1‐1 黒衣の女
ここはとある酒場、人類に仇なす【変異種】を狩る【ハンタ―】と呼ばれる者達の憩いの場であった。
「…アルコールを」
「はあああッ!…ってお前…まだガキじゃないか?」
ハンター業で蓄えた金を切り崩して荒野の片隅でバーを開いている、軽く髭を生やした店のマスター、レオス・ヴァイルが驚いたのも無理はない。
彼に注文を出したのは、地味な皮と布の防具を着用し夜色の外套(ヴェール)で包んだ黒髪黒瞳の十代中くらいの幼いアジア人にだったのだ。
艶にある髪は後ろで束ねられており、瞳はナイフのような輝きを宿しており歳相応のそれとは思えない。
マスター自身にもちょうど十歳にもなる甥っ子と半年前にあったばかり、で彼もまた無愛想だったがそれとは全く違う印象を受ける。
目の前のカウンターに佇む色白の少年(?)の纏うその雰囲気は、十代の人間が抱くにしては重々しく、抜き身の刃物のような鋭利さとぞっとするような悪寒を感じられた。
以前にも似たような子供をレオスは見たことがある。東部の暗黒街を根城にしている非合法組織【ターロン】には大陸の極東部からの出身者が多く、子供を構成員として洗脳し売春婦や暗殺者などに仕立て上げているんのは事実なのだ。
しかし、この少女はそのいずれかにも属していないだろうとレオスは思う。
人種も酒場でよく見かける中華系とは若干違うあまり見ないような雰囲気があった。
言葉に煩わしい中華訛りの癖がなく、瞳に意思の光が宿っているからだ。
道具として扱われた子供は自らの意思を持たない人形のように虚ろな目をしているが、彼女はそうではない。
だが、逆に猫のように切れ目な瞳の奥には薄暗い黒い炎のような光を宿しているようである。
ハンターとしてたくさんの人間を見てきたレオスだからこそわかる。その瞳が深い闇を宿しているであろう事を…
「早く…」
「早くったって…お前はまだガキ…」
「私はガキじゃない」
言葉に詰まらせた店主を促すように、澄んでいて中世的な綺麗な響きの発音―――
どこか擦れた様なハスキーな高い声はかろうじて少年ではなく少女の発声だと判別がつく、ニュアンスは判別できないものの、彼女が伝えたいことは分かった。自分を子供呼ばわりしたことを静かに非難しているのだと。
しかし、年相応の面影を持つのはそれくらいで。深く凍えた海のように暗く沈んだ瞳にはそれ以上の年月…
もしくは体験を経てきたのではないかと想像させる程に意思の光が宿っていた。
そしてその奥に潜んでいるのは何かに対する恨み、そして憎悪…似たような目をした人間をマスターは見たことも在る。
当然だ、こんな商売をしているのだから。かつて彼もハンターとしてアウターの荒廃した大地を駆け回っていたのだが。
何時しかそれも虚しくなり、長い付き合いのあった同僚を妻として娶ると同時に荒野の寂れた村で店を開いたのだ。
寄ってくる人間は大概がハンター仲間なのだが、そうじゃない中には親しい友人もいる。
(そりゃあガキで酒飲んでる奴って、法で禁じていてもそこら中に吐いて捨てるほどいるがよ…)
しかし…自慢ではないがこれまで幾人もの人間と関わって来た過去を持つマスターだったが、目の前の少女の様に、この歳で完全に「一部を残して殆ど枯れた」人間は居なかった。
そんな空気を持つ者はある目的の為に手段を選ばないような『壊れた』連中などだ。そして、似たような雰囲気を持った奴の大半は知っている限り悲惨な末路を辿った。
「なんだなんだぁ? ガキの癖にアルコールかぁ!? 生意気だな
テメェみてぇなおチビちゃんは、大人しくお家のママンの元に返っておっぱいでもしゃぶってるのがお似合いだぜ!」
事の顛末を聞いていたのかバーの手前の席で仲間と共に一番大きいテーブルに五人ほどで群がって。
仲間達と賭けポーカーに興じていた色黒の筋肉質な男――――ダイキンが野太く下品な声で黒い少女を嘲笑った。
同席する仲間も彼に触発されたのか、ドッと笑い声が沸き起こる。マスターであるレオスはあまり良い気分がしないものだ。
【豪腕のダイキン】と言えば、この場にいるハンターの中では乱暴者として知られていた。
だが、目の前の少女はもしかしたら知らないのかもしれない。この男は標的を一撃で殴り飛ばす怪力の持ち主として知られ、ダイキン曰くシベリアの僻地にまで出向いて、十数年前に多数の犠牲者を出した変異種の大グリズリーを殴り殺したと吹聴しているらしい…流石にそれはデマだろうと皆が口にしているが。
評議会での格付けクラスこそ中堅よりやや上のクラスではあるが、下手に逆らって血祭りに挙げられるよりは黙っていた方が賢明である。
事実としてこの男は今までにも数回トラブルを重ねていた。マスターも何度か飲食代を踏み倒された事があり手に負えない問題児で、
しかも今は仲間を数人引き連れており、とてもではないが入店を断れなかったのだ。
「……うるさい」
「アァン?声が小さすぎて聞こえねェなァ!もう一度言ってみろよクソガキ?」
「黙れ」
しかし、彼女はダイキンの言葉を無視する事も、屈辱に頬を染める事も無かった。
ただ、淡々と煽り立てる大男が不快な騒音源だという事実を言葉にして口にしただけだ。
囁く様な一言だが周囲にははっきりと聞こえた。店内は水を打ったようにシンと静まり返る。
「テメェ! その罵倒はこの【豪腕】の異名を持つダイキン様に対してほざいたのかぁーッ?」
案の定、脳筋で堪えられなかったダイキンは大声で怒鳴りつつ顔の血管を浮かび上がらせ立ち上がった。
ごろつき同然の彼の仲間達も同様に席を立ち、少女の周りを取り囲み欲望丸出しの下品な顔を浮かべている。
そんな中でも女は気にせずコップの中を見つめている
「おい、店の中で揉め事は止めろ。外でやってくれ、それに子供の言う事にいちいち目くじら立てるのか?」
さすがに見かねたレオスが生死をかけたが、頭の血が完全に沸騰したダイキンが聞き入れるはずも無い。
「チッ、うるせぇなレオス。てめぇらを命賭けて守ってやっているのは誰だよ!
