21.
オズワルド帝国とドイル皇国は、やはりというべきか儀式で訪れた際に感じた印象とさほど変わりはなかった。
親戚関係にあり、公爵家の人間でもあるエレミアはそれは大切な客人として遇してくれた。
帝国においては第一皇女が長兄ダニエルの妻である。
皇帝自らがもてなしてくれ、「年齢の近い皇子がいないのが残念だ」と嘆かれた。
皇太子は義姉の一つ年上であるが、兄妹仲は良くない。
義姉は幼い頃から何でもできる姫であった。「女でなければ」と皇帝に言わしめた程の傑物なのだった。
兄である皇太子も優秀ではあったけれども、常に妹と比べられ肩身の狭い思いをしていたようだった。
今も歓迎はしてくれているが、皇帝程ではない。
皇太子はすでに正妃と側妃二人がおり、子は五人いるがまだ幼い。
それでも孫を婚約者としてどうかと皇帝に薦められ、断るのにも苦笑を伴った。
「君が輿入れしてくれるのなら、皇太子の後宮を解散してもいいぞ」
挙句の果てには、皇太子に嫁げとまで言ってくる。
「陛下、冗談でもそんなことはおっしゃってはいけませんわ。お可愛らしい皇子皇女殿下方が悲しまれます」
「まぁ孫は可愛いが」
「ふふ、帝国の未来を背負って立つ方々ですもの。将来が楽しみですわね」
「そうなんだ、聞いてくれるか?この前な、…」
皇太子のいる前で平気で妻子を捨てさせると言ってのける皇帝陛下は、正直な所好きではなかった。
女性の地位は高くない。
貴族令嬢は家を繋ぐ為の駒である、という考え方が未だ根強いこの国で、しかも皇帝陛下がこれでは…と、エレミアは思ってしまう。
ここで働きたいと望んだとしても、婚約結婚を優先しろと言われるのは目に見えている。二十代前半の貴族令嬢は行き遅れと蔑まれるのがこの国の貴族社会なのだ。仕事などしようものなら口出ししてくるだろうことは容易に想像できる。
平民層は時代の流れもありその限りではないのだが、階級社会の強固な価値観は容易に覆せそうもない。
自分にその役目を課すのは荷が重いし、この国の為にそこまでしたいとも思わないのが正直な所だ。義姉には申し訳ないけれども。
結局皇帝も皇太子も多忙であり、他の貴族にエレミアの案内や世話を任せるわけにも行かないとのことで、皇妃殿下自らがお相手をして下さることになってしまい、気を遣わせてしまう結果になってしまった。
義姉からは「わたくしが案内するわよ」と声をかけてもらっていたのだが、遠慮してしまったのが裏目に出た。
貴族令嬢が一人で出歩くなど言語道断、という国では自由などない。
本当にバージル王国に似ている、というのが正直な感想だった。
観劇したり国立公園を散策したりと、他国の令嬢がやって来た時に案内するであろう一通りの観光地に行ってしまうと、もうこちらから「市井の仕事を見てみたい」などと言える雰囲気ではなくなってしまう。
日々皇妃殿下と茶を飲み、書庫へ通い、皇帝や皇太子と共に食事をする。
第二皇女は現在十二歳であるが、皇帝の側妃の娘である為、皇妃殿下と共にいる間お目にかかることはなかった。
エレミアが望んだ日々は遠く、最終日には「お世話になりました。皆様と過ごせて嬉しかったですわ」と言う笑顔すら引きつりそうになったのは仕方がないことである。
ドイル皇国は東西と南に砂漠を抱えるオアシス地帯にあった。
北には帝国と商業国家が接しているが、国土は広大であるものの居住地は少ない。
だが砂漠地帯でしか生息しない貴重な動植物は高額で売れる為、国自体は豊かである。
温暖な気候、乾いた空気。
早朝と深夜は気温が下がり、昼間との寒暖差がとても大きい。
王宮は気温を一定に保つ魔道具で快適だった。
一般家庭にも普及しており、家屋は頑丈な石壁と二重窓からなり、密閉性に優れている。
民はおおらかな気質の者と激しい者が両極端であるといい、酒場で大合唱と喧嘩は日常茶飯事なのだそうだ。
砂漠地帯の動植物の収穫は、ラクダに似た馬とコモドドラゴンを馬車程の大きさにした生き物に乗って移動しながら行う。
砂漠の生き物は常に飢えていて凶暴であり、皇国の男達は屈強でなければ生き残れないし、存在価値はないとされる。
強さこそ全てという価値観はわかりやすい。
女性は家と子供を守る者とされ、家で出来る内職仕事をしたり、店を切り盛りするのが通例であるようだ。
この国で生きていく為にはそうあるしかなかったのだろうことは理解しているが、どうにも脳筋思考と言えばいいのか、何かあれば「おう、表出ろや」が飛び交う。
