8.雌雄を決する

 瓶に入っている液体は酸だとは言っていたが、それにしても色が紫でなんとも禍々しい。普通の酸ではないことが見て取れた。

「この液体ですが、通常売られているものではありませんでした。扱われている場所は闇市。わかりますか? 違法とされているものが取り引きされているのです」

「……俺を馬鹿にしているのか。それくらいわかる」

「それはようございました。貴方はそこまで愚かではなかったようですね」

「貴様ッ……!」

「そこまでわかれば後は調べるのは簡単でした。そこの女子、貴女はエドガー様のお側にいて忘れていたようですけれども、この学園でいくら彼らと親しくなろうとも貴女の立場は変わりません。庶民は庶民です」

「エドガー様ッ! 聞きました?! 庶民だからってああやって見下してッ」

「協力者を募る資金すらなかった貴女は自ら動きましたね。それが仇となったようですよ」

「は……?」

「これを購入したのが貴女だと、直接貴女に売った者が証言しました」

 これは流石に王子たちも咄嗟に女子生徒を庇うことはできなかったようだ。周りもアリシャの家がどのようなものか知っているのか、その証言が嘘などではないと思っているらしい。より一層、女子生徒に向けられる視線が厳しくなった。

「ここは学園です。部外者を招き入れることができません。なので別の日に機会を設けてその者を呼び寄せ、貴方の前で証言させることは可能ですが。如何します? エドガー様」

「ッ……! ほ、本当か、エルザ」

「ち、違いますぅっ! きっと何かの間違いですっ! そう決まってます! エドガー様はわたしが嘘を言ってるって言うんですかっ? そんな、ひどいっ……!」

 エルザとは誰だ、と言いたいところだが。話の流れからして彼の女子生徒の名前のようだ。そうか、ずっと令嬢に嫌がらせをしている女子という認識で名前までは知らなかった。

 ふと王子周辺の人間に目を走らせる。眼鏡をかけている男子は無意識にその集団から距離を置こうと身体が動いている。男子でありながらも随分と美しい男は目を見開いて固まっていた。

 そんな中、自分たちに悪い空気が流れているとわかったのだろう。一つ背の小さい男子が状況を打開するべく、一歩大きく前に出た。

「おいローガン! お前いつまで床に這いつくばってんだよ! 庶民なんかに押さえつけられやがって! お前騎士の息子だろ?! なんとかしろ!」

「クッ……!」

「庶民なんか蹴散らせよなッ‼」

「口を閉じろ、小僧」

 押さえつけている男子の骨がより一層軋む。呻き声が大きくなり、先程まで怒鳴り散らしていた男子は俺の一言で身体を強張らせた。

「小僧、お前の発言でこの者の骨が折れるぞ」

「なっ、なんだとっ?!」

「先程の言葉は見事に庶民を見下している口振りだったな。権力を振り回し、力で簡単に庶民を跪かせることができる。普段から頭でそう思っているからこの場で簡単にそんな言葉を口にする――いいか小僧」

 まさか生まれ変わってまだまだ青臭い子どもの状態で、誰かに説教をする日が来ようとは。だがこれは決して看過していい問題ではない。

「お前が貴族なのは、決してお前が成果を出したからではない。その地位や権力はお前の親によるものだ、先祖によるものだ。お前の手柄などどこにもない。傲るなよ、小僧」

「ッ……!」

「庶民が貴族に楯突けないとでも思ったか。こちらとて間違っていることは間違っていると口に出す。行動に移す。お前の先程の言動は俺たちを貶すものだ。それに黙っているとでも? 権力の前に跪くだけだと? 俺はすぐにでもこの者の腕を折ることができるのだぞ?」

「ぐあぁッ!」

「や、やめ……」

「己の言葉に責任を持て。お前たちは誰よりもそのことをわからねばならない立場だろう。お前のたった一つの言動で、状況が一変するということを忘れるな」

 呻き声が大きくなるたびに、先程まで喚いていた男子生徒の顔からどんどん血の気が引いていく。今まで暴力を振るわれたことなどたった一度もなかったのだろう。危険な目に合ったこともなく、常に誰かに守られていた。

 一方こちらは、魔物との戦いを物覚えついた頃よりずっと続けてきた身だ。今この行いとてそこまで酷いものではないという認識だ。なんと言っても未だに俺はこの男子の骨を折ってはいない。これがもし儂の部下であったら、すでに部下は痛みのあまりに悲鳴を上げのたうち回っていたことだ。

「ローガンと言ったな。お前の父の所属はどこだ」

「はッ……?」

「先程あの男子が言っていたではないか。お前は騎士の息子だと。お前の父はどこに所属している。どの部隊だ。階級はどうなんだ」

「なんでッ、そんな、ことッ……!」

「何、先程のお前の行いは騎士を侮辱しているものだったんでな。お前の父親に報告するべき案件だろう?」

 体重を乗せればより一層男子の表情が歪む。それもそうだ、押さえつけられたら相当の痛みが走る箇所をわざと押しているのだから。身を屈め、男子生徒の耳元に口を寄せる。

「非力な者に力を振るうことが騎士だとでも言いたいのか」

「ッ……!」

 身体を起こし若干力を緩めてやる。先程まで息がしづらかったであろう状態だったため、力を緩めたことで男子は大きく息を吐き出しそして吸った。

「ローガンの父親の所属はわたくしが知っています。わたくしから報告致しましょう。貴方が証言したいのであれば連れていきますが」

「……いいや、貴殿に任せよう」

「わかりました。ではそろそろ手を離してくださる? 彼、このままで痛みのあまりに気絶してしまうわ」

「なんと」

 確かによくよく見てみると顔が真っ青になっており呼吸も短く浅くなっている。多少力が強かったかと足をその上体から離す。

「フフッ、本当に面白いことになっていること」

 男子生徒がゆっくりと起き上がり王子の元へ歩み寄ろうとしても足が動かない中、新たに凛とした声が響き渡る。視線を向けるとあちらも俺のほうを見ており、しっかりと目が合った。

