2‐2 怪しい依頼人

「あれから、もう二週間経つのか…」


ディークは自宅を兼ねた事務所内の机の上でがっくりとうなだれた。時刻は既に午後だが本日は客が来ていない為ぶらぶらしているのだ

一月前に起きた『厄介事』の数々を思い出して憂鬱な日々に浸っていたからである

幸いにしてレオスは一命を取り留めた。彼の知り合いの医者を呼び寄せて治療が間に合ったのだ

彼はダイキンから暴行を受け大怪我を負っていた。その事がディークに負い目を感じさせてしまう

言葉が喋れる程度に回復したレオスは気にするなと笑っていたが、あの状態ではしばらく店をやるのは無理だろう

結果的に幸運を得て助かったとはいえ、あの事件はディークの心に大きな傷跡を残していた

何よりも…彼には家族がいた。そして、自分が撒いた種を刈り取るのは結局は他力本願になってしまった


「そういえばあの子はどこに行ったんだ?」


ダイキンのエクステンダーは爆発して跡形もない状態になったと聞いた

コクピットは人が乗っていたのかも分からないほど焼け焦げていて、死体も残らなかったという

奴―――乱暴者であり『豪腕』の異名を持つダイキンは死んだと考えるのが自然だろう

悪いとは思わない。一方的に難癖をつけてきたのは奴であるし、この結末も自業自得としか説明が付かない


(ダイキン…馬鹿野朗…)


彼は少なからず恨みを買っていた。もしかしなくてもいつかは誰かに喧嘩を売り、同じ結末を辿っていたことは想像に難くない

それでも、一時期ハンターとして肩を並べ戦った同業者であり、仲間であったのだ

情報料を数回踏み倒されたり、一方的に恨みを売られたりと良い事はほぼ皆無に等しかったが

ダイキンの死因は少なからずとも自分にあった。後の祭りだが、もっといい方法で収集出来たかもしれない

彼によって救われた命もあったかもしれないのに、たとえどれだけ疎まれていようとも…

無惨に死ななくてもよかったアイデアが…尤も、悲しいかな。しかし今のディークにそれを思いつくことは出来なかったが


だが、あれをやったのがあの黒い外套を着た奇妙な少女であるとは考えられなかった

一対五の数的不利をたった一本のナイフのみで打開した氷のような瞳を持つ黒髪の少女

彼女の行方もいくつかのルートを使い探ってみたが、全く掴めずに徒労に終わったのはつい先日の事


(俺はあいつに聞きたいことがあるんだ)


後頭部で縛られた流れるように艶やかで滑らかな黒髪、強い意志を宿しながらも感情を殆ど表す事のない黒い瞳

自身の素性を隠すように纏うヴェール。そして、ディークのなまくらナイフ一本で五人を圧倒し、更にはエクステンダーさえ

葬って見せたA級上位ハンターをも凌ぐ、少女らしからぬ圧倒的な戦闘能力――――

まるで、ロストメディアに記録されたの大昔の映像フィルムの中で活躍している物語の主人公のようである

尤も、自分の見たものが幻覚や妄想でない事実だとすれば。それはとんでもない事実だ

彼女のような人間の素性を知っている…その事こそが大きな情報となる

大きな力は良くも悪くも注目される。力あるものは正義だ、彼女ならアウターのどの組織に行っても用心棒として通用するだろう


(だが、あいつがそれを望むのだろうか?)


彼女は組織についている様子がなく個人で行動しているように見えた。それも、何らかの目的を持って

強い意志を宿した瞳からは何かの使命感…いや、もっとどろどろとした妄執めいた感情が読み取れた

そう感じたのは二十年生きたディークの感性ゆえである。勘違いもあるのかもしれないのだが


(そんな奴が何故、俺達を助けたんだ?)


少女がディークを尾行して付いてきたことは想像に難くない。彼女レベルの達人なら気配を消すのにも造作はないだろう

ディーク本人にも勿論ではあるが尾行の心得はあったし、実際に実行したこともある

生きた情報を得るためには生身で体を張ることも大事なのだ。今のように机にふんぞり返っているだけが情報屋でもない

情報の本物か偽者かの確認を依頼されることもある。大体の仕事は成功していたが、失敗して信用を失いかけたこともある

多少なりとも場数を踏んでいるはずのディークを気づかれずに尾行する…

ディーク本人は自分の用心が万全だと過信しているつもりはなかったが、それでもあの歳若い少女に気付けないなんて情けなく思うのだ

それに彼女が何故助けたのか?明確な答えは出せないような気がするのだが、なんとなく理由は分かるような気がする

具体的に口頭で順序立てて説明することは難しいが、それはディークが無性に人助けしたくなるような心境と似ているのかもしれない

あの時の礼を告げた上で、この仮説を彼女に聞いて真偽を尋ねたかったのだがもう一度会えるかは分からなかったが


(やっぱり、違うかなぁ…)


