14.
周辺国の結界の儀式を転移装置を駆使して一回りした王太子フェリックスとエレミアは、メリル聖王国へと戻って来ていた。
翌日からは魔導王国ガルシアにお世話になる予定であり、聖王国で過ごす最終日はフェリックスに誘われてお忍びで美術館へと来ていた。
聖王国は創世神と聖女を信仰する宗教国家だけあり、美術館の絵画や彫刻も神々や魔王討伐をモチーフとしたものが多い。
さすが聖都にある美術館の展示品には詳しいらしく、フェリックスはエスコートをしながら一つずつ説明をしてくれた。
かつて魔王が支配するこの大陸へとやって来たのは、別大陸からやって来た勇者一行であるとされる。勇者一行はこの大陸に根を下ろし、国を興した。
創世神とその他の神々の信仰は別大陸から持ち込まれたものであり、魔王討伐から千三百年程が経過して、信仰は問題なく大陸に根付いている。
神々については特に興味は惹かれなかったが、魔王城での戦い、というタイトルがつけられた壁一面の大きな絵画の前で足が止まった。
銀髪碧眼の聖衣を纏う聖女と、庇うように前に立つ同じく聖衣の金髪碧眼の神官、黒髪黒瞳の魔女が黒衣を纏って後衛に、前衛の勇者は煌びやかな白銀の鎧と鮮やかな紅のマントに身を包み、こちらは赤髪翠瞳で輝く剣を両手で持ち、魔王へと向かっていた。
すぐ後に続くのは漆黒の鎧、幅広の大きな漆黒の剣を構えて向かっていく戦士。ブルーのマントをひらめかせるこちらは黒髪碧眼で、腰までありそうな長髪を後ろで一つにまとめ、褐色の肌を持つ屈強な人物である。
対する魔王は黒一色。漆黒の長衣をたなびかせ、迎え撃つ表情は余裕のようにも見える。漆黒の長髪、金の瞳。一見すると人間のように見えるが、二本の角を持ち、耳は尖っている。爬虫類のものに見える鱗の生えた太い尻尾があり、両手は獣毛に覆われ爪は長い。戦闘場所はおそらく謁見の間と思われる。
魔王城の基本的な構造をそのまま使用している我が国の王宮の、謁見の間と似ているような気がした。
「実は魔王との戦いって、あまり詳細には語られていないんだよ」
フェリックスの説明に、エレミアは首を傾げた。
「そうだったかしら。溢れる魔獣を引き上げさせろと交渉したけれど決裂して、戦いになったんじゃなかった?」
「うん。別大陸にも魔獣が大量にやって来て、被害が甚大になったから魔王と交渉する為にこの大陸にやって来たという話だね。魔王は強大な力を持っていて、対面するだけでとてつもない圧と恐怖に晒された、という話だ。実際の戦闘を知る者は当事者以外におらず、この絵の魔王も勇者一行から聞いた特徴を描いたんだそうだ。魔王は死亡と同時に肉体も滅び、跡形もなく消え去った為に、逃げたのかもしれない、とも言われている」
「へぇ…勇者一行は戦闘について語らなかったの?」
「何も残っていないね。魔王の元へ決死の覚悟を持って行き、数時間後に戻って来た時には魔王は討伐されたとだけ。そしてこの大陸に残り、国を興した」
「元の大陸に戻れば英雄として遇されたでしょうに、戻らなかったのね」
「そうだね。考えてみたら不思議だよね。それに別大陸へ繋がっているだろう帝国東の海や空には、強大な魔獣が跋扈していて、別大陸に渡ろうなんて今となっては不可能だ。こちらに渡って来れたのだから、当時なら帰ることもできただろうにね」
「そうね」
勇者一行を描いた絵画はたくさんあった。
聖王国を興した聖女と神官、帝国を興した勇者、魔導王国を興した魔女、皇国を興した戦士。
我が国をモチーフとしたものは、黄金の鱗と虹色の瞳を持つ巨大な龍が、暗雲立ちこめる空の中廃城となった魔王城の上空を飛んでおり、一筋の陽光が差し込む先にいる一人の男に、迎えるかのように両手を広げられている絵くらいである。
我が家の初代夫妻であろうが、他国において初代の妻は龍であるという認識のようだった。
「君の国を代表するのは公爵家だからね。王家じゃないよ」
これじゃまるでうちが王家みたいだな、と思っていたのを見透かされたような気がして、苦笑を返した。
「王家は表に出て来ないものね」
「公爵家のありがたみを理解していないなんて信じられないことだよ。他国の人間からすればね」
「ふふ、ありがとう。わたくしも公爵家に生まれていなかったら、ありがたみはわからなかったかもしれないわ。我が家は自国では目立たないようにしているから」
「…王家とのバランス、というやつだろう?王族の立場からすると、とてもありがたい配慮だと思うんだけど、あの国の王族はそうは思わないらしい」
「わたくしも理解ができないもの。控えめにしすぎたのかもね」
休憩しようと声をかけられ了承し、美術館に併設されているカフェで、庭園を眺めながらアフタヌーンティーを楽しんだ。
「明日からは魔導王国で過ごすんだろう?」
フェリックスの言葉には、どこか寂しげな響きがあった。
「ええ」
「…ここの所、ずっと一緒に行動できて、楽しかった」
「わたくしもよ。貴重な経験をさせてくれてありがとう、フェリックス」
「良かった。こちらこそ魔力譲渡してもらえてとても助かった」
「お安いご用よ」
「ああ…うん。その、」
「…?」
視線をあちこち彷徨わせる王太子は、言葉を探しているようだった。
