次の一歩が踏み出せない
それからしばらく話をしてから、俺は井川君との通話を終えた。
彼はこれからもちゃんと学校に通うとのことだったので、そこはひと安心。
まぁ、実際どうなのかは少しの間様子を見ないとわからないことだが、心配ないだろうとは思ってる。
配信時間も勉強に専念するため減らすと言っていたしね。
だから、これで彼の問題についても一区切りついたと言ってもいいだろう。
これから先は、井川君に任せようと思う。
まぁ、これ以上は第三者が介入できる範囲じゃないと思うし、また何か困ったことになったなら、助言をしてあげればいい。
本人が敷いたレールを、補強してやったり、矯正してやったり、他に埋もれている道を見つけてあげたり。
大人の役割なんてそんなもんだろう。
さて……。
問題も片付いたところだったので、通話を切る前に井川君にも年末の大会参加の意思を聞いておいたのだが、その答えはミサキさんと同じだった。
『……回答は待たせて欲しい。……アキラがマドカを助けた後に、ミサキも含めた3人で決めたい』
とのことだった。
さも、俺がまどかさんの炎上にも首を突っ込むことが確定事項かのように言った井川君。
それも、解決前提で。
もとよりそのつもりだけども、なーんで俺の考えがバレてるのかねぇ。
いやまぁ、ミサキさん井川君とくればその次はまどかさんっていうのはわかるか。
まぁなんにせよ、俺のやることは決まってる。
それは、アイキュー部最後のひとり『
とは言っても、まどかさんの炎上は他の2人と少し毛色が違う。
そもそも、彼女のそれは炎上とは違うからだ。
だがあえて、ここでは炎上と呼称しよう。
まどかさんの炎上について少し整理をし直すか。
◇◇
今回のまどかさんの炎上について。
それはまどかさんが、過去に『Met a Live』で活動していた『猫又イスナ』の転生先なのではないかという疑惑。
『Met a Live』とは、日本の妖怪をモチーフにしたVTuberたちで構成されたグループのことで、とある会社が運営する、いわゆる企業勢と呼ばれるVTuberたちで構成されている。
そのグループの初期メンバーにして、VTuberの黎明期を支えてきたとされるのがその『猫又イスナ』だという。
最初に猫又イスナという名前を聞いても、それが一体どういう人物だったのか俺にはわからなかった。
VTuberという存在にハマったのも仕事を辞めた後だったから、それ以前に活動していた人たちのことはあまり知らなかったからだ。
だから例のネット記事が出てから、俺は猫又イスナについて軽く調べてみた。
赤茶色のツインテールとケモ耳が特徴的な、妖怪『猫又』をモチーフとしたキャラクターであり、試験的に『Met a Live』の第0期生として活動を始めた人物。
彼女が一番最初にアップしたとされる動画は『スナイパー縛りでカツ丼食べる』というタイトルで、ガブGで縛りルールのまま優勝するというものだった。
そしてその動画こそ、彼女を一躍有名にした動画であり、それと同時に彼女を苦しめることにも繋がる動画でもあった。
彼女が有名になったのには大きく分けて3つの要因があった。
ひとつは、当時にしてはクオリティの高い3Dモデル。
これぞ企業勢の本気だぞと言わんばかりの、圧倒的なまでに作り込まれたその体は、一目でお金と技術がふんだんに詰め込まれたものだとわかるものだった。
2つ目は、縛りルールすらものともしないFPSの実力。
最初にアップされたものやその後も継続的にアップされた動画でもその実力は遺憾なく発揮され、プロゲーマーレベルとまで言われるほどに反響が大きかった。
本人の実力ではないんじゃないかと、疑われるほどに。
そして3つ目、一度聞いたら耳から離れないその特徴的な声。
いわゆるアニメ声と呼ばれる声帯を彼女は持っていた。
『一度聞いたら忘れられない声』や『どんな音に紛らせても絶対に聞き分けられる声』と評され、極稀に行う歌枠は多くのファンを魅力したという。
そんな彼女には、いつも悪意がついて回っていた。
天は二物を与えず。
多くの人が生きてく中でそれを感じ、信じるようになっていく世の中で、彼女は二物を持っていた。
