第16話・人魔融合
目まぐるしく動き回る男。黒衣の軍装は未だ明けない夜には中々に鬱陶しいものだった。
……剣聖の首を獲る。
すなわちクィネではなく、セイフを倒すと言った男の大言はあながち冗談でもないようだった。少なくとも身体能力においては申し分ない。
「くっはははっ! 見えているぞ剣聖! どうだ、この力は!」
「……一応、名前は聞いておいてやろう」
一瞬でクィネの後背に回り込んだ男が剣を振るう。
それをクィネは見もせずに大剣で受け止めた。分厚い粗雑な大剣は作りの粗さから、クィネの常識外れの戦いにも持ちこたえている。
「サレイオス! 新たな戦士の嚆矢にして……“槍奪”のゲルドヴァを討った男。そしてこれからは剣聖殺しとでも名乗ろうかな?」
「俺は剣聖ではない。その男は死んだのだから」
確かに、サレイオスの動きは中々だった。
膂力、敏捷ともに勇者と呼ばれる範疇だ。英雄の領域に踏み込みはじめているとクィネも認めざるを得ない。体術に関しても正規の兵を上回っており、緩急を上手く使うぐらいはしてくる。
しかし、なぜかクィネの心には響かない。それまでのやり取りで好意を抱いていないのもあるだろう。だが、それを差し引いても特に怖くなかった。
身体能力の高さの割りに技巧において大したことがないというアンバランスは気になるが、それだけだ。
「知らんよ。そのゲルドヴァとやらも、セイフとやらも。俺を討ったところで何にもならん」
クィネが吐き捨てた途端、戦況は一気に動いた!
大剣が唸りをあげる。盗賊から奪った大剣は切れ味においては落第点だろうが、粗雑さゆえに頑丈さと重さは合格点だ。
一般的な剣しか持たないサレイオスは受け止めれば、得物を失う。避けるか、受け流すか。その選択を迫られる。剣が保たないからだ。
これまでは、対手が発する違和感に様子見をしていただけのこと。クィネとサレイオスの間には圧倒的な技量の差がある。そのクィネが大剣を棍棒のように叩きつけにかかれば、サレイオスに出来るのは無様に逃げ回ることだけだ。
「新たな戦士、身体能力の割りに未熟な剣技。そしてもう勝ち目が無いにも関わらず、消えない優越感……なるほど」
見えてきた、とクィネは言う。剣を合わせれば全てがわかる……というわけではないが、生き死にの場において人の本性は隠そうとしても漏れ出す。
「お前のその身体能力は鍛えたものではない。そういうことか?」
どういう理屈によるものかはクィネにも分からない。薬物か、はたまた魔術か? 少なくとも闇雲に鍛えても、サレイオスよりはマシになるはずだ。
クィネはこの時、初めてサレイオスの顔を見た……若い。歳は自分のほうが幾らか上だろう。何かによって苦労せずに得た力がサレイオスに驕慢という枷を嵌めている。
「ご名答。流石は剣聖とでも言っておこうか? これこそが、帝国が人魔戦争の果てに得た技術だ! 一介の兵士に過ぎなかった私をここまで押し上げる。まさに進歩だろう?」
心技体。3つの要素のうち体のみを充実させる技術。
確かに画期的だろう。
楽をして強くなりたい。そうした願望は当たり前のことであり、クィネとしてもそこは否定しない。
戦闘技術にせよ何事にせよ、先へと進むには効率化が必要である。体を鍛え上げるのに費やす時間が減れば、心技を磨く時間が増える。そうして世が先へと進む。
……サレイオスを強化した“技術”はクィネも不満がない。毒よりは好みだ。
サレイオスが残る2つの要素……心技において未熟なのはあくまでも当人が原因である。サレイオスという男には強化された肉体を乗りこなす素養が無い。
/
幾度も剣を交わしたが、その都度傷つくのはサレイオスだけだ。
血塗れになっても三日月に歪むサレイオスの顔に、呆れたようにクィネは告げた。
「飽きてきた。そろそろ出すんだな、まだあるんだろう?」
「ほう? 気付いていたか?」
「当たり前だ。さっき、何とかのゲルドヴァとやらを討ったと言っていただろう。これまでのお前では二つ名が付くような相手は討てん」
クィネのサレイオスに対する評価は辛い。
雑兵からでも何らかの美点を見出す男としては実に珍しいことではあった。直前まで見ていた夢に加えて、味方である筈の帝国側から命を狙われる状況が影響していた。
如何に人外の領域に辿りついた力量を持ち、精神が捻れていてもクィネが未だに人であることの証拠とも言える。好き嫌いは全てに優先される。
「良いだろう。見せてやる」
サレイオスの肉体が変化していく。
筋肉が盛り上がり、背丈が見る間に伸びていく。
その光景は異常だった。