貴族階級の者や王族はそうでもないのだが、本質的な気質はおそらく同じであろうと思われた。
ドイル皇国の皇太子ハリーは無口で優しい性質だと思っていたのだが、自国にいる彼はそうでもなかった。
エレミアと親戚にあたる娘がハリーにべったりと張り付いており、魔導王国を思い出すわ、と思ったのも束の間、今年十八だという彼女はハリーの目の前で宣戦布告をしてきたのである。
「私が…彼の皇妃になるんです…!あの、申し訳ないんですが、私から彼を、取らないで下さい…!!」
涙ながらに訴えられ、まるで本当に略奪したかのように扱われて、エレミアは目が据わりそうになるのを必死で引き上げ表情を作る。
公爵家直系の娘に堂々と喧嘩を売って来る彼女はすごいな、とどこか遠くで思ったりもした。
いや、特に権威を振りかざすつもりもないが、どこの国に行っても公爵家は上にもつかぬもてなしをしてくれるものだから、当然だと思う心がどこかにあったかもしれない。
反省しようと素直に思い、彼女を見れば、褐色の肌を震わせ、潤んだ黒目で上目遣いに見つめられた。黒髪黒目であったが、魔導王国の王族のような華やかさはなく、しっかりと化粧を施しているにもかかわらず地味な印象である。
同情や憐憫を引く為にわざとそう装っているのなら、プロだな、とエレミアは思う。
「…取るつもりなんてありませんわ」
「嘘。いつも彼は、あなたの家に遊びに行って…!私、連れて行ってってお願いしても、連れて行ってくれないし…!」
当然だろう。
エレミアの祖母の妹の孫である彼女に、公爵家の血は一切入っていない。
祖母が存命の間は行き来もあったようだが、今となっては両親が季節の折りや何かあった時に連絡を取るくらいである。
家の行き来などないし、付き合いと呼べる程の物もない。
魔導王国の彼女といい、この女性といい、女って実は強いのかな、などと思うエレミアだった。
敵意を向けられる相手が自分でなければ他人事でいられるのに。
「…そう言われましても」
困惑しつつ皇太子を見れば、楽しそうに笑みを浮かべていたのだった。
おい。何笑っていやがる。
思わず前世のツッコミが甦ってしまったが、男はやれやれと言いながらエレミアの肩を抱いてきた。
「俺と結婚したいなら、彼女を説得してくれないか」
「…は…?」
素で出た「は?」だった。
ハリー、どうしたの?
「あいつは俺のことが好きなんだ。俺は君のことが好きなんだけど、諦めてくれなくて」
「は…?」
「君が俺と結婚すると言ってくれれば、彼女も諦めるだろう」
「酷いっ!!ハリーだって、私の事、好きなくせに…!!」
両手で顔を覆って泣き真似を始める彼女の名前は何だったか、スザンナ・オーウェン子爵令嬢だったか。
エレミアは他人事のように冷めた瞳で彼女を見つめ、そして突然馴れ馴れしい態度を取るハリーに戸惑った視線を向けた。
「嫌いじゃないけど…。でも俺はエレミアと結婚したいし」
「そんな…っわ、わたし、決闘なんて野蛮なこと、出来ないのに…っ!その人とは違って、かよわいのに…!」
「…はぁそうですか」
何を見せられているのだろう。
皇太子の取り合いをするつもりは全くない。
一連のやりとりでエレミアの心は潮が引くように冷めていった。
明日から皇国来なくていいかな。
我が家に遊びに来てくれるハリーは好きだったが、今目の前で馴れ馴れしく肩を抱いてくる男は一体誰なのかと思う。
猫を被っていたのだろうか。
それとも、自分のことを一途に好きな女が敵意をむき出しにしてエレミアに食ってかかっているから、謎の優越感にでも浸っているのかもしれない。
ハリー、若いものね。
それに付き合わされるこちらの身にもなって欲しいと思いつつ、エレミアは肩に回された腕を外し、距離を取って座り直す。
「落ち着いて下さいまし。親戚とはいえ、突然喧嘩腰で来られては話もできませんわ」
「…喧嘩腰だなんて酷いです…!うちが子爵家だからって、馬鹿にしてらっしゃるんですか…!?」
「していません」
「嘘!」
オーウェン子爵令嬢は、エレミアの発言を何でもかんでも嘘にしたいらしい。
疲労を感じつつ、無駄だとは思いつつも、話を続ける。
「子爵家の娘が皇太子と幼なじみというのは、貴族社会ではあまり聞きません。身分差はどうしてもついて回りますもの。それでも幼なじみということは、我が公爵家と親戚関係にあるからだ、とはお考えになりませんの?」
意地悪な言い方をしている自覚はある。
だが、あちらも立場を理解すべきである。
