『指宿アキラ』

 ちょっと昔の話をしようか。


 大学を卒業し22歳で会社に就職してから8年ほど真面目に働いた。大学時代にできた彼女とは入社のタイミングで結婚し、2年目には子供を授かっていた。


 お金が不安になってきたのは30歳のこの頃だったなと今では思う。このときは子供が小学校に入学したころで、いろいろ出費が多かった。


 その時を生きるには不自由のない程度の収入はあったが、子供の将来の学費を考えれば節約をしないと厳しそうだという感覚が当時あったんだよね。


 妻は子育てに集中するため会社を辞めていたから収入源は俺だけの状態だった。妻が会社を辞めることは俺も賛成していたし、俺が働けばいいだけだと思っていたが、想像以上に貯金が増えなかった。


 だから副業をしようと思い立ったわけだ。


 選んだのは、その頃からテレビで話題になり始めていたワオチューブという動画配信サイトで広告収入得るという手法。


 初期投資として貯金を切り崩し、パソコン、マイクといった機材を買い『指宿アキラ』というアカウントを作った。


 この名前は本名だ。今にして思えば、これもまずかった。


 いろいろな人の動画を参考にしてみて、どういう動画スタイルにしようかと考えていたときにこんなコメントを見かけた。


コメント:誰かデッドハザードやってくれないかな

コメント:あれの最高難易度がまじでクリアできんくない?

コメント:むずいよな、アレ

コメント:初期手持ち武器なしでどうやってゾンビの大群を相手にすればいいんだよ


 デッドハザードとは、サバイバルホラーゲームのことで映画化もされている人気タイトルだ。


 とある研究施設から流出したウイルスによってゾンビと化した人々で溢れかえった都市で、次々と襲いかかってくる死の波を乗り越え脱出するという内容だ。


 俺も遊んだことがあるゲームだったが、最高難易度は本当に難しかった。でもクリアしたことはあったから、とりあえずこの攻略動画を上げてみよう。そう思って、まずは動画を撮ってみた。時間はかかったが、またクリアはできた。


 撮った動画を見直して思った。


 いや、つまんねーな。と。


 トークも何も面白くないただの会社員がゲームをしているだけの動画。


 まぁ、つまんねーな。と。


 それならいっそ効率化を極めてみようと、そう思った。喋る内容も事前にメモして、ゾンビの索敵範囲も把握して、当たり判定のギリギリを攻めて、一見意味のなさそうな行動を説明しながら数手先にはそれが実現されている。


 そうしておよそ一ヶ月かけて作った動画。


 効率化を極め続けたその動画は、まるでゾンビがプレイヤーを攻撃するのをわざと避けているように、ラスボスは戦いが始まってから終始おちょくられ続けるように見える、そんな動画に仕上がっていた。


 結論から言えば公開した動画は、あまり伸びなかった。


 初めての動画だし、こんなもんだろうと納得はしたが、それにしても一ヶ月かけてリテイクを繰り返し編集にも時間をかけた動画が伸びなかったのはちょっと心が苦しかった。


 でも、肯定的なコメントも多かったし、いつか跳ねてくれるときのために動画投稿は続けることにした。


 そうした活動がおよそ4年。会社で仕事をしながら地道に動画を上げ続ける日々が続いた。


 ちょっとずつちょっとずつ登録者も伸びはじめ、広告収入の額も着実に増えていった。


 だからこそ、会社に副業がバレたのは仕方がなかったのかもしれない。本名で活動を続けていたしね。


 俺が働いていた会社は、当時では珍しく副業は自由な会社だったから働く上で何も問題ないはずだったのに、その頃からなぜか上司の当たりが強くなったのを感じた。


『どうせこっちの仕事は真面目にやってないんだろ?』

『副業できるくらい暇なんだよな? この仕事明日までに片付けといてくれる?』


 そんな言葉をかけられ続けた。いまの時代なら、これはパワハラになるんだろうね。上司がそんな態度だったせいか、一緒に仕事をしていたメンバーも俺に対する態度が段々と高圧的になっていった。


 仕事を辞める決意をしたのは、そんな会社勤めが1年ほど続いた頃。それは動画投稿を始めて5年目のことだった。


 鬱になりかけていたのと、会社の給料をワオチューブの収益が上回ったこともあり、妻と相談して会社を辞めることにした。


 退職金は意外と大きい額をもらえたし、ワオチューブの収益も着実に増えていっているため、会社勤めの収入源がなくなったとしても金銭面で不足はなかった。


 ただ、ワオチューブが突然サービスを終了したり、規約が勝手に変更された場合収入源がなくなってしまうという不安はあった。会社と違うのはそういう面でこちらが圧倒的に弱い立場にある点だ。


