いまどきの流行の婚約破棄なんて手ぬるいわよね、とかつて正義の味方をしていた母親達は呆れる。
江戸川ばた散歩
第1話
「君のことを嫌いという訳ではない、だが女として見られない、だから自分、マルセル・フィナンシェはコンスタンス・マドレーヌとの婚約を破棄する!」
「それはこっちの台詞ですわ! 何で貴方が先にそれを言うんです! 私コンスタンス・マドレーヌが! マルセル・フィナンシェとの婚約を破棄致します!」
場所は宮殿前広場に設けられた市民野外劇場の賓客席。
庶民から貴族までが気楽に演劇や音楽を鑑賞することを目的とした場所だ。
その日の演目は、千秋楽まであと三日。
前評判で面白いと言われている出し物であれ、よほどの劇団や楽団でない限り、屋内ではなく野外を使う、基本素人集団達の通し十日とかの公演はそうそう客足が続くものではない。
日に日に客足は減り、そう、今日の様な残り三日という日には空席が目立ちすぎる事態になったりする。
そんな中での「婚約破棄」騒ぎである。
正式な演目が始まる前、昼と夕方の羽狭間の時間、令息と令嬢はそれぞれが婚約破棄を主張していた。
いやそれだったら意見が合って問題無いんじゃないか?
というのは誰もが思うことだろう。
だがここでの問題はそこではない。
そこではないのだ。
*
ところ変わってここは当人達の自宅である。
「困った」
「困りましたねえ」
「全くもって今の奴等は」
「一体自分の身分を何だと思っているのかしら」
その日。
国の名家ランキング二十番以内には確実に入るとされる、マドレーヌ伯爵夫妻とフィナンシェ伯爵夫妻は前者の屋敷の広い応接間のど真ん中において、殆ど額が付きそうな程に顔を突き合わせてため息をついていた。
と言うのも、両家の間に昔から約束されていた子供同士の婚約がどうも何か危機にさらされている様なのである。
結婚準備の日だというのに。
「別にコンスタンスもマルセルのことを嫌っていう訳では無い様なんですけどね」
頬に手を当てて、マドレーヌ夫人は首を傾げる。
かつては数々の男を迷わせたその美貌は今も褪せることはない。
「ええ。マルセルにしても、コンスタンスのことは昔から好きなんですよ。だけど何かどうも、好きだ好きだと言うと何言ってるの、という感じでかわされてしまうんだそうで」
フィナンシェ夫人も扇を軽く開いてふわふわとさせながら、何を一体あの二人は親を苛々させる言動を続けているんだ、と内心思っていた。
「ここのところ、茶番が流行っているからなあ……」
マドレーヌ氏は腕組みをして軽く目を伏せた。
「そうそう、あの茶番、何とかならんものかね。茶番なら茶番らしく、その辺りに立て看板でも出しておけばいいと思うのだがね。大道芸よろしく」
フィナンシェ氏は背もたれに大きく体重をかけると、足を大きく組んだ。
「……全く誰が始めたんだ! あの婚約破棄ごっこは!」
彼等の娘と息子、コンスタンス・マドレーヌ伯爵令嬢とマルセル・フィナンシェ伯爵令息は同じ年に生まれた幼馴染みの婚約者同士である。
ちょうどいい家柄。
ちょうどいい資産。
お互い元々仲の良い家同士。
母親同士も父親同士も仲がいい。
それだけに三つの頃から何かというとお互いの家を行き来する存在だった。
そして、小さな頃は、非常に楽しい、「走り回る方の」遊び友達だった。
ともかくコンスタンス嬢ときたら、そのへんの男子より運動神経が良かった。
広い庭を駆け回れば常に一番、庭の大木によじのぼる時も幼馴染みよりひょいひょいと軽く枝から枝へと飛び移った。
しかもその際に服をまるで破かない辺り、母夫人デジレはふう、とため息をつくとこう言ったものだ。
「……一体どうしてそんなところを私に似てしまったのかしら……」
「いやそれは君に似たんだろう」
その都度夫に言われたものである。
そう、デジレ・マドレーヌ夫人はその昔、宮殿から下町までを駆け回り、弱い者の味方として夜な夜な馬を駆り、剣を振るう正義の味方をしていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます