歴史小説のためのノートブック

久志木梓

舞台の時代・地域について

あらまし

三世紀後半の中国を題材に歴史小説を書いています。


この時期の中国には西晋せいしんと呼ばれる王朝が存在しました。


西晋せいしん三国志さんごくしで有名な三国時代さんごくじだいの、次の時代にあたります。




西晋せいしん三国時代さんごくじだい三国志さんごくしに出てくる曹操そうそうの息子、曹丕そうひが建てた王朝)に仕えた司馬懿しばいにはじまります。


司馬懿しばいはクーデターによっての実権を掌握し、司馬懿しばいの息子の司馬師しばし司馬師しばしの弟の司馬昭しばしょうの代には劉備りゅうびの建てたしょくを併合します。


そして司馬昭しばしょうの息子の司馬炎しばえんの皇帝に代わって皇帝となり、しん(のちに建てられるしんと区別するために、西晋せいしんと呼ばれます)が建てられました。


司馬炎しばえん孫権そんけんの建てたも併合し、百年ぶりに中華を統一します。




黄巾こうきんらん以来の平和は、しかし薄氷はくひょうの上にありました。


初代皇帝・司馬炎しばえんの息子である二代皇帝・司馬衷しばちゅうが即位してまもなく、クーデターが起こります。


司馬衷しばちゅうの皇后である賈南風かなんぷうが権力を握るために、初代皇帝・司馬炎しばえんから政治を託されていた皇太后の派閥と、皇族の最長老の派閥とを謀殺したのです。


その結果、もくろみ通り皇后・賈南風かなんぷうたちが実権を持ちます。


皇后・賈南風かなんぷうの時代は謀略が渦巻きながらも、家臣たちによって支えられ大きな戦禍せんかが起こることはなく、平和はかろうじて維持されました。




平和が崩れるきっかけは、皇后・賈南風かなんぷうによる皇太子の幽閉でした。


ついに賈南風かなんぷうを許せなくなった人々が、大きな兵力を持つ皇族、趙王ちょうおう司馬倫しばりんに皇后・賈南風かなんぷうを排除する謀に協力するよう依頼します。


野心家の趙王ちょうおう司馬倫しばりんは、ただ皇后・賈南風かなんぷうを排除するだけでなく、自分が権力を牛耳れるよう画策しました。


その謀略により、皇后・賈南風かなんぷうが皇太子を殺害したあとに賈南風かなんぷうを殺害し、趙王ちょうおう司馬倫しばりんは自分が皇帝に即位します。


これを許せないほかの皇族たちが趙王ちょうおう司馬倫しばりんを討伐するため挙兵しました。


宮中の水面下での謀略合戦は、ついに兵と兵の交戦、内戦へと発展していきました。




この皇族同士の内戦は、七年近くかかって終結します。


和平や合意による終結ではなく、大きな兵力を持つ皇族が最後の一人になるまで続いた、泥沼の戦いでした。




その頃には、王朝自体の寿命がやって来ていました。


当時、西晋せいしんの国土のなかには、たくさんの漢民族かんみんぞくではない人々が住んでいました。


彼ら非漢民族ひかんみんぞくの人々は、支配者である漢民族かんみんぞくしん王朝に対してさまざまな不満を抱えており、各地で摩擦まさつが生じていました。


終わらない内戦にも駆り出されて我慢の限界が来た彼らは、しんに対して反乱を起こします。




内戦で疲弊ひへいしたしんに反乱を抑える力はもう残されていませんでした。


非漢民族ひかんみんぞくの人々はついにしんの支配者たちを長江ちょうこうの南側・江南こうなんへと追放。西晋せいしんは滅亡します。


しかし、それまで政治に参加することができないでいた非漢民族ひかんみんぞくの人々に、安定した政権を運営することは非常に困難でした。長江ちょうこうの北側・華北かほくでは、短命な国々が建てられてはすぐ滅ぶことをくりかえします。


一方、江南こうなんではしんの皇族の生き残りが新しく皇帝に即位し、ときには反乱に悩まされながらも、なお百年存続しました。




そういう時代・地域を舞台に小説を書いています。

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