元団長はモブ志望
みけねこ
1.新たな門出
決して楽な人生ではなかった。だが悔いが残ったものでもない。自分は生を全うした、それは胸を張って言えることだろう。
声が聞こえたような気がしてゆっくりとまぶたを持ち上げる。周囲は真っ白な空間が広がるばかりで他には何もない。一体ここはどこなのか、一体誰が声を出していたのかと周囲を見渡してみると間近で眩い光を感じ目を細める。
「目が覚めたようですね」
「貴殿は一体……それにここは」
「ここは生を終えた者が集う場所。魂が次の生へ向かうまでの空間です」
「となると貴殿が『女神ルキナ』か」
「人は私をそう呼びますね」
見目麗しい女性が優しく微笑む。確かに生前、生を全うした人間は次の生を授かるまでの道があると聞いたことがあったがどうやらここがそうらしい。その道で女神の導きを受けるとか。
「貴方は立派な人間だったようですね。貴方の死を嘆く者が多くいます。大勢の人々から慕われていたのですね」
「いいや、儂はそこまで立派な人間ではない。やるべきことをやったまでだ。立派な人間とは己の生を精一杯生きた者全てであろう。儂だけに限った話ではないはずだ」
「噂に違わぬお人ですね」
女神すらも知っている噂はなんなのだと気にはなったものの、それももう終わったことだ。次の生を授かれば今の儂が生きた痕跡もなくなるだろう。
「多くの者に慕われ、また支えとなった貴方に私からのほんのささやかな褒美です。受け取ってくれますか?」
「褒美など」
「そう言わずとも。これは貴方を慕う人々からの『願い』でもあるのです」
「ふむ……」
そう言われてしまえば無碍にもできまい。先程も言った通り儂としてはそう大層な行いをやったつもりはない。ただただ主として忠誠を誓った王を支え、そして王が愛してやまぬ民を魔物から守ったまで。
「……して、その褒美とは」
「貴方の願いを叶えるというものです。貴方は次の生で、何を望みますか?」
「ふむ、望みか」
顎に手を当て思案する。つい先程人生を全うしてきたばかりだ、望みはなんだと聞かれると悩んでしまうものがあるが……一つだけ、頭に浮かんだことがあった。
「ならば、次は普通の人生を体験してみたい」
「普通、ですか?」
「うむ。儂は物心ついた頃より剣を握り戦いに身を投じてきた。故に『普通』というものをいまいちわかっておらんのだ。その『普通』とやらを味わってみたい」
「なるほど。『モブ』になりたいということですね?」
「も、もぶ……? よくわからんが、女神がそう言うのであればそうだな」
「わかりました。では貴方の望みを叶えましょう」
何もないまっさらな空間に、まるで溶け込みそうなほど真っ白な門のようなものが現れる。恐らくそこから先が次の生への道なのだろう。
「貴方の次の人生により多くの幸があらんことを」
女神に促されるがまま、その門の下を潜る。まばゆいほどの光に包まれた儂は騎士団長として全うした生を終わらせた。
***
それは大きな大きな産声だったそうだ。小さな村で元気いっぱいに生まれたその男児は、おおらかな両親に大きな愛情を注いで貰いながらたくましく成長していっている。ところがだ。
「女神は記憶を残したままだったのだな」
なんと、前世の記憶を持ってきてしまっているではないか。しかも今世ではクラウス・シルトとして生まれた儂は前世の名もまたクラウスだった。女神は少し横着したのでは? と思わずにはいられない。
しかしその女神のおかげで『普通』というものを只今絶賛体験中だ。両親というものを知り、愛情を注いでもらっている。この小さな村はお互いに助け合いながら生活しており、とてもおだやかな場所だった。
生前あれほど苦戦を強いられていた魔物との戦いであったが、今世では魔物イコール暴力的なものというものではないらしい。自由気ままに人を襲い奪っていく奴らであったが、今では魔物は魔物としてひっそりと暮らしているそうだ。
儂が新しい生を受ける間に余程人間に弱体化させられたのか、はたまた魔物側で何かが起こったのか。この村には書物を扱っている場所がないため詳細を知ることができない。そもそもそのようなことが起こったのが今よりかなり時を遡るようで、知っている人間が誰一人としていないのが現状だ。今の人たちに魔物は恐ろしく危険なものなのだと伝えたところで戻ってくる言葉は「はぁ?」だ。
本来喜ぶところだが、若干物悲しい気もしないわけでもない。あれほど魔物に怯えながら人々は暮らしていたというのに。まぁ、怯えずその記憶が遥か彼方のものになったことは喜ばしいことだろう。
