3.
『わたくし』は物心ついた頃には人見知りをする性格で、家族や親戚に対しても尻込みしてしまい、自分の意見を正面から言うのもひどく精神に負担がかかる子供であった。
すぐ側にはとてつもなく優秀な兄が二人もおり、何をやっても二人に適うことはなく、「エレミアは優秀だよ。素晴らしい魔力を持っているじゃないか」と言われる度に居たたまれない気持ちになった。
魔力は生まれながらに持つものであり、自らの努力で得た才ではない。
十歳になり親に連れられ他国を回り、商談で意見を求められるのが苦痛で仕方なかった。はきはきと臆することなく持論を述べ、それを受け入れられる兄二人があまりにも眩しくて、自分なんかが物を言うなんておこがましい、と思うようになっていた。両親はエレミアの内向きな性格を理解してくれ、兄達に比べれば随分と配慮をしてくれていたと思う。
兄達は幼い頃から頭が良く、物怖じもせず、堂々と振る舞い他国の大人達も舌を巻いた。エレミアは考えていることを表に出すことを苦手としており、他人の前ではそれが顕著になる。
そんな性格だったから両親も兄達も『わたくし』に多くは求めなかった。
同じだけの教育は受けてきたが、それだけだった。
歳の離れた妹は今年九歳、来年からは両親について他国を回る予定になっており、妹は兄達と同じように物怖じせずに前へと出ていける子供だった。
自分だけ、生まれる前から王太子の婚約者として決められていたこともあり、両親や兄妹は同情と憐憫を隠さなかったから、なおさら居たたまれない心地がし、気を遣われる自分、という存在が苦痛で仕方がなかったのだった。
そんな自分は夢の中、卒業パーティーで王太子に謂われなき罪を着せられ断罪され、婚約破棄を突きつけられて呆然としていた。
王太子の婚約者、いずれこの国の王妃となることを生まれる前から決められて生きてきた自分の存在、自分の価値を、公衆の面前で全否定されたのだった。
周囲の貴族達の視線には、同情の欠片も王太子の横暴を責める色もなく、公爵家の娘だからという理由で、王妃となることが決まっている女に対する嫉妬と憎悪と軽蔑だけがあった。
我が公爵家は外へと視線を向けていて、国内貴族等全く相手にしていない。
国内の社交は次期公爵となる嫡男夫妻が担っていたが多忙であり最低限で、他家族は一切関知していない。
味方が一人もいない中、『わたくし』は孤立していた。
ドレスやアクセサリーの贈り物もなく、家への迎えもなく、エスコートもなく一人で学園の大講堂に入ったのだった。
いや、このパーティーの前から、学園にいる頃から『わたくし』は常に孤独だった。
表面上挨拶をする令嬢達はいるけれども、友人と呼べる者は一人もいなかった。
茶会に招待されても、招待しても、距離は一向に縮まらない。
ひそひそと聞こえる噂は陰口ばかりで、どれだけ努力しても報われることはなかったのだ。
こちらから歩み寄った分だけ、向こうが後退していく感覚に、いつしか歩み寄ることも諦めてしまった。
婚約者であるはずの王太子が庇ってくれることはなく、取りなしてくれることもなく、率先して罵倒され、無視され、皆の前で嘲笑された。
堂々と伯爵令嬢を連れ歩き、『わたくし』がそばに寄ることを拒絶した。
「僕はエレミア・デュークと婚約を破棄し、ここにいるベル・シアーズを新たな婚約者とする!」
伯爵令嬢の腰を抱きながら、高らかに宣言する王太子を虚ろな瞳で見返すしかなかった。
「伯爵令嬢に対する犯罪行為、また王家に対する不敬は許し難い!今すぐ投獄せよ、そして沙汰を待つが良い!」
何の為に。
何の為に生きてきたの。
『わたくし』はこのとき絶望し、元々の性格もあって何も言い返せなかった。
きつく結んだ三つ編みと黒縁の眼鏡は、パーティードレスを着ていてもトレードマークのようにそのままだった。
華やかで美しいドレスもアクセサリーも、全て家族が揃えてくれたものだった。
王太子が愛しげに視線を向ける伯爵令嬢の装いは、王太子からの贈り物で、王太子の色をしていた。
