3‐1 毒蛇の牙

「よぉ…この男を知っているか?」


過去にトルコと呼ばれた国の内陸地でアウターの魔窟・現在の暗黒街の片隅で男が浮浪者たちに尋ねて回っていた

ここ一帯はターロンとは別のマフィアが仕切っており治安が悪い。恐喝、暴行、殺人、麻薬、強姦…ありとあらゆる『裏』世界の顔がその一面を除かせている

ゴミや注射器が投げ捨てられた裏通りの一帯には、野良犬が人の手首を咥えて彷徨っている事もある

タ―ロンをはじめとする複数のマフィアも暗躍し、いくつもの犯罪組織が乱立した無法の限りを尽くした地帯

まさにならず者達が群雄闊歩する暗黒街には、アウターの管理者・ハンター評議会すらも手出しを拱き、表立った干渉は不可能だった


灰色のベールを纏った金髪の大男がある人物を探して、負の瘴気漂う街に足を踏み入れ浮浪者に聞いているのだ

何処の人間化は判明しないが、ある意味で命知らずである。この街では単独で出歩こうものなら

腕に自慢のあるハンターの人間であっても数で袋叩きにされた挙句、内臓や眼球といった臓器を抜き取られ

翌日は朝日と共に骸が街門に晒され、その末に変異種の住処に放り込まれ貪られるのだ

加えて、暗黒街の人間はハンターから追い出された無法者も多くマフィアに加担している為に、かの者達への恨みも大きい


「あぁ…あの変態野郎の事か。おらぁよぉーく知ってるぜ…付いてきな兄ちゃん」


あからさまにシミや汚れが目立つボロ布のような上着を被り、頬はコケ骸骨のように痩せた顔立ちなのに眼だけはギラギラとした浮浪者風の男が下劣な笑みを浮かべている

体格の良い大男を裏通りに誘導する。少し広い場所に出た後、まるで合図したように浮浪者の仲間達が取り囲む

数は八人。いずれも汚らしい格好をしているくせにやせ細り、痩せた顔は死人のように青白い肌は張り付いている

その癖に飛び出た目はまるで野獣のようにぎらついており、爛々と妙な光を宿している。そして、腕に見えるのはいくつもの注射痕

見た目から判断するまでもなく浮浪者風の男が堅気の人間でない事は判別が付く。只の乞食がここで生きていける筈が無いのだ


「兄ちゃん…有り金を置いてとっとと失せるんだな。おれ達はヤクを買う金がほしいだけだ…この数じゃ勝てねぇだろう?」


「ン……それだけか?」


体格が良い男の反応は薄い。着てるものは靴や外套の生地一つ見てもそこそこ高価な物に見える

男の浮浪者を装った強盗は狙ったのはそれが理由だろう。経緯は知らないが、この暗黒街に迷い込んだどこぞの金持ちの存在は

格好の獲物だった。だから浮浪者は脅すだけで金目の物が手に入ると皮算用したのだ


「そうだ、早く金目のもの全部置いていけ。あんたは中々に物持ちが良さそうだからな」


やや縮れた癖のある金髪の男は自分を取り囲む状況を分かっていないのか、それとも絶対的な自信があるのか口元に笑みを刻んだ


「ク…フフフ」


笑い声は徐々に大きくなっていく。嘲る様な含み笑いから…大声の哄笑へと


「フフッ…クハハハハハハハハハッ!!」


「おい…兄ちゃん、気でも狂ってんのか? この数で勝てるわきゃねぇだろうがよォ!」


いきなり変わった男の剣幕に怯んだのか、それとも不安を押し殺したいのか…案内した浮浪者が一歩引きながらも強がって見せる


「ちょうど良かったぜ。こっちの方がオレとしてもやり易いんだ…一気に来いよ」


外套の奥から碧眼のまるで野獣のような眼光をたたえた右の瞳が男達を睥睨する。

そのあまりにも自信に満ちた、値踏みするかのような態度に


「な…なんだ? この金髪野朗は……」


挑発に浮浪者を装った強盗団はいきり立つ。中にはナイフや拳銃を持ち出す者も居た

皆が皆、恐れていたのだ。場を支配しつつあるたった一人の大男の雰囲気(オーラ)に圧倒される

後には引けない。それに対する本能的な恐れを押さえ込むように強盗の首領は命令するのだった


「ン…なんだ?逃げてもいいんだぜ。今なら許してやるよ…クズの腰抜け共」


やけにごつい右手のグローブから人差し指が煽るようにクイッと動く。

