三十七膳目 「とうもろこしの擬製豆腐」
「陽平さん、次は何作るの?」
「うーん、まだ決めてないんだよね」
「さっき見てた本は?」
「あぁ、それ?」
陽平が背後の調理台に置いてあった本を指差す。
「昔買った料理本だよ。読みたければ読んでいいよ」
和樹が試しに手に取り、パラパラとページをめくる。が、料理人向けの活字だらけの料理本に、和樹はろくに目も通さずに本を閉じてしまった。
「いや、遠慮しとくわ」
「和樹、ホントに活字苦手だな」
「だって、料理本なのにほとんど文字しか書いてないんだもん」
「その本古いからなぁ。でも、昔の料理本とかみんなそんな感じだよ」
「へぇー」
「ねぇ、次メイン作るけど、肉と魚ならどっちが食べたい?」
「うーん、どっちでもいいや」
それが一番困るんだよ!、と陽平は一人心の中でツッコミを入れる。
「んで、どっちなの?」
「うーん、どちらかと言えば肉の気分かな」
「珍しいね」
無類の魚好きの和樹なのである。
「確かにそうかも」
おもむろに陽平は冷蔵庫を開け、中に入っている食材を確認した。一通り確認すると、陽平は一度冷蔵庫を閉めた。
「よし、作ったことないけど、俺が考えた料理作っていい?」
「ダメって言っても作るんでしょ?」
「まぁ、ね」
「で、何作るの?」
「とうもろこしの
「ぎせーどーふ?」
聞いたことない言葉に、和樹は首を傾げる。
「豆腐料理の一種だね」
「肉料理じゃないの?」
「豆腐ベースだけど、鳥のひき肉入れるよ」
「どんな料理か想像つかないわ」
「かき揚げ結構油っこかったから、次はサッパリとした感じで」
陽平はさっきまで使っていた蒸し器をもう一度コンロに据える。底の鍋に、なみなみと水を注いでいく。
「またそれ使うの?」
「本当は焼いて作る料理なんだけど、今回は蒸しちゃおうと思って」
「えーめんどくさそー」
和樹の抗議を気にも留めず、陽平は調理台の上に必要な食材を並べていく。主となる豆腐や鶏ひき肉の他にも、陽平は人参や椎茸など冷蔵庫に残っていた野菜も一緒に並べている。
「さ、これで全部かな」
「俺はもう今日の分は働いたからね」
「これも俺一人で作れるから大丈夫だって」
「ただ、」
「まさか…」
「残ったヒゲ、全部フライパンで乾煎りにしといて」
「えっ、ヤダ」
食い気味に和樹が言う。
「さっきお茶作るって言ってたじゃん」
「いや、俺はそんなこと絶対聞いてない! いーや、全く聞いた覚えがない!」
「あと、残しておいた皮も、適当な大きさに切ってから煎っちゃって」
陽平は和樹の言葉に耳を貸す気はない。
「えー、皮なんか何に使うのさ」
「それは後のお楽しみ」
「全然楽しみじゃないんですけど!」
「急がないし、ゆっくりでいいからさ……」
「『今日はもう仕事頼まない』って言ってたじゃん!」
いつもならぶつぶつ言いながらも素直に従うのに、今日はやけに強情だ。やはり長距離運転して本当に疲れているのかもしれない。
「……わーったよ。俺が自分でやる」
仕方なく陽平が折れ、まな板でとうもろこしの皮を切り始めた。形を揃える必要はないので、陽平は適当なざく切りにして皮をボールに放りこんでいく。それを切り終えると、今度は擬製豆腐の下ごしらえを始めた。
野菜や椎茸を全て細切りにし、それをひき肉と胡麻油を垂らしたフライパンで油炒めにする。その合間にボールに卵を二つ割りほぐし、木綿豆腐を一丁丸々加えてゴムベラで練り合わせていく。油炒めに火が通ったら火から下ろし、それもボールの中に加えて醤油や味醂などの調味料と共にさらに混ぜ合わせていく。その様子を、いつものように和樹は飽きもせず踏み台に座って見ている。
「本当に疲れてるなら、ソファー行ってていいよ」
「いや…、ここにいる」
「それなら手伝ってほしいんだけどな」
「それはヤダ」
「わがままだなぁ」
陽平は調理器具をしまっている棚から正方形の流し缶を取り出すと、サッと水にくぐらせた。ステンレス製のこの器具には中底がついていて、それを持ち上げることで形を崩さずに中身を取り出すことができるのだ。
流し缶の底一面にむいたとうもろこしを敷き詰めると、陽平はその上に先ほど作った生地を流し入れた。流し缶の底に溜まった気泡を抜き、湯気の出てきた蒸し器の中に水平を保ったままそーっと置く。水滴が擬製豆腐に落ちないようフタをタオルで包み、陽平はゆっくりと蒸し器のフタを閉めた。
「卵が固まるまでだから、十五分もすれば蒸し上がるかな」
小さなため息をつくと、陽平は休む間もなく小さめの鍋を引っ張りだし、擬製豆腐にかける醤油あんを作っていく。小鍋で醬油を入れた出し汁を煮立たせ、水溶きの片栗粉でとろみをつけると、仕上げにおろし生姜を少量加えてコンロの火を止めた。
それから十分後───。
陽平は再び蒸し器のフタを開け、擬製豆腐に竹串を刺した。刺した跡から、透明な汁が染み出してくる。中まで充分に火が通っている証拠だ。
陽平はミトンをはめ、火傷に気をつけながら流し缶を取り出した。少し冷ましてから縁に包丁を入れ、中底を持ち上げる。淡い黄色の生地の中に、所々オレンジや黄色の具材の色が見えた。
形を崩さないように底にも包丁を入れ、豆腐の天地をひっくり返すと、鮮やかなとうもろこしの粒が天面に所狭しと並んでいた。
「よし! 上手くいったね。和樹も見てみてよ」
「うわぁ、キレイだね」
思わず感嘆の言葉をもらす和樹に、陽平は満足気な表情を浮かべる。
「さ、切れ端食べてみな?」
包丁で切り分けたそばから、陽平は手づかみで擬製豆腐を和樹に渡す。
「あんが鍋に入ってるから、それ少しつけてみな」
言われた通りに、和樹がスプーンであんを少しかけてから切れ端を口に入れた。
「どうよ?」
「……豆腐って名前だけど、結構味しっかりしてるんだね。とうもろこしの甘さとか肉の味もするし、食べ応えある」
「だろ? どーよ、俺が即席で考えた料理は」
「美味い!」
和樹の言葉に、陽平は浮かれていた。
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