不貞を晒しているにもかかわらず、誰も彼らを責めようとしない。
悪者にされるのは、いつだって『わたくし』だった。
王妃になれないのなら生きていても仕方がない。
家族が唯一期待してくれた役割すら果たせないなら、自分など存在する価値もない。
逆上する程の熱意もなかったが、全てがどうでもいいと投げ出す程には絶望した。
そして魔力を暴走させたのだった。
会場にいた卒業生、その親族。
王族も護衛も従業員も。
自分も含めて、全て消そうとした。
だが、できなかった。
命を賭して、兄ダニエルが自分を止めたのだった。
「少し遅れて行くことになりそうだけど、必ず行くから」
と言っていた。
たった今、この大講堂にやって来たのだろう。
でなければ、『わたくし』が暴走する前に止めたはず。
暴虐の嵐となって魔力が周囲を覆い尽くさんとする中、兄は『わたくし』を抱きしめ、溢れ出る魔力を己の身に取り込んだ。
『わたくし』の魔力量は桁外れに多かった。世界一とも言われる程に。
そんな魔力を身に受け入れて、無事でいられるはずがない。
兄を認識した瞬間魔力を抑えたが、間に合わなかった。
兄は全身から血を噴き出し、ずるりと滑るように崩れ落ちた。
「ごめんな…」
兄の最期の言葉は『わたくし』への謝罪であった。
死体と化した兄を呆然と見下ろし、静寂に包まれた会場を見渡した。
嵐が過ぎ去ったかのような会場内の荒れようだったが、咳き一つ起きなかった。
兄以外、怪我はしているようだったが誰も死んでいなかった。
もう一度視線を落とす。
兄だけが、死んでいた。
『わたくし』が、殺したのだった。
押し寄せる悲しみと苦しみに心が潰され、壊れていくのは理解した。
息苦しく、悲しく、そして己が許せなかった。
マグマのように、心中が煮え立つ。
溢れ出す熱と、黒く塗り潰されていく感覚。
獣のような咆哮を上げながら、自分の心臓に魔力を打ち込んだ。
ぐしゃりと潰れる感覚があり、自分は死んだ。
そして世界は暗転した。
目を覚ました時思ったことは、「馬鹿な子だな」ということだった。
本当にエレミアは馬鹿だな。
どうして王妃になることだけが自分の人生だと思い込んでしまったのか。
どうしてそんなに狭い世界で生きてしまったのか。
兄妹達は自由で、自分は不自由だと決めつけてしまったのか。
エレミアの頭を撫でて、「馬鹿なことしないで、もっと他の世界を見ようよ」と言ってあげたかった。
公衆の面前で婚約破棄されたから何だというのか。
冤罪は晴らさねばならないが、そんな物は家族や親戚一同に頼めばすぐである。
せっかく自由になれるのだから、拍手喝采すべき慶事ではないか。
一つの生き方しか選べなかった、エレミアを哀れに思う。
エレミアは今、前世を思い出した自分になってしまったけれど、日本で生きた長い記憶が目覚めたからこそ、こんな風に思えるのだということは理解していた。
目覚めなければ未来はこうなっていたのだろうと思うと、あまりにも哀れであり、救いがない。
これは未来予知なのか。
それともやはり、どこかのゲームや漫画の世界なのだろうか。
結末は決まっているのだろうか。
ならばエレミアはさしずめ、悪役令嬢と言った所か。
何もしていないのに、悪役令嬢とは笑えない冗談である。
起こした上半身を、自らの両手で抱きしめた。
幸せになろうよ。
まだ十七歳だよ。
もったいないよ。
諦める必要なんてない。
欲しいものは手に入れればいい。
いらないものは捨てればいい。
間に合う。
今からでも、間に合うよ。
だから、泣かないで。
溢れる涙はどこか遠い。
日本で生きたおばちゃんの涙ではなかった。
あまりにも真面目で、不器用で、優しい少女が流す涙だった。
時刻はまだ早朝にもなっていないが、眠気はやって来なかった。
ベッドヘッドに凭れ、ただ静かに涙が流れるに任せながら、今後のことを考え続けるのだった。
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