薬物でまともな理性が破壊された男達は簡単な挑発をも聞き流せない上に

まともな人間なら決して喧嘩を売らないであろう熊のような男に敵意を向ける。


「このクソがあぁぁ…お前達やっちまえッ!」


「ククッ!いいよ…来いよ!」


挑発に乗った浮浪者達が一斉に飛び掛ったが、外套を羽織った大男は余裕たっぷりの笑みを微塵たりとも崩さなかった。






「ふう…ちょいとやりすぎちまったか?」


フードを脱いで癖のある金髪をあらわにした男は左手を握ったり開いたりしていた。

少し精悍さが増したように見えるが、それでいて何処となく欲求不満そうに見える

周囲には血塗れになった強盗達…いやそうだったものが文字通り『散らばって』いた。

逃げたられた者は誰一人としていない、そして男は強盗団が襲い掛かってから一歩も動かなかった

九人のならず者を全てこの男が、血祭りに上げたのだ。リーダーのように命乞いをした者も居たが、性根が気に食わなかったので首を刎ねた


「まぁ、祭りの前の準備運動には程遠いか」


「アナタ…強いわねぇ」


「誰だ…?」


距離が少し離れていたとはいえ気づかれずに自分の背後を取った。その事が金髪の男―――リオンの内面を多少なりとも動揺させる

振り返ると顔中を白く塗り、紫色のルージュを引いたような面妖な化粧を自らに施したであろう、長身細身の男(?)が立っていた

探していた人間であると認めリオンは反射的に構えた戦闘態勢を解き、向き直ったのだ


「まってちょうだいよ…アタシに今、アナタと戦う気なんて無いんだから…」


「お前が元ハンター、セルペンテ・アージェルなのか?」


「ホホ…そうなるでしょうねェ」


その男こそ、リオンが探していた人材だった。腕の程は先程気配を消して忍び寄った事から凄腕と分かる

セルペンテ以外に幾つか宛は探していた。『奴』を消せるとは思えないが実力を測る当て馬程度には役に立つのかもしれない

ハンターだったころから相当の変わり者であると知られていたセルペンテをおびき寄せる為にこうしてバカ騒ぎを起こしたのだ。


「お前は見込みがありそうだな…」


「ふーん。生憎だけどアタシ、今は殺しやってないのよね…新しい毒薬作るのもパス

今、引越しで忙しいのよ。なんだか臭い匂いが付近に漂ってきてるから…

そうね、アンタみたいな人間が運んできた―――戦争の匂いが」


彼の言葉にリオンの凹凸のはっきりした顔立ちが更に深く笑みを作る。


「ほう、鋭いじゃねぇか」


「アンタ、コロニーの人間でしょ?」


「…よく分かったな」


「えぇ…アウターの人間とは違う臭いがするのよ。それにアナタはその中でも更に濃い濃密な香りが…」


セルペンテにねっとりと探るような視線を向けられ、リオンは深い造詣の顔を更に濃くした

彼の猛獣のような光を宿す双眸には暴力を振るう愉しさと、目の前のセルペンテの力量を見定める知性の光が同居していた

ダイキンとは違い自分の立場や場所を弁えた上で、計算して闘争を楽しむタイプ…ある意味では非常に危険な存在ではある

しかし、セルペンテはアイシャドウを塗った目を細め、紫色の口紅が塗られた薄い笑みの形に歪めた

彼もまた、リオンとは違った意味で闘争を楽しむタイプだ。戦争に巻き込まれるのは御免だが

多少の余興程度に付き合っても構わないと言うスタンスだ。退屈な日常より、多少の刺激があったほうが面白いからだ


「お前を探したのはある依頼があるからだ」


「へぇ…何か面白そうじゃない?」


「この女を見つけ次第、殺してほしい」


端末を取り出してセルペンテに見せる。奇しくもジョウグンが持っていたアングルで画像を取り込み解像度を上げ鮮明に姿を映した一枚だ

セルペンテはそれを凝視した。表情にはあからさまに対抗心に燃える様子が見える

嫉妬の炎が彼の胸を焦がしているのだとリオンは気付いた。これは面白くなりそうだと、密かに分厚い唇を笑みの形にする


「可愛い子…肌なんてとても白くて…きめ細かくて凄く羨ましいじゃない? 