家の手伝いで薪割りを終えた儂はそれをせっせと運び、近所のおばあさんの手伝いをして岐路に立つ。女神の言う『モブ』とやらを満喫しているつもりだが、身体は多少鍛えていたほうが身のためだろう。何かがあった際に動けないよりはずっといい。
「ただいま」
「おかえりなさい。丁度夕飯の支度が終わったわ。お父さんもそろそろ帰ってくるだろうから先に手を洗いなさい」
「わかった」
父は木こりで母は家を守っている。たまに父の手伝いもしているため、恐らく儂は父の跡を継いで木こりにでもなるだろう。それもそれでいいと思いながら手を洗い母の手伝いをする。昔のように剣を片手に戦場に立てば、恐らくこの両親は卒倒する。そもそも剣を持つような場が今はないような気もするが。
ドアが開き父が元気な姿で帰ってくる。働き終わった男の顔は清々しい。父も儂と同じように母に促されて手を洗い、親子三人で食卓についた。
「学園?」
いつもと同じ夕食の時間かと思いきや、両親の口から唐突にそんな単語が飛び出してきて首を傾げた。
「ああ、学び舎か」
「学園ね、学園」
「なぜ儂が」
「『僕』」
「『俺』でもいいよ」
両親からはそれはもう幼い頃から度々言葉遣いの注意を受けていた。「なぜそんな年寄り臭いんだ」とか「どこで覚えてきたのそんな言葉遣い」などなど。これは仕方がない、記憶が残っているため口調が前世から抜けきれていなかった。
「……なぜ俺が、その学園とやらに」
「この村には勉強をする場所がないでしょう? だからクラウスも通ったほうがいいと思うのよ」
「しかし、わ……俺は、父さんの跡を継ぐのだろう? 勉学に励む必要があるだろうか」
「勉強することは悪いことじゃないと思うよ。知識が増えれば見識も広がる。やりたいこと、やれることが増えると思うんだ。僕は悪い話じゃないと思うよ」
「しかし……費用がかかるのでは?」
昔は学び舎に通うということはそれなりに金を持っている者のみだった。よって儂のような人間は独学で学ぶしかなかった。当時の儂にできたことは字の読み書き、そして戦いに必要な知識を経験で得たことのみ。その他はまったくわからなかったし政のことに関してはさっぱりだった。
恐らく今でもその学園とやらは金がかかるはずだ。今の暮らしは不便はまったくないが、だがより豊かというものでもない。儂が学園に通うこととなれば両親の負担は大きくなるはず。『普通』の暮らしをしてみたいと望んだものの、父と母を苦労させてまで叶えるものでもない。
しかし母はテーブルから身を乗り出し、父は穏やかに微笑んでいた。
「首都にある学園で、庶民でも通えるところがあるのよ。もちろん学費はかかるけれど他の学園に比べてずっと安いのよ」
「それは……その学園の運営は大丈夫なのだろうか?」
「貴族も通うらしいから運営は問題ないそうよ。貴族と庶民、もちろん校舎は違うし学食でも差があるみたいだけれど、庶民で通う子もたくさんいるみたいよ」
「ほら、三年前ぐらいに近所のお姉さんが村から出ただろう? その子もその学園に通うために出ていったみたいなんだ。寮もあるらしいから宿の心配とかもせずに済むみたいだし。どうだろう? クラウスも通ってみないか?」
グググと両親からの圧がすごい。母は元からパワフルな人だったし、父も穏やかな顔をしながらも意外にも頑固な面がある。そんな両親から、このように迫られてしまってはこちらが折れるしかない。
もちろん拒否することも可能だろうが、そうすると二人は悲しい顔をするだろうし。学園に通うことで多少育ててくれた恩返しができるのならば、悪い話でもないだろう。
一応この村も学ぶ場所がないだけで、字の読み書きの基礎的なものは村の大人たちが教えてくれた。よって学園に通ってわけがわからない、とまではならないはずだ。より専門的なものを、または父が言っていた通りより多くの知識を得ることができる。と言ったところだろう。
「……父さんと母さんが、そう言うのであれば」
諸々を考え導き出した答えに頭を縦に振ると、両親がパッと嬉しそうな笑みを浮かべて喜んだ。どうやら二人とも儂の将来のことを案じて少しでも選択肢を増やしてあげたかったようだ。
「よかったわ! 実はもう準備しているの!」
「明日にでも出発できるからな!」
……いや、それにしても用意周到すぎる。これはもう話が出た時点で儂の勝ち目などなかったのだ。
してやられたな、と苦笑を浮かべて目の前に出されている食事をすべて平らげた儂は、両親の子を思う気持ちに礼を告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。