4‐6 ディーク監禁


(さて…と、問題はこれからどう動くかだ)


ディークは三日前に新しく移された部屋の中で考える。前の部屋より二倍ほど広く椅子やテーブル、本棚など必要最低限の家具も揃っている。

食事の件もイディオが言っていたように寸分の互いも無かった。野菜はともかく新鮮な肉を食べたのなんて何年ぶりだろう?

正直に言えば軟禁生活なのだが、暇をもてあます事も無い。特に本棚に納められたいくつもの書籍は読めない言語もあったが、

退屈を紛らわせるには丁度よかった。読書好きで博学なノエルあたりが居れば喜んで引きこもったかもしれない。

それだけではなく記録メディアの端末さえ渡されて、過去の記録映像やシール・ザ・ゲイトの大まかな構造などは把握できた。

流石に細かい場所は明らかにされず、意図的なものを感じずには居られないが外に出られないこと意外は悪くない待遇ではある。


(どこぞの辺境で活動しているインチキ宗教団体なんかは、敵対者を洗脳するのに似たような手段をとるとは言われているんだが…)


それにしては、手が込みすぎている気がする。少なくともディークはここ数日間の間で変な手術を受けたり、拷問を受けたわけではない。

あのイディオと名乗る青年が訪れてから待遇はむしろ良くなっていると言ってもいいだろう。

彼には感謝の気持ちもあるが、無論今の状況を受け入れがたい気持ちも抱いている事は確かだ。

だが今は特にやる事は無い。外に出る事は許可されていなかった為に体が鈍っている感覚はある。

毎日の鍛錬が継続の力に繋がるとはレオスの言葉だった。その通りだとディークも感じるので部屋の中でトレーニングはしている。


(時間は昼飯前か…少し腕立てでもするかな?)


左腕を背に当てて、右手の親指だけで体を支えての腕立て伏せ二百回。これを朝昼夕三セット実行する。

別に今から始めたわけではない。ハンターの一員になって情報屋を始める前から自主的に行ってきた事だ。

肉体を鍛える事は苦痛ではなかった。若い内に基礎体力を身につけておかないと後で苦労する。


「1…2…3…4…5…6……」


腕が伸縮すると同時に、体格の割りに逞しい上腕部の筋肉が連動して隆起する。

体重はそこまであるほうではない。むしろリベアのほうがディークより重いほうである。筋肉の割に脂肪が少ないのだろう。

彼女にその事を指摘したら烈火の如く怒り出した為に、口には出さないようにしているが。


「51…52…53…54…55…56……」


ふと、あの少女の顔が脳裏によぎる。イディオは彼女の情報を何かしら掴んでいるのだろうか?

汗が額を濡らし、痕を残しながら頬を滑り落ちていく。暑すぎず寒すぎないこの部屋の空調は完璧だった。

砂漠が近くにある自分達の住む地域では昼夜の温度差が激しい。空調設備に使う電力が無いからだ。

コロニーと呼ばれる場所もこのシール・ザ・ゲイトと似たような環境なのだろうか?


「194…195…196…197…198…199………200。よし!」


息を吐くディークだったがまだ左腕が残っている。支える腕を入れ替えて腕立てを続ける彼は考えた。

あの少女―――甲田怜がいかにしてあの力を得たのか。そして何故彼女が命を狙われるのか? その理由を。


(あいつ…確かに普通じゃないんだよな。妙に大人びていて、あんな光る剣なんか持ってて……)


考えれば考えるたびに彼女の正体が掴めなくなって行く。最初はただレオスの酒場に迷い込んできた無愛想な子供だと思っていたのに、

気が付けば自分はよくトラブルに巻き込まれ、そのたびに彼女に助けてもらっている。

怜が居なければとっくの昔に自分は死んでしまっていたのだろうか? それとも事件に巻き込まれずに平穏な時間を過ごしていたのか?

イディオは怜について何か知っているのだろうか? 彼女を利用する為に自分に声をかけたのだろうか?

この流れにひどく策謀的なものを感じてしまう。何か大きな黒い渦の流れに人知れず巻き込まれていくような。

ゆっくりゆっくりと破滅の中に吸い込まれていきそうな嫌な悪寒がする。


(く…ダメだダメだ……考えれば考えるほど気が滅入っちまう)


