展覧会の絵

kgin

第1話 展覧会の絵


 11月なのに、雪がチラつく夜だった。

 金曜の仕事帰り、安いチューハイとつまみをしこたま買い込んで帰って来た。テーブルの上にどさっと乱暴に置いて、ジャージに着替える。クローゼットの奥にしまってある印刷所の段ボール箱を引きずり出してきて中身をそっと取り出すと、目頭が熱くなった。昔の、イベントの戦利品たち。


「秋雨さん!遠藤さんが垢(アカウント)消しちゃってます!神は死んだ!」


 数日前に『ナイトメア・ハレーション(以下、ナイハレ)』好きの同胞から届いたDM(ダイレクトメッセージ)は、まさに青天の霹靂だった。遠藤さん、というのは我々の同人界隈では誰もが知る神絵師である。その神が、消えたというのだ。DMを見るや否や、私はSNSとイラスト投稿サイトにかじりつき、必死にデータを探した。神がデータを捨てたというのならば、そのゴミ箱を漁ることも辞さなかった。しかし、探せども探せども神のイラストはおろか呟きの一言すらも、ネット上には残っていなかった。

 秋雨は、絶望した。

 確かに、週刊少年誌で『ナイハレ』の連載が終了してから、神の投稿頻度は下がっていたように思える。どうも本業の方が忙しそうだということもうかがえた。それでも、『ナイハレ』はアニメ、舞台とメディア展開されて未だに人気の漫画だ。しかも、作者は同人活動肯定派。来月には3回目のオンリーイベント(その作品の同人サークルだけが集まって開催される同人誌即売会)の開催も決まっている。

「どうして今、神はお消え遊ばしたのか……」

 秋雨は、再び絶望した。

 しかして今夜、私は神の追悼式を行うことにした。神の作りし薄い本(同人誌)の数々を見ながら酒を飲み、思い出に浸ろうというのだ。プシュッ、とレモンチューハイの500mL缶を開ける音が虚しく部屋に響く。1冊目にふさわしいと思って手に取ったのは、初めて通販で買った合同誌だ。




 初めてネット上で神の『ナイハレ』サイトを見つけたときは衝撃だった。力強い線、大胆な構図、何より筋肉や関節を男臭く描いているところが他の絵師とは一線を画していた。サイト上のイラストや漫画を見漁った私は、この神絵師が薄い本の通販を行っていることに気づいた。迷わずR18の合同誌を注文して、今や遅しとポストを覗く日々が昨日のことのように思い出される。届いた封筒をドキドキしながら開いて出てきた、A4版の薄い本。肌色の多い表紙がつるつると光って卑猥だった。当然、中身はたいへんエロかった。萌えたぎった。私は、この本を5万回は読んだ。枕の下に敷いて寝た。私にとってこの本は、神の作り給うたオタク活動の源泉だった。




 角の丸まった合同誌を眺めながらノスタルジックな思いに包まれる。レモンチューハイが嫌に酸っぱく感じられる。合同誌の次に手に取ったのは少し分厚い一冊だ。裏表紙を見ると、「遠藤」の名の下に自分のペンネーム「秋雨」の名が並んでいる。




 上京後しばらくして本格的にネット上で同人活動を始めた私は、半年後にはジャンルの中でもそこそこの小説書きになっていた。あるときSNSで親しくしていた某大手『ナイハレ』サークルの絵師さんに誘われて、連載2周年記念のアンソロジーに寄稿することになった。その主催者の中に、遠藤さんがいらしたのだ。知ったときには、文字通り飛び上がった。嬉しかったからではない。畏れ多かったからである。

「神々が催し給う祝祭に、私のような下々の者が参加しても構わないのか」

とは言え誘いを断るだなんてとんでもないことで、4ページの小説を書き下ろすことになった私は血反吐を吐きながら執筆に当たった。神の御目に自分の原稿が触れるわけだ。生半可なものは書けない。若さもあっただろう。煩悶しながらも、何日かの徹夜の末、〆切ギリギリに文書データを主催者に送ることができた。

 出来上がったアンソロジーが郵送されてきたとき、銀箔押しの高級感に包まれたそれを手にして思わず泣いた。達成感とともに、涙が次から次へと溢れた。自分の小説が活字になっている様を見るにつけ、神に認められたという胸が張り裂けそうな喜びが血液を通じて全身を巡った。そして、貪るようにそれを読んだ。神の作品はやはり至宝だった。ギャグ漫画ながらにじみ出る画力に再び感涙したのだった。




 グレープフルーツチューハイを飲みながら、気がついたら泣いていた。何度もティッシュで鼻をかむ。鼻の下が痛くなるまで珠玉の書たちを読み返していく。どの本も、買った当時の思い出が鮮やかな腐乱臭とともに思い出される。読み終わった頃にはかなり夜が更けていた。段ボール箱の底を覗くと、1冊のスケッチブックが出てきた。




 『ナイハレ』の連載が3周年にさしかかろうという頃、同人界隈では第1回のオンリーイベントが開催された。私は、震えていた。自分がイベントにサークル参加(販売側での参加)するからだけではない。イベントに、珍しく神のサークルも参加することが決まっていたからである。会いたくて会いたくてたまらなかった神に、ついに御目にかかれるのだ。私は自分の新刊の準備もそこそこに、イベントのために洋服を新調したり美容院に行ったりと自分磨きに余念がなかった。少しでもいい印象を持っていただかなくてはならない。そして、少しでも神にこの愛を伝えたい。私は、必死だった。

