第2話 英雄の血筋
赤ん坊としての期間は非常に暇なものだった。時間がたっぷりある分、転生して間もない俺は考え事ばかりをしていた。
異世界転生って事は、俺はやっぱり、元の世界では死んでいるんだよな。
……妹の冬華は今頃どうしているだろうか。
高1にもなってお兄ちゃん、お兄ちゃんとついて回っていたあの子が、1人で生活できているとはとてもじゃないが想像できない。
頑張って貯めたバイト代はまだまだ残っているが、そんなものは収入が止まった今、すぐに尽きてしまうだろう。
まあ、そこら辺はおじさんに頼ってもらうしかないか。
これまで家のローンや俺たちの学費は全て、海外で仕事をしているおじさんが払ってくれていた。俺が小学校の時に両親を失ってから5年、か。「お兄ちゃんは絶対にお前を1人にしない」、なんて口約束をしておいてこのザマだ。
──恨んでるだろうな。バイトをする時も俺の体を思って散々反対していた優しい妹のことだ。冬華の今の精神状態は想像もできない。
俺は元気でやっていると、伝えられる手段があればいいのに。
…いや、飛行機の墜落なんていう大事故だ。家を出て少しの所だったし、冬華が巻き込まれた可能性も…と考えた所で、すぐに考えないようにしようと首を振った。
それならばワンチャン、冬華もこの世界に転生しているかも…?と考えたが、希望的観測は落胆を生むだけだし、何より冬華には元の世界で生きていてほしい。
…そういえば、
事故に巻き込まれた時─正確には普段の登下校もだが─いつも一緒にいる2人の親友がいた。学校一の天才と謳われた堅物変人、天条相馬とクラスの小動物、並木健人の2人だ。
アイツらは間違いなく助からなかっただろう。隣にいたし。
問題はその後、どうなったか、だ。
──よそう。相馬ならともかく、俺が考えたって何か変わる訳でもないし、第一そんなガラじゃない。
落ち着いたおかげで、これまでの色々な思いや感情がどっと溢れ出しただけだ。
もう、過去は振り返らない。そう決めたはずだ。
「はい、あ〜ん…♡」
…そんなことを考えながら、ユズハに差し出された離乳食を頬張った。
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おしめ地獄の日々は数年続いた。…それも今ではいい思い出だ。あれから5年が経過し、ようやくそんな日々からも解き放たれたのだ。
そして、成長してから鏡を見て気づいたことが2つある。
ひとつ、俺は男だった。
カレンという名前にすっかり女性のイメージを持っていたが、そこは文化の違いと言うやつだろう。
もうひとつは…顔が変わっていなかった。
正確には、5歳の時の俺と同じ顔つきをしていたのだ。
特徴的なツンツン髪が鮮やかな赤に染まっていたり、目が両親と同じ澄んだ青色になっている等の違いはあれども、その他は全く同じと言っても差し支えないほどに。
…両親を早くに亡くした俺だが、2人を本当の両親として受け入れるまでにそう時間はかからなかった。2人とも、俺の事をとても愛してくれていたからだ。
ジェイムズは研究職に着いており、家を留守にする事も多かったが、その分できるだけ、俺との時間を作ろうとしてくれた。
ユズハはその美貌とスキンシップの多さから色々と不安だったが、すぐに母親として、家族として受け入れるに十分な愛情を注いでくれた。
最初の1年のうちに自分はもう、如月優也では無く、カレン・ジアパルトなのだと自覚するまでに至るほどに、だ。
無論、自分の本当の名前や、元の世界で2人で生きてきた妹の如月冬華のこと、あの日、そばにいた親友の事を忘れられる訳はない。
しかし、いつまでも悩んでいられるほど、この世界での生活は楽ではなかった。
…俺が異世界転生して5年ほど経ってから、日々の生活の中に「剣の鍛錬」が入り込むようになった。
なんでも、俺が生まれたこのジアパルト家はこの地を有する『ランドール』という国に仕える英雄の血筋らしい。…あの物腰の柔らかい父が英雄とは想像もつかないが…人は見かけによらないということだろうか。
ジェイムズが家を空けることが多かった為か、剣の鍛錬はユズハが指導してくれた。彼女はこの鍛錬の時だけ、とても厳しい一面を見せた。
子どもであれば反発して当然と言う程に厳しかったが、俺も冬華の親代わりとして過ごしてきた。子供に厳しくしつける母親の辛さは痛いほどによく分かる。
そして、この鍛錬は英雄の血筋だから特別に、という訳では無い。
この世界には『魔物』、と呼ばれる存在がひしめいていのである。それらの驚異から身を守る術を教えるため、家庭では剣や魔法を用いた防衛術を教えることが文化として根ざしているのだ。
