最終章 世界時計の欠片

第15話 炎01

 『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』の実力者、ダヴィデの死はまたたく間にヴィネアの暗黒街へ知れ渡った。暗黒街の顔役たちは『あのダヴィデが死んだ!?』と驚きつつ、どこかで納得もしていた。


 『ささやかな森の憩いドルデン・パリヤ』での凶行も漏れ伝わってきている。顔役たちはカルナン連合やビッグシックス……が本腰を入れて『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』を潰しにきたと勘違いした。誰もアリオやレイラの仕業だとは考えていなかった。

 

 しかし、数日たつとダヴィデの死因が特定され、同じ『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』のレイラに殺されたと判明する。レイラ自身も姿を消したことで真相は不明だが、実力者が二人もいなくなったことに変わりはない。当然のように『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』からは抗争を恐れて離脱者が相次いだ。


 あれだけ忠誠を誓っていた部下たちも次々といなくなり、『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』はもはや組織のていをなしていない。今、暗黒街では『ニコラもほどなく殺される』という噂が囁かれている。ただ、当のニコラは何事もなかったかのように市役所へ出勤していた。昼休みになると中庭にある喫煙所へ入り、内ポケットからタバコを取り出して火をつける。



── 『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』も意外とあっけないものだな。恐怖という鎖は、人を支配するには有効だが繋ぎとめるには脆すぎる。



 ニコラはまるで他人事のように考えながら煙を吐き出した。煙はゆらゆらと頼りなく揺れて換気扇へ吸いこまれる。跡形もなく消え去る姿が自分と重なって見えた。



──結局、僕は何をやっても上手くいかない。真面目に働けば罵られ、裏社会を牛耳れば蔑まれる。何も得ないで簡単に消えてゆく……。



 そこまで考えるとニコラは根本的な問題に気づいた。『何か』が欲しいという欲求が心と身体を支配しているのに、願望の正体がわからない。いや、かつては知っていたはずだが、今となっては思い出すことができなかった。



──僕は何を求めているんだ? 何を手に入れれば満足するんだ?



 ニコラが自問していると喫煙所にオルビオが入ってきた。オルビオはどこか苛ついており、ニコラをみるなり眉を顰めた。



「ニコラ、のん気にタバコを吸うなんていい身分だな。ほら、火をつけろ」

「……」



 ニコラは頷くと無言でオルビオのタバコへ火をつける。オルビオは灰色の煙をニコラの顔へ吹きかけた。



「お前が音楽祭で迷惑ばっかりかけるからよぉ。ヘレナちゃんに嫌われちまったじゃねぇか。せっかくレイラのチケットまで取ってやったのに」



 ヘレナと揉め事でも起こしたのか、オルビオは不機嫌そのままニコラをなじった。



「ったくよぉ。DJだか何だか知らねぇが、あんな誰にでも股を開いてそうな女の何がいいんだ? 少し批判したくらいで怒りやがって……」



 オルビオはすべてが面白くないらしい。レイラのことまで口汚く罵った。その瞬間、ニコラの目つきが鋭いものへと変わる。ダヴィデなら視線の意味に気づいて震え上がるところだが、安穏あんのんと生きてきたオルビオはニコラの危険性に気づかなかった。それどころか、ニコラの反抗的な態度を見てますます不機嫌になる。



「あ? その目つきはなんだ? 俺に喧嘩でも売ってんのか?」



 オルビオはタバコを灰皿へ勢いよく投げ捨てる。 そして、ニコラの顔面へ拳を向けた。



「ニコラ、調子に乗ってるとコレだぞ?」



 オルビオが凄むとニコラの目から鋭さが消えた。オルビオは勝ち誇った様子でニヤニヤと笑い始めた。



「今さら遅いからな。よし、これからオルビオさまが教育してやる。気合を入れてやるから顔を出せ」



 オルビオは周囲に誰もいないことを確認して命令する。ニコラは不思議そうに首を傾げながら初めて口を開いた。



「オルビオさんは僕を殴るのですか?」

「そうだ。教育的指導ってヤツだ」

「……」


 ニコラはシャツをまくるオルビオを見ながら続けて質問した。



「殴ると指導になるのですか?」

「うるせぇな……まあ、ぶっちゃけ、殴りたいから殴るんだよ。文句あるか?」



 オルビオはニコラを舐めきっている。後で問題になるなんて考えていない。ニヤニヤと笑いながら本音を口にした。さぞかしニコラは怯えているだろうと期待したが、意外にもニコラは平然としていた。



「そうですか。オルビオさんは欲望に忠実なんですね……ふふ、ふふふ。あはははは!!」



 ニコラは急に笑い始めた。肩まで震わせて面白そうに笑っている。オルビオはバカにされていると思いこみ、ニコラの胸倉をつかんだ。



「ニコラ、てめぇ!! バカにしてんのか!!」

「いいえ、感心しているんです。オルビオさんはちゃんと自分の欲望を知っている。自分自身と真面目に向き合っている証拠だ。素敵じゃないですかぁ~」

「う……」



 ニコラの笑顔を見ていたオルビオは背筋に悪寒が走るのを感じた。ニコラは目を糸のように細め、口元は目じりまで吊り上がっている。オルビオがたじろいで手を放すと、今度はニコラの方から顔を近づけてきた。



「ホラ、殴っていいですよぉ~」

「いや……もういい」

「だめだ!! ちゃんと殴れ!!」



 突然、ニコラは声を荒げ、右手でオルビオの喉元をわしづかみにした。オルビオは驚いて手を外そうとするが、ニコラの力は人間とは思えないほど強かった。



「さあ、僕を殴るんだ!! 暴力を振るうなら、必死になって振るわなければならない!!」



 ニコラはそのままオルビオを喫煙所を囲う壁へ押しつける。オルビオは足が地面を離れ、息ができなくると慌ててニコラの手首を両手でつかんだ。必死になってもがくが、ニコラの締め上げる力は強くなる一方だった。



「いいか、殴りたければ殴る、欲しければ奪う……それが暴力の本質なんだ。お前の暴力からは必死さや覚悟を感じない」



 ニコラはさらに右手に力をこめた。オルビオは残る力を振り絞ってニコラを殴った。しかし、どれだけ殴ってもニコラは微動だにしない。それどころか、首を締め上げる力はさらに強くなる。


 オルビオはようやくニコラの恐ろしさに気づいたが、もう遅い。額には血管が浮かび上がり、目も真っ赤に充血してゆく。やがて、ばたつかせていた足は動かなくなり、手もだらんと垂れ下がる。ニコラが手を放すとオルビオの身体はその場に力なく転がった。

 

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