった人間の出自や性格、エピソードから収容所が日本社会の縮図であったことを提示している。人間のエゴイズムがこの小説の主題であった。
二つ目は米軍のお気楽さだった。米軍は作者を捕まえて水やチョコレートを渡してマラリアを治療した。その上作者が英語を話せると知るや翻訳の依頼をし、戦争や日本についての会話を楽しんでいた。それはアメリカの物質的、精神的豊かさに対する屈辱を感じるべき箇所であったが僕は感銘を受けた。なぜかは知らない。考えられることとして国籍を超えた人間の温かみを感じたからではないか。
不意に背中をつつかれた。面を上げると西川さんがいた。
「美海か。びっくりした」
「帰ろっか、唯都」
僕は本からしおりを引き抜く。
「何読んでたの?」
「『不虜記』。戦争のお話」
彼女はふふ、と鼻で笑った。
「何これ。変なしおり」
西川さんは僕のしおりをペラペラして呟く。黄色地の紙にウサギのイラストが描いてあるものだった。彼女は僕の胸ポケットにそれを突っ込んだ。僕は席を立ち、元々本があった棚に向かった。西川さんは付いて来る。
「借りたらいいのに」
「いや、今度読むよ」
読む時間が無いと思ったからだった。現在は家でまた別の本を読んでいる。本を戻して真っ直ぐ昇降口に行った。下校中の生徒はほぼ見当たらなかった。部活終了の時間がバラけているのだろう。外は暗く冷え込んでいた。何を思ったか、学校前の歩道に出ると西川さんは僕の腕に抱きついた。
「誰もいないし、腕組んで帰ろ!」
ずいぶんおかしな事態に陥っていると自覚はあった。冬休みに西川さんから改めて告白されて付き合い出したのだ。彼女はクラスの男子が羨む美人だったし、二人でいるときは気さくで会話も問題無くできたから僕に文句は無かった。
「あーあ。疲れた」
「疲れた?」
「うん。部活の先輩が面倒臭いの。いい先輩なんだよ。だけど無自覚に厳しいっていうの? 私が失敗したら、こうしたらどう? ってやらせて、また失敗すると手の位置が悪いんじゃない? でまた吹かせて、全然休ませてくれないの!」
「へぇ。大変だね」
西川さんの口癖は「全然」だった。一般的に話を誇張するときに用いる言葉だ。僕は西川さんが吹奏楽部で何の楽器を担当しているのか、忘れてしまっていた。
「体育もあったでしょ! あれも疲れた」
「そうだよね」
「男子の試合は盛り上がってたじゃん? 唯都はカッコ良かったよ」
「サンキュー」
「女子はぐだぐだ。ソフト部のあーやんがいなかったら全然ダメダメだったよ」
「ソフト部か」
「でね、私も唯都と同じポジション守ってたの。そしたらボールが飛んで来てあーやんがみなみ! って叫んだの。だからさ、私は取ってあーやんの方に投げたら皆に笑われちゃって。長岡さんはこっちに投げなきゃ! って言っててニャムがすっごいバカにしたの! ヒドイよね。もうルールが全然わかんない!」
僕は話に登場した人物の顔が誰一人思い浮かばなかった。そもそも彼女らのポジションがどこなのか推定することは可能だろうか。
「初めは仕方ないよ」
「そうだね。唯都は野球好きなんでしょ?」
「まあね」
「今度観に行こ!」
「いいよ」
「てゆーか、今週末行く? 観るだけなら全然いいよ。球場って楽しいもん」
「いや、たぶんやってないよ」
冬に野球はできない。プロ・アマ問わずだ。
「そうなの? ラグビーとかやってるじゃん」
野球とラグビーの違いを説明しなくてはいけないだろうか。
「そっか。まあいいんだ。でもデートはしたいな」
「今週末?」
「今週末。行きたいとこある?」
「無いけど」
無い。行きたい場所があったら誘うだろう。
「うーん。観たい映画ある?」
「特には」
年一回観るか観ないかの僕にあるはずない。
「私ちょっと観たいのあるから行こうよ」
「いいね。ちょっと観に行こう」
「じゃあー日曜日! 土曜日は吹奏楽部の定期演奏会なの」
「頑張って」
「もちろん! 任せて。写真とか送るよ」
「ありがと。嬉しい」
「あのさ、映画は午前の回でいいよね」
「一向に構わない」
「朝苦手じゃないよね」
「まあ」
大の不得意である。しかし予定が入っていればさして苦でもない。
「上映時間に合わせて会おうね」
「いいよ」
「早くお買い物終わったら、そのさ……」
西川さんは僕の腕を引き寄せた。
「唯都の家行ってもいいかな? 私の家はお店やってて親がずっといるの」
「全然いいよ」
駅前に来たということで西川さんは僕の腕を解放した。そして微笑みをくれる。僕が思ったことは、空虚だということだった。
日曜の午後、僕は西川さんとキスをした。
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