エピローグ 「しかり、私はすぐに来る」
男が、泣いていた。
荒野に咲いたサフランが、獅子と牡鹿が、そして失った眼球を元に戻された彼の兄が、男を慰めている。その涙は、その土地を流れる乳と蜜の川、そして谷間の川よりも長く大きな川を作っていた。
「シーア、そう泣くもんじゃない。」
兄がそういうと、シーアと呼ばれた男は縋り付いて泣いた。
「お前の子供たちは立派だったよ。そりゃ、まあ、何人か個性的な子はいたけれど、若いうちは皆そんなものさ。実際お前だってそうだったじゃないか、シーア。」
「だって、シーナ………。」
二の句を告げず、シーアは泣き叫んで縋るのを止め、しくしくと顔を覆った。
「オレが、余計なことをしたから……!」
「そんなことない、そんなことないよ、シーア。お前は一緒にいたバプテストを守らなきゃいけなかった。ワタシよりお前が先に気が付いた。お前はワタシをも守ってくれたんだ。」
「矢追町の誰一人だって、零すわけにはいかなかった! それだけじゃない、ケイとイェールは間に合わなかった! ジーダに至っては、後回しにして見殺しにした!! オレは、オレは………!」
堪えられなくなって、シーアは突っ伏して泣いた。ここは
「シーア、シーア、大丈夫、大丈夫だよ。実際ジーダはここにはいない。あいつはジーダの一族を消したと言ったけど、ここにいないんだから失敗してるんだよ。なんたって、あの一族は強いからね、いろいろと。偽物の苦よもぎくらい吹っ飛ばすさ。」
「じゃあなんで、シーナがいるんだ! 三分の一ずつ滅ぼしていくなら―――シーナは該当しないのに!!」
「うーん、多分、お前の偽物とステゴロやったからじゃないかなあ………。巻き添えっていうか、なんていうか。」
「そんなの、ひどい…。シーナは、何も悪くないのに………。ただ居合わせただけなのに………!」
「酷くなんてないさ。実際、お前が諦めなければ、また『元通り』になる。」
そこでようやく、シーアは顔を上げた。真っ赤な眼帯のようになった目元に繰り返し口づけ、シーナはシーアを抱きしめる。
「ほら、アレはワタシから、『アブラハムの系図』を盗んだだろう? お前は自分の一族で手いっぱいで、ジーダに連絡することが遅れてしまったけれど、あの系図には、お前の子供が一人、入っていなかったんだ。その子の力なら、完全ではないだろうけれど、すべて元通りになる。」
「系図に……? まさか。オレが認知した子はすべて……。」
「うーん、そこは、アレが無知だったというか、『三分の一ずつ滅ぼす』ことに気を取られていたのが救いだったね。」
「すくい…? こんな状況に、救いなんてあるのか? 本当にあるのか?」
それはまるで、イエスの噂を聞いた盲人のような顔だった。シーナは微笑み、すぅ、と、息を吸い込んだ。あの戦いで傷ついた肺は痛んだが、それよりも大切な弟がこんなにも嘆いていることの方が辛くて苦しい。
自分のことなどよりも、隣人を優先させるように、というのは、自分が弟たちに教えたことだ。今守らんとしてなんとするというのか。
「『
すると、青く澄んだ空が開け、太陽よりも眩しく、神々しい光が二人を包んだ。そして、鳩というよりも、巨大な白い鷹のようなものが飛来する。その背中には、白と青のチマチョゴリを着た、小さな子供が乗っていた。
「ニカ~~~!?」
そして、シーアとシーナの前に降り立つと、そっと白い鳥は翼を斜めにした。するーっと、子供は滑り台を降りるように、鳥の背中から降りる。鳥は一度、優しく二人を見つめ、そして飛び去って行った。
「…あ!?
「系図に入ってなかったって………。お前か?
シーアは父親であることを思い出して涙を引っ込めたが、
「お父様…本当は、ナのこと認めてなかったニカ? ナのことは、やっぱり認めたくなかったニカ? ―――ナの先生が再臨したキリストだって、信じてくれてなかったニカ!?」
「いやそんなことはないけど。」
即答した。あまりにもその返答が早くて、
「お前、今いくつだっけ?」
「………八十歳ニダ。」
そういえば、こういう娘のことを『ロリババア』というらしいな、と、シーナは楽観的に思った。シーナから見れば、包雲がここに受け入れられた時点で、自分のことさえも、元に戻るとわかっているからだ。
「オレ、八十歳って言ったら、聖書作ったばかりか、作ってる最中だぜ。」
「ニカ~~~!?」
こんな顔をした絵を描いた、精神を患った画家がいたな、と、シーナはもう何も心配せず、雑念でいっぱいだった。
「多少破天荒だったり、預言者がぽんぽん出てきたり、なんだったら神を名乗る不届き者がいても気にならない。それで人々が幸せになってるならそれでいい。人類すべてが幸せになれないところは、
「………。」
それでも自信がないのか、
「ワタシも協力するし、君のお父さんも協力する。だから、全てを元通りにする君の力を借りたい。君にとっては、うっとうしい兄姉たちかもしれないけど………。君の愛するお父さんの、愛する家族なんだよ。協力してくれないかな。」
「………。」
本当か、と、
「
「父よ。今一度、私が子と呼んだ者達を思い起こして下さい。―――『
「神よ。我が愛しき兄弟、又貴方の民を思い起こして下さい。―――『
手ごたえがあったかと言えば、そうとは思えない。祈りの文言はむなしく、楽園に響いた。
どうしよう、と、
「貴方方の信仰が、貴方方を救った。安心していきなさい。」
―――
其は、神に似て神に非ず、人に似て人に非ず、さりとて
彼等は信仰そのもの。信仰が人の形をとって創られた擬者。
人と同じように過ちを犯し、人と同じように争う。
しかして、彼らは人とは決して同じではない。何故なら。
彼らは、真なる人類の敵の打破のために、我が身を投げ打てるのだから。
故に彼らは、神に近く人に近く、さりとて神でも人でもないモノである。
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