 だから、会社を辞めてからというもの、俺は会社に使っていた時間をそのままワオチューブにつぎ込んだ。


 稼げるときに稼いでおく。サラリーマンが一生かけて稼げる額はたしか2億だったか。まずはそこまで全力で駆け抜ける。


 そんなことを思って、朝から晩までゲームを実況。


 ネットでトレンドを把握して。


 難しいゲームの情報をチェックして。


 半日近くを動画編集にかけて。


 動画の更新間隔も短くして。


 他のすべてを犠牲にして。


 頑張って、頑張って、頑張って、頑張って──


「──いい加減にしてっ!!」


 そんなある日のことだった。家族で夕飯を食べていると、娘の│あかねが大きな声を上げた。


「どうした茜? いきなりそんなに大きな声を上げて」

「どうしたじゃないよ!!」


 俺が何のことかわかっていないのをみて、茜が苛立つ。が、一度深呼吸をして落ち着いてから俺に問いかけてきた。


「今日、何の日か覚えてないの?」

「何の日?」


 なんだろう、一体何の日だったっけ?


「今日はお母さんの誕生日でしょっ!?」

「っ!?」


 瞬間、自分の血の気が一気に引くのを感じた。妻の│あずさを見ると、うつむいていて、顔色を伺うことはできない。


「なんで、覚えてないの?」


 茜が詰めてくる。


「い、いや、すまない。最近ちょっと、忙しくて……」

「忙しくて? ゲームして、遊んでるだけでしょ? それが忙しいって何?」

「……」


 返す言葉も見つからなかった。会社を辞めてから曜日感覚も日付感覚もなくなって。


 でも、大切な日はスマートフォンのカレンダーに通知が来るよう設定しているはずだった。茜と梓の誕生日も当日とその一週間前には通知が入るよう設定して、プレゼントもいつもは準備できていたのに。一週間前の通知にすら気づけなかった。


「ごめん、言い過ぎた」


 茜が一言謝った。


「お父さんが私達のために頑張ってくれてるのはわかってる。でも、ちょっとひどいよ……」

「すまない」

「私に謝ってどうするの……」

「梓、すまなかった」

「ううん、いいの。アキラくん。頑張ってたから」

「……本当にすまない」

「でも……」

「でも?」


「いったん落ち着いたほうがいいかも」

「落ち着く?」

「うん。アキラくん、最近ちょっと切羽詰まってるような、そんな感じがするの。お仕事を辞める直前と同じ顔してるよ、今」

「……」

「だから、ちょっと落ち着こう? ゲームをしないでって言ってるわけじゃないの。ただ、うん。落ち着こうよ」

「そうか、そんな顔してたか」

「うん」

「そうか……」


 そう……かもしれない。最近、外にも出てなくて、自分の部屋とリビングくらいにしか行ってなかったから。


 いまやってるゲームが全然クリアできなくて、苛立っていたところもあったかもしれない。


 歳をとっていくにつれて、自分の『難しいゲームをサクっとクリア』という動画スタイルがツラくなってきたと最近思うようになってきたから。


 かっこいい自分を装いたくて。


 華麗にクリアする姿を見せたくて。


 それを装うのに必死になって。


 動画一本を作るのにどんどんどんどん時間がかかるようになって。


 だから、勝手に追い詰められているような感覚に陥っていたのかもしれない。


「わかった。ちょっと落ち着いてみるよ。茜も梓も、ありがとう」

「次やったら口利かなくなるからね」

「気にしないで。でも、私もアキラくんが茜の誕生日忘れたら怒るから」

「ああ。もう二度と忘れないよ」


 家族をないがしろにして、ワオチューブを優先する。そんなダサい男に俺は成り下がっていた。


 まだ間に合うだろうか。


 ご飯をかきこみ「ごちそうさま、おいしかったよ」と声をかけ、食器を片付けると上着を羽織ってリビングの扉に手をかけた。


「ちょっと出掛けてくる」

「「どこ行くの?」」


 変わろう。今からでも。


「いまからケーキ買ってくる」


 まだ間に合うだろうか。

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