◇─◇─◇─◇─◇─◇─◇─◇─◇─◇─◇─◇
そんなわけで、今日も鍛錬が始まる。
カレン・ジアパルトの朝は早い。
早朝に起きると言う点は元の世界と変わりないが、起きてからはひたすらに剣を振るう生活だ。
と言っても、最初の3年は、剣を持ち上げられる体を作ることから始まった。
「くうぅう……ッ!!」
革で巻かれたグリップを両手で握り、その鉄塊を必死に持ち上げようとするが、片側が虚しく宙に浮くのみであった。
その光景を見ながらふふふ、と微笑ましそうに笑う母を見て、顔が熱くなる。
俺は今、どうしようもないほどに非力なのだ。
目の前の物を持ち上げることすら出来ないこの子供の体が怨めしい。
純粋な鉄よりは軽いと言っても、合金性のショートソードを、5歳の子供が持ち上げられるものでは無い。
「今のあなたには無理よ。…まずはこれから1年、その剣を軽々と持ち上げられるように鍛えるわ。」
躍起になって持ち上げようとしていた剣をひょい、と持ち上げそう言った母は、代わりに使い古された木刀を渡された。
…何かが出来なくてこんなに恥ずかしい思いをしたのは10数年ぶりだ。
それからは、木刀での素振りと家事の手伝いが主な訓練になった。一言に家事とは言っても、両端に木桶がついた棒を背負い、中心部の井戸から汲んだ水を外周の畑まで運ぶというハードなものだった。
手のひらはマメだらけ、腕から肩にかけての筋肉痛に悩まされる毎日が続いた。
ただ、どれだけ苦しくてもユズハは俺に「休んでいいよ」とは言わなかった。…その思いやりが、俺にはとても嬉しかったのだ。一言、もう休んでいいよと母親に言われていたら…俺はもう、ダメになっていただろう。期待に応えたい一心で、俺は木刀を振り続けた。
そんな毎日を送っていたおかげで、俺は半年ほどで最初の試練と化していた剣を持ち上げることが出来た。
掲げた銀の刀身が光を反射しきらめく様は、苦しい日々に耐えた俺を祝福してくれるかのように思えた。5歳児には到底似合わぬ筋肉を内包したこの体は、その賜物である。
…しかし、ユズハは淡々と「次のメニューに移行しましょうか。」と家の中へと戻って行った。
5歳の体でここまで頑張ったんだから、もう少し褒めてくれても…と邪念が頭をよぎったが……いやいや、俺は見た目は5歳児でも、中身はいい歳した高校生だ。これくらいのことで褒められるのを期待しているようじゃ、まだまだガキってことだな。
それからの3年間は、ひたすら木刀で母親に切りかかる生活が続いた。
最初だけは母に武器を振るうことに抵抗があったものの、そんなものを感じている余裕は無いと、一回目の試合で思い知ることになる。
振り抜くのを躊躇した俺の木刀は簡単に躱され、庭の砂を跳ねただけであった。一瞬で姿を消した母の姿を目で追おうとした瞬間、頬に鋭い痛みが走った。
「カレン、今躊躇したせいで、あなたは死んだのよ?」
一瞬、何が起きたかわからなかった。
──疾い。
その場にへたりこみ、持っていた木剣がからん、と土に落ちる。ただ、俺を見つめるユズハの厳しい表情から、俺が平手打ちを受けたことだけはよく理解できた。突然の出来事に、言葉も出なかった。
「なんで今、その剣を振るうことを躊躇したの?私があなたの母親だから?」
真っ直ぐに目を見つめる母に、俺は頷くことが精一杯だった。この人に怒られたのは、この世界に来て初めての事だった。
「…あなたはたとえ家族が目の前に立ちはだかったとしても、斬り捨ててでも進まなければならない。…剣を取りなさい。」
呆然と座り込む俺を横目に、ユズハは立ち上がり、再び距離をとる。…そうだ。相手が女性だから?実の母だから?…そんな油断怠慢が、将来自分の身を滅ぼすことになるかもしれない。
自らの未熟を恥じながら、砂を被った木剣を拾い上げ、ユズハに向けて構える。
「…ごめん。…死ぬ気で取りに行くよ。」
俺を見つめるユズハの顔が、少しだけ綻んだような気がした。
…正直、すごくやりづらい。
実の母親に対して、木製であるとはいえ剣を向けるこの状況は俺の心を締め付けた。
ユズハはエプロンを外した他は普段と変わらない衣服を着ていた。その上で木刀を握りしめる姿はチグハグであるはずなのだが、ユズハの真っ直ぐな瞳、真剣な表情からか自然と溶け込んでいた。
…相手は女性とはいえジアパルト家の人間だ。さっきの人間離れした運動能力、佇まいや隙の無さ……木刀が当たったとしても、怪我をさせることは無いだろう。
「ふぅ………、………ッ!!」
──覚悟を決めて一呼吸した後に、木刀を振りかぶり大地を蹴った。
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