セイフもクィネもこれほどの速度で肉体が変化していく人間種など見たことが無い。それでも途中で手を出すこと無く、大剣を肩にもたれさせてクィネは見物を決め込んでいる。
高まる気配の強さは、サレイオスが人間を止めていくことを示している。既にクィネに圧迫感すら覚えさせる程に高まった。
装備もこの変化に合わせた伸縮性なのか、弾けることなく装備者に合わせて伸ばされ続けていく。
「はぁー……どうだ? 素晴らしいだろう? これが人魔融合。貴様らが如き、時代遅れには理解できまい?」
人間としては長身のクィネ。その倍近くある背丈。
幾多の筋が走る腕は、膂力が隔絶していることの証だ。手先は尖り、それだけで人を切り倒せそうだ。
顔も竜を思わせる流線型へと変貌を遂げて、先程までの面影はない。それが美酒を味わうように恍惚の笑みを浮かべているのだから趣味が悪い。
まさに異様にして威容。
驚くべきはこれほどの変化を見せながら、精神はあくまでもサレイオスのものというところにあるだろう。確かに恐るべき技術である。
「人の技に魔族の力! 剣聖だったのであれば、これがどれほどの脅威か……理解できよう? いいや……理解できているからこそ言葉もあるまい。当然だ。貴様には勝ち目が無いのだからな」
その言葉にクィネは……
「ああ……思い出した。確か中位魔神、グルグルなんとか……だったか?」
平時と変わらぬ態度で、首を傾げながら魔人を見上げていた。
その態度にサレイオスが苛立つ。恐怖が見えない。
先程までと変わらず、サレイオスが大したことなど無いというような表情と口ぶりだ。
「グルダ・ガルダだ。阿呆め、これが剣聖とはな」
「そんな名前だったか? まぁいいさ、それじゃあ続きといくか」
クィネの変わらぬ態度に、ナメられたと感じたのか。魔人と化したサレイオスは猛然と突撃を開始した。赤い眼光と共に。
/
人としては極まっている剣聖の身体能力。それを魔人は軽く凌駕している。
膂力においては十倍にも達しており、速度でも倍はある。魔力、体力については最早比較するのも馬鹿らしい。性能という覆しようの無い数値の差をサレイオスは握った。
そのはずだった。
「馬鹿な……!」
尖った指が握る剣はクィネを捉える事無く空振って大地を抉った。
返しの剣閃は確かに躱したはずが、サレイオスの体にめり込んだ。痛みに叫び声を上げた瞬間に、足の指先を根こそぎ持って行かれた。
そこからは絶望が循環していく。痛覚があることに気付いたクィネは末端から、攻めに攻め立てた。
「馬鹿なァァァ!」
隠していた翼を出そうとした瞬間に、背中の皮ごと引き剥がされる。
「私は! 全ての人間を越えたはずだ! こん、な馬鹿な!」
「……阿呆なのか、貴様は?」
切実な疑問をクィネは切って捨てる。この敵が何を言っているのか、本気で疑問に思っている口調だった。
「人の技と魔族の力の融合? 何を訳の分からないことを言っている。上位の魔族ならば技や知性は備えていて当然だった。融合したというのなら……融合体にしか出来ないことを見せなければ、当然こうなる」
そもそも人魔戦争の勝者は人類の側であった。
人は一部とはいえ、魔族を凌駕する可能性を秘めていることを満天下に示したのだ。凄まじい身体能力も、身体機能をその場で変化させることも幾度だって見てきた。それは何もクィネだけではなく、あの時代を生きていた者なら誰でも知っている。
まぁ人間型からの猛烈な速度での変容だけは、褒めてやっても良いというのが歴戦の戦士からの感想だ。
十倍にも届こうかという身体能力? 知ったことか、とクィネは言う。
人類の身体能力は平均を見れば野生の獣にも圧倒的に劣る。だが、狩る側は人間だ。熊や獅子ですら熟練の狩人に倒されることがある。
「私には、適性があった! 選ばれたのだ!」
「そうか」
クィネの南方風剣技は撫で切るものだ。
頑健な魔族の肉体を両断するには、機を見計らう必要がある。しかし、それは牽制やフェイントでサレイオスの苦悶が長く続くことを意味していた。
「その技術は凄まじいものなのだろうさ。俺にだって分かる。お前が負けるのは単にお前が弱かったからだ」
相手が頼る特別性ごと、クィネは蘇った旧敵を両断した。
特に工夫したところはない。かつてのセイフの戦い方そのままで、順当に中位魔神は敗北した。
/
「だから……次の貴方には期待している」
戦いを傍観していた小柄な女性に、クィネは声をかけた。
緑の目が月光を受けて輝いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます