十四.対峙

 

 

 日が落ちた頃、太兵衛は村の入口から街道に出た。

 見張り役に命じて代官所へ下がらせると、木立と竹林に挟まれた街道には宵の帳が降りる。

 篝火だけは掲げたままだが、数間先は闇だ。

 入口に向かってやって来る者があれば、日中ひなかのように篝火に照らされた太兵衛の姿を見ることが出来るだろう。

 低く唸るような強かな風が吹く度に、竹林がさざめく。

 やがてそこに、単調な蹄の音が入り混じると、太兵衛は闇の向こうに目を向けた。

「久しいな」

 城中で稀に見掛けることはあっても、言葉を交わす仲でもない。

 灯りの届くぎりぎりの際で下馬し、黙したままにその長身を晒した美丈夫を、太兵衛は床几に掛けたまま一瞥する。

「わしは増援と食糧を送るよう要請したはずなんだがな」

 城に何の動きも見られないことは、既に峰からの遣いによって知らされていた。

 加えて、初が八巻家に戻されたことも。

「城下からは長い道程であったろう。掛けて休め」

 傍らに空いた床几を勧め、太兵衛は軽く笑う。

 政之丞はじっと太兵衛を窺っていたが、静かに床几へ腰を下ろした。

「おぬしに命じたのは、剱持か。それとも義父か」

 義父と言った太兵衛に、政之丞は露骨な嫌悪を覗かせた。

「八巻掃部介さまは、もう貴方の義父ではない」

「ほう? わしは初を離縁した覚えはないのだが」

「初どのは既に八巻邸に移った。これ以上、赤沢家に任せておくわけにはいかぬ」

 時折感情の波をちらつかせる政之丞の語調に反して、太兵衛の纏う気配は至極穏やかに凪いでいる。

「この村の山守──いや、名主が兼務していたか。そやつが伐採記録を持っているだろう。悪いことは言わぬ、それを渡せば交代の者を遣わすよう私からも口添える」

「誰に、だ?」

「……応じぬ場合、斬り捨てるよう命じられている」

 口を割らない政之丞を盗み見て、さもありなんと太兵衛は思う。

「山守なら、わしが着任するより先に、野盗の襲撃に遭うてな。殆ど一家全滅しておるわ」

 しかし不思議なことに、これだけ派手に荒らされても、周辺の村々に被害が飛び火することもなく、野盗の足取りや消息も全く掴めない。

 探索に出した者も尽く手ぶらで戻る有様だ。

「はじめから野盗なぞおらんのだろう」

「………」

「……野盗の仕業に見せ掛けて随分と散々な被害を出してくれたようだが、剱持の手の者だったか」

 掛けていた床几から飛び退いて、政之丞が腰の得物に手を掛ける。

 が、太兵衛は泰然として動かなかった。

「そう殺気立つな。山守本人は命辛々難を逃れて、代官所に保護してあるが、妻子を殺されて口もきけぬようになっておるわ。不憫なことだ」

 政之丞は間合いを取ったまま構えを崩さず、太兵衛を覗う。

「帳簿は愚か、何一つ所持していなかったぞ。家捜しした野盗・・が持ち去ったか、既に父の手許に渡っているか、どちらかだ」

 言って、太兵衛はやおら立ち上がり、政之丞に向かい合う。

 闇に渦巻く風が一陣強く吹き付け、篝火を大きく揺らした。

「おぬしも剱持に踊らされておるのだ。大方、初をだしにされたのであろう」

「──渡す気はないようだな」

 政之丞の手許が静かに鯉口を切り、すらりと刀身を引き抜いた。

 灯りを受けて鈍色の光が見えると、太兵衛もまた刀の柄に手を掛けた。

 

   ***

 

「太兵衛が斬り付けられたとは、事実であるか」

 加賀守が目前に平伏す清左衛門の進言に、問い返した。

 加賀守の傍らに控える大目付もまた、困惑の面持ちを浮かべている様子である。

「太兵衛に付いて同行していた家士の報告でございますれば、間違いはないものと存じます」

 大柄でふくよかな清左衛門がその背を揺らし、更に深々と叩頭する。

 こうして登城し、加賀守の前にこれまでの私的な金策を吐露するまでには、かなりの時間を費やした。

 峰一人に留まらず、睦子もまた息子の太兵衛に係わることとなれば共に説得に当たり、清左衛門が苦渋の決断を下した頃には残照の漂う時分になっていたのである。

「これまでの勝手なる振舞い、また材木の他領への売却について、到底赦されることではございませぬ。如何様にも御処分を」

 殊勝にもそう述べる清左衛門の背後から、峰が続けざまに声を上げる。

「しかしながら、兄の太兵衛には何卒、寛大なる御沙汰を頂きとうございます。記録にもございます通り、名目としては貸上金ながらも、兄は折に触れて藩庫へ上納しております。父についてもすべてを庇い立てすることは出来ませぬが、藩が民へお命じになった負担に充てたことも、一度や二度ではございませぬ」

 太兵衛は兎も角、清左衛門のそれは単に気紛れの域を出ない。

 だが、それでも加賀守や大目付からの印象を和らげるのに役立つならばと、峰は考えた。

「しかし、今になって申し出たのは何故か。太兵衛が斬り付けられたことと、何か関係があるのか」

 これまで幾つも不都合なことを見逃してきた加賀守にとっては、大目付まで同席させての申し開きに、違和感を禁じ得ない様子である。

「は、すべては八巻家の娘初の諫言によるもの。殿のご近習である宗方政之丞が、太兵衛を斬るべく城下を出たという話も耳にしてございます」

「……なんだと?」

 加賀守は渋面に激昂の色を滲ませた。

 信頼を置く侍従が暗殺の為に使われている事実を目の当たりにした困惑も大きい様子であった。

 今頃、兄は宗方政之丞と対峙しているはずだと進言すると、峰は深く頭を下げる。

「今日は病で登城差し控えを申し出たはずではなかったのか」

「病ではございません。剱持さまより密命を受け、夜も明けきらぬ時分に出立したものと思われます」

 加賀守の問いに峰が間髪入れずに答えると、広間は更なる困惑に包まれた。

 筆頭家老が絡んでいることを告げたことによる。

 赤沢家の家督を太兵衛に譲り、赦しを乞うより他にない。

 それも、筆頭家老よりも先に、すべてを明るみに出さねばならない。

 初が峰を通じて言伝たことであり、藩主自らが赤沢家の取り潰しを望んでいるか否かは賭けであった。

「御前。我が赤沢家と共に、筆頭たる剱持もまた同様に御調べ下さいますよう──」

 

 

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