目も綺麗ね。その手の趣味はないのだけれども、ホルマリン漬けにして思わず刳り抜いて保存したいくらい

アタシだって美容に気をつけているのに、さらさらした黒髪もちょっと嫉妬しちゃうわね。

けっこうボーイッシュで幼い顔立ちがまたステキねェ…男の子だったら本当に良かったのに…」


「そうか…頑張るんだな。まだ半島の何処かに居ると思うぜ」


「もし、断ると言ったらどうするの?」


「お前達の界隈では知られたくない話を聞いてしまった人間が無用な情報を知ってしまった場合。どういう処理を下すかは承知しているはずだ」


「へぇ…」


リオンは厳格な表情を微動だにさせなかったが、返事の答え次第ではセルペンテにどういう処断を下すかは目の中の鋭い光が物語っていた。

候補者から選別し、自分が選んだ強者であるとはいえ臆することはある。自分の趣向とは違うが、セルペンテはなかなかに面白そうな人間ではあった。


「もちろん、成功した場合はご褒美…はずんでくれるんでしょう?」


「報酬はコロニーの移住権だ」


「!?…成程。けどそれって、本当なのかしら?」


報酬の名をリオンが口にした時、セルペンテは頬に両手を当てて驚いた顔を作ってみせる。

それを見て顔にこそ出さなかったが、リオンは内心気持ち悪いと思ってしまった。顔は男なのに女そっくりの仕草である。

彼…といったら怒るかもしれないが、セルペンテがどういう理由でホモセクシュアルになったのかも興味は無い。


「ああ、本当さ。嘘は吐かねぇよ」


訝しがるセルペンテに向かってリオンは笑みを深めた。

その横顔はかつて百獣の王と呼ばれた猫科の猛獣を思わせる凄みがある。


「本当に、充分じゃない! それなら受けてあげてもいいわよ! 今からお化粧直しと支度をしなくっちゃね♪」


「…そうか、そいつは楽しみだな。吉報を期待しとくぜ」


「はいなー。ダーリンの為に頑張るわ!」


「……ああ、期待しとくぜ」


自分にウインクを送るセルペンテを見たリオンはぞっと底冷えする気持ちを抑えつつ返事した。そして思う、これで大丈夫なのだろうか?と

太い眉毛をかすかに寄せ胸の中で、今一度作戦の是非を考えてみる。この男が相当な使い手であることに間違いないが。

しかし、これはこれで良い余興になるかもしれない。もし失敗したとしても自分達に危害は無い。

脅威とされている『光の剣』の使い手。それその者が彼らに対する決定的な脅威になりえないのだと信じきってはいる。

例の剣の使い手を主が認めたがらない理由も理解できるし、何かを探っているという噂も聞く。

『セブンズ』重鎮の身内であるリオンが自ら出る必要も無いが、万一という事もあるのだ。


(ま、それはそれで構わねぇけどな…)


だが、リオンは組織の忠誠心以上に強い自分の闘争欲求を抑えられないほど、生粋の戦闘狂(バトルマニア)である。

それ故に、調査の名目で毒素の蔓延するアウターに度々足を踏み入れるのだ。強者と出会うために…

まずはあの標的が自分の試練を乗り越えられる事を密かに祈るのであった。


(兄貴の手を煩わせないようにしつつ、俺は俺で楽しむとするかね…ククク)






