6.

 帰宅して迎えてくれたのは、義姉と妹だった。

 御者から聞いていたのだろうがエレミアの姿を見て絶句し、妹は抱きついて泣き出した。

「ひどい、ひどい!何で!?何でこんなひどいことができるの…!?」

「ひどい格好でごめんね、リリー」

 頭を撫でながら言えば首を振り、涙を拭いながら見上げてくる。

「違う!お姉さまじゃないわ、ひどいのはお姉さまを傷つける奴よ!!」

「…エレミアちゃん…」

 義姉もまたエレミアを抱きしめ、背中を撫でてくれる。

「お義姉様、わたくし」

「これが初めてじゃないわね?…今まで、我慢していたのね?」

 優しく温かい声音ながら、そこにはエレミアの身を案じ、傷つけた者に対する怒りが感じられた。

 

 心配してくれる家族がいる。


 ああ、エレミアは独りじゃないね。良かったね。

 流れる涙は、彼女の喜びの涙だった。

 ここまで傷つけられ、蔑ろにされる自分を本当は見せたくなかったことを知っている。

 でも一歩踏み出さないと、変わらない。

 

 もう終わりにしよう。

 幸せに、なろう。


「夜には家族全員揃うわ。傷を癒す前に、医師の診断書を取りましょう。いいかしら?」

「…はい、お義姉様。ありがとう」

 応接室に待機してくれていたお抱えの医師に診てもらい、証拠を残す。

 時間が経過して、殴られた頬はますます腫れ上がっている。

 熱い紅茶で軽い火傷も負っていた。

 回復魔法のある世界だから良いものの、自らの楽しみの為に他者を傷つける者が、国のトップに君臨していることに戦慄する。

 屋敷には長兄のダニエルとメリル聖王国の王太子フェリックスがいるということだったが、怪我をした顔を見るのは遠慮してくれたようだった。フェリックスは治癒後に「また来るね」と挨拶だけして帰って行った。さりげない気遣いに感謝したが、共にいたダニエルには抱きしめられ頭を撫でられた。

「エレミアの顔に傷をつけるなんて…」

 呟く兄の気配は殺気立っていたが、義姉も妹も同じように怒ってくれて、嬉しかった。

 夕食の席で久しぶりに家族全員が揃った。

 父は金髪碧眼の正当派王子様をそのまま四十代にしたような美形である。

 母は黒髪黒瞳、かつて魔王を討伐する為、異世界より召喚した世紀の魔女が初代となった、ガルシア国女王の妹である。異世界召喚といえば聖女が定番では?と思う所だが、この世界では魔女を召喚したようだった。母もまた四十代だが、外見は艶やかで若々しい。

 長兄ダニエルは今年二十三歳。黒髪黒瞳で顔立ちは父に似て華やかな美形である。

 次兄レヴィは今年二十歳。メリル聖王国の第一王女フィオナと婚約中で、そちらに居を移して生活している。黒髪碧眼で、聖王国の聖騎士である。鍛え上げられた肉体は強靱であり、聖王国最強の呼び声が高い。「麗しの聖騎士様」として人気を博しているようだ。

 妹リリーは金髪碧眼、顔立ちは母に似て繊細で滑らかな肌質と、ぱっちりとした瞳が愛らしい。すでに完成された美少女であるが、将来が非常に楽しみである。

 エレミアの虹色の瞳は王家に嫁ぐ四代ごとに顕れる特別な瞳で、初代の妻がこの色の瞳であったと言われている。

 ダニエルの妻である帝国の姫ノーマは金髪紫眼。艶やかに輝くストレートの髪をシンプルに結い上げているが、髪留めは兄からの贈り物ということでよく見かける物だった。ブラックダイヤとアメジストをふんだんに使用した一点物で、義姉にとても似合っている。

