4‐5 イディオ・ウルワ

コロニー政府の最高機関となっているセブンズの一員ディノス・E・アトラスが旧友グランド・S・ノルヴァークの邸宅を訪れたのは、

例のエレオス・ソイルのメインシステムの中枢部がハッキングを受けた事件が発覚して約半日後の出来事だった。

コロニーの「内壁」にて生活必需品の生産・供給を行うソーラ・アトラスの最高幹部としての肩書きをも持ち、

多忙の身であるディノスだが、現在は優先順位の低いいくつかの予定をキャンセルしてまで足を運んだのだ。

彼のそれと比べると簡素な屋敷を見て、ディノスは相変わらずグランドらしいとの感想を抱く。

コロニーの中心部でもグランドの屋敷以上に立派な建物はいくつもある。若年ながらにして政界から半分引退したような彼のそういう所は、

昔から何一つ変わることはない。ディノスが憧れるほどに昔から彼は純粋だった。

今の自分の地位も彼からある程度継いだもののようだ。彼にはあらゆる意味で感謝をしている。


「来客の方でしょうか?」


「ああ、私はディノス・アトラスだ。いきなりの訪問で済まないがグランド・ノルヴァークは居るか?」


「…はい。今、ご案内いたします」


使用人の娘がディノスに一礼する。色素がやや薄い金髪の可憐な若い女だった。

死んだグランドの娘に似ている、と彼は思う。ディノスは友人の家族が事故死した出来事をよく知っていた

それが彼にとって身を引くきっかけだったことも…娘に案内されて屋敷の中を案内されるディノスだったが、

屋敷の全容は頭の中に入っている。大きさの割りに華美な印象の無い派手さを嫌うグランドらしいと思った

そして歩くこと数分、書斎の中にディノスは通された。四方が本棚が配置されその中には分厚い書籍がぎっしりと埋まっている


紙といえばロストメディアだ。今では端末によって情報を簡単に引き出すことが出来る。情報の保管にはそれなりの実績を持つ紙媒体の原点は古い遺跡の壁画に通じるものがあるのだろう

