第28話 黒龍

「あれ? なんで俺、こんなとこで寝てたんだっけ?」


 いつの間にか墓場の石畳の上でうつ伏せの状態で寝ていたムーンが、体を起こす。そんな彼の近くには、安堵の表情を浮かべたホレイシアの姿があった。


「良かった。気が付いたみたいで……」

「気が付いたみたいでって、どういうことだ? 俺、ここでタマゴを採取した後の記憶がないんだ。気が付いたら、ここで寝てた」

「ホントに危ないとこだったんだよ。対処が遅れたら、あのドラゴンに命を奪われてたかもしれないんだから」

「ドラゴン?」

「ほら、顔を右に向けたら見えるでしょ? 私が捕獲した黒いドラゴンが」


 ホレイシアに言われるがまま、ムーンは顔を右に傾ける。その視線の先には、半径数十センチほどの大きさの水の球の中で泳ぐ黒龍がいた。


「そういえば、このドラゴン、見たことないけど、もしかして、新種か?」

 

「違うよ。この子は、ムルシエドラコ。主に遺跡に生息する黒龍で、その爪で切り裂いた生物の意識を一瞬で刈り取り、生気を吸い尽くす危険生物だよ。生気を吸い尽くされた生物は、数分以内に死に至るって図鑑に書いてあった。対処方法は、銀のナイフでドラゴンの爪と生物を結ぶ黒煙を切り裂くことだけなんだって」


「えっと、よくわかんないけど、これだけは分かった。ホレイシアが俺を助けてくれたんだな?」

 相変わらずな発言にホレイシアがため息を吐き出す。

「はぁ、墓場でクエスト活動するから、生気を吸い取るモンスターも出てきてもおかしくないって思って、銀のナイフ、準備してたの。フブキの手紙にも、ここには生気を吸い取るモンスターが何種類か生息しているって書いてあったしね」

「そうだったんだな。後でフブキにもありがとうって伝えないとな!」

 明るい顔で首を縦に動かすムーンの隣で、ホレイシアは目を点にして、彼の右肩を叩いた。


「ねぇ、そんなことより、あのドラゴンの右胸、よく見て。EMETHの文字が刻まれてるよね?」

「ああ、そういえば……って、こいつ、もしかして、システムの影響で姿が変わった能力者か?」

 黒龍の姿をジッと見つめていたムーンの瞳が大きく見開かれる。その右隣で、ホレイシアは首を縦に動かした。

「そうだと思う」とホレイシアが同意を示す間に、ムルシエドラコが水球の中から飛び出した。


「ふぅ、久しぶり……水泳教室、楽しいね」


 ムーンたちの目の前の石畳の上に水球から脱出したムルシエドラコが降り立つ。その瞬間、ムーン・ディライトは目をパチクリとさせた。


「おお、お前、女の子だったんだな。すごくかわいい声だ!」

「かわいい? 私が……」

 ムルシエドラコが恥ずかしそうに体を丸くする。それに対して、ムーンは首を縦に動かした。

「ああ、お前、EMETHシステムの影響でこんな姿になったんだよな? 名前は何って言うんだ? 俺は、ムーン・ディライト。獣人になる前は、人間だったんだぜ」

「そうなんだ。私と同じ……能力者」


 

「ちょっと、ムーン……」と置いてけぼりにされたホレイシアがムーンの隣で困惑の表情を浮かべる。

「ああ、なんかごめん。ホレイシア、通訳しようか? コイツの言葉が分かるの俺しかいないからな」

「うーん。ちょっと待って。フブキが教えてくれた術式、使うから」

「フブキが教えてくれた術式? なにするんだ?」

「ほら、フブキの手紙に、困った時に使える術式が書いてあるって言ったでしょ? あの中に、ムーンの聴覚情報を共有することで、対象の動物やモンスターと会話できるようになる術式が書いてあったから、それを使ってみようと思う。あの手紙に書いてある術式で使う素材は、大体揃えてあるから、後は……」


 ホレイシアが、ムーンに背中を向け、右に一歩を踏み出し、右手の薬指を立て、空気を叩く。そうして、召喚された黒い小槌を叩き、縦長の長方形の板が灰色の石畳の上に浮かび上がる。

 それを拾い上げ、ジッと見つめたホレイシアは、「ふぅ」と息を吐き出す。


「なるほどね。これくらいなら大丈夫そう」

「おい、何やってんだ?」とホレイシアの隣に並んだムーンが尋ねると、彼女は板から視線を隣にいる彼に向けた。

「気温の確認をしてるの。これから使う素材、三十五度以上で液化しちゃうから。今の気温は三十度だから、別の素材で代用する必要なさそう」

「そっ、そうなんだな」とムーンが目を点にしたその近くで、ホレイシアは石畳の前で腰を落とし、材質を確認するためそれを右手の人差し指でなぞってみせた。


「うーん。石畳が熱を帯びてるなら、アレを使った方が安全だね」

 そう呟いたホレイシアが再び右手の薬指を立て、空気を叩く。その瞬間、彼女の指先から白い小槌が飛び出し、それを右手で掴んだ。

 それからすぐに、地面にそれを叩きつけると、一瞬で三センチほどの厚さがある黒い石板が召喚される。


 それを石板を等間隔に並べられた石畳の上に置いた彼女の前に、ムーンが一歩を踏み出した。

「ホレイシア、何か手伝えることあるか?」

「そうだね。じゃあ、最初に、この石板に簡単な魔法陣を描いてもらおうかな? ディアナは包囲され牢獄の中に囚われた」


 ホレイシアが瞳を閉じ、そこに記す術式を唱える。その内容を理解したムーンは頷き、右手の薬指を立て、白いチョークを召喚した。

 彼が魔法陣を記す間に、ホレイシアが右手の薬指を立て、二回空気を叩く。石畳の上に黒くゴツゴツとした見た目の石と赤く染まった葉っぱを召喚した彼女に、獣人の少年が声をかける。