 今日は聖王国にいる次兄までが集まってくれ、エレミアは申し訳なく思いながらも喜びを隠せなかった。家族はとても仲が良い。

「宿泊施設の視察も込みだったから、なかなか家に帰って来られなかったけれど、やっぱり家族で食事すると落ち着くわね」

 母のおっとりとした声はいつも優しい。

「今日はレヴィまで一緒とは。何かあったか?」

 父の問いには、ダニエルが答えた。

「夕食後にお時間を頂けますか?とても重要な話があります」

「…ほう?」

 父は食堂内を見渡すが、皆表面上は冷静を保ち、黙々と食事をしている。

 一見しただけでは理由に思い当たらなかったのだろう、軽く首を傾げながらも頷き、各国の話をしてくれて夕食を終えた。

 談話室へと移動し、各々ソファに腰掛けた。

 使用人を下げ家族だけになったところで、ダニエルが父へと話しかける。

「父上、これは確認なのですが」

「何だ?随分もったいぶるじゃないか。重大な事件でも起こったのか」

「はい。次期公爵家当主の立場としては看過できません。…兄の立場としては、相手を殺しても殺しきれない程に許し難い」

「なぁに?聖王国にいるはずのレヴィがここに来ているということは、レヴィに何かあった?フィオナ姫が浮気でもした?」

 母が首を傾げながら問うてくるのを、次兄が苦笑して否定する。

「違います。姫との仲はとても良好ですよ。ご存じでしょうに」

「まぁそうよねぇ。ダニエルが相手を殺したい、だなんて、姫相手に思うわけないか。じゃぁ…」

 全員の視線がエレミアを捕らえ、エレミアもまた苦笑した。

「…ごめんなさい」

 迷惑をかけます、という意味を込めて謝罪すれば、皆困ったように眉を顰め、溜息をつく。

「謝らないで。何があったか、教えてくれるわね?」

「お義母様。わたくしから、よろしいでしょうか」

 義姉の言葉に、皆が頷く。

 義姉は医師からの診断書と、その時撮影した写真をテーブルの上に置く。醜く変色し腫れ上がった頬、火傷と紅茶に塗れた全身の、見るも無惨な姿である。

 情けなさと恥ずかしさで居たたまれない思いを堪え、絶句し蒼白になっていく家族の姿を黙して見つめた。

「婚約者に暴力を振るわれ、王妃に紅茶をかけられ火傷を負うことはよくあることだそうですわ…。今までエレミアちゃんは、わたくし達に心配をかけまいと、帰宅前に治癒していたそうですの。今日は御者から、エレミアちゃんが怪我をしていると連絡がありました。今までそんなことはなかった。わたくし、帰宅したエレミアちゃんを見て、信じられませんでした。この子にこんな酷いことができる輩が存在することに…そして、今まで気づかずにいた自分が許せませんでした…」

 身体を震わせ、膝の上で両手を握り締めて唇を噛む義姉と妹は、この姿を実際に目の当たりにしたのだった。醜いモノを見せてしまって申し訳ないと思いつつ、怒ってくれる存在がいるのは幸せなことだと思う。

「な…んだ、なんだ、これは。…なんで、こんな、」

 父が呻き、母は大きく目を見開き、呆然としている。

 リリーはエレミアにしがみつくようにして啜り泣き、レヴィは殺気を隠そうともせず憤怒の形相で震えていた。今にも飛び出して行きそうになる足を、両手で抑えつけているかのようだった。

 ダニエルはすでに見ていたのだろう、一見冷静に、だが瞳には殺意を煌めかせながら、呟いた。

「王家との四代ごとの婚姻は初代からの約束ではありますが…もう、いいでしょう。…妹を、不幸になるとわかっていて、差し出すことはできません」

 まだ一日分しか録音録画されていない黒縁眼鏡を、兄に渡していた。

 それの中身もおそらく確認したのだろう、兄はテーブルの上に分厚いノートパソコンのように見える魔道具を置いた。二つ折りにされており、上側には画面が、下側には録画機能のついた魔道具が嵌め込まれている。

「エレミアが今日一日、受けた屈辱の数々です」

 授業や移動などの無駄な部分は編集し、王太子と王妃に関わりのある部分だけを流してくれたが、家族をさらに怒りと絶望に突き落とすには十分であったようだ。

 魔道具、いい仕事してくれるなとエレミアは冷静に思う。

 一ヶ月程度は我慢して証拠を集めなければならないと思っていたのだが、あまりに簡単に王太子も王妃も手を出してくるものだから、手間が省けてしまった。展開が早すぎて自分自身がちょっとついていけないな、と思わないでもないが、嘆き悲しみ、心配してくれる家族に素直に甘えるべきである。

「…学園に入学してからは、だいたい同じようなことの繰り返しです。わたくしは王太子殿下にとっては使用人以下の存在であり、王妃殿下にとっては取るに足らぬ存在のようですわ」

