3‐2 レオスの教え


ディークは最後の客が店から出て行った後にレオスによって外に連れ出されていた


「これから何するんだ。マスター?」


「体がなまっていたのでな、ついでに稽古を付けてやる。まぁ、俺のリハビリのようなものだ」


「なるほど…模擬戦って奴か。そういえば、あんたと組み手をやるのは久しぶりだったな」


夕日が沈む前の店の裏で、レオスは早々に店を閉めてディークに木刀を投げて寄越す

投じられたそれを片手で受け取る。実戦では殆ど使いことのないだろう木製の長刀はナイフを持つディークの手に余った

柄を握ると意外な重量に体の軸がぶれそうになる。鍛錬は怠っていないが、剣の型というものは毎日練習して定着させるものだと

目の前のレオスが言っていた事だ。そしてディークに反して彼は正眼に構えた木刀の先が全くぶれていない

恐らくディークに示した課題を彼本人も実践しているのだと分かる。一線を引いても万が一また駆り出されるかもしれない

それを抜きにしても、自己鍛錬の側面も多分に有るのだろう。レオスは欲望や力に溺れるダイキンのようなハンターとは対極の人間なのだ


「お前から初手を打ち込んで来るといい。何処からでもかかってこい」


「そうか…なら俺も俺の流儀で好きにやらせて貰うぜ!」


そしてディークが構えたのは腰に模造剣を当てるようなフォームはまるで腰部に下げた刀を抜くかのような体勢だった

それを見たレオスがかすかに目を細めて言う。まるで何かを懐かしむかのように


「ほう、抜刀術か」


何かを思い出した口調でレオスが言う。彼自身教えてはいたもののディークに使うなと厳命していた

確かに刀を持つという事はそれだけで敵に自分の技を晒しているような物である、変異種と対峙したとしても

図体や瞬発力で遥かに劣るのが知恵と道具を使うことに特化した人類のさだめなのだ

そもそも鋭い爪や大木をなぎ倒すパワーを持つ変異種と白兵戦を行うなど自殺行為に等しい

そんな真似が出来るのはディークの知る限りであの少女しか思い浮かばない

五メートル強のエクステンダーを生身で倒すなんて、伝聞は耳にするがディークの直接知る限り、例の一例以外は見た事も無かったが


「確かに、極めれば抜刀術は早い。瞬きの間に敵を切り捨てることも可能だろう

だが…実戦では決闘まがいの一対一で相対する機会など殆ど無い。必ず横槍が入ると言ったはずだ」


「なぁに…ちと思いついちまったのさ」


ディークは意味深に笑う。今彼がそれをしているのはあの少女が武装トラックを両断されたそれに触発されての事である

あの時は赤い光が一瞬だけ煌き、トラックを縦に両断した。どんな刀を使ったのかは知らない

それでも、技を極めるとああいった所業が自分にも可能になるのかディークは興味が湧いたからだ


(出来るのか? 俺に、あいつがやった抜刀が…)