「おい、ディーク」


「ん…どうしたんだマスター?」


ディークはカウンターの席に座り、グラスを磨くレオスの前でコーヒーのカップを傾けながら膿褐色の液面を眺めている時だ

酒場のマスターにして一国一城の主の彼は一命を取り留めた後、店を修理して商売を開いていた

既に彼は一児の父親だったが店を閉める事はしない。飲みに来る常連の知己達を無下に出来ない生真面目さゆえだ

少し粗暴だが豪胆なゲイルと違って、あくまでもレオスは生真面目だ

だからこそディークをリベアの居る友人宅に住まわせたのかもしれない。二人ともディークの父親に等しい存在であったが

ダイキンの暴走から半年ほどの事である。その彼がやけに神妙な表情をして尋ねたので気分が悪いのだろうかと思わず心配したのだ


「お前、誰か気になる奴でも出来たか?」


「…そんなんじゃねぇよ。俺はモテないからな」


誤魔化す為にディークは笑ったが、武術の師でもあるレオスは騙せない様だった

彼は呆れ半分、安心感半分といった分量で溜息を吐いた。その仕草を見て昔からこの年寄り臭い所は変わって良いないなとディークは思う

しかしそれの裏を返せば、それだけレオスが真面目でディークを心配しているという事だ。ハンターには性格に問題のある人間がかなり多い

ダイキンのように粗暴だったり、仕事以外で寡黙だったり、嗜好や性癖がディークやレオスの基準で言う『普通』では無かったり…

それだけに、今の今まで意中の女性―――今の彼の妻と同居する決心が中々持てなかったのだろう

それに彼の妻――――リンクス・ヴァイルはいわゆる「石化病」という病に侵されていた。そんな彼女の付き添いをする為にハンターを辞めたのだろう。

実際にハンター時代のコネを持つ事によって酒場が交流の場となり本業として回っている

元ハンターの肩書きが愛する人を傷つけてしまわないか、長年真剣に考えていたのだ

ディークがギルドに登録する時も了承こそしたものの、リベアと同じくあまり良い顔をしなかった

彼としてはゲイルの元でジャンク屋というかに落ち着いてもらいたかったのかもしれない

メカを弄る事はディークも好きだったし、毎日ゲイルから色々教わりながらリベアと一緒に油に塗れるのは悪くない日々だった

だから、長年の間に自分を見てきたそんなレオスだからこそディークの誤魔化しが通じなかったのだろう


「お前は…本当に嘘をつくのが下手だな」


「……なんであんたがそう思うんだ?」


「十年近く、武術の心得を叩き込んで来たんだ。それくらい分かる」


レオスは他の客に聞こえないような小さな声で囁く。観念してディークは白状する事にした

彼に言われた事は数日前にサウロにも言われた事だ。どうにも自分は隠し事が苦手らしいと反省する

プライベートならともかく、自分の心情を簡単に悟られるのは情報屋としては致命的だ

常に冷静、ポーカーフェイスを忘れないように心がけていたがまだまだ鍛錬が足りないようだ


「ああ、気になる奴が居るってのは本当さ」


ディークが照れながらカップを傾けて液体を飲み干すのを厳しい表情で彼の師は見ている

何か言いたげに、それでも本当に話すべきなのかどうなのか躊躇う様な素振りである

どこかよそよそしげなレオスの様子に気付かない振りをしながら、ディークはのろのろとカップの中身を啜った


「ひょっとして、あの子の事か?」


「ああ、やっぱりあんたには…かなわねぇよな」


「あいつは止めとけ、お前ごときじゃ手に負えない。俺の勘だとヤバい匂いしかしない」


「え…?」


ディークは驚きのあまりに会話を中断した。レオスの言った事が理解できなかったからだ


「何言ってるんだよ…マスター」


ディークの師匠の顔は既に一酒場のマスターの顔を脱ぎ捨てて、かつて閃光の異名で呼ばれたBランクハンター・レオスの顔に戻っていた

その顔を現したレオスは最早一児の父親ではなく、一介の戦士の顔に戻っている。勘は殆ど鈍っていないだろう

恐らくこの前のダイキンの件が、彼に何らかの影響を与えたのかもしれない。ディークだってそうだ

このアウターで生きていく為には力を持つ事が必要なのだ。ディークもかつての過ちを繰り返すつもりはない

『あの時』の自分は心身ともに弱かった。だからこそ強さを求めたのだ、何者にも負けずみんなを守るための圧倒的な力を…


もしかしたら己があの少女に惹かれている原因は彼女が持つ圧倒的な力と美しさにあるのかもしれない

強さと美しさはこの世界では正義だ。少女は女の身でありながら圧倒的な力を示した、その有り様は儚くも美しく、また哀しかった

これは直感だが、彼女も自分と同じように過去で何かあったのかもしれないと推測している

力を持つ事に奢らない少女が、なぜ強大な力を持つ事になった理由…それ自体に業が纏わり付いていると思ってしまう


「お前さんがこの前に巻き込まれた、アジアンマフィアとの騒動とやらにも関わっていたのだろう?

ダイキンの事は偶然と考えるべきだが、そんな大組織に狙われるなんてどう考えても普通じゃない

俺の勘だがあの女は少なからず業を背負っているのだろう。そんな人間が辿る末路は確実なる破滅だ」


ディークは飲み干したカップを下ろした。カラン、と陶器の鳴る音がやけに空虚に聞こえる


「……俺は、少し気になっただけだ。二回も助けてもらったから」


「ディーク、後で俺に付き合え」


厳しい目をしてレオスが告げた。その眼光が放つ意思の強さにディークは逆らう事が出来なかった

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