第15話・在りし日の夢
眠るのは嫌いだ。夢を見てしまう。
『ああ、いたいた。セイフはやっぱりここだったか』
在りし日の光景。
ここはディアモンテのどこかの街だった。街の名は覚えていないが、この街では大きな教会が勢力を持っていた。旅の中継地点として立ち寄ったディアモンテの勇者一行は当然として、町長と教会の双方から招きを受けた。
今思えば、きっとアレは俗世間の権威と宗教関係の権威の意地の張り合いだったのだろう。
余計なことだ。魔族との戦い……人魔戦争の最中に人同士が争って何になるというのか? 後になってしまった
戦いの火種はこの時代からずっとあったのだ。
旅の途中で余計な争いに巻き込まれるのは御免である。しかし同時に後々の禍根となるようなことは避けねばならず、とりあえずの現状は維持されなければならない。
結果として、街のバランスを崩さぬように……勇者と聖女は教会を宿として、大魔女は街の屋敷に泊まった。そして剣聖は……
『……』
1人、街から少し離れた木立の中で樹を背中に目を閉じていた。その前には焚き火が音を立てて燃え続けていた。
仕方のないことだろう。今となってもそう思う。
剣聖セイフは異民族であり、異教徒だ。
故郷の宗教とさほど密接な関係にあったわけでもないが、信徒ではあった。ディアモンテに招かれていても、蛮族と称される者でもあった。
そして、セイフはそこを弁えられるぐらいには大人だった。だからこうして1人でいる。
そう。仕方のないことなのだ。仕方のないことなのだから、こんな光景を見せないで欲しい!
彼は
いくら願っても光景は続く。
草を踏みしめる音。音の主がその気になれば音など立てずに来れるだろうに、わざわざそうしていることを知っている。敵意など無い。自分は友人なのだと主張するかのように。
『ああ、いたいた。セイフはやっぱりここだったか』
『■■■……歓待はどうした。まだなら戻ることだな。要らん疑いを招くぞ』
つれない返事にも動じず、勇者は剣聖の向かい側に腰を下ろした。
剣聖より少しだけ年下の彼は妙なところで頑固だった。だからこそ、若くして勇者と讃えられるような力量をその身に宿すことに成功したのだろうが。
『だから来たんだ。司教も町長も、お前が来ないって言った途端安心した顔をしていたよ。気に入らない。もっと気に入らないのはそれが普通だと思ってるセイフだけど』
『分かっていて来る、お前こそが俺には気に入らないよ、■■■。彼らにも譲れないものがあるのだ。情勢を打開するために……剣の腕を買われて俺はここに来た。だが、それは国というものの決定であって、彼らの信条を汲み取ってはいない」
ディアモンテの司教からすれば、神の家とされる教会へ異教徒に踏み入られてはたまらない。町長からすれば、異民族に敷居をまたがせれば権威に関わる。
……セイフは建前を信じすぎていた。
『だけど、お前の部族との同盟を選んだのも我々の国だ。それをお前が遠慮してどうするんだよ、セイフ。いいかいセイフ? 君はもっと堂々とすべきなんだ。立場的にも実力的にもね』
『実力的? 俺より強いお前が言うのか』
年上であるはずの剣聖を、弟のように思っている節が勇者にはあった。
説教というよりは、優しく諭すような口調に少しは言い返したくもなることがある。
『うん。僕が言う。正直なところを言えば、君や他の2人に会うまで僕は自分が世界で一番特別な存在だと信じていた。だけど、こうして旅を始めてみればこの通り。剣の腕では君に及ばず、魔術の腕では2人に及ばない』
この時のセイフも、流石に唖然とした。
裏を返せば勇者の剣腕は剣聖に次ぎ、魔術聖術においては大魔女と聖女に次ぐということだ。
特化ではなく、万能。
どんな戦いになろうとも、相手の苦手分野に付け込める。そして、自分には苦手なものなど無い勇者は間違いなく、一行に置いて最強だった。いいや、世界でも最強だろう。
その男が、自分を未熟な者の過ぎないと悟り、鼻柱をへし折った相手として剣聖を尊敬してくる。
この男は本当に妙なやつだった。
『……ふん。それで剣聖位も断ったのか?』
