最終章 世界時計の欠片
第19話 炎01
『
『
しかし、数日たつとダヴィデの死因が特定され、同じ『
あれだけ忠誠を誓っていた部下たちも次々といなくなり、『
── 『
ニコラはまるで他人事のように考えながら煙を吐き出した。煙はゆらゆらと頼りなく揺れて換気扇へ吸いこまれる。跡形もなく消え去る姿が自分と重なって見えた。
──結局、僕は何をやっても上手くいかない。真面目に働けば罵られ、裏社会を牛耳れば蔑まれる。何も得ないで簡単に消えてゆく……。
そこまで考えるとニコラは根本的な問題に気づいた。『何か』が欲しいという欲求が心と身体を支配しているのに、願望の正体がわからない。いや、かつては知っていたはずだが、今となっては思い出すことができなかった。
──僕は何を求めているんだ? 何を手に入れれば満足するんだ?
ニコラが自問していると喫煙所にオルビオが入ってきた。オルビオはどこか苛ついており、ニコラをみるなり眉を顰めた。
「ニコラ、のん気にタバコを吸うなんていい身分だな。ほら、火をつけろ」
「……」
ニコラは頷くと無言でオルビオのタバコへ火をつける。オルビオは灰色の煙をニコラの顔へ吹きかけた。
「お前が音楽祭で迷惑ばっかりかけるからよぉ。ヘレナちゃんに嫌われちまったじゃねぇか。せっかくレイラのチケットまで取ってやったのに」
ヘレナと揉め事でも起こしたのか、オルビオは不機嫌そのままニコラを
「ったくよぉ。DJだか何だか知らねぇが、あんな誰にでも股を開いてそうな女の何がいいんだ? 少し批判したくらいで怒りやがって……」
オルビオはすべてが面白くないらしい。レイラのことまで口汚く罵った。その瞬間、ニコラの目つきが鋭いものへと変わる。ダヴィデなら視線の意味に気づいて震え上がるところだが、
「あ? その目つきはなんだ? 俺に喧嘩でも売ってんのか?」
オルビオはタバコを灰皿へ勢いよく投げ捨てる。 そして、ニコラの顔面へ拳を向けた。
「ニコラ、調子に乗ってるとコレだぞ?」
オルビオが凄むとニコラの目から鋭さが消えた。オルビオは勝ち誇った様子でニヤニヤと笑い始めた。
「今さら遅いからな。よし、これからオルビオさまが教育してやる。気合を入れてやるから顔を出せ」
オルビオは周囲に誰もいないことを確認して命令する。ニコラは不思議そうに首を傾げながら初めて口を開いた。
「オルビオさんは僕を殴るのですか?」
「そうだ。教育的指導ってヤツだ」
「……」
ニコラはシャツをまくるオルビオを見ながら続けて質問した。
「殴ると指導になるのですか?」
「うるせぇな……まあ、ぶっちゃけ、殴りたいから殴るんだよ。文句あるか?」
オルビオはニコラを舐めきっている。後で問題になるなんて考えていない。ニヤニヤと笑いながら本音を口にした。さぞかしニコラは怯えているだろうと期待したが、意外にもニコラは平然としていた。
「そうですか。オルビオさんは欲望に忠実なんですね……ふふ、ふふふ。あはははは!!」
ニコラは急に笑い始めた。肩まで震わせて面白そうに笑っている。オルビオはバカにされていると思いこみ、ニコラの胸倉をつかんだ。
「ニコラ、てめぇ!! バカにしてんのか!!」
「いいえ、感心しているんです。オルビオさんはちゃんと自分の欲望を知っている。自分自身と真面目に向き合っている証拠だ。素敵じゃないですかぁ~」
「う……」
ニコラの笑顔を見ていたオルビオは背筋に悪寒が走るのを感じた。ニコラは目を糸のように細め、口元は目じりまで吊り上がっている。オルビオがたじろいで手を放すと、今度はニコラの方から顔を近づけてきた。
「ホラ、殴っていいですよぉ~」
「いや……もういい」
「だめだ!! ちゃんと殴れ!!」
突然、ニコラは声を荒げ、右手でオルビオの喉元を
「さあ、僕を殴るんだ!! 暴力を振るうなら、必死になって振るわなければならない!!」
ニコラはそのままオルビオを喫煙所を囲う壁へ押しつける。オルビオは足が地面を離れ、息ができなくると慌ててニコラの手首を両手でつかんだ。必死になってもがくが、ニコラの締め上げる力は強くなる一方だった。
「いいか、殴りたければ殴る、欲しければ奪う……それが暴力の本質なんだ。お前の暴力からは必死さや覚悟を感じない」
ニコラはさらに右手に力をこめた。オルビオは残る力を振り絞ってニコラを殴った。しかし、どれだけ殴ってもニコラは微動だにしない。それどころか、首を締め上げる力はさらに強くなる。
オルビオはようやくニコラの恐ろしさに気づいたが、もう遅い。額には血管が浮かび上がり、目も真っ赤に充血してゆく。やがて、ばたつかせていた足は動かなくなり、手もだらんと垂れ下がる。ニコラが手を放すとオルビオの身体はその場に力なく転がった。
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