第22話 魔銃ブルトガング

 ニコラはこぶしを固く握りこむとアリオへ飛びかかった。一気に間合いを詰めて顔面へ拳撃けんげきを叩きこむ。しかし、渾身の一撃はアリオの眼前で強く弾かれた。



「!?」



 ニコラは跳弾のように跳ね返った右腕を不思議そうに見つめる。こんなことは初めての経験だった。



──僕の攻撃が通じない。魔法で障壁を構築しているな……。



 そのことに気づくとニコラは変わり果てた形相でレイラを睨んだ。



「何をボンヤリしている!? 魔導武装でコイツを攻撃しろ!! 隙を作らせるんだ!!」



 恥も外聞もない。ニコラはレイラへ援護を命じる。しかし、レイラに応じる気配はない。眉根をよせ、苦しげな顔つきで俯いていた。



「おい、どうした!? 僕に必要とされているんだぞ!!」

「……」



 ニコラが叫ぶとレイラはギュッと両手を握りこむ。『愛する人のために友人へ剣を向ける』なんて、簡単に決断できることじゃない。心が愛情と友情の狭間で揺れ動き、二人を止めたいのに声すら出てこなかった。



「頼りにならない女だな。まあ、いいさ。どうせ僕は独りきりなんだ」



 ニコラは忌々しそうに吐き捨てた。翡翠髑髏ジェイド・スカルの能力を限界まで引き出そうとする反動で性格までもが歪み始めていた。かつて抱いたレイラへの恋心まで忘れている。今あるのはアリオをたおしたいという欲求だけだった。アリオを斃せば醜い過去や本音が消え去ると思いこんでいた。


 ニコラは再びアリオとの間合いを詰めて拳撃や蹴撃しゅうげきを放つ。しかし、無数の拳や蹴りがアリオへ届くことはない。アリオとニコラの実力差は明らかであり、ニコラは大人の前で癇癪を起す子供のようだった。



「なぜ、攻撃をしてこない? 僕をバカにしているのか!!」



 ニコラは苛立ちながら叫ぶと両手に魔力を集中させる。両手の拳がバチバチと放電を始めると、身体を捻りながら拳撃を放った。その瞬間、ようやくアリオが動いた。



「稚拙な攻撃だわ」



 アリオが呟くと同時に空間が歪む。伸ばされた右手には回転式拳銃リボルバーが握られていた。銃床じゅうしょうでは鎖に繋がれた翡翠髑髏ジェイド・スカルが揺れている。


 アリオは銃口をニコラの額へ向けるなり引き金を引いた。乾いた炸裂音がしてニコラの頭が後ろへガクンとのけ反った。しかし、ニコラが斃れる気配はない。ニコラは両足に力を入れて踏みとどまっていた。



「くっくっく。こんなものか。拍子抜けするなぁ」



 ニコラは顔を起こすなりニヤニヤと笑った。



「そんな攻撃じゃあ、僕は斃せない。これじゃあ、決着がつかないじゃないか」

「……今のは警告よ」

「警告だって? 僕も『世界時計エディンの欠片』の持ち主なんだ。変な強がりは……」



 余裕の笑みを浮かべていたニコラはギクリとして言葉を呑みこんだ。いつの間にか、アリオの隣には青い宮廷ドレスを着た女が立っている。女はアリオと同じように回転式拳銃リボルバーをかまえていた。



──だ、誰だ!?



 ニコラが目を見開くとアリオはクスリと口元をゆるめた。



「『世界時計エディンの欠片』を持つあなたには見えるのね。隣にいるのはアリア・トーマ・クルス。かつて世界を席巻せっけんしたフェルヘイム帝国の宮廷魔術師……わたしのお姉さまよ」



 アリオが右手で銃をかまえるとアリアも同じように左手で銃をかまえる。隣り合う二つの銃口がニコラをとらえた。



「わたしの魔銃ブルトガングはアリアお姉さまが創り出したもの。お姉さまの魂が宿り、『世界時計エディンの欠片』のなかでも異彩いさいを放つ。ああ、お姉さま……一緒に戦えて光栄ですわ」



 アリオはささやくと同時に引き金を引いた。すると、アリアも引き金を引く。二つの銃口からは眩しいほどの閃光が放たれた。閃光はまじり合い螺旋状となってニコラの胸を貫いた。胸にはぽっかりとした穴が開き、どくどくと血が噴き出ている。ニコラは悲鳴をあげる暇すらない。目を見開いたままゆっくりと仰向けに倒れた。



「ニ、ニコラ!!!!」



 レイラは慌ててニコラへ駆けよった。ニコラの瞳孔は散開し、呼吸も止まっている。人間としてのニコラは最期を迎えていた。



「そ、そんな……」



 レイラは力なくその場に膝をついた。覚悟していたこととはいえ、いざその瞬間を迎えてみると絶望感に打ちのめされる。父、ネイト、そしてニコラ……愛する存在はレイラを置いて消えてゆく。



──ニコラ、わたしを一人にしないで……。



 レイラがそう願った瞬間だった。ニコラの胸部に穿うがたれた穴が塞がり、骨、筋肉、血液までもが再生してゆく。目を見張るレイラの前で。ニコラはゆっくりと立ち上がった。肌は浅黒く変色し、浮き出た緑色の血管は身体中に伸びている。眉を吊り上げる顔つきは禍々しい魔人そのもので、以前のニコラとはまるで別人だった。