それも、特徴的過ぎるほどわかりやすい二物を。
だからこそ、決して少なくない人たちは彼女が二物を持っていることを信じなかった。
信じたくなかった。
常にゲーム内で優勝できるほどの実力を持つ人が、こんな可愛い声をしている筈がない。
それはもはや嫉妬に近い感情。
自分がそうだから、他人もそうであって欲しいと願う黒い感情。
最初は小さい声だった。
だがネット社会におけるそれは、後に大きなうねりを引き起こす。
徐々に大きくなる批判の声。
明確な証拠などないのに憶測だけが先行し、それが知らぬ間に事実へと書き変わる。
いつの間にか、ゲームをやっている人物とアニメ声を持つ人が別人だとされ、猫又イスナに批判が殺到した。
本来なら企業が彼女をすぐに保護してあげるべきだったこと。
だが、VTuberという架空の存在に対して名誉棄損が成立するのか。
VTuberという存在が神聖視されていた当時、試験的運用の0期生である彼女を守るには、ノウハウも人手も足りなかった。
結果、彼女はそうした批判の声を一身に受け、心を磨り減らしてしまった。
そうして、猫又イスナは『Met a Live』から姿を消した。
そんな、ネットの悪意にさらされ引退へと追い込まれた『猫又イスナ』の転生した姿がアイキュー部の『一円。』なんじゃないかと今、ネットがざわついている。
それは数日前のまどかさんの配信のこと。
彼女がボイスチェンジャーを使っていたことは、彼女のファンならみんな気付いていたことだった。
そういうキャラクターなんだと、例え中身がおっさんだろうと良いと、そう思ったファンたちが彼女の配信をいつものように見ていた。
ゲーム配信をしていた彼女が休憩から戻った際、それは起こった。
聞こえてきたのは、聞きなれていたボイスチェンジャーの声ではなく、透き通るようなアニメ声。
うっかり、ボイスチェンジャーが外れてしまったのだろう。
焦るまどかさんと、困惑する視聴者。
その中に、その声を聞いたことがあると言う人がいた。
ネットに切り抜きが広がるごとに、その意見を持つ人が増えていった。
『一度聞いたら忘れられない声』
そうして『一円。』と『猫又イスナ』が結びつけられるのに、そう時間はかからなかった。
◇◇
今回の炎上について、改めて整理すると、正直言って俺が解決できるレベルの話じゃないように思える。
この話が全くの嘘だった場合は話が簡単なのだが、それだったらまどかさんがその配信の後ずっと音信不通であることの説明がつかない。
この話が仮に真実だった場合でも、やはり俺が軽く触れていい問題じゃない。
例えば会社を退職する場合、その会社と退職者との間には守秘義務に関する誓約が交わされることがある。
会社側は秘密が流出するのを防ぐために誓約を交わすわけだが、もし仮にこれが破られた場合、損害賠償や刑事罰の対象になる恐れがある。
つまり、どんな誓約を交わしているのかわからない以上、下手に首を突っ込めばさらに大きな問題に発展しかねない状況にあるわけだ。
これまで個人の問題だったからこそ、対処のやり方も選べたわけだが、これは企業との問題に発展しかねないリスクがあって簡単には動けない。
彼女の問題を解決したいのは山々だが、これはそんな単純な話ではないことがわかる。
さて、どうしたものか……。
思考する。
思考して、思考して……。
それでも、なかなかコレという解決策が見当たらない。
とりあえず連絡をしようと思ってチャットでメッセージを送っても、これまで返信は来ていない。
恐らくメッセージ自体は目に入ってるようなのだが、返事は一向に返ってこなかった。
もしかして、彼女は今回の件を解決する気がないのだろうか。
それとも、企業側と話をしている最中で安易に声が出せないのだろうか。
もうこのまま、フェードアウトするつもりなのだろうかという嫌な思考が脳裏をよぎる。
返事がない以上、解決の一歩が踏み出せない。
ただ徒に、時間だけが過ぎていく。
そうして、1ヶ月が経過した。
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