『ああ、いつかお前を越えたその時まで。だけどね』
また音が聞こえた。
『“勇者剣聖”ってちょっと語呂が悪くないー? というか、大魔導師の称号はいらないのー?』
『サリデ。そこは水を差すところじゃありませんよ』
響くのは女の声。
『……結局全員来るのか』
『あはは! お前のせいでだな! ベッドで眠れる日は魔王を倒すまでおあずけだ』
彼は結局、棺桶で眠ることになる。
/
聞こえる音にクィネは目を覚ました。
数瞬後には朧気になるだろうが、随分と
音と言っても余程に聴覚に優れている者にしか聞き取れない程度だ。
身体感覚が元々鋭敏なことに加えて、ディアモンテ王国から差し向けられる暗殺者達と過ごす時間がクィネの知覚を獣以上へと押し上げていた。
トサカ首の報奨金から生まれた酒で酔いつぶれる仲間達を起こさないように、音も立てずに部屋を横切る。……木製の戸を音を立てないように開けるのに少し苦労する。
「うぐっ」
雇い主であるジーナは酒に弱く、飲まされた影響で苦しそうだった。ちょっとした音で起きかねない。
細心の注意で外に出る。
/
寒々しい木陰を縫い、離れた丘へと新米傭兵は足をすすめる。頂上へとたどり着くと、監視塔が小さく見える。できるだけ見えないように角度に気を払って少しだけ反対側へと逃れてから、口を開いた。
「わざわざ、待っていてくれて感謝するよ。その気遣いからすると、暗殺者の類でもないようだが……姿を見せてはくれないか。敵でも歓迎する」
「別に気を遣ったわけではない。私にも事情があるというだけだ」
声とともに暗がりから現れた男。それにクィネは眉をひそめた。
……帝国軍の装備。それを着た男が自分に戦意を持っている。
「歓迎すると言ったが……前言は撤回することになる」
「ふん。だろうな。貴様は今から私と戦ってもらうことになるのだから」
クィネは敵も味方も愛している。だからこそ、クィネが敵意を滲ませているのは非常に珍しいことであった。その理由は……
「……一応聞いておくが、帝国側なのか? それとも偽装で着ているだけか?」
「ある意味両方だ」
帝国側でもあるし、偽装もしている。
答えにクィネはとうとう、表情を歪ませた。その凶相に対手は気圧されそうになり、矜持で身を振り払った。
「……最悪だ。なぜそんなことをする?」
「あ?」
「味方なのに味方を襲うと? なんだそれは? なぜ、そんなにややこしい? 味方ならば味方でいろ、敵ならば敵らしくしろ。何の意図があるかはどうでもいい。貴様らのような曖昧な立場の戦士がいるから、世の中は腐っていく」
そこに間の抜けた傭兵の姿はない。ただひたすらに凶刃。
己のみが理解し得る感情とともに、戦意を高めていく。
だってそうだろう? 味方はわかりやすく味方。敵が敵らしいならば……人間の悩みは少なくなるはずだ。■■■のような悲劇が生まれる可能性も低くなる。
ゆえにクィネはこの男を許せない。来る理想郷に泥を塗る類の輩だと憎んでいる。
クィネの高まりに高まっていく剣気に、男は怯まない。
「くっくく。想定の中では最悪……いや、最高の展開か。あの方の命は力量を確かめることだったが……私のためにお前を殺そう。貴様が誰か? 俺は知っているぞ」
容姿。折れた曲刀。そして感じられる力量。
そうならば男にとっては至上の獲物。倒すことで得られる栄誉は計り知れない。命令を無視する価値は十二分だ。
「“鏖殺の剣聖”セイフ! その首を取って、私はあらゆる栄誉と財を手に入れる!」
勇者が暗殺されてから、事実関係を知っているセイフはディアモンテ王国とそこにいる暗殺の首謀者にとって目障りな男である。そして剣技院にとってもだ。表ざたにはされていなくとも懸賞金がかかっていた。
元剣聖の正体を知り、剣気を浴びて尚勝つ気でいる男。それは本来、クィネにとっても尊敬に値するはずの人物だったが……
「誰のことだ、それは」
これまでのやり取りからか。クィネの答えは冷え切っている。
クィネは望む世界の形のために、大剣を構えた。
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