前線から引いてチンケでボロな店を使ってやっているのになんだその態度は!
それともテメェの女房がこのメスガキの変わりに痛い目に遭いたいか? あぁン!」
咄嗟の事にレオスは抗議したがそれ以上手出しできなかった。他人事のように見捨てたわけでは無い。
ただ、大男のダイキン一人でも手に負えないのに取り巻きが四人も要るのだ。助けたくても助けられない。
それにアウターのルールも在る。「ハンター同士の諍いはなるべく干渉しない」という取り決まりだ。
さっきの言い分は言い返した少女も悪いかもしれない、だが相手は多数である。
病気を患った妻の為にも怪我をするわけにはいかないのだ。
レオスは歯噛みした、助けてやりたい気持ちは在るがこの地域はアジア人にいい印象を持っている者は少ない。
人並みに常識人は自称していた。大人ならともかく災難に逢っているのは一人の少女なのだ。
下手をすると辱めを受けるかもしれない。変異種の対策に忙しいハンター評議会もそう暇では無いのでダイキンを裁かないかもしれない。
彼のような人材でも、かつての都市部でぬくぬくと暮らしている【コロニー】の連中に対抗するのは必要な力である。
多少の「落とし度」は見過ごすより他は無いのだ。それに全盛期ならともかくブランクのある自分が素手で今のダイキンに勝てるかどうか…
棚の下の銃に手を伸ばそうとした。だが、そうしてしまえばこの微妙な緊張が一気に火を噴く恐れがある。
しかし、助けは意外なところからやってきた。軽薄な声がバーの隅から殺気立つ彼等の方にかけられたのだ。
「おいおい…そんな子供なんて気にすんなよダイキン。お前さんの強さは誰もが知ってるんだ
だがな、暴力を振るう場所は弁えてくれよ。それにその子はまだ子供じゃないか、豪腕様を目の前に口が思わず滑っちゃったんだよ
子供は貴重なんだ、多少元気なくらいがちょうどいいだろ? あんたも大人だろう? 相応の態度で笑って見逃してやれ
まぁ、許してやってくれよ。みんな不味い酒を飲みたくないだろうし、この前の情報代のツケ、タダにするからさ」
色素の薄い金髪に、額に巻きつけた赤い布がダイキンに向かってウインクした。
少し焼けのある肌に整った顔。優男のようだが眼光はそれなりに場数を潜った人間特有の鋭さを秘めている。
何故この男の存在に気付かなかったのか? わざと潜んでいたような気配の消し方に取り巻きの数人が唖然とした。
それに比例してレオスは溜息を吐きそうになった。また面倒事に首を突っ込む知人には毎度の事である。
「なんでも屋気取りでハンターとしてはボンクラのディークか…俺はこのガキに侮辱されたんだ! 俺よりクラスが下のテメェの出る幕じゃねぇ、引っ込んでな!」
「おいおい、店で暴れるとマスターに迷惑がかかるだろ?」
「レオスと同じようにお前も口達者だな…俺よろハンターのクラス下の分際で威張り散らすんじゃねぇぞ!あぁ!?」
ディークと呼ばれた青年は不敵な笑みを浮かべる。虚仮おどしではない、勝利を確信したような表情であった。
確かに喧嘩では彼はダイキンより弱い。だから腕っ節以外の部分で騒ぎを解決しようとしていた。
「じゃあ…試してみるか? 俺は女子供に優しい紳士なんでね、その子に味方するよ」
「へっ、テメェもサンドバックがお望みのようだな!その優顔をパンパンにしてやってもいいんだぜ?」
「おいダイキン。あんた最近になって中古のエクステンダー買ったんだよな?確かビルドタイプの旧型…1985型だ」
「テメェ…どうしてそれを…」
これまでの剣幕とは一転して焦りの表情を見せるダイキン。そんな彼に対してディークという男は畳みかけるようにして話をつづけた。
「おやっさんの所で見てもらったんだろ?装甲板を外してメンテナンスしてもらうのは来週の水曜日だったよな?