ディークは頭を振って自分の中の考えをすっきりさせようと試みた。その弾みで左腕の腕立てが75に差し掛かった辺りで止まってしまう。

とりあえず今は体を動かす事が先決だった。どうせ外にはでれないのだ、怠けるわけにはいかない。

とにかく今は体をだらけさせるには行かないといった風にディークは片腕での腕立てを再開して昼前のノルマを消化したのだった。





「ディーク様。お食事を持ってまいりました」


エアロックのドアが開き。トレイを持ったコーヴと銃を持った兵士二人、合計三名が部屋の中に入ってくる。

当のディークはトレーニングの後にベッドに腰掛けて本を読んでいた。大昔に誰かが書いた詩集だった。

それはすでに数回読み終えており、一部の詩は現本を見なくともそらんじる事が出来る。

トレーニングが終わりちょっと一息ついたところで丁度食事の時間になる。その時は一日の中で数少ない娯楽であった


「おっ、ご苦労さん」


ディークは片手を振ってコーヴに挨拶する。彼も控えめながら微笑を返してきた。

最近では食事中に彼が話し相手になってくれる事もある。そしてコーヴは聞き手上手だった。

こちらの質問に誠意を持ってはぐらかさず、答える範囲で回答してくれる。

情報屋を営むディークもコーヴの聞き方は参考にしたいと思ったほどである。

しかし、今日は表情を険しくして彼に尋ねる。どうしても聞きたい事があったからだ。


「あんたに聞きたいんだが、構わないよな」


「はい、何でございましょう?」


「俺は後、何日ここにいればいいんだ?」


「それは…」


コーヴは人の良さそうな顔を曇らせた。背後の兵士は鋭い視線をディークの送っている。

だが、彼は続けた。歓迎するといわれても閉じ込められたままではあまり良い気分はしないものだ。

用件があるのならさっさとして欲しい。ディークの本音はここからさっさと出たいのだ


「此処の生活は悪くない。だが、俺にも自分の仕事って奴があるんでね

いつまでもここにいるわけにもいかないし、あんたのご主人…イディオ・ウルワさんは何を考えているんだ?