だが、不安でもあった。自分が十年近くかけて辿り着いた場所をあっさりとあの少女が追い抜いていったのが

レオスからすれば未熟者と一喝を喰らって終わる話なのかもしれない。技術より心を鍛えろと叱咤を受けるかもしれない

だからディークは怖かったのだ。自分が弱いと認識してしまうのは仲間を失うより次に辛い事だった

力がなければまた大切なものを失ってしまう…彼はそう考えていた。自分の前から誰かが失うのを恐れていた


「どうした。かかってこないのか?」


「ああ…今、行かせて貰うぜッ!」


ディークは見よう見まね、即席の居合い抜きで師に向かって行く

胸の内の不安は見ないようにして目の前の敵に打ち込む事に集中し、打ち込んでいくのだった







「お前、なぜ抜刀術なんていまさら使おうとしたんだ?」


ディークの抜刀術。それは見様見真似の過去の時代劇にすら及ばない児戯の様なものだった。

無論、全盛期から衰えているとはいえ、レオスにそんなものが通じる訳もなくコテンパンに叩きのめされたのだ。

それでもディークは起き上がってきた。手加減しているとはいえ大したものだ、若さゆえのフィジカルというものが羨ましかった。


「…特に理由は無いぜ。強いて言うならば、俺にも出来るかなって考えていたんだ」


「成る程。ターロンの一団から救われたときに、例の女が使っていたのか?」


「やっぱ隠し事できねぇな…あんたにだけは」


一本取られたディークはレオスの顔を見て苦笑した。やはり十年近く自分に武術のいろはを叩き込んだ師匠だ

自分の考えていることなんて簡単に見抜かれてしまう。そのことが嬉しく頼もしくもあり、また己の未熟さを実感せずにはいられない

鍛錬は欠かしていないはずだった。事実としてハンターに所属して仕事をこなす内にクラスは三つ上がったのだ

叩き上げにしてもそれなりの早さだった。後、数年すれば間違いなく師であるレオスに並ぶと噂されている彼だったが

それが自分の驕りと周囲の嫉妬を買っているのは間違いない。仕事で全力を尽くして死ぬのは本望だが

自分のやらかしたポカで命を落とすのは勘弁だった。それで無関係の他人を巻き込んだら目も充てられない


「この未熟者め…型の形が全くなってないぞ。腰の入れ方も甘い、それに抜刀のタイミングが早すぎる

そして早いと言うわけでもない。同等のCクラスハンター出身の傭兵に使ったらあっと言う間に隙を晒して終わりだ」


「…ならDクラスならいいのか?」


「さぁな、評議会が決めた格付けなんてころころ変わるものさ。それが一定の基準になっていることは確かだが」


「クラスが上がれば強いって事なのか、師匠?」


「普通はそうなる。だが、ランクは腕っ節だけで上昇するわけじゃない

ランクが上がれば上がるほど、危険な変異種が蠢く現場に放り込まれることになる

変異種に比べれば腕っ節のある人間なんて赤子の様だ。デザートスコーピオン程度の中型ならともかく、かなり昔にシベリアに現れたジャイアントグリズリー…そして目撃例が稀で伝説上の龍の元ともいわれる地龍か

そういった人知も及ばない化け物たちに対抗するには、個人の力だけじゃ事足りない人脈、コネクション、統率力も兼ねて上位のランクのハンターにはあらゆる特権が法律で保障されている。尤も、それだけ命を落とす危険性も大きいんだがな」


「俺は、強くなれるのかな…?」


ディークの呟き。それはレオスに向けたものではなく自分自身に問うたものだ

心の甘さ、それは熟知している。技巧さえ上がれば本当の強さが手に入れるのかわからない

だが、レオスはそれを一刀両断。切り捨てるように言った


「あの女に追いつこうとでもしているのか?」


ディークは数秒間黙った後に肯定した


「ああ」


「いいか? 身内でもない女の事を稽古中に考えるような中途半端な気持ちで望むならハンターなんて辞めちまえ

最大級変異種のジャイアントグリズリーや、行方を眩ました元B級の様な裏切り者と戦う場合も有る

ダイキンのように手前勝手な逆恨みで殺しに来る奴だっているんだ。生半可な気持ちじゃいつか死ぬぞ?」


「そんな事は…分かってるよ」


「お前は口ばかりは達者かもしれないが、護身術はからっきしだな。今の俺でも簡単に手玉に取れる

一番鍛えるべきなのは心なんだ。心技体、三つ揃って初めて見えてくるものがある

肉体や技をいくら磨いたところで心が虚ろならば人間はたやすく凶器になり、他の連中に迷惑をかける

死人を悪く言うつもりは無いがダイキンは強かった。しかし奴はハンター以前に人として間違っていた

人間は欲望に弱い生き物だ。ふとした切欠で善人が悪に手を染めることがある。奴の件も…仕方ないのかもしれないな」


「俺が…ダイキンみたいに?」


「今のお前は何か迷っている。そんな状態で強さを目指しても結局は力に振り回されるだけだ

強大な力には何かしら責任と業を背負うことになる。ゲイルやリベアを悲しませるような人間にはなるなよ」


レオスの言葉は厳しい。しかし、それは反面に息子同然のディークに生き延びてほしいと言う想いからである

彼自身もディークがハンターになる事を決めた時、あの気丈なリベアに泣き付かれて止めてほしいと懇願されたこともあった

しかし、それを押し切ったのはレオス自身もハンターでありその誇りを持っていたからだ


「ああ、言われなくてもわかってるさ」


「安心しろ。そういった点でお前に才能はない」


「マジかよ…」


「だが、運だけは並の人間以上だ。ダイキンは腕っ節は確かに折れですらも手を焼いたが、運がなかったからくたばった。だが、お前は違う」


力に溺れそれを振りかざして他者を無理やり自分の意に従わせる。そういった腐った奴らをディークもレオス同様に軽蔑していた

だからこそ、他人を貶めずアウターの人間が団結することを望んでいたのはディークなのだ

自分が組織の一員になることで仲間を守れるならば命も惜しくないと思ってすらいる

十年近くの時間が経過したが、あのときの恐怖や喪失感はいまだ胸の中にこびりついているからでもあった

変異種が多数徘徊する夜間の荒野を駆け抜けたことも…そのときの屈辱の味も


(あいつも…何かしら業や宿命を背負っているのか?)


