このヒロインの神は俺。

小串圭

第1話


 薄暗いカラオケボックスにて、女子が熱唱している。

 同じクラスの女子が歌うのは、巷で流行りの楽曲。ここ最近よく耳にする女性アーティストの曲だ。聞きなれたメロディだけど、カラオケ特有のチープなアレンジに、素人の歌唱。センセーショナルでエモーショナルな原曲からは程遠いクオリティ。にもかかわらず、俺を含め、クラスメイト8名はその素人の歌声に熱狂していた。

「FOOO!!」

 誰かが間奏部分で、歓声を上げる。タンバリンを振って音を鳴らす。とにかく、場内は盛りあがっていた。

 彼らに習って俺も歓声を上げる。空気を壊さないように努める。

 外面と裏腹に、心は冷めていた。

 明確な理由はない。ただ、なんだかげんなりした気分で素人の歌を聞いていた。

 女子が歌い終わる。一同が再び歓声を上げ、彼女を称える。

 カラオケ画面には楽曲の作成者として、アーティストの名前が表示される。湧く場内で息をひそめるように、俺は画面に表示されたアーティスト名を見つめる。

 尊敬と嫉妬の感情が混ざって、心がざわついてしまう。

 それは特別へと至った人間の名前。

 俺が目指す領域に至った存在だ。

「次、沢渡でしょ」

 舞台に立っていた女子が、俺にマイクを渡してくる。感傷にふけっていたせいで、一瞬だけ、反応が遅れてしまう。

「おう、サンキュ」

 女子と入れ替わるように俺は立ち上がり、舞台に立つ。舞台といっても、10cm程度の高さだ。教壇よりも低い。約1万人の観衆がひしめく武道館ライブとは大違いで、観客の数は8人。

 それら8人は別に俺の歌を聞きにきたわけでもなく、自分らが歌うため、ないし、クラスメイトとの交流が目的でこの場にいる。

 当たり前のことだが、俺の歌声を聴きにきたわけではない。

 俺の歌声に、そんな価値はない。

 イントロが流れ始めて、俺は歌いはじめる。口から発せられる俺の歌声は、......残念ながらハズレの部類だ。音痴ではないが、特別にうまいわけじゃない。凡夫すぎてなんの魅力もない歌声。歌うのが嫌になるほど平坦な声。

 そんな平凡極まりない歌声をクラスメイトたちはちゃんと聞いてくれている。歓声を上げ、盛り上がってくれている。

 耳を傾けてくれるのなら、頑張りたくなる。俺は丁寧に音程をなぞり、腹部を意識してより良い声を出そうと奮闘する。

 しかし、まぁ、己の口から出る歌声は、紛れもなく素人のそれであった。


 カラオケボックスから出る頃には、外はすっかり夕方だった。

 高校2年、新たなクラスメイトとの交流を深めるため、誰が提案したのか、急遽開催されたカラオケ交流会。参加者の表情はみんな満足げで、成功だと言える結果に終わった。

 俺らは店の前で解散した。帰宅方向によって、グループが別れる。

「相変わらず、響くんの歌唱力は圧倒的だね」

 電車組は2人だけ。俺と隣を歩く荻原晴樹はぎわらはるきだ。一緒に駅へと向かう。

「ほんとお前、表現が大げさだよな。俺の歌声なんか、駄目だ」

 晴樹は首を横に振る。

「君が歌い始めたとき、みんな感嘆たるため息を吐いていたよ。さすが本気で歌手を目指していただけのことはあるね」

 晴樹は口元を抑え、クスリと笑う。他意はないのだろうが、イケメンの晴樹が微笑を浮かべ

ながら「さすが」と褒めると、嘲笑ちょうしょうっぽく見える。

 今日だって、晴樹の参加が決定した途端に、聞き耳立てていた女子3人が即決で参加を表明してきた。コイツとは中学の頃から友達だが、そのころから黄色い声援を浴びる存在だ。そういう人間が傍にいるのに「妬むな」ってほうが無理な話だ。

「お前から褒められても、嬉しかねぇ」

 そういうわけで、俺は舌打ちをする。

「僕は響くんを尊敬しているんだよ。色々なことに挑戦する君を」

 胸に手を当て、芝居がかった身振りで訴えてくる。

「ギターにドラム、ピアノだって弾けるし、スポーツも万能だ。サッカーにバスケ、野球など中学の頃は手広い運動部に所属していて、全部そつなくこなしていた。そのほかにもマジックや、漫画にも手を出していたよね? 響くんは多才な自分をもっと褒めるべきだ」