周囲には会話が聞こえる範囲に人はいない。
護衛騎士や侍従も一般客から視線を遮るように少し離れた場所に立っている為、周囲を気にする必要はなかった。
穏やかな日差しの差し込むカフェから見える庭園は見事な物だ、とエレミアは思う。
しばらく沈黙が続くので、促すように首を傾げて笑みを向ければ、フェリックスは躊躇いつつも口を開く。
「…その、寂しいよ」
「この二週間程は一緒に各国を回っていたものね」
「うん、…いや、それだけじゃなく…」
ちらちらと向けてくる視線の意味を理解したが、エレミアはティーカップに口を付け、気づかないフリをした。
聖王国は宗教国家であると同時に観光立国であった。
気候は一年を通して温暖で、町並みは美しく整えられ、海の恵みも山の恵みも豊富である。これといった特産品はないものの、自給自足ができており、巡礼者や観光客が大量の金を落としていってくれる為に豊かな国だ。
おそらく各国の結界の儀式でも莫大な金が動いているに違いなく、聖王の権威と権力は揺るぎないもののように思える。
だからこそ王太子の教育は大変に厳しいものだと聞く。
聖女の色は、長子が持つとは限らない。
適格者に現れるということだが、それだけに「選ばれし者」としての自覚はとても強く、色を持たない王子王女よりも優秀であることを常に示し続けなければならない重圧はどれ程のものか。
だからこそ可能な限り伴侶となる相手は、王太子の希望が最大限配慮されるという話であった。
王太子に婚約者はいない。
そして多忙にもかかわらず、暇があれば我が家を訪れ、我が家族と共に茶を飲み、時には夕食も共にしていた。
フェリックスが何を言いたいのか、気づいていた。
視線が合うと、あからさまに深呼吸をした。
ああ、と思うが、最後まで聞くべきだろう。
エレミアは静かに目の前の男を見つめた。
「学園を卒業後、良かったらこの国に来ないか?何か仕事をしたいというのであれば紹介するし、その…できればこれからも、こうやって話をしたい…」
「フェリックス…」
真面目な彼にとってはこれが精一杯の告白なのだろうことは、理解した。
彼のことは嫌いではない。人間としては好きである。
エレミアを好きでいてくれるし、大切にしてくれるだろうことも、予想はできる。
でも。
この人でなければ嫌だ、とは思わない。
元からフェリックスのことを恋愛対象として好きであれば、一も二もなく頷いたであろう。
非常に迂遠ではあるが、つまりフェリックスはエレミアにプロポーズをしているのだ。
彼の言わんとすることは察したが、明言されたわけではない。
申し訳ないと思いつつ、エレミアは返答を避けることにした。
「お誘い、嬉しいわ。卒業までの時間は、各国を回ってそれぞれの良さを知り、進路を決める為に使おうと決めているの。だから終えるまで返事はできないわ…。構わない?」
窺うような目線を向ければ、「もちろん」と慌てて頷いた。
「急かすつもりはないよ。焦ってしまう気持ちはあるけど、待ってるから…終わったら、返事を聞かせてもらえるだろうか」
「ええ、必ず。…ありがとう」
「機会をもらえた私こそ、ありがとう、だよ。本当なら、君の嫁ぎ先は決まっていたんだから」
「そうね。わたくしも、自由に各国を回って就職活動ができる日が来るなんて、思ってもいなかったわ」
「ははは、君ならどんな職業でもできるよ」
「だといいわね」
和やかに終われて良かったと思う。
全ての国を回ったあとで、聖王国がいいな、と思う可能性はなくはないので、ここで選択肢を潰してしまうわけにはいかない。
彼の婚約者になるかどうかもわからない。
我が家は一途な性質であるという。
ならばきっと、一人を愛する日が来るのだろう。
今現在、目の前にいる彼は唯一の男ではないと感じる。
だが未来はわからない為、保留させてもらうのだった。
キープしているような後味の悪さがあるが、そもそもエレミアは自国の王太子に卒業と同時に嫁ぐはずだったのだから、そこまでは待って欲しいと思う。
もし決められなかった時には、きちんと断りを入れるつもりだ。
王族は国の安定の為、早めの婚姻が推奨される。
次期王であれば、なおさらだ。
事情はエレミアにも理解できるが、自分の幸せの為に生きることが許されるようになったのだから、自分の人生を狭めるつもりはない。向こうが待てないというのなら、どうぞ他の人とお幸せに、と思う。
自分の好きな人と結婚したいし、「この人だ」と思う人が見つからなかったとしたら、独り身でもいいだろうと思うのだ。
仕事もしたいし、恋愛もしたい。
この世界の価値観とは違ったとしても、エレミアは後悔しないように生きたいと思うのだった。
それが許される立場を得たのだから。
「…少し庭園を散歩してから戻ろうか。夕食は一緒にどう?」
照れの残るフェリックスの表情は、男らしさの中に可愛さがあって微笑ましい。
「ええ、ご一緒させて頂くわ。両陛下にご挨拶もしたいし」
「良かった」
エスコートの為手を差し出され、握り込まれる手のひらが熱かった。
愛せたら良かったのに。
ごめんね、と内心で呟いた。
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