One More Episodes 〜舞台裏と答え合わせ〜

えぎりむ

11.5話  湯けむりのひめごと

 湯気の向こうは何か現れそうで怖かった。


 美優は、はじめて露天風呂に入ったとき、つかった湯からなかなか出られなかったことを思い出す。

 広い空間、見知らぬ場所、吸い込まれそうな夜空。

 湯気が立ちはだかって、「ここから先はひどいぞ?」とおどしているようだった。


 そんな幼い頃の思い出に駆られたのは、きっと露天風呂でひとりにされたからだ。


「マユミちゃんたち、もう戻らないのかな……」


 一緒に旅に来ていたギャル三人が、先ほど内風呂の様子を見にいったきり、戻ってこない。


「先に上がっちゃったのかなあ……」


 ため息をつき、湯から上がろうとする。急にひとりきりにされると、心細い。


 しかし、湯気の向こうにふと、うつらうつらとする人影が見える。

 眼鏡もコンタクトも外しているのでぼんやりしているが、確かに人だ。


 ボーイッシュな印象の、ショートカットの女性だった。

 酔っているのか顔は赤く、入浴したまま眠ってしまいそうだ。

 大丈夫だろうかと美優が案じる前で、かくんかくんと首が上下しながら、とうとう湯の中にダイブしてしまう。


「あっ……!」


 美優は慌てて駆け寄る。


「へ、平気平気!」と、その女性も慌てて身を起こし、


「ごめん、ごめん。寝ちゃったね。もう大丈夫だからさ~」


 ぺろっと舌を出したその人の面影は、なんだかとても懐かしい。


「どうしたの?」


 思わずじっと見つめてしまっていたらしく、相手の女性がきょとんと見返していた。


「い、いえ……その、すいません! つい……昔の友だちと似ていたもので」


 あたふたとして身を離す。顔が熱いのは、きっとのぼせてしまったせいだ。


「ふ~ん」


 美優の様子を理解してかしないでか、その女性は美優の隣りにやってくる。


「昔の友だち、ね……。私、長く付き合ってる彼氏とケンカしちゃってさ~」


「……え?」


「高校生のときからずっと付き合ってたのにね。オトナって難しいよね」


「なんだか……すみません」


 思わず謝る。風呂で寝落ちしそうなくらい酔っていたのは、そのくらい忘れたいことがあったからなのだ。

 嫌なことを思い出させてしまったかもしれない、そう思った。


「いいの、いいの。絶対仲直りするって、決めたから旅に出たんだもんね。その彼は、私の恩人だもの。私もね~、彼と付き合った当時はさ、昔の友だちのこと、ずっとトラウマにしちゃっててね」


「そう……なんですか?」


「すれ違いだったんだ。小学生のとき、その子と私には秘密があって。それはふたりだけの大切な秘密だった。なのに、その秘密がみんなにバレて、その子が追い込まれたとき、私は守ってあげられなかった。足がすくんで、じっと見てることしかできなかったんだよ」


 美優は、ドキリとする。似ている……気がする。気がするだけかもしれないが、あまりに似ている。

 この女性の語る過去が、美優自身、昔の友人と陥ってしまった過去に。


「でも、彼が現れて、少し前に進んだの。今でもまあ……ちょっとはシコリが残るけどさ。小学生の頃の思い出なのにね。人間って、本当に複雑だよね」


「わかる……気がします」


 美優はそう応じる。自分だって、同じだ。小学生の頃、自分もその友人と、まったく同じすれ違いをしてしまったのだから。

 そして、今でもその過ちを引きずったままだ。


「彼はね、止まってしまってた私の時間を、動かしてくれたんだ。……私と彼の止まった時間、今度は私のほうから動かしてあげないとだよね?」


 女性は、にかっと笑みを浮かべ、力こぶを作ってみせる。

 美優も、自然と笑い返す。気丈な人だと思う。昔の友人が大人になったら、きっと、こんな素敵な女性になるのだろうな……。


「ありがとう。おかげでスッキリしたよ。君もがんばるんだよ、文学少女さん?」


「…………っ!」


 不意に呼びかけられ、美優はあっけに取られる。今この人は、自分をなんと呼んだ?


「あのっ! あなたは――」


 慌てて呼び止める。女性は振り返る。ふたりの間に、湯気がもうもうと、立ち上っていた。


「あなたの、名前は?」


 たずねると、女性は、あやしげにほほ笑んだ。


「私の、名前はね――」


 女性の声は、湯気にはばまれ、かすんでいく。


 待って! 教えて! 美優は呼びかける。しかし、それは声にならない。


 ……待って! 待っ――


 …………。


 ……。


 気がつくと、遠くで誰かが、自分を呼んでいる気がした。


「ミユー! ミユーったら!!」


 確かにそんな声がして、はっと我に返る。


「しっかりしなよ? 平気~?」


 美優は湯につかっており、目の前には、プラチナブロンドのロングヘアーが美しい、ひとりの少女がいる。

 先に内風呂に戻っていたはずの、マユミだ。


「なかなか出てこないんで見に来たらさ~? こんなとこで寝たらダメだよ〜?」


 間延びした声で言う、この子はいつもの調子だ。


「うん……そうだよね」


 美優はまぶたをごしごしとこする。さっきのは、なんだったのだろう?

 マユミは、どこか上の空な美優をじっと見下ろしている。

 しかし、


「寝ぼけてると、こうしちゃうよ~ん?」


 不意に背後を取ると、あろうことか美優の胸に手を回してくる。


「わわっ! ちょっとマユミちゃん! ちょっと~~~!!!」


「んふふふ~、ミユーはほんとにかわいい子だね~~ん。こんなヨキもの持っちゃってさ〜〜」


「何言ってんのよヘンタイ!! その手を離せ~~~!!!」


 あまりに恥ずかしくって暴れるも、マユミはひらりと身をかわす。


「くやしかったら捕まえてごら~ん?」


 そう言うと、置いてあったタオルを手に取り、もう内風呂のほうへ逃げようとしている。


「もう……! 逃がさないからね!!」


 美優も追いかけようとし、けれどもふと思いとどまり、振り返る。


 露天風呂には、誰もいなかった。


 さっきのは、夢うつつに見た幻……なのだろうか?


 脳裏にちらっと、昔の友人の面影がよみがえる。

 自分がまだ気も弱く、自信もなかった頃。その友人のおかげで自分は、物語という武器を手に入れた。

 でも、ほんのすれ違いで距離ができたとき、自分はその子を突き放してしまった。

 追いかけて、ほしかったから。

 そして、その直後に不幸が重なった。


「お~い、ミユーさんや~い」


 追いかけてこないのを案じてか、内風呂からマユミが呼ぶ。


「あっ……今行くよ~!」


 美優は我に返り、呼んだマユミのほうへ足を向ける。

 いじわるしているようで、この子は自分を呼び戻しに来てくれたのだ。


 湯気の向こうは、何か現れそうで怖い。


 子どもの頃に思ったことを、ちらっともう一度だけ、思い出していた。

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