第13話 瀬戸内州の調査

 今度の調査は、瀬戸内州だ。この地域は21世紀には中国や四国と呼ばれていた場所だ。今は瀬戸内州と呼ばれている。州都は広島に置かれている。この時代ではどのような生活が営まれているのか、しっかりと情報を収集したいと思う。

 さっそく調査の現場に到着した。まずは周囲を観察してみることにする。住民の様子はというと、田んぼで作業しているようだ。今は秋、実りの季節だ。子どもたちも一緒に手伝って、総出で稲刈りをしている。

 まだ手をつけていない田んぼには、金色に輝く稲穂が一面に広がっている。今年は豊作のようだ。米の収穫はこの時代の人たちにとって重要な問題だ。南西州で見た地域では、従事している職業によって納める方法が分かれていた。しかし瀬戸内州では通常通り米で税を納めているようだ。

 とはいっても、税率はさほど高くないようだ。しかも各世帯の人数を基に必要な米の量を決めて、それを引いた後の量に対して税を課すらしい。住民が飢餓になってしまっては元も子もない。むしろ税収が減ってしまうと考えているのだ。至極妥当な考え方である。



 収穫したお米はまず、乾燥させるようである。稲穂を下に向けて木の棒にかけている。みんなかなり手際がいいようで、あっという間に作業が進んでいく。当然ながら手作業でやっているわけだが、かなりスムーズに動いている。現代では機械があって便利ではあるわけだが、それに慣れている現代人では手作業はむしろキツ過ぎて挫折してしまうかもしれない。

 この時代の人々が健康的な生活を送ることができるならば、現代人よりも健康体であるかもしれない。体力測定をしてどちらが勝つのか、興味深いテーマだ。趣味レーションできればいいのだが。とはいえ医療技術がないので、寿命はさほど伸びないかもしれないが。

 みんなで助け合って生活している姿を見ると、素晴らしいことだなと思う。人と人との繋がりはとても大事なことだ。一人では生きていけないのだから。何かあれば互いに助け合う。それが幸せを作っていくのだろう。



 稲刈りが無事に終わったようだ。手際がいいようで、あっという間に作業が終わってしまったようだ。素晴らしいことだ。私には到底できないと思う。体力があって素晴らしい。普段から体を動かしているから慣れているのだろうか。

 収穫が終わって数日経った。稲がしっかりと乾燥したところで、倉庫へ運ぶ作業に移る。みんなで協力して運んでいるようだ。子どもたちも自分の持てる量を頑張って運んでいる。おふざけをしている子は居ない。みんな真剣な態度で大人の手伝いをしている。

 田んぼから倉庫までは、およそ300mといったくらいだろうか。それを何往復も歩いている。ある程度キリのいいところでお昼休憩のようだ。女性陣が昼食を作ってくれていた。みんなでいくかの円になって座った。ちょっとした宴会のようなものだ。まだ午後の作業が残っているので、お酒は出ないようだ。

 今日は豊作を祝うということで、かなりのご馳走が用意されている。女性陣が腕を振るって作ったみたいだ。彩り豊かで、すごく美味しそうだ。みんな待ちきれないという表情で料理を見つめている。



 子どもたちが配膳を手伝っている。こぼさないように気をつけながら運んでいる。そして無事に準備が整った。みんなで先祖や天地万物に感謝の祈りを捧げて食べ始めた。とても美味しそうに頬張っている。これまでの苦労が報われたわけだから、喜びはひとしおであるだろう。

 午前の作業を頑張ってお腹が空いたからだろうか、あっという間に完食したようだ。みんなを見ると、それはもう満足そうな表情をしている。しばらくの間、食後の休憩を取ることになった。子どもたちは休憩などお構いなしのようだ。元気に辺りを走り回っている。

 午後の作業はそんなに残っていない。子どもたちは遊びに行ってしまってもいいようだ。今日は倉庫に稲を運び終えたら作業は終わりのようだ。なので子どもたちの遊びの様子を見にいくことにした。



 子どもたちがいる場所にやってきた。広い野原で楽しそうに走り回っている。この時代に、ハイテクな機器などはない。遊具、おもちゃもそんなにあるわけではないことだろう。

 どのようにしてこの時代の子どもたちが遊んでいるのか、時間を使っているのかを調べたいと思う。とはいえ、相変わらず走り回っているようだ。ただ無我夢中で走っているだけなのだろうか。詳しく様子を観察してみることにした。

