戯曲「1972年のアプリオリ」(全一幕四場)
葛西 秋
第一場 喫茶店
駅に続くバス通りから一本道を中に入った一角にある小さな喫茶店。
昼下がり、店内には店主も店員もおらず、客である田宮しかいない。店内にはカウンターに五席、小さなソファのセットが三組。田宮は窓際にあるソファの席に座っている。
田宮の前のテーブルには、空になったコーヒーカップと雑多な紙類、吸い殻が積まれた灰皿が置かれている。田宮は煙草をくわえ、首筋に伸びる髪を引っ張りながらレポート用紙に何かを懸命に書いている。
田宮「ああクソッ、この表現は前にも使った。違う言葉だ、違うアプローチをしないと。何度も同じ表現を繰り返すと聴衆に飽きられてしまう。何か他に言い方はないだろうか」
ドアベルの音。喫茶店のドアが開いて西野が中に入ってくる。
西野「やってるかい」
田宮「やっと戻ってきたな。客に店番させるならバイト代を寄こせ」
西野「何を言うかと思えば。コーヒー一杯でここまで自由に居させてやることをありがたく思ってほしいね」
田宮「そのコーヒーのお代わりをくれ。それが欲しくて西野が帰るのを待っていたんだ」
田宮、西野の方を向くことなく、空のコーヒーカップだけ差し出す。西野、呆れながら受け取り、カウンターの内側に移動する。コーヒーサーバーから冷え切ったコーヒーをカップに移し、田宮に渡す。
西野「コーヒーはカウンターにあると言っておいたじゃないか。このぐらい自分でやれよ」
田宮、口をつけてすぐにカップを離す。
田宮「まずい」
西野「そりゃあね。淹れたてが欲しければ金を払え。それにしても必死だな。君の講演を聞きに来る聴衆は、まさか君がそんなに懸命に台本を考えているなんて思ってもみないだろう」
田宮「こっちの邪魔をするなよ」
西野「そっちこそ。この店の一等席をいつまでも占拠していないで、あのカウンターの隅に移ってくれ。営業妨害だ」
西野、店の名前が印刷されたエプロンを身に着けて、開店の準備を始める。田宮は顔をしかめながらカップの中のコーヒーを飲み干し、煙草を一口吸ってから灰皿に押し付ける。散らかった紙を神経質にきっちりとまとめて、手提げの紙袋に入れる。
田宮「あとは大学の図書館で書く」
席から立ち上がって大股で歩いて出ていこうとする田宮を西野が呼び止める。
西野「明日は用があるから、店を開けるのはそのあとだ」
田宮「何の用」
西野「実家に呼ばれたんだよ」
田宮は片手をあげて了承の意思を示し、ドアを開ける。ドアベルが鳴る。喫茶店から出ていく田宮の背に、西野が声をかける。
西野「ドアは開けたままにしておいてくれ。田宮の煙草のせいで、ここはまるで鰊の燻製場のようだ」
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