物質的に何かを保管すること。それ自体が資源の無駄とも思えなくも無いのは一般的だが、そういう側面を好むノスタルジー的な友人の感性に、ディノスは共感することが出来た


「久しぶりだな…ディノス」


久しぶりに見た友人の姿は更に皺が増して年老いているように見える、自分より十歳近く年上ではあったが、

年相応というべきかも知れないが若々しいディノスの外見と比べると、どうしても老いを隠し切れない。

そして、目の中に宿る眼光はまだまだ衰えていない。少し梃子摺るかもしれないとディノスは思った。


「次の議会、隠居しているはずの君がフォレストの代理として出席するようだな」


「いかにも。多忙な兄上から直接権限を借り受け代理ということで出る形になる」


「血縁者であり元セブンズの君ならば代行として出るにも異論も少ないだろう。そして…例のハッキングの件について君はどう思う?」


「どう、とは?」


「アウターに通じる人間の仕業と思えないか?」


ある種の『含み』を持たせてディノスが言う。口元は微笑んでいるが目は笑っていない。

友の目の中の光を見て、思わずグランドは奥歯をかみ締めた。癖ではなく意図的な行動だ。


「……何を企んでいる?」


「もし、アウターの人間がそんなテクノロジィを発掘したら我々に対してどう出るか、君の意見が聞きたかった」


「彼らは生きる為で精一杯だろう。何か一物あったとしても潰すのは容易だ、放って置けば良い」


ディノスは目を細めた。歳は四十代半ばだというのに、細かい皺を除けばまだ若々しく二十代後半でも通じる容貌にたいして五十半ばのグランドはすっかり老いてしまっていた

何が彼を此処まで変えたのかと、ある理由にたどり着いてディノスは視線を逸らし目を伏せた。

罪悪感のような感情が自分の中に残っていたのが驚きだ。彼がこのような思いを抱くのはグランドともう一人だけという例外はあるが。

思えば…この二十年色々な事があった。その間隙の時代をかみ締めるようにディノス溜息を吐いた後に告げた。


「いや…冗談だ。連中にエレオス・ソイルの制御回路にアクセスできる量子コンピュータを持っているとは思えんよ。ある一例を除いてはな…」


「禁断の地…シール・ザ・ゲイトが、実在したとでも言うのか?」


「そうとしか考えられまい。まさか二十年ほど前にかつての聖地に送り込んだ調査隊が生きているとはな…」


「ならば、どうするつもりだ? 実在したというのならば話は変わってくるぞ」


「先ほどから、君は質問が多いな。だが、そうなるのも仕方ないのだろう

もっともあれの実在をセブンズにおいても知っている人間は少ない」


「意図が読めないな。何をするつもりなのだ?」


「シール・ザ・ゲイトは旧時代の危険な遺物だ。奴等とアウターが組んでしまえば、我等コロニーにとって脅威となりうる

ここは前もって手を打っておくべきだ。あの調査隊が我々に敵意を持っているかもしれないからな」


「……軍を出すつもりか」


それはかろうじて質問の形式を取っていたものの、ほぼ確定口調で断言しているようだった。

グランドの瞳の中に友人を見透かそうとする光が宿るが、強気に笑みさえ浮かべているディノスの心中までは流石に読み取れない。


「疑わしきものは罰する、疑わしくなくとも脅威となる前に手を打っておく…かつて君がやっていたことだ」


「馬鹿な…憎悪の連鎖を招くぞ。コロニーを窮地に追いやるつもりか? ゲイトの噂が本当なら手を打つべきだが

アウターの人間は生きるのが精一杯、とても脅威などにはなりえない。無駄な反発を招くことになる」


「市民の命を守りたければ武力の行使も必要だろう、貴殿の家族のようになりたくなければ話だが」


冷徹そのままのディノスの口調に何か確信したように、グランドの目つきが鋭くなる。

ディノスの言っている事は理に適っている。コロニーの電力元である生命線と断言しても同意義である、人工発電衛星『エレオス・ソイル』のシステムを掌握する集団は、十二分に脅威になりうる存在なのだ

しかも彼等はセキュリティを突破してハッキングまで行ってきた

此方としては武力介入を前提に遣いの者を送って彼等の是非を聴くことになる。場合によっては実力行使も辞さない


「…………」


「それでは私のほうも議会の準備があるのでこれで失礼する。殺伐とした話題だったが久しぶりに話せて嬉しかった」


ディノスは口元だけ取り繕った仮面のような笑顔を浮かべた。政治家として過ごしてきた時間は長い。

コロニーは間接民主主義ということになっている。最終的に絶大な権力を持つセブンズではあるが、各地の指導者は選挙権を持つ内周の上級市民によって投票がなされ選出される。細かい法律や決まりを定めるのは下院議会だ

