第49話 菓子

 ユピティアの午後、フブキ・リベアートは刀鍛冶工房の前で息を吐き出した。

 熱で温められた空気を肌で感じ取った彼女は、目の前に見える事務所の扉をゆっくりと開ける。


「失礼します。マスター、迎えに来ました」

 

 背後の扉を閉めてから、体を半回転させたフブキが室内を見渡すように目を動かす。

 右方でガラスコップで水を飲むムーンの姿を見つけると、フブキは彼の元へ一歩を踏み出した。

「ああ、もうそんな時間かぁ。フブキ、迎えに来てくれて、ありがとな」

 ガラスコップを机の上に置いたムーン・ディライトが優しい視線をフブキに向ける。

 そんな彼の右隣に並んだ工房主のペイドン・ダイソンが首を捻る。

「フブキ、今日もムーンと一緒にクエストかい? それとも、この前みたいに剣の稽古か?」

「いいえ。どちらでもありません。今日はマスターとお出かけです」

 あっさりと首を横に振ったヘルメス族の少女の前で、ペイドンが驚いたように口を大きく開けた。

「マジかぁ。フブキ、良かったな。フブキとお出かけできて」

「ああ、この前は剣の稽古に付き合って、お出かけできなかったからな。俺は今日を楽しみにしていたんだ」

 ペイドンの隣でムーンが子どものような笑みを浮かべる。


「それで今日は、どこに行くつもりだ?」とペイドンが尋ねると、ムーンが首を縦に動かす。

「ああ。今日は第五地区のソルト洋菓子店に行くんだ。午後から販売される限定スイーツを買ってきてほしいってホレイシアに頼まれたからな」

「なるほど。それが今日の行先のようですね」

 フブキがふたりの会話に加わると、ペイドンが目を伏せた。

「ムーン。まだどこに行くかフブキに話してなかったみたいだな。それとも、行先を秘密にしようとしていたのかい?」

「ああ、フブキのビックリした顔見たくて、内緒にしてたのに、本人の前で話しちゃったぞ」

 頭を抱えたムーンの隣で、フブキがクスっと笑う。

「全く、足りない頭で考えたサプライズで私が驚くわけがないでしょう」

「あっ、フブキが笑ったぞ。じゃあ、いいや。早く行かないと売り切れちゃうかもしれねぇからな。早く行こうぜ」


 一瞬で立ち直ったムーンがフブキに右手を差し出す。だが、フブキはその手を掴まない。


「そうですね。では行きましょう。それでは失礼……」


 語尾で締めくくろうとしたフブキの声を、ムーンが遮る。


「フブキ。ちょっと、待ってくれ。珍しいな。フブキが後ろ髪を結んでるぞ!」

 変化に気が付いた獣人の少年が目を丸くした。フブキは、いつもとは違い後ろ髪を水色のヘアゴムでポニーテールに結っている。

「気まぐれの気分転換です。昔、友達が生成してくれたモノを使いたくなりました」

 そう語ったフブキは、髪を結ったヘアゴムを右手で撫でた。

「そうか。友達からのプレゼントかぁ。かわいいと思うぞ。よし、じゃあ、行こうぜ」

 


 事務所に残ったペイドンに礼儀正しく一礼したフブキがムーンと共に部屋から出て行く。

 そうしてふたりは、刀鍛冶工房を右折し、真っすぐな歩道を横並びで歩き始めた。


「そういえば、フブキってお菓子好きか?」

 微妙な距離感を保ちながら歩みを進めるフブキに、ムーンが問いかける。それに対して彼女は長い白髪を風で揺らしながら答えた。

「どちらかといえば好きです。ヘルメス村には洋菓子店がありませんから、それを食べるだけでも一苦労です。それに、私の家は少し厳しくて、お菓子を食べていいのは、年に一度のヘルメス祭だけと決められていました。だから、私にとっての菓子は特別な存在なんですよ」

「そっか。家が少し厳しいって……フブキ、お前、一日何時間も勉強してたのか? 友達と遊んでる暇があったら、勉強しなさいって」

 右隣で語り掛けてくる獣人の少年に対し、フブキがゆっくりと首を横に振る。

「そこまでのことは言われたことがありません。休みの日は息抜きとして家族旅行もしますし、友達とも遊びます。いろんなところへ瞬間移動できるようになれば、それだけで未来の可能性が広がるという両親の教育方針には、感謝しています」

「そうか。だから、フブキはいろんなとこへ行けるんだなぁ」

「まあ、旅行の目的は素材採取が大半で、観光は数えられる程度しかしていません。それでも現地でいろんなことを学べる旅行は、楽しいものでした」


 そう語るフブキの隣でムーンが目を点にした。

「相変わらずマジメだな。そんな堅苦しそうな旅行には、行きたくないぞ。ところで、友達とはどんな遊びをしてたんだ? 森の中で鬼ごっことかか?」

「そうですね。よくやっていたのは、しっぽ鬼でしょうか」

「おお、マジか! それ、やったことがあるぞ。尻尾っぽい布を取られたら鬼に捕まるヤツだ!」

 意外な答えに驚いたムーンが目を見開く。

「もちろん、鬼と逃げ子はそれぞれ一回だけ瞬間移動が使えるというローカルルールがあります。体を動かしながら、背後から迫る気配を感じ取る練習ができる遊びです」

「今度、ホレイシアも誘って、しっぽ鬼で遊んでみよ……って思ったけど、そのルールだけはナシで頼む!」


 苦笑いを浮かべたムーンが両手を合わせる。その隣で、フブキは溜息を吐き出した。


「全く、何歳だと思っているんですか? そんな子どもの遊び、やるわけないでしょう。それに、獣人であるムーンは人間よりも速く走れるんです。鬼だったら、みんなすぐに捕まってしまいますし、逃げ子ならなかなか捕まらず、無駄な時間だけが過ぎていく。そんなつまらない遊びをするほど、暇ではありません」