 言えば、テーブルに並んでいた家族分のティーカップが砕け散った。

 魔力を見れば、母だった。

「…この男の婚約者って、エレミアよね?」

「はい」

 王太子をこの男呼ばわりした母は画面から目を離さない。

 伯爵令嬢との逢い引きの場面が流れていた。

「…あなた?この男も婚約が不本意だって言ってるし、公爵家も邪魔みたいね。ねぇ?わたくし、エレミアの幸せの方が大事よ。あなたはどうかしら?」

「…何なんだ、これは」

 父はもはや殺意の固まりとなっていた。

 顔を伏せ、全身を震わせている。

 馬車の中で王太子に殴られ画面が揺れた瞬間、部屋の調度品が方々で砕け散る音がした。絵画がひしゃげ、置物は砕け、カーテンは千々に裂けた。  

 そして王妃に下らない理由で紅茶をひっかけられた際には、窓が砕けた。

「…もう、いい。もうわかった」

 王宮内を歩き、馬車留めまで向かっている映像の途中で父は止めた。

 部屋の中はソファ周辺を残して廃墟のような有様になっていたが、誰も気に留めていないようだ。

 無言が落ち、空気は重い。

 父は深く溜息をつき、眉間を揉みほぐしてから顔を上げた。

「エレミア…。正直に話してほしい。暴行を受けるのは初めてかい?」

「いいえ」

「この理不尽な扱いは、常態化している。間違いないかい?」

「はい」

「映像と怪我を残したのは、もはや婚姻の意志はない、ということでいいね?」

「…わたくし、殿下に初めてお会いした時から、そんな意志など毛頭ございません」

「え?」

 これにはさすがに目を見開いた。

 家族の視線を受けながら、エレミアは隠すことなく正直に話す。

「五歳の頃でしたか、初めてお会いしたのは。…二人で庭園を散策していた時、殿下に言われました。「何だその目は。気持ち悪い。僕を見るな」と。初対面でわたくしの外見を嫌われたのに、この方に嫁ぎたい、などと思うでしょうか。次にお会いする時には眼鏡をかけました。「ブスがますますブスになった」と言われましたので、顔を隠す為に前髪を伸ばしました。お会いする度に外見を貶されました。家にいる時だけですわ、素のままでいられるのは。婚姻する事は生まれる前からの決まりだから、諦めただけです。望んだことはただの一度もありません」


 ああ、ようやく言えた。


 すっきりしたエレミアに比べ、家族は地獄に落とされたかのような悲壮な顔をしていた。

「…あの格好をしているのは、あまりに美しいおまえの姿を、他人に見せたくない王太子のわがままなのだと思っていた…」

 愕然と呟く長兄に続くように、次兄も頷く。

「我が家に来ることがないのも、贈り物も一度もないのも、意識して欲しいという子供じみた意地悪なのかと…」

「…まさか、エレミアを嫌う男がいるなんて…、ありえないだろう…?」

 父までが愕然としていた。


 いやいやそんな馬鹿な。

  

 思わず冷めた目で男達を見てしまった。

 そんな下らない意地悪が許されるのは小さなお子さままでだ。

 卒業を控え、すでに成人を迎えている男がやって許されるわけがないし、そもそも王太子はエレミアのことを疎ましく思っていることは確実である。

 …百歩譲って、初対面の頃はもしかしたらそんな男心もあったかもしれない。

 だがエレミアは傷ついたし、その後も挽回する機会はいくらでもあったにもかかわらず、態度を硬化させ悪化させたのは王太子の方だった。

 こちらはただ、歩み寄る努力を放棄しただけだ。最初から諦めていたわけではなかった。

「拗らせた男のわがままかどうかなんてどうでもよろしいわ。もはやそんな可愛らしいモノではないでしょう?現実に戻って来なさい」

 母の叱咤に、男達は悄然と項垂れた。

「そうだ、許されるものではないし、許すつもりもない。あちらが婚約破棄をしたいというのなら、してやろう。初代からの約束は、先代の時に反故にされているのだから」

「それは、どういう…?」

 父の言葉に真っ先に反応したのは次兄であり、母と長兄はじっと黙って続きを待っていた。

「四代前に嫁いだ…便宜上先代と呼ぶが、彼女は子を産めなかった」

「ええ、それは知っています。病死なさったと」   

「殺されたんだよ」

「え!?」

 母と長兄以外が驚愕した。

 初耳である。

「…婚姻の翌日、初代からの決まりである儀式を終了した後、先代は死んだ。初夜は行われておらず、その時王太子だった男は懇意にしていた子爵令嬢を閨に呼んでいた。喪に服すことなく、子爵令嬢を側妃に迎えた…正妃の立場は、先代の娘と決まっていたからな」