世界中に複数建造された各コロニーによって制度が違うのはそのためだ。

尤も、その票の流れも擁立される議員も余す事無く最高議会セブンズの手が回っているのだが。

今のグランドに向けている顔が政治家のそれなのか、心からの感情であるかどうかは自信が沸かなかったが。


「…シール・ザ・ゲイトがまだ生きていたとしたらお前の案には賛成できる

だが、もしアウターの人間がハッキングを行っていたらどうするつもりだ?」


「その時はしかるべき処置をするだけだ。幸いにして我等は今は十分な戦力を擁している

我々はアウターの「条約」違反を何件も見過ごしてきた…が、脅威となる可能性は予め摘んでおかなければならない

それに、【内周】の上流市民も退屈そうにしている。【外周】の人間も軍需で仕事が増えるだろう

彼らの不満は徐々に溜まって来ている。市民のフラストレーションを発散させてやるのも為政者に求められた仕事でもあるのだ、別に問題は無い」


澄ました顔で継げるディノス。彼は表向きに使う清廉潔白の【セブンズの長】としての顔ではなく、

謀略を計る【政治家】本来の顔がそこにあった。その顔がどうしても甥を連想させてグランドは苦い顔を作る

しかし、権力を握る人間とは程度の差はあれ皆そうしたものだ、現役時代に自分だって散々汚いことはやってきた。

そして、そう言った世界に嫌気がさすようになって彼は第一線を退き、あらゆる事を兄に押し付けて半分隠居の身に収まってる

そのだいぶ前に起きた二人の間に起きたある出来事が、彼等の命運を決定づけていた


「…済まないがディノス、あえて異を唱えさせてもらう。私怨で権力を振るうと間違いなく市民は不幸になることを覚えておけ

それに、お前がなんと言おうともワシは信念を貫かせてもらう、たとえお前の言う建前が正論でもな」


ディノスの目にやや不愉快そうな感情が横切った。予め予想していた事態ではある。

どんなに理屈や不安に訴えてもグランドが安易に信念を曲げる事が無い事は解っていた筈なのだ。

昔から彼のそういった性分は変わらない所は、むしろ好感さえ抱くものだったが、

幾先のことを考え手を打っておくべきなのかもしれない、それがディノスにとって最善の選択になるのならば。


「…ならば好きにするがいい」


「ディノス、もう此処に現れるな。お前の姿を見ると思わず剣を抜きそうになってしまう」


ディノスの横顔にとうの昔に失われた『彼女』の面影を見てしまう。彼の娘は確かにありき日のその人物生き写しだった。『彼女』が生きていればあるいは…


「そうか」


厳しい視線を受けたものの、ディノスは振り返らずに手入れは行き届いた質素な廊下を歩いていった。

彼は気付いていたのか? ディノスの知る若き頃のグランドは武道を嗜んでいる者特有の勘の鋭さを備えている。

グランドに頼んで剣術を学んだこともある。護身の事もあったが己を磨くため目的もある。

若き頃のディノスは友と共に歩んでいた。歳は離れていたが彼にとってグランドはよき理解者でありパートナーでもあったのだ。

だが、運命の歯車が全てを狂わせてしまった。その事を後悔するつもりは無い、あれがあったからこそ今の自分が健在なのだ。

しかし、どう足掻こうとも今日こそが友人との別離の日である事には変わりない。

それに、【シール・ザ・ゲイト】を巡る騒動の終結点は彼には既に見えていた。後はそれをどのようにして自ら望む方向に着陸させるかだ。


(ディノス。やはり姉の死がお前を変えてしまったのか…)


ディノスが去った後に、グランドは小さく…まるで想い人に謝るかのように呟いていた

そこにはセブンズの大物ディノス・アトラスと張り合った豪傑の姿は存在しない

たった一人、家族に取り残され生き永らえた老人のように弱々しかった


窓からを空を見上げると青い上空に厚めの雲が差し込んできている

実像では無いそれもこれから起きる波乱を予見するような気がして、グランドは訝しげに目を細めた

どうやら自分には安定した老後を過ごせる暇は無いらしい。これまでの事を思えば当然なのかもしれない

自分がディノスの姉を守れなかったから、彼は力を求めるようになってしまったのだから…







「中東!? そこは今、砂嵐が吹き荒れてるだけの広大な砂漠地帯だって聞いたぜ」


ディークの素っ頓狂な声が部屋に響いた。それだけ彼の驚きようが大きかったのだ

執事服の男性は自分をコーヴ・ティルチと名乗った。


「はい、このシール・ザ・ゲイトは中東で栄えたとある産油国の存在した場所にあるので御座います」


石油。すでにそれも貴重な資源となっている

電池技術の大幅な発展により燃料としての意義を減じた石油であったが、資源としての価値は健在でありその恵みは産油国やその周辺に大きな恩恵を齎し、それが原因の数多くの利権や陰謀…さらに宗教が複雑に絡んで多くの人命が失われた時期もあったという


「失われた砂漠の都って訳か…でも、どうして」


「外の目から此処を守るためで御座います」


「守るって…何処からなんだ?」


「コロニーで御座います」


アウター出身のディークからすればこの場所もコロニーと変わらないように思える。

しかし、疑問に思うところはある。シール・ザ・ゲイトはコロニーと同じく失われたテクノロジィを保有する集団だ。

そして彼らが自分達の知る【コロニー側】でないのなら。さらに複雑な事情が背景に控えているのだろうか?