カーテンの隙間から差し込む灼熱の光が、顔に差し込む

今日はいい天気だと思う。乾燥した地域では雨が降ること自体珍しい

水さえあれば洗濯が出来る。更にはシャワーも浴びれるし、浄水器さえあれば上等な水も飲める

しかし、今のディークにはそのいずれも足りない。貯金もそろそろ少なくなってきた

ここ二ヶ月近く、まともに収入が入っていない。部屋は自身で掃除しているが、来るのが友人ばかりではくたびれ損も良い所だ

それに暇というわけでもなかった。ダイキンに壊されたレオスの店を修繕したり、彼の見舞いに行ったりと忙しかった


「そろそろ依頼が来ないときついよなぁ…」


溜息を吐く。数日間まともに飯を食っていない

安売りの時に市場で買い溜めて置いた缶詰に入ったレーション型の携帯食料と、なけなしの水で最近過ごしている

特に携帯食料は味が皆無で食感も最悪であるからこそ、まともな野菜や合成肉の料理が恋しい

それに、依頼が来ない理由は一月前の騒動だろう。ダイキンといざこざを起こした事で客足が途絶えているのかもしれない

サウロに聞いた噂だと、情報料を払わないダイキンをディークが殺し屋を雇って消したという噂まで立っているようだ

全く否定できないところが玉に瑕だが、悪評が致命的なまでに仕事の激減に関わっているのは間違いないようだった


ディークは本日何度目とも分からないため息を吐くのだった

餓死で死ぬなんて情けない。情けないが…その問題は現実となって彼のそばに擦り寄ってくる

貧乏神と友達になりたいなんて思わない。どちらかというと金銭欲はあるほうだった


(冗談ではないが住処を引き払ってマスターの所に世話になるかもしれないが…)


恐らく、レオスは二つ返事で了承してくれるだろう

ディークは彼の命を救った恩人であるのだし、それを差し引いても彼とレオスは付き合いが深い

空腹のあまりこのまま情報屋が出来なくなったらそれでもいいかもしれないと、ディークは思い始めた


だが、その時であった。彼に救いの手が差し伸べられるようにドアが開いたのは


(なんだ、あの子と同じ東洋人…なのか?)


背が低く、黒のスーツを着こなした丸っこい東洋系の中年男はディークを見てお辞儀した

久々の来客を前に先ほどまでだらけて机の上にへばりついていた青年の姿はそこにはなく、れっきとした大人の対応で待望の客を出迎える

ディークも背筋を伸ばして挨拶を返すと。簡単な社交辞令が終わると男はにこやかに笑みを浮かべて言った


「私、クム・ジョウグンといいます。今日は依頼があってきたのですが話を聞いてもらえませんか?」


「ええ、喜んで…どんな用件でしょうか? そこに腰掛けてください」


アジア人の来客。別に東洋人はこのヨーロッパにおいても珍しい存在ではない。

ただ、こういった手合いは警戒しておくべき必要がある。東洋人が主要幹部を務めている

非合法組織『タ―ロン』と関わって命まで落としたハンターは少なくない。

あの女も東洋人のようだったが目の前の男と違い不思議と組織の一員めいた感じはしなかった

ディークは応接間に男を通し、自分は別の部屋に入ってもてなしの準備に向かう

紅茶を用意して持ってくる間も男は古びたソファに座り、静かに座していた


「それで、用件というのは?」


「はい、ある人物を探しており人探しを手伝って欲しいのです」


「人を探す…ですか?」


「ええ、目撃したという情報でも構いません。とにかく我々は彼女の情報を探しているのです」


ジョウグンはもともと小さめの目を更に細めて笑う様子は、どこか太った人喰いオオトカゲの変異種に似ていた

なんとなく雰囲気で彼が堅気の人間でないことは分かってしまう。誰かを探し出してどうしようというのか?


「彼女…?」


「はい、これは隣町で写された物。少々不鮮明ですがこの人物です」


「……!」


その写真を見てディークは思わず息を呑んだ。写真のフレームの端にかろうじて写りこんでいるその人物は

彼自身の命を一ヶ月前に救った恩人であったからだ。身間違えようのないあの女だった


「その様子は…知っているのですか?」


小太りの男の目に鋭い光が宿る。目の前の情報屋のどんな挙動をも見逃さないといわんばかりに獲物を見定める爬虫類の眼光を

彼から目を逸らさない様にディークは一息吐いて呼吸を整えたあとに告げる。

悟られないように呼吸を整えるのは一苦労だった。落ち着かなければこちらが呑まれてしまう。


「ああ、知り合いに似てましてね。まぁ…髪の色は全然違いますよ」


「…そうですか」


ジョウグンは元の気が良さそうな中年の態度に戻り、ポケットから取り出したハンカチで額の脂汗を拭う

ディークは生唾を飲むのを我慢した。この男とそのバックにいる人間達は明らかにあの少女を探している

思わず、手元のカップに手をつけ一気飲みしてしまう。それと対照的に男の側の紅茶は全く手が付けられていなかった


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