「…そんな」

「当時の公爵家の当主に、王太子が自ら言ったそうだ。公爵家の娘と婚姻する場合、王太子は後宮を持つことができない。一夫一妻を強いられる決まりだ。自分が愛しているのは子爵令嬢だと。儀式は終わったのだから、死んでも問題ないだろうと、言ったのだ」

「…どこまで王家は、我が家を蔑ろにすれば気が済むのですか…」

「今この段階で、知らせてくれて良かった。婚約破棄などと言っているが、王太子の一存で適うものでもない。無理だった場合、先代のようにエレミアが殺される羽目になっていたかもしれない」

「許せん…」

 次兄の呟きは、この場にいる全員が共通する認識だった。

 殺されるなど、冗談じゃない。

「エレミア」

 名を呼ばれ、父を見る。強い目をしていた。

「はい」

「卒業パーティーで婚約破棄と断罪をしたいようだから、やらせてやろう。おまえは卒業式まで、学園に行かなくていい。単位は足りているし、あと数ヶ月だ。王宮にも行かなくていい。私が王に言っておく。すでに妃教育は終了しているのだから、文句を言われる筋合いもない」

「はい」

「王家と婚姻などさせない。卒業までの時間は、これからの自分の将来について考える時間に当てなさい。…今まで、我慢を強いてしまって悪かった」

「お父様…」

「エレミア、自分の幸せを、探してちょうだいね」

「お母様…」

「嫁がなくて済むなんて、素晴らしいことだ。おまえが傷つかずに済む」

「婚姻が覆せないなら、その女と王妃を殺すしかないと思ったが…しなくていいなら、良かった」

 次兄が不穏なことを呟いているが、誰も止めようとはしない。

「良かった。エレミアちゃん、辛かったわね。幸せになってね」

「お義姉様…」

「お姉さま、もういじめられたりしない?」   

「ええ、大丈夫よリリー。…わたくし、勇気を出して良かった」

「我慢しすぎだよ!何でもっと早く言ってくれないんだ…!」

「やめなさいダニエル。気づいてあげられなかったわたくし達の責任よ」

「母上…。すまない、エレミア」

 家族の落ち込む様子に、エレミアは内心の喜びを隠しながら微笑む。


 ちゃんと話せば、わかってくれる家族で良かった。

 

「心配をかけてはいけないと、ずっと思っていたの。わたくしは王家に嫁ぐのだと決まっていたから…」

「…エレミアちゃん…」

「自分の幸せを、考えようと思います。ありがとう、皆。わたくし、前向きに頑張れそう」

「いつでも相談に乗るからな」

「ありがとう、ダニエル兄様」

「手続きはこちらで全てやるから、エレミアは何も心配しなくて良い。親としてできることは全てやるから、安心して欲しい」

「ありがとう、お父様」

 初代からの約束をなかったことにしても問題ないのだろうか?とか、そんなにあっさり受け入れてもらっていいのだろうか?とか、気になることはいくつもあるが、任せていいということなのでありがたく甘えようと思う。

 ストレスの日々から解放されるだけでも十分に幸せだ。

 廃墟同然になった部屋を見た執事や使用人達は驚いた様子は見せたものの、すぐに表情を引き締め片づけを始めたのには感心した。

 さすが我が家の使用人達は優秀である。

 これからどうしたいのかをじっくり考える為、一足お先に部屋を辞し、自室へと戻った。


 エレミア、未来は変わったよ。

 

 卒業パーティーで断罪されようと、婚約破棄されようと、家族が味方になってくれたからには安心だ。

 幸せになろう。

 まだまだ人生、先は長い。

 この国に未練はない。

 卒業したらすぐにでも他国へ行きたいところだ。

 ならば生活基盤をどうするかを考えなければ。

 せっかく各国に親戚がいるのだし、気楽に日帰りで遊びに行くだけでなく、ゆっくり各国を見てみてもいいかもしれない。

 このバージル王国の王妃になるのだからと、他国の職業については全く興味も持たなかったが、これからはどんな職業にだって就こうと思えば就けるのだ。

 さっそく明日の朝食の席にでも、各国を回って良いか聞いてみよう。


 楽しみだ。

 楽しみだね、エレミア。


 全て諦めていた明るい未来が、一気に開けた気がするね。

 王太子お望みの地味な格好も、もう必要ない。

 卒業パーティーで、おしまいだ。

 モラハラDV男なんて願い下げ。

 今まで本当によく我慢した。

 これからは自分の幸せを考えよう。

  

 こんなに晴れやかな気持ちでベッドに横になるのは、エレミアの人生で初めてのことかもしれなかった。

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