 『世界時計エディンの欠片』は『死』すら許さない。ニコラは再び拳をかまえ、息を荒げながらアリオへにじりよってゆく。レイラは立ち上がり、両手を広げてニコラの前へ立ち塞がった。



「もうやめて!! ニコラじゃアリオに敵わない。翡翠髑髏ジェイド・スカルを外して!!」



 レイラは懇願した。苦しそうに顔を歪めながら、変わり果てたニコラの顔へ両手を伸ばす。目に涙を浮かべながら、ニコラの顔にかつての面影を探した。



「もういいよ……もう、十分だよ。翡翠髑髏ジェイド・スカルを外して……もとのニコラに戻ってよ……」



 レイラは消え入りそうな声で言葉を絞り出した。そして、少し背伸びをしてニコラの唇に自分の唇を重ねる。短い口づけが終わると悲しげにニコラを見つめた。



「きっと、まだ間に合うから……」



 レイラは眉をよせながらささやくと、愛おしそうにニコラの頬をなでる。そして、ニコラの耳で鈍い輝きを放つ翡翠髑髏ジェイド・スカルへと手を伸ばした。翡翠髑髏ジェイド・スカルさえ外してしまえば元のニコラに戻る……そう信じていた。



「……」



 ニコラはレイラを見下ろしながら不思議そうに首を傾げていた。かと思うと次の瞬間、大きく口を開けてレイラの細く白い首筋へ噛みついた。肉が裂け、骨の砕ける音がする。鮮血を吹き上げながらレイラは口元を微かに動かした。



「愛してる」



 レイラは確かにそうささやいたが言葉はもはや声にならない。ただ、その瞳は光が消える最期の瞬間までニコラを見つめていた。やがて、レイラの身体は『ネオ・カサブラン』の屋上に力なく転がった。



「あーあ。手加減なんかするから……最初から本気を出せばよかったのに」



 傍観者を決めこんでいたセーレはアリオを見下ろした。



「『レイラお姉さまのためにニコラを殺さない』という傲慢な考えが、結局はレイラお姉さまを死へと追いやったんだよ。アリオは神にでもなったつもり? 思い通りになるとでも思った?」



 セーレはどこか責めるような口調で問いただす。アリオはニコラから目線を切らず、口元だけを動かした。



「少し黙ってて、セーレ・アデュキュリオス・ジュニア」

「わかったよ。でも、本気を出すなら街を消し飛ばさないように気をつけてね♪」

「ええ……そうね」



 アリオの眼差しが一段と鋭くなった。榛色はしばみいろの瞳が恐ろしいほどに冷たく輝いている。アリオは魔人と化したニコラへ再び銃口を向けた。



「『世界時計エディンの欠片』に取りこまれた哀れな人間。今度は手加減しない」



 アリオの心の奥底では自分への激しい怒りが渦巻いている。アリオは甘かった自分とニコラを呪いながら呪文を唱えた。



いにしえ戦乙女ワルキューレ、アリオ・トーマ・クルスの名において命ず。天を駆けるいかづちよ、天界を統べる神々の怒号よ、猛り狂う雷撃となって今ここに集え。咆哮ほうこうを放ち、我が敵を恐怖せしめよ」



 アリオが呪文を唱えるとヴィネア中の空気がぴんと張りつめた。人々は登山でもしているかのように気圧の変化を感じて空を見上げる。晴れ渡った空には幾つもの巨大な魔法陣が出現していた。円形の魔法陣には緑色の幾何学模様が浮かび上がり、グルグルと回転している。


 異様な雰囲気に気づいたのはニコラも同じだった。ニコラは両手を天にかざし、こちらも魔法で対抗しようとする。かざした両手の先には巨大な火炎球が出現していた。



「う゛ぅッ!!!!」



 ニコラは言葉もままならい。それでも、アリオへ向かって思いきり火炎球を投げつける。その瞬間、アリオも引き金を引く。隣ではアリアも同じように引き金を引いていた。


 空気が弾け、大気が震えた。雷鳴が轟音となって響き渡り、空を切り裂くまばゆい光が魔法陣から放たれる。数多あまたの光はアリオとアリアの銃口に集積されたあと、一直線にニコラへと向かう。火炎球も、ニコラも、光に飲みこまれて消え去った。すべては一瞬のできごとだった。



×  ×  ×



 雷鳴は遠雷となってまだ轟いている。超上位魔法の影響なのか、ニコラ・サリンジャーが消えた『ネオ・カサブラン』の屋上にはポツリ、ポツリと天気雨が降り始めていた。


 魔銃ブルトガングを握りしめるアリオはふと、隣に佇むアリアへ視線を向けた。アリアもアリオを見つめているが、その表情はどこかもの悲しげで、同じ榛色はしばみいろの瞳には例えようのない憂いをたたえていた。



──アリアお姉さまもレイラの死を悲しんでいるのですか……?



 アリアはアリオと悲しみを共にしているのかもしれない。アリオは語りかけたかったが、なぜかいつものように言葉が出てこなかった。やがて、魔銃ブルトガングが消えるとアリアも同じように消え去った。

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