「ホレイシア、書けたぞ!」

「うん。分かった」とホレイシアは腰を上げ、視線を魔法陣が記された石板に視線を向ける。

 

 東西南北に煆焼を意味する牡羊座の紋章。


 中央に風の紋章。


 記された魔法陣を確認したホレイシアは、首を縦に動かした。


「うん。ちゃんと書けてるね。じゃあ、東西南北に記した紋章の上に一つずつ、この石を置いて」

「ああ、わかった」と答えたムーンが、石畳の上に召喚された黒い石を右手で掴み、北から右回りにそれを一つずつ置いていく。


「置いたぞ。次は?」

「石版の上から降りて。その間に術式使うから」


 ムーンと入れ替わるように、真っ赤な葉っぱを右手で持ったホレイシアが石板の上に乗った。

 中央に記された風の紋章の前で腰を落としたホレイシアが、左手の薬指を立て、宙に魔法陣を記す。


 東に錫を意味する木星の紋章。

 

 西に投入を意味する魚座の紋章。


 南に分離を意味する蠍座の紋章


 北に温浸を意味する獅子座の紋章

 

 中央に火の紋章。


 中央の紋章の上に赤く染まった葉っぱを右手で置くのと同時に、魔法陣を浮かべた左手の薬指を真下にある紋章に触れさせる。

 すると、四方に置かれた石が粉々に崩れ、魔法陣が青白く光り始めた。


「ムーン、早く、あの子と一緒にこの石板の上に乗って!」


「ああ、分かった」と頷くムーンは、近くにいるムルシエドラコを抱えて、甘い匂いが漂う魔法陣が刻まれた石板の上に飛び乗った。


 それを見届けたホレイシアは、咳払いしてから、目の前にいる黒龍に声をかける。


「ちゃんと、私の言葉、分かるかな?」

「はい」と前方から少女の声が聞いたホレイシアはホッとした表情で、胸を撫でおろした。

「良かった。成功したみたい。じゃあ、話を戻すけど、名前は?」とホレイシアが尋ねる間に、ムーンが、石板の上に優しくムルシエドラコを降ろす。


「初めまして……クラリス……です」


「クラリス? この名前、どっかで聞いたような?」

 名を明かしたムルシエドラコから離れ、ホレイシアの隣に並んだムーンが首を傾げる。その隣で、ホレイシアはハッとして、ムーンの右肩に優しく触れた。

「ほら、依頼人のカルトが探してた……」

「ああ、思い出した。もしかして、クラリス・ペランシュタインか! まさか、こんなところで会えるとは思わなかったぞ! 俺たち、お前を探してたんだ。これで人探しクエスト達成だな!」

 喜ぶムーンの隣で、ホレイシアが目を伏せる。

「全く、探す相手の名前くらい憶えておきなさいよ」

「ごめん、ごめん。ところで、クラリスはここで何してたんだ? 使用人のカルトが心配してたぞ」


 ホレイシアの前で両手を合わせたムーンが顔を前に向ける。その視線の先で、クラリスは安堵の表情を浮かべた。

「良かった。これでお家に……帰れそう。あっ、ごめんなさい。上手く言葉が出ないけど……突然、こんな体になって、どうすればいいのか……今日まで悩んでた」

「ああ、分かった。それで、どうして裏路地なんかにいたんだ?」

「あそこ、落ち着くから。あの日もあそこにいたら、突然……こんな体に……」


「なるほどね。それが失踪の真相だったんだ」とホレイシアが納得の表情になった後で、ムーンはクラリス右手を差し出す。


「クラリス、一緒に来てくれないか? お前を家に帰してやる」

「でも、信じてくれるか……分からない」

 悲しそうな顔になったクラリスが本音を漏らす。その直後、ホレイシアはムーンとの距離を詰め、右手を挙げた。

「フブキの報告書に、クラリスは何かしらの小柄な動物になった可能性が高いって書いてあったよ。そこまでカルトに説明してるんだったら、信じてくれるかもね」

「分かった。じゃあ、俺が通訳頑張って、ここにいるのがクラリスだって証明すればいいんだな!」

「いや、ここはこの術式お屋敷で使って、直接クラリスの声をカルトに聞かせた方が分かりやすいと思う。まあ、今日はもう遅いから、明日にした方がいいけどね」

「それもそうだな。ってことで、クラリス。お前をギルドハウスで保護する。明日の朝早く、お屋敷に連れて行くつもりだ」


「……はい。よろしくお願いします」と答えたクラリスが、ホレイシアの右肩に飛び乗る。


 クラリス・ペランシュタインを探す人探しクエストは無事に終わるはずだった。


 翌朝、事態は思わぬ方向へ進むとは、この時のムーン・ディライトたちは知らなかった。

 


 

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