「彼女はあなたが呼んだの?ハリー」
「いいや、勝手に来た」
距離を取られた分、ソファの端と端に腰掛けることになったハリーは不満そうな表情を隠しもしない。
もっと、落ち着いた子だと思っていたのに。
彼に対するイメージが崩れていく音を聞いた気がした。
「この国では、呼ばれてもいない子爵家の娘が、王宮に自由に出入りする権利が与えられているのね?」
「いや、そんなことはない」
「…でもここまで勝手に入って来たのでしょう?」
「私は!ハリーの皇妃候補だし、幼なじみだから…特別なんです!」
「特別ですか…」
「そうなんです!」
ふんぞり返って笑う子爵令嬢に一瞥くれることなく、エレミアはハリーを見つめた。
「子爵家の娘が皇妃候補になれるのね?」
ハリーに問えば、どうでも良さそうにコーヒーカップに口をつけた。
「普通はなれないな」
「そうなの?」
「公爵家の後ろ盾がなければな」
「…そうなんだ。ちなみに公爵家、というのは?」
「君のご両親だな」
「…お聞きになりまして?」
瞬間で青ざめた彼女に言えば、ぶるぶると首を振った。
「怖い…!脅すんですか!?私、私、ハリーが好きなだけなのに…っ」
「そこじゃないんですよね…」
突然被害者ぶられても、冷めるだけだ。
立場を弁えて大人しくして欲しい、と言いたいのだが、彼女はエレミアをライバルだと思い込んでいるようだ。
何だか疲れてしまった。
他国の公爵令嬢が突然国にやって来て、自分の大好きな皇太子と親しくされるのは不快なのだろうことはわかる。
しかも親戚だからと名前は互いに呼び捨てで、家にも行き来しており、どう見てもよその女に対する態度とは違う、となれば焦りもするのだろう。
魔導王国の侯爵令嬢も、この子爵令嬢も。
気持ちはわかる。
エレミアとて、就職先と同時に嫁ぎ先も見つかればいいな、という気持ちでいたことは否定しない。
実際、彼らに張り付いている彼女達を見て、「やめよう」と思ったことも事実であるので、彼女達の思惑は成功しているのだ。
だが、他国とは言え上位の令嬢に取るべき礼儀というものがあると思うのだ。
彼女達の思惑は成功しているが、彼女達自身の評価を落としているということにも、ぜひ気づいて欲しいと思う。
指摘してあげる程の親切心は、残念ながら持ち合わせていない。
商業国家では楽しかったのに、帝国からこっち気疲れすることばかりである。
エレミアは溜息をつき、立ち上がった。
「あなた方のお邪魔をするつもりはございません。どうぞお幸せに。皇王陛下と皇妃殿下にご挨拶して、今日の所は帰るわね」
「え、もう帰るのか?」
「わたくし、明日から第二皇子殿下に遊んでもらうわね」
「えっちょ…っ待…っ」
「それでは、ごきげんよう」
完璧なカーテシーで挨拶すれば、見るからに喜んだ子爵令嬢が弾んだ声を上げた。
「ごきげんよう!理解して下さったのですね!」
「ほほほ、そうですわね」
「エレミア!!待って!!」
「ハリー!!聞いた?私、皇妃になっていいって!」
そんなことは一言も言っていないのだが、もはやどうでもいいことだった。
慌てて立ち上がったハリーが追いかけて来ようとするが、子爵令嬢が腰に巻き付いて邪魔をしていた。
追いつかれる前に扉を閉めさせ、歩き出す。
ハリーも魔導王国のマークと同じで、自分で彼女達に要求したり窘めたりはしないようだ。
彼女達は元からあの性格だからと、慣れてしまっているのだろうことは理解できる。
それだけ長い期間、彼ら彼女らは共にあったのだということなのだとしたら、エレミアの方こそが邪魔者なのだろう。
それについては反省しようと思う。
だがどう考えてもエレミアに対して礼を失している。
こういう様を見せられると、わたくしは無礼な態度を取られても構わない、彼らにとって取るに足らぬ存在なのだと言われているのと同義だと感じる。
立場を弁えない者と付き合う必要を感じないし、こちらが気を遣うにしてもそこじゃないだろうと思う。
せめて冷静に話の出来る令嬢達であれば良かったのだが。
彼らとの付き合い方、距離の取り方を考え直す機会を得たことが、今回の収穫となるだろう。
結局追いかけてすら来ないハリーのことは忘れることにして、ついて来る護衛騎士達の褐色の肌と屈強な筋肉を横目に見ながら、眼福だわ~と内心現実逃避を始めるエレミアだった。
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