 すると驚くべきことに、後ろから追いかける子が入れ替わっていることが分かった。どのタイミングでそれが起こるのかを観察していると、何か声を発した時に入れ替わっているようだ。何回かそれを聞いているうちに聞き取ることができた。どうやら「米盗った」と言っているようだ。



 その単語にどんな意味があるのか、しばらく観察を続けた。すると、「米盗った」というと、主食であるお米が盗られてしまうのでそれを取り返すために、今度はその人が追いかける側になるようだ。その役割のことを「盗られ坊」というらしい。現代のように「鬼」の概念ではないようだ。しかし、鬼ごっこと同じものだと考えていいだろう。

 まさかこの時代に鬼ごっこと同様のものがあったとは非常に驚きだ。他にも発見があるかもしれない。引き続き調査を続けることにした。しばらくすると疲れてきたのか、日陰に入って休み始めた。

 この時代にはおそらく熱中症の概念はないだろう。しかし、文献などに残ってはいないものの、暑さにやられた人がいなかったとは限らない。概念がなかったから考えもしなかったという可能性だってある。



 子どもたちの様子を見ていると、近くの井戸水を飲んでいる。暑い時に休むことが考えるにあるのは間違いない。暑さが体に良くないことまで考えているのかどうか、それについてはまだ分からない。もう少し子どもたちに近づいて会話を聞いてみることにした。

 どうやら暑いのは嫌いなようで、口々に不満を言っている。しかし屋外で遊ぶしかないのだろう。それぞれの家はさほど大きくない。みんなで集まれる余裕はない。現代のように公園があるわけではない。家がある場所を一歩離れれば、そこには大自然が広がっている。

 しばらく休んだ後、子どもたちは移動を始めた。会話を聞いてみると、どうやら海に行くようだ。後をついて行ってみると、みんな足を海に入れて涼んでいるようだ。この地域では子どもはみんな常に裸足で生活することが普通のようで、ドラマで見るような靴を手に持ってはしゃぐ光景は見られないのだろう。



 海には来たものの、この時代で泳ぐことはあるのだろうか。そもそも泳法など確立されていないのではないだろうか。みんなで海に足を入れて楽しそうにはしゃいでいるものの、泳ぐ気配は全くない。この時代に水着のようなものはあるのだろうか。さらに観察を続けた。

 しばらくすると、一人の子どもが服を着たまま海の中に潜った。そしてぷかぷか浮いている。みんなに対してこうしたら涼しくなるよと教えてあげているようだ。それを受けて他のみんなも服を着たまま水の中へダイブした。

 気温はそこそこ高いものの、水温は気持ちいくらいだ。みんな涼しそうにぷかぷかと浮かんでいる。服を着たままとは言っても、現代の服装とは大きく異なっている。男の子は麻でできたパンツを履いている。夏だからだと思うが、上には何も身につけていない。女の子は一体になっているワンピースに近い形状のものを来ている。頭から被るタイプで、やはりこちらも麻でできている。

 服装は地域によっても差があるようだ。今までに調査した北東州や南西州でも、衣服の素材や形状などが異なっていた。地域ごとに文化が形成されているということであり、それはとても良いことだ。



 だいぶ時間が過ぎて、日も暮れてきた。遅くなる前に子どもたちは家路についた。帰る途中で髪はすっかり乾いたようだ。服はまだ乾いていないが、親に怒られたりしないのだろうか。

 それぞれ家に着くと、服を乾かすからと親に渡した。その間に着る服はあるのだろうか。どうやら、それについては乾くまでの間は何も着ないらしい。とはいえ家の外に出るわけではない。だからそれで何の問題もないのだろう。

 大人も1着を洗って使っているようだ。誰であっても同じことであり、子どもだけ悪くしているわけではないようだ。材質が麻の薄い生地なので、乾くのにもそんなに時間はかからないだろう。

 そうこうしているうちに、夕食が出来上がったようだ。とれたての新米が食べられるのはもう少し先だ。今日のお昼にあれだけすごいご馳走を作っていたわけなので、流石に夕食は軽めのものだろうと思っていた。しかし出てきたのは大きな肉の塊だった。すごく美味しそうな、こんがり色に焼きあがっている。



 今日1日だけでも、さまざまなことを知ることができた。やはりこの調査には意味があるのだなと改めて感じることができた。それはきっとチームのメンバーも同じことだろうと思う。ひとまずは明日に備えてゆっくり休むことにする。

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