「器用じゃ駄目なんだよ。『特別』には届かない」

 俺は夕焼けにより赤く染まった空を見上げる。太陽に横から照らされせいで、立体感が増した雲が、手を伸ばしても届かない位置で浮遊している。

「『特別』になるには、有無も言わせぬ突出した圧倒的な才能が必要なんだ。俺がいろんなことに挑戦してきたのは、俺の中にそういう才能がないか探すためだ」

「でも、なかった」

 晴樹はリズムよく言葉を被せた。

「そろそろ、一つに絞るべきなんじゃないかな」

 さっきまで肯定的だった晴樹の発言が、若干ではあるものの、急に否定的になったので、俺は思わず晴樹を見る。彼は真っすぐこちらを見ていた。

「僕らはもう高校2年生だ。来年には受験を控えている。特別な分野でトップを目指すのなら、たった一つを極めるために、もう今から技術を磨かないと、大人になるまでに間に合わないんじゃないかな?」

 その発言は正論がゆえに俺を苛立たせた。

「うるせえ。そんなことはわかっているんだ」

 言い負かす論理を持ち合わせてなかったので、そんな子供じみたことしか言えなかった。

「本屋よっていく。じゃあな」

 ちょうど本屋の前を通り過ぎるところであった。俺は晴樹の返答を待たず、踵を返して本屋の自動ドアをくぐる。晴樹の「響くん!」と呼び止めるような声は、ドアが遮断してくれた。

 俺は逃げるように、本屋の奥へと歩む。駅近くの5階建ての本屋。それなりに広い。最上階にある事典コーナーにたどり着いたあたりで、後ろを振り向く。晴樹はついてきていない。俺は安堵し、同時に逃げたことへの情けなさを感じる。

――大人になるまで間に合わないんじゃないかな。

 本棚と本棚の間、店内を目的もなく歩きまわっていると、晴樹の言葉が脳内で何度も自動再生される。彼の言ったことは、正しいと思う。その分野で特別になるには、トップレベルの技術力が必要である。俺は既に高校2年生。子供と大人の中間地点。今から始めなければ、いや、今から始めても、遅いかもしれない。

 背中まで差し迫る炎を感じる。今すぐにでも走りださなければ、炎は己の身体を焦がしてしまう。しかし、一つの事柄に人生を賭けるのだ。少なくとも才能という保証が欲しい。

 今まであらゆる分野に挑戦してきた。晴樹の言った通り、音楽やスポーツ、創作活動にも手を出した。すべては己が『特別』に到達するため。

 大人になって黒いスーツに身を包み、満員電車に押し込められ、上司にこびへつらう必要を失くすためだ。俺は判別つかない働き蟻にはなりたくない。

 だが、残念なことに、今のところ才能を見つけだしてはいない。

 タイムリミットは間近。俺は焦っていた。

 胃をキリキリさせるような気持ちで本屋を彷徨っていると、視界の端で捉えたあるポスターが気になった。

 それは小説の宣伝ポスターであった。某大賞を受賞した某作家の新作が今度発売するという内容。普段から活字を読まない俺にとって、その情報は心の底からどうでもよかった。

 すぐに視線を外そうとした矢先、ある閃き。

 視線は再び、ポスターに戻る。視界の中心で捉えたのは「小説」の二文字。

――そうか! 

 小説を書く職業、小説家。彼らは己の文才で人々を魅了させる。自らの妄想を文章という形で提供し、人々を感動させる。有象無象には属さない。社会から突出した特別な存在だ。

 小説とは、いわば文章の羅列でしかない。現国は得意ではないが、文章くらい俺にも書ける。

つまり、俺にも小説は書ける。

 思い立ったが吉日。善は急げ。ここは本屋。小説の書き方がわかる実用書くらいあるだろう。

 俺はまがりなりにもあらゆる分野に挑戦してきた。挑戦する際、その分野の実用書を買ってきた。その経験をもとに、小説の実用書が置いてあるであろう場所へと向かう。

 勘を頼りに目的の場所にたどり着く。それらしい本が棚にいくつか並んでいた。数は約20冊程度だろうか。背表紙には「文章力」や「ストーリー」などの小説にとって重要そうな単語が書かれている。