「言われてみたら、そうだな……って、あれ?」


 フブキの言葉に違和感を覚えたムーンが、その場に立ち止まり、首を捻る。一歩を踏み出し、立ち止まったフブキは、顔を真横に向け、ギルドマスターの少年に視線を向けた。


「どうかしましたか?」


「フブキ、お前、俺の名前、呼ばなかったか? 聞き間違いだったら、ごめん!」

「呼びましたよ。ムーンって」

 淡々と答えるフブキの隣で、ムーン・ディライトが驚きの声を出す

「マジかよ! フブキが俺の名前を呼んでくれるなんて、スゲー嬉しいぞ」

 喜ぶムーンに対してフブキが頬を赤く染め、クスっと笑う。

「相変わらずの単細胞ですね。実は今日、ムーンを遊びに誘ったのは、あなたの名前を呼ぶためだったんですよ。どうすれば、異種族と仲良くなれるのかと同僚に相談したら、名前で呼んでみたらどうかと助言をいただいたので、実行してみました」

「……ってことは、一緒にクエストやるときも名前で呼んでくれるんだな。フブキとの距離が近づいたみたいで、すごく嬉しいぞ!」

 明るく目を輝かせた獣人の少年の隣で、フブキが首を横に振る。

「いいえ。そのつもりはありません。名前呼びは、プライベートだけに留めておきます。ギルドマスターに敬意を払わなければなりませんし、適度な距離感が大切ですから」

「そんなぁ。フブキ、俺、そういうの気にしないから、明日のクエストから名前で呼んでくれ。頼む!」

「お断りします。マスターはマスターです」


 フブキに初めてマスターと呼ばれた時と同じように、彼女の冷たい口調が、ムーンの胸に突き刺さった。


「ううぅ。常に名前で呼び合う関係になりてぇ。だけど、フブキは俺と仲良くなりたいって考えてることが分かったから、いいや!」


 明るさを取り戻したムーンに対し、フブキがため息を吐き出す。そうして、顔を前に向けた彼女は、前方の歩道上の行列を視認した。


「あの行列でしょうか?」

「そうだな。あの辺りにホレイシアが言ってた店があるんだ」とフブキの隣に並んだムーンが頷く。

「結構、並んでいますね。大体、二十人程度でしょうか?」

 フブキが目を動かし、一列に並ぶ人々を数え、最後尾へ足を進める。その後ろ姿を、ムーンは慌てて追いかけた。

「フブキ。ちょっと待ってくれ。四人分を買えばいいんだよな? 俺とホレイシア、フブキとアストラルで四人だ」

 フブキの背後で、ムーンが右手の指を四つ立てる。その姿を振り返ったフブキは、静かに首を縦に動かした。

「アストラルがギルドハウスに来ないかもしれませんが、最悪の場合、研究施設に差し入れをすればいいでしょう。それにしても、ちゃんと数が数えられて偉いと思います」

「フブキ、お前、俺のことバカにしてるだろ?」






 それから、三時間後。夕陽が沈む頃にホレイシア・ダイソンはギルドハウスに戻った。


「ただいま」と居間に顔を出したホレイシアが首を左右に動かすと、椅子に腰かけたムーンの姿が飛び込んできた。寛いているムーンがホレイシアの帰宅に気が付き、椅子から立ち上がる。


「おお、ホレイシア。おかえり!」

 楽しそうな顔をしたムーンがホレイシアに近づいてくる。そんな幼馴染に対して、ハーフエルフの少女は首を傾げた。

「ムーン。フブキと一緒に、限定スイーツ買ってきたんだよね?」

「ああ。もちろんだ。スゲー楽しかったぞ。フブキ、やっと俺のことを名前で呼んでくれたんだ!」

 笑顔で答える獣人の少年の前で、ホレイシアが微笑む。

「そうなんだ。良かった。少しはフブキと仲良くなれたみたいだね。ところで、フブキは?」

 周囲を見渡してもフブキの姿が見えず、ホレイシアは首を捻った。

「アストラルのとこに差し入れ持っていった。俺たちと一緒にギルドハウスに住むのかとか、いろいろと話し合うことがあるんだとさ。少し遅くなるかもしれないから、先に夕食食べててもいいって言ってたぞ」

「フブキに、ムーンとお出かけしてどう思ったのかとか聞いてみたかったんだけど、そういうことなら、ムーンから話を聞こうかな? フブキとどんな話をしたのかとか」


 再び首を傾げたホレイシアが、ポニーテールに結った髪を揺らしながら、椅子に着席する。そんな彼女の元に近づいたムーンは、楽しそうに話を始めた。それをホレイシアは優しい表情で黙って聞いていた。





 

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