 待ちに待ったイベント当日。ギリギリまで無料配布の冊子を刷っていた私は寝不足だったが、期待と興奮でギラギラとした目で会場にいた。自分のスペースの準備をして、両隣のサークルさんに挨拶する。平常心を絶やさずに周りを見渡すと、知り合いの某大手絵師さんの隣のスペースに、彼女はいた。そう、遠藤さんだ。黒髪を無造作に束ねた横顔は、想像していたよりも若かった。ドキドキした。イベント開幕後、お昼前の空いている時刻を見計らって神のスペースに足を運んだ。

「……す、すすすみません。新刊、を1冊ずつください」

「はい、千円になります」

「じゃあこれで。……あ、あの、これ差し入れです。あと、手紙、書いてきたのでよかったら読んでください……」

「ありがとうございます」

「はい……あの!遠藤さんの絵、以前からすごく、すごく好きです」

 ご、語彙力が死んだ……!数日前から何度もリハーサルしていた愛の言葉たちは立ち消え、頭の中は真っ白だった。きっと、このとき顔の方は真っ赤だっただろう。神の御前で、私はまるで恥じらう処女のような振る舞いしかできない、清純な一人のオタクだった。そんな挙動不審な私に、遠藤さんは優しく

「あ、ありがとうございます。イベント、最後まで楽しみましょうね」

 と、微笑んでくれた。私は酔ったような心地で、それでも可及的速やかに自分のスペースに戻った。天に召されるとはまさにこのことか、と思った。

 奇跡は続くもので、オンリーイベントの後に知り合いの某大手絵師さんを中心に打ち上げが行われることになった。幸運にも、遠藤さんのおいでるその打ち上げに呼んでいただけた。

 神々の!酒宴に!私めが!

 都内のちょっとだけ洒落た安居酒屋で乾杯をするまでの記憶は、ほとんどない。周りは、名だたる絵師さんや小説書きさんばかりだ。味のしないカシオレをちびちびと舐めながら、寝不足が祟ってぼーっとしていたとき、遠藤さんに話しかけられて一気に現実に引き戻された。

「さっき新刊買ってくれましたよね。えーっと……お名前……」

「あ、秋雨って言います!先程はすみません」

「あー…秋雨さんって、もしかしていつも通販してくれてる方かな?」

「……・!はい、遠藤さんの本、多分全部持ってます」

「マジで?ありがとうございます!あーなんか嬉しいな」

 遠藤さんは、酔いが回った様子で破顔した。落ち着いた声色とくちゃっとした笑い顔のギャップが素敵だった。それからしばらく、遠藤さんと話をした。『ナイハレ』のこと、同人活動のこと、ちょっとしたプライベートのこと……遠藤さんの話は魅力的で、学ぶことが多くて、夢中になって聞いた。遠藤さんはがっついて聞く私の姿勢に笑いながらも、ニコニコと何でも答えてくれた。店のアンケート用紙の裏に落書きをしながら、好きなキャラの話に花を咲かせた。夢のような時間だった。

「遠藤さん、もしよかったらなんですけど……イラスト書いてもらってもいいですか」

「いいよいいよ。鉛筆描きになるけど、いいかな?」

「もちろんです!お願いします!」

 イベントのときに渡せなかったスケッチブックをおずおずと差し出した。快く受け取ってくれた遠藤さんは、私の押しキャラをさらさらっと、あの男臭いタッチで描いてくれた。

「あ、よかったら新刊の感想くださいね」

 と、イラストの隣に連絡先まで書いてくれた。LINEをしていない遠藤さんの、生のメールアドレス。手が震えた。

「家宝にします!」

 震えながら言う私を見て、遠藤さんは煙草を吸いながら笑った。

 それ以来、遠藤さんには会っていない。




 結局、新刊の感想は遠藤さんのSNSにDMで送ったので、このメールアドレスを使ったことはない。それでも、その後もSNS上では製本のことやアンチコメントのことなど何度か相談に乗ってもらった。その度に遠藤さんの人柄に触れて尊敬の気持ちを新たにしたのだった。思えば、最初はただただ神のようにしてあがめていた存在だったのが、次第に「人としての」遠藤さんに惹かれていった。遠藤さんがネットのアカウントを消した今となっては彼女の真意はわからない。けれど、遠藤さんがなぜジャンルを去ったのか理由がしりたい。そして、やっぱり好きだって伝えたい。ジャンルが変わっても描き続けてほしいって伝えたい。できれば、ずっと、どんな形でも応援させてくださいって。

 チューハイの缶を置いて、そっとスマホのメールアプリを開いた。たっぷり30分かけて文面を考える。件名に「秋雨です」と打ち込んで、祈るような気持ちで送信した。




「件名:秋雨です

 本文:

 ご無沙汰しています。秋雨です。夜分にすみません。

 こちらのアドレスから失礼します。

 SNSなどのアカウントを消してらしたので、気になってメールさせていただきました。

 遠藤さんのイラストを拝見する機会がなくなってしまって、寂しいです。

 やっぱり遠藤さんの作品が好きだなあと改めて思いました。

 できれば、ジャンルが変わっても描き続けてほしいです!

 (勝手なこと言ってすみません!)

 もし、新しいジャンルで創作されるのであれば、変わらず応援させてください。

 一方的な思いの押し付けで申し訳ありません。

 遠藤さんとのつながりが切れてしまうのが残念だったので……。

 よろしければ返信いただけると嬉しいです。

 では失礼します。」


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