不審の宿
舟宿はほぼ満員というありさまで、真吾が何度も藩の中老、永沼の名を出しても、
『
と、同じ答えしか返ってこない。
真吾が総一朗の指示を
「え……?」
と、真吾は声を上げそうになった。宿の女中か
「田原様、田原様……」
「ん……? お、どうした?」
真吾と宿の者とのやりとりを聴いていなかった総一朗に、真吾は最初から舟宿の事情を告げた。
「そうか……ならば、長谷川雨太夫どのの部屋に
「伝言……? それは何のことでしょう?」
「なんでもいい、適当に挨拶を交わし、世間話で座をつないでおいてくれ。あとで行くから」
そう言ったまま、先ほどの女人のあとを追っていく総一朗の背に、真吾は不審の視線を注がずにはいられなかった。
○
……その女の
かれが不審を
いやむしろ、その偶然の視点の転換が、総一朗にはおもわぬ展開をもたらしたのである。
この舟宿の奉公人らしい中年男と
『……
そう聴こえた。
(近江八幡か……!)
総一朗は声にしたつもりはなかったが、咄嗟の思念が、相手をして感得せしめるだけのなにがしかの振動をもたらしていたのかもしれない。ゴトッと音がし、中年男が総一朗の顔を睨んだ。
鋭い眼光を放っていた。
町人ではあるまい……と、総一朗はそう察した。と、女のほうがいきなり
目にも止まらぬ速さである。
包丁が何本も飛んできた。
中腰のまま、総一朗は脇差を抜き、払い、打ち、そして、中年男をめがけて投げた。
「うっ」
鈍い声が響いた。
肩に刺さった……ようである。
女が中年男をかばいながら、廊下を駆けていった。
「ふぅ」
息を吐いた総一朗は、柱に突き刺さったままの
どうやら、先を鋭く
「ちぇっ、なんという奴らだ」
さすがに総一朗は無性に腹が立ってきた。
この敵の主は、かれしかおるまい……。
そう総一朗は察した。
それから、台所で
戦いはこれからだ、覚悟を決めて、長谷川雨太夫が逗留している部屋へ向かった……。
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