それに甲田怜の事について俺に知らない事まで知っているみたいだ。部外者を監禁し続けて何のメリットがある?」


兵士がディークに銃を向ける。二門の銃口が深遠の闇を覗かせていた。

二人がトリガーを引き絞るだけで、音速を超えた貫通体がディークの体を貫き死に至らしめるだろう。

だが彼等はそうしないはずという確信はある。ディークは彼等の主であるイディオに招かれた大事な客人でもあるのだ

この二人を倒す事も考えたが、無事にこの部屋から脱出できるとして確実に逃げ切るとは思えない。

それほどまでにこの施設は巨大で得体の知れない迷宮のようなものなのである。


「その事について後でイディオ様からお話があると伝えられています

今夜の夕刻辺りに、甲田玲様と名乗る女性と会食を挟んでお話したいと言われております。」


「イディオから俺に…? それにあいつも来ているのか!」


「貴様ッ、言葉を慎め!」


「客人の手前です、お止め下さい!」


自分の主を呼び捨てにされた事が気に食わなかったのか、兵士二人がディークに詰め寄ろうとするのをコーヴが思い止まらせる。

ディークも自分の言葉の選び方が不適切であると反省する。コーヴも含めてこの三人はイディオの部下なのだ。


「…ああ、済まないコーヴさん。迷惑かけてしまったみだいだ」


兵士はディークに睨みを聞かせたが、そのまま銃を収めた。


「ディーク様」


「ん?」


「イディオ様を…よろしくお願いいたします」


コーヴは深々と白髪に染まった頭を下げる。この時のディークには彼がそんな行動をとった理由が分からなかった。






「食事を取らないのですかな?」


口元に微かな笑みを浮かべながら男が尋ねる。口調はあくまでも丁寧に聞こえるが、

その慇懃無礼さは隠しきれるものではなく、ねっとりと絡みつくような響きを顰めていた。


「…別に」


無愛想に少女は答えた。瞳の中には氷のように冷たい光。

まるで、自分の命にも他人の命にも関心が無いようなある目的のために研ぎ澄まされた鋭さと危うさがそこにあった。


「貴方は美しい。外面だけではなく内面の芯の強さがにじみ出ているような女性は滅多に居ない

まぁ、このご時勢だから仕方ないと言っても良いでしょう。誰しもが…コロニーの上流層ですら生きる事に必死なのです

人間は大抵自分が大事なのです。他人を蹴落としてもパンを求めることは日常茶飯事なのですから

貴女のような強さを持った人間はかなり少なく、選ばれた者であると言っても過言ではありません。

ですが少し不器用です。私達と道を同じくすればもっと上手に本懐を遂げる事が出来るでしょう」


「……」


無言のまま黒い外套を纏う女――――甲田怜はジルベルを睨み返した。

視線の中には明らかな侮蔑と絶対零度の殺気が混じっている。ノエルに看病されていた時の彼女とはまるで正反対だ。

その変わりようは殆ど別人である。どちらが本来の彼女の姿なのかは本人以外…いや、彼女すらも判らないのかもしれない。

メイド服を着た給仕の女は怜の冷たい視線に当てられたのか、萎縮し怯えた顔をして近づこうともしない。


「我が主、イディオ様が夕方に貴女に見せたいものがあるそうですよ

そうそう…それに確かお友達も招待しております。Cクラスのハンター【銀狼】のディーク・シルヴァ」


「…それで?」


一呼吸、間を置いて興味なさそうなに怜が聞く。ジルベルの言っていたことは本当だった。

彼はそれを交渉の材料にしようとしているのだ。自分が蹴る可能性が高いという事も知らずに…


「貴女ならば私含めた部隊全員を相手にしても、突破できるかもしれません

故にこうした手段を取らせていただきました

判りますか? 言うなれば肉の鎖というものです。古典的な手法ですが、無粋な表現をすれば人質という事になるのでしょう

断れば彼がどんな目にあうことやら…判っているはずです。今は食事を用意して、個々の機密に触れない程度の文献を与える好待遇で軟禁状態に置いていますがね」


怜は無言のまま、ジルベルに向ける視線を強くした。自分には関係無いのだ。

此処にきたのはあくまでもコロニーに潜入する手段と情報を獲得するためであり、彼を助けるために来た訳ではない。

今まではついでに助けただけに過ぎない。彼の命など、復讐という目的の前には安いものだった。

心の一部が悲鳴を上げているような気がする。それを黙殺して怜は無言を貫き通した


「ククッ。貴女も見た通り薄情者ですね。彼は一見したところ善良な青年に見えます

まぁ、少し食わせ者なところは有りますがどうやって貴女みたいなのに引っかかったんでしょうねぇ?」


「人質…脅し……卑怯な手を使う輩は大概似通ってしまうものなのね」


侮蔑をあらわに怜が整った顔を歪ませてもジルベルは余裕を崩す事は無かった。

割り切っているとか、仕方が無いとかそういった美意識の問題ではない。この男は今の状況を心から楽しんでいるのだ。


「心外な…我々だってこんな手段は取りたくないのですよ。ですがアウターやコロニーに比べるとこちら側の人的資源というものは

あまりにも少ない。いくらコロニー側に対して若干の技術的なアドバンテージがあるとはいえ戦力差をひっくり返すのは至難の業です

万が一の事を考えて此方には【切り札】が有るのですが。やはり出来る限りの手は可能な限り打っておかないと

この、シール・ザ・ゲイトがアウターでもコロニーでもないイディオ様を元首とした一国家として認められるためにはね」


「…コロニーと戦争する気?」


コロニーとの戦争。それは世界を相手にするにも等しい所業だ。

各地に複数存在する銀色のドーム型の天蓋都市。それは人類を地上の汚染された大気から守るためのシールドであり、世界のあらゆる場所で蔓延する「毒素」を予防するための施設だ

もともとは宇宙開発において人類が真空中の無酸素空域で活動するためのシュルター設備で、かつて月面都市や火星開拓計画で使用していた技術の延長上に当たるのかもしれない

尤も、それが全ての人類を守られる為に使われるわけでもなく。あくまでも立場の強いごくごく一部の既得権益者…

特権的な地位にいる者達だけを保護するためのゲットーと化しているのは皮肉ではあったが


「そのように受け取られても仕方ないのでしょうな。しかし、これはあくまでも自衛の為の一手です

我々は直接的な実力行使は望んでおりません。武力介入は交渉が決裂した場合のあくまでも最後の手段なのです」


「コロニーが独立を認めると思う?」


得意そうに言うジルベルだが、そう簡単にコロニーが彼等の独立を認めるとは限らない。


「ご心配なく。それではお友達のほうは我々が責任を持って処断いたしますのでどうかご安心下さい…クク」


ジルベルが口元を吊り上げる。お前が悪いのだと言外に告げていた。

怜は思う。おそらくこの男はディーク・シルヴァの処遇についてかなりの権限を与えられている人間であると

一連の計画も男が主導している気がする。ジルベルはやるといったら有無を言わさず実行する人間なのだろう

部下を易々と見捨てようとした事からもこの男の冷淡さが伺える。用済みになったディークが殺される可能性も高い

一瞬だが、ノエルの顔が過ぎった。ディークの大切な人間、どことなく【姉】に似ているその面影――――やはり自分は甘さが捨てきれていない


「…行かないとは言っていない」


振り返るジルベル。その顔にはまさに計算通りであると言わんばかりの澄ました笑い


「やはり少し情が残っていたようで安心しましたよ。私も冷たい人間と評された事はありますが、流石に貴女ほどでは有りませんからね」






どうしてあんな事を言ったのか自分でもわからなかった。いや、そもそもディークを見捨てるのならば、あの街でジルベルに鉢合わせしたときに、彼の誘いを断っていればそれで済む筈だったのだ

それでも着いていったのは彼がコロニーに由来する人間の「匂い」がした。だから【獅子の片割れ】に接触できると思ったのだ

ディークが人質に取られているのは予想外でしかない。彼と自分の接点が少しずつ大きくなっていく気がした

だが、ディークに構うのは自分に弱点が出来てしまうという事だ。それよりも大きな目的が彼女自身にはある

それなのにどうしてこうも寄り道をしてしまうのか? そんな甘い感情は当の昔に切り捨てたはずなのに…


「そう…私には関係ない」


まるで自分に言い聞かせているかのように怜は言う。その葛藤こそがまるで冷酷になりきれていない証明のように―――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る