「…何故だ? あんた方はコロニーの仲間なんじゃないのか?」


「それは…」


コーヴは言葉に詰まったようだった。話すべきか話さないべきか悩んでいるような苦悩の表情を浮かべながら

やはり、無理に聞く事は無いかもしれないとディークは思った。世の中には足を踏み入れてはいけない領域がある

もしかしたら彼の抱えている事情というのも、自分のような部外者が口出しできるような縦横入り組んだものなのかもしれない

情報をタダで得られるのは流石に虫が良すぎる。金銭でそれをやり取りするというのは価値が裏打ちされた証明でもあるのだ


「じい、ご苦労だ。彼には後は僕が話す」


「イディオ様…」


コーヴが護衛と共に現れたイディオと呼ばれた青年に恭しく頭を下げる。青年はディークより頭半分ほど低いが、

臆する事は無くディークの前に立った。今のイディオならばディークが凶器を持っていたとして彼を殺せるかもしれない。

尤も、脇に控える護衛達がそんな事を許すはずも無いだろうしディーク自身もその気は無かったのだが。


「始めまして【銀狼】のディーク・シルヴァ。僕の名前はイディオ。フルネームはイディオ・ウルワ・アリー=ムドーだ

そして此処シール・ザ・ゲイトの責任者でもある。アウター出身のの貴方には判らないかも知れないが、

ここもある意味ではコロニーの一つと思ってくれて差し支えない。此処では別に乱暴な事をさせたりはしないよ

貴方は大切な客人なのだからね。覚え辛い名前だからイディオと呼んでくれて構わない。乱暴に連れて来て申し訳ないね

お詫びとして部屋を綺麗な場所に移そう。食事も…この分だと食べていないようだから最高級のものを用意させよう」


日焼けで少し顔が焼けているディークよりも色の濃い褐色の顔に柔和な少年のようなあどけなさが残っている。

あの黒い衣を纏った少女の事を思い浮かべる。彼女が笑ったところは見た事が無い。

何故、イディオを見たときに彼女の顔が思い浮かんだのかわからなかった。雰囲気は少しも似ていないはずなのに。


「…ああ、俺みたいなBランク下位程度の人間なんてよく覚えているようで…」


「君とは彼女と何回か接触した件でいろいろと話をしたいものだね。後日よろしくお願いするよ」


丁度あの女―――偽名かもしれないがノエルから教えてもらった名前では甲田怜と名乗っていた彼女のことを思い出す

彼女は一見十代の少女に見えるが纏う空気と卓越した戦闘能力は年齢以上のものを感じさせるものであった

一体、怜はあの後どこに消えてしまったのだろう? 彼女を狙っている人間も居るようで心配になる

この少年も怜の事について何かを掴み思惑を抱いているのだろうか? あまり考えたくは無いが彼女を利用する為に自分を連れてきたのだろうか?


(あいつの事か…)


イディオは端正な顔に笑顔を浮かべて右手を差し出してきた。複雑な気持ちのままディークは服の端で掌を拭った跡に彼の手を握った

それに別段不快な顔もせずにイディオは微笑みながら手を差し出してきた。その様子に育ちの良さが覗えた


「よろしく」


今はどのような形であれ協力する素振りを見せたほうが良い。友好的に相手にも隙が出来るかもしれない

脱出ならば自分が連れてこられた機体を奪う事が出来れば可能なはずだが、操縦系統はめっきりわからないがゲイルの所で、機械いじりをやっていたからどうにかなるかもしれない。人間の使う道具というのは操作系にある程度共通性があるのだ

だとしても個々の施設はアウターのそれとは大幅に技術の差がありすぎて、どこまで自分の小手先が通じるのかは不安であった

少し楽観的過ぎる脱出プランではあるが、どんな時にも余裕を持って対応しろというのが師であるレオスの教えでもあった

来るべき機会は粛々と待つしかない。生きてさえ居ればきっとチャンスは舞い込むはずなのだ

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る