 どれにしようか。一冊一冊の内容を確かめるのは面倒だ。ここでもまた、実用書を読んできた経験を活かす。

 本の題名と背表紙のデザインから、内容のクオリティはだいたいわかる。

「よくわかる」だとか「簡単」のように、易しい印象を持たせるタイトルは内容が薄いことが多い。独自の一環した論理が伝わるようなタイトルは良本である確率が高い。その論理を頼りに最も良い本を見つける。

 これだ。これにしよう。

 目的の本へと手を伸ばし、固い背表紙に触れる......はずだったが、指先は白い肌に触れていた。それは女性の手の甲。伸ばした己の手は、女性の手と重なっていた。

 驚いた俺は反射的に手を引っ込め、白く小さな手の主を確認する。

 彼女は、いや、女子は、猫みたいな双眸でジッと俺を見ながら、伸ばしていた白く細い腕をゆるやかな動作で納めた。俺が女子と呼称したのは、制服を着ていたからだ。俺と同じ学校の制服だ。襟首に巻かれた紐みたいに細いリボンの色は赤。一年生だ。ひと回り小さい一年女子は、無表情でジッと俺を見上げている。

「先輩も、小説を書くのですか?」

「え?」

 不意の質問に俺は戸惑う。彼女も俺の制服の学年章を見て、俺が二年であることを判断したのだろう。

「いや、今から小説を書こうと思ってる。そういう君は、書くの?」

「めちゃめちゃ書きます」

 一瞬だけ、迫力が増した。彼女の小さな体が見上げるほど大きく感じた。彼女の発する言葉には重みが備わっていた。その重みが、言葉に説得力を加え、なおかつ彼女の体を拡大させたのだ。不思議と俺は「本当に彼女は小説をたくさん書くのだな」と納得した。

 小説を始めようとした矢先のこの出会いを最大限に利用しなければ。

「君、名前は?」

「1年4組、白鳥詩織しらとりしおりです」

 詩織は馬鹿丁寧に頭を深々と下げた。

「詩織ちゃんか、俺は2年3組沢渡響さわたりひびき。よろしくね」

 俺が軽く会釈すると、詩織は「よろしくお願いします」と再び頭を下げた。ちなみに、ここまで詩織の表情に変化はない。ずっと無表情で感情が読めない。喜怒哀楽の表現が苦手なのか

もしれない。

「さっそくなんだけど、詩織ちゃんは部活動とかやってる?」

 急な話題変更に詩織は「いえ」とゆっくり慎重に答える。

 俺は、今先ほど思いついたばかりの案を詩織に投げかけた。

「じゃあ、俺に小説の書き方を教えてくれないかな」

「......はい?」

 詩織は顔をしかめた。表情が初めて変化した。

「とりあえず、明日の放課後に図書室で集合ね。よろしく!」

「あ、ちょ......」

 何か言いたげな詩織を無視して、俺は踵を返すと、走ってその場から逃げた。

「先輩!」

 引き留める詩織の声は、もう既にはるか後方にある。俺は構わず本屋から脱出した。

 かなり強引な手段だが、これは、俺なりの説得術だ。

 おそらく、退散せずにあのまま交渉していたならば、詩織は俺からの提案を断っていただろう。詩織からすれば、初対面の先輩に小説を教えるメリットはない。ただ単に面倒が増えるだけで、断るのが当然だ。そして、アドリブで詩織を説得することは俺にはできない。そこまで巧みな話術を俺は持っていない。

 そこで一方的に約束を押し付けた。印象だけの判断だが、詩織はおそらく責任感が強い。あんな深々と頭を下げる人間だ、一方的に押し付けられた約束であっても、無碍にできないだろう。

 詩織は明日、図書室に必ず来る。それまでに、詩織の心を変えるためだけの論理を用意すればいい。いわば、俺は、論理を準備するための時間稼ぎをしたのだ。

 小説を書く人間なんて、やたら滅多に周りにはいないだろう。見つけ出すのも大変だ。

 白鳥詩織。貴重な小説を書く女子高生。彼女に教えてもらうほか、小説家になる道は残されていない。大げさかもしれないが、俺はそんな気分でいた。

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