格安の中古で恐らく…そこそこのサンドスコーピオン辺りと機体の負担も考えずに殴り合ったから
フレームに大きく歪みが出て、動作不良を起こすようになり下取りに出されたような物だ。
カルジェンス工房のような超一流で見てもらおうにもやっこさんは商売繁盛でそれこそ数年先まで順番待ち
更に新しくまともな中古を買った方がいいくらいの金が飛ぶ
だがあんたにそんな金は出せない。おやっさんの所でしっかりレストアしないとこの先くだらないトラブルで命を落とす羽目になるぜ
特に冷却関係、あれは命取りだ。特に初期型はあそこが派手に壊れたら熱を逃がしきれなくなって
燃料にでも引火したら操縦席を巻き込んで吹っ飛んじまう。早く治した方がいいっておやっさんがぼやいてたよ」
「そ、それがどうしたってんだよ…お前とは関係ないだろうが!
それにあんなジジイなんかに頼らなくても、直すアテはいくらでもあるんだぜ!
だからこうしてテメェをぶちのめして変異種(バケモノ)の餌にしても構わないんだぞ、ええっ!?」
ディークは肩を竦めた。顔見知りだがここまで話を聞かない単細胞だとは思わなかった。
一応忠告はしておいたので、此方も態度を改める事にする。
「一回身をもって確かめるか? 俺みたいなチンケな若造でも敵にすると面倒な目に遭うって事をさ…な、そうだろ?」
まだ少年の面影が残るディークと呼ばれた若造はニヤリと不適に笑って見せると場の雰囲気が一変した。
ダイキンは凄んではいるものの店の中の空気は明らかに変わっている。
酒やつまみを楽しんでいた他のハンター達がダイキン一向に剣呑な視線を集め始めていたからだ。
そして、仕事やプライベート上で彼にトラブルを押し付けられた者はここにも数多く居た。
更に絵的にはダイキンが一人の少女を取り囲んで、脅しつけているように見えなくも無い。
多少の騒ぎには慣れっこの彼等だったが、ガヤが大きくなり酒の味が楽しめなくなると機嫌を損ね始めたのだ。
「ちっ、ダイキンの野郎。ヘタレやがって…ガキをぶちのめす様を見てせいせいしたかったのによぉ」
「臭過ぎて売女に逃げられたからガキに当たったんだろ」
「うっせえな…ションベンくせぇ小娘の言う事なんざ放っておけばいいのによ…」
「どっちが悪いかどうでもいいが酒が不味くなる。仕事の後の楽しみにギャアギャア騒ぐんじゃねぇ」
「世話になってるレオスの旦那やディークに何か手を出したら、俺と仲間達が黙っちゃあいねぇ…」
「おっ、喧嘩か喧嘩!無様に負けたやつの身包み根こそぎ剥いでやるぜ!」
ハンターにはガラの悪い者が目立つ、そしてダイキンが不利になった以上は簡単な問題だった。
十を超える視線がダイキン一行に圧力を加える。彼の力ならばここにいるハンター二、三人程度とやりあっても差し支えないがこの数は流石に分が悪い。それに情報屋並みのコネがあるディークを敵に回すのは少々厄介な事になると熟知している。
それにここの顧客はダイキン一行を除いて、半分近くがレオスやディークの友人であり店の常連だった。
自分達は楽しく飲んでいるのに粗暴な男が子供に大声で難癖をつけているのだ。命がけの仕事の後で酒のつまみにするには口当たりが不快すぎる。
流石に粗暴者で知られるダイキン一派も、自分たちに浴びせられる客人のガヤは無視できないようだった。
喧嘩は別に嫌いではない。むしろ暴力を振るうのが好きでハンターになったくらいでチップの額に文句を言うような気に入らない娼婦の顔に商売に支障が出る大痣が出来るほどの暴力を振るったりなどしている。だが、この場で複数人に銃を持ち出されたりしたら命がいくつあっても足りなかった。
「ち…クソッ! 命拾いしたなチビ!」
ダイキンは苛立ちを隠さずわざと少女に肩をぶつけ、足取りも荒く取り巻きと共に店を出て行った。
「すまねぇマスターのおっちゃん。あいつら金払わないで行っちまった」
「いいさ、奴等はもう入れねぇし暴れられて店を壊されるよりは安い
厄介払いできたと思えば安くついたもんだ。助かったよ
お前さんもあそこまでやるようになるとはな…俺も臆病になったもんだ。ジジイになるといろいろ衰えてしまう
将来ハンターを仕切るのはお前さんみてぇな若くて度胸のある連中だな」
「おいおい、まだ39だろあんた。ゲイルのおやっさんより若いだろ」
「お前さんからすればどっちもジジイだろ」
「ちがいねぇ」
笑ってレオスはディークに礼を告げた。自分が見捨てようとした少女を歳の離れた息子同然の友人が救ってくれたのだから。
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