「シェリー……」

「御機嫌よう、アリシャ。随分と面白いことになっていますわね。ここでわたくしからも一ついいかしら?」

 令嬢は王子に勝ち気に視線を向ける。王子は自分たちが追い詰められているとわかっているのだろう、先程から逃げ腰だ。それが未来の王の姿なのかと思うと溜め息が出てくる。

「そこの馬鹿女。貴女は他に目撃証言があると思っているようだけれど、そのどれもが王子の婚約者の座を狙っている令嬢ばかりですわね?」

「なっ……そ、そんなことっ」

「お互い利害が一致しているんですもの、それはもう互いに利用のしがいがあったことでしょうね~。フフッ、下手したら国外追放される可能性があることに手を貸した愚かな女たちがどこの誰かなのか、すでに調べはついておりますわ」

 一斉に顔色が悪くなった団体があった。ということはあそこの令嬢たちがそうなのだろう。貴族というものは感情を表に出すことはよしとはされていなかったはず。未熟故の反応なのかとその様子を眺める。

「そして馬鹿女。目撃証言の数は、こちらは遥かに上回っておりましてよ」

「はっ?」

 一斉に俺のクラスの生徒が前に出る。その手に持っているのは大量の書類だ。令嬢はその書類に手を伸ばし、そして盛大にこの場所にそれをぶち撒けた。

 綺麗に投げたものだから全方位にその紙が広がり落ちていく。自分の足元に落ちたそれを拾い上げた生徒は自然と紙に視線を落とし、目を通す。

「な、なんだこれは……!」

「嫌がらせを受けていただなんて……それはアリシャ様のほうではありませんか!」

「な、何よ……一体何が書いてんのよッ!」

 彼の女子生徒が慌てて落ちている紙を拾い上げ素早く左右に目を走らせる。次第に眉間に皺が寄り唇は震え、顔は紅潮していった。

「馬鹿女がアリシャに行っていた、愚行の数々ですわ。一般クラスの目の前で行われていたものだから王子の目には入らなかったようですわね。それをわかった上で、貴方方が見下している庶民たちが日時と愚行の詳細をまとめてくれていたんですの」

「エルザ……」

 王子も紙を拾い上げその内容を読んだようだ。顔を歪め、咎めるような視線を女子生徒に向けている。

「そして。面白いことに、わたくし最も確固たる証拠を手に入れましたわ。ハワード」

「はっ」

「……なんだ、それは」

「これはとある職人が手掛けた『投影機』というものですわ。数秒ですが映像を記録できますの。ハワード、記録を映し出して」

「承知致しました」

 令嬢の指示にハワードはてきぱきと準備をし、この広いホールの中で投影機の映像が映し出される。ハンナは試作品と言ってはいたが、それでも十分に綺麗な映像だった。

 映像の中には一人の女子と一人の男子、場所は寮ではないどこかの一室。密会だということは見て取れる。だがそこに映っている男女が問題だった。

 そこに映っている女子は今王子の隣で顔面蒼白になっている彼の女子生徒。そして映像の中で共にベッドに座っている男子は、王子の周囲にいる綺麗な顔をしている男子生徒だった。

『何もかもうまくいってますぅ……これもジェラード様のおかげですね。えへっ』

『エルザの頼みならなんだって聞くよ』

『やだ嬉しいっ! わたし、本当はジェラード様のほうがエドガー様よりずーっと、ずぅーっと好きですよ?』

『わかっているよ、エルザ……』

『ジェラード様……ぁっ』

 とんでもない修羅場になりそうな予感がしてならない。二人仲良くベッドの上に横たわり、映像はそれからもずっと映し出されている。生徒の中には直視できず手で目を覆い隠している者や、そもそも顔を背けている者だっていた。

 まぁ、確かに過激な映像ではある。それを俺だけではなく二人の令嬢もしっかりと直視していた。

「どういうことだ、ジェラードッ……!」

「あ、いや、これは」

「俺を裏切っていたのだな?! お前はッ‼」

「エ、エドガー様、お、落ち着いてっ」

「触るな! お前も、お前もだな?! エルザッ‼ こんなふしだらなッ……! そんな汚らわしい身で俺に近付くなッ‼」

「エ、エドガー様ぁっ! 待って、待ってよぉっ!」

 等々怒りを爆発させた王子は周囲の人間に当たり散らし、縋りつこうとしていた女子生徒を力任せに振り解き突き飛ばした。尻餅をつき唖然としている女子生徒に手を貸すものは一人もいない。

 憤ったまま、この場を去ろうとした王子の背中に言葉を投げかけたのはアリシャ・フィーリアだった。

「エドガー様。婚約破棄の件は承諾致しました。今回の件と共にわたくしから王とお父様にご報告しておきます」

 その言葉に貴族からは悲鳴が上がり、庶民からは歓声が上がった。

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