ディークの脳裏に浮かぶのはあの、黒い外套を纏った女の、無表情だが何か秘めたるものを内包したような横顔だった








ディークは日が橙の残光を照らし、黄金のような輝きを放つ夕方の砂漠で愛機のホバーバイクを走らせていた

遠くから変異種のコヨーテが、自分達のテリトリーを知らせるように野太い遠吠えを響かせている

仮に群れに出会っても、コヨーテ程度の追跡ならば易々と振り切れるはずだと自負してはいる

この前の騒動で不調があったとはいえ多少無理に使っても壊れないように改良してもらっているバイクだが

いつまたトラブルに見舞われてしまうかは判らない。仮にそうなったら大人しく死を受け入れるしかない

アウターでの生活では常に人は危険に晒されており、死は日常であるといえるのだ


『そうだ、お前。最近ノエルに会ったのか?』


『ノエルさんの事か? うーん、最近考える事も無かったからなぁ』


『此処の仕事が一段落着いたら、あいつの所に行って少しばかり手伝ってやれ

俺の事なんて気にするな。後で差し入れのまかないは出す。ノエルも人員が増えて忙しいらしい』


『まぁ…あんたの頼みじゃ断れねぇからな』


レオスの店での会話をディークは思い出していた。『彼女』に会うのは何年ぶりだろうか?

思い出すのは自分より五つばかり年上の柔らかな栗色の髪を持つ柔らかな雰囲気の女性

彼女…ノエル・オードはリベアの友人であり、かつてディークが姉変わりに慕い好意を寄せていた女性なのだ


(ノエルさん元気かな?)


思い出すのはリベアと一緒に砂漠で探検していたときのことだ

七年以上前になるが、彼女は砂漠で珍しい機械を拾ったとディークに自慢していた事があった

幼い対抗心からディークも負けじと砂漠に繰り出してから遭難しかけてノエルが自分の身を省みずに助けに来てくれたのだ

それで二人は助かったのだが、レオスに思いっきりぶん殴られたのは覚えている

リベアもゲイルに同様の仕打ちを受けたみたいで、翌日会ったときは互いの瘤を見てまた笑いあったものだった

そんな二人を当のノエルは微笑ましそうに眺めていたのだ。一番自分が危険を冒したにもかかわらず――――


(彼女には、本当に悪いことをしてしまったな…)


ハンターになる前に彼女に思いを告げようとしたことがある

しかし、出来なかった。本当に危険な目にあったとき自分に力が無ければ彼女を守りきることも出来ない

まあしてや自分はしがない情報屋だった。コネクションや有力なソースを駆使してそれなりの影響力は持ちえても

根本的な腕っ節の強さには繋がらないからだ。昔より強くはなったが、あの時のような悲劇は御免だった

正直に言えば自身が無かったのだ。レオスが選んだように理想も捨てきれず、自分は中途半端な位置にいると自覚する

それに正直言って彼女を独占することは気が引けたのだ。ノエルは孤児院を開き十数人の子供達に勉強を教えている

子供を捨てる人間は大勢居た。経済的な面もあるかもしれないが、女でハンターをやっている人間は仕事の邪魔になるのだろう

主にそういった連中が、自ら生んだ命を守る義務を放棄していた。アウターで生きることは難しく、仕方の無い面もあるだろう

ノエルは彼等の尻拭いを率先して引き受けているのだった。その理由は彼女も孤児だったから

子供達にとって彼女は母であり、太陽のように輝く存在なのだ


(だから、俺なんかの人生と彼女は釣り合わないのさ…)


ディークは自嘲気味な笑みを浮かべた。自分は幸福を謳歌する権利なんてないと思っている

自分を救い…そして死に別れ、散っていった連中の分まで救おうとアウターの為、ハンターのために尽力してきた

そんな自分が向かう先は地獄が尤も相応しいのかもしれない。既に覚悟は決めている

彼は決意を胸に、砂漠の砂塵をマシンで蹴散らしながら目的地へと向かったのである

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