十二.暗躍

 

 

「すぐにも父上を連れ戻しなさい」

 どうせまた妾宅に入り浸っているはずだ、と峰は憤慨しつつも的確に父清左衛門の居場所を指示する。

 戻って間もないぬいに命じ、峰自身の身支度を急がせる。

「それから城へ参ります。登城の先触れを」

「峰、これはどうしたことです。登城などと、何を勝手に──」

「お兄さまの代わりをお選び頂きます。お怪我をされていては、満足に御役目を果たせませんもの」

 急ぎ足で峰の居室までやって来た睦子を、峰は一瞥してからまた口早に差配する。

「父上が戻られればすぐにも出掛けます、そのように手配なさい」

「峰、お待ちなさい。太兵衛の傷はそう深くないという話です。大体、乱心して斬り付けた者は自害したという話ではありませんか。家の者が取り乱しては、他の御家中に示しがつきませんよ!」

「本当に乱心しただけの者だと、何故お分かりになりますか! 内部の者から襲われた傷なのですよ! これがどういうことか、お分かりにならないのですか!?」

 一度は難を逃れても、手負いのところへ二度三度と難が続けば、如何に太兵衛でも危うい。

 加えて、城から後続が出立した様子もない。

「この野盗騒ぎ、ややもすると何者かの演出である可能性も……」

「そんな馬鹿な事が──」

 睦子は半笑いで取り繕うが、峰はきりと睨め付けた。

「少なくとも、お兄さまはお命を狙われています」

「峰……、おまえ、何か知っているのですか」

 睦子の色白の顔から更に血の気が引き、青白くなるのを横目に、峰はごくりと固唾を呑んだ。

 嫂の初から聞いた話を噛み砕けば、裏にいる人物が誰であるかは自ずと絞られてくる。

「母上、まずは落ち着いて。伯父さまに──、ご実家の宇多家にお力添えを頼む事はお出来になりますか」

「え? ええ、でも何を……」

 睦子の生家、やはり番頭の宇多家は睦子の実兄である権之丞が当主となっている。

 赤沢家とは番方同士の繋がりも深い。

 太兵衛が役方上がりの次席家老・八巻家と縁組をしたのは、そうした付き合いの偏りを均すためかと思っていた。

 だがいざという時頼れるのは、やはり同職の家だろう。

「宜しいですか、この報を受けても未だ城には動きが見られません。交代の番頭として、宇多家御当主に動いて頂くよう働きかけるのです」

 執政会議など当てにならないと踏んだ以上、もはや親類縁者を味方につけて藩主に訴え出るしかない。

「それと──、父上にはこれを機に隠居して頂きましょう」

「隠居ですと」

「私が説得いたします。お兄さまが当主となられたほうが、この家には幸いです」

 呆然とする睦子に、峰はにこりと笑って見せた。

 

   ***

 

 城へ出した遣いが無事に着いたのかどうか。

 更には訴えが聞き容れられ、望んだ通りの対応がされるのか。

 使者が戻るまで、それらのことは何とも言えず安堵は出来ない。

 村の要所に不寝番を配して見張りを付け、厳重な警戒を布いているが、事は何の進展もない。

 村の周囲を探るべく他に斥候役も放っていたが、その根城となるような場所や不審な者の気配もようとして掴めずにいた。

「風が強くなってきたようだな」

「日も傾いてきましたが、どうも雨になりそうです。空が荒れると、傷も疼きましょう」

「なに、これしきは傷のうちにも入らぬ」

 左肩に走る痛みに顔を顰めつつ、太兵衛は苛立った。

 目明かしの男が太兵衛に斬り付けたのは、村内の視察を終えて代官屋敷の会所に戻った七ツ半頃のことだった。

 一人になった束の間を狙われた。

 憚りから出たところを不意打ちされたのである。

 背後から斬り掛かってきた殺気に気付いて脇差しを引抜いたものの、挙動が僅かに遅れ、敵の刃は袈裟懸けに太兵衛の左肩を襲った。

 一瞬の油断と隙を突かれたが、太兵衛が賺さず反撃に出ると、もののうちではない。

 相手もそれなりに遣うらしかったが、初手の一合から二、三度切り結ぶうちに、異変に気付いた配下が駆け付けた。

 殺さず捕えて詮議するつもりであったが、太兵衛の指図を待たず目明しの男は自ら首を掻き切って自害した。

 当然、本陣は騒然となったが、太兵衛は駆け付けた者に他言を禁じた。

 連れていた医師に応急の手当てはさせたものの、これにも口を閉ざすよう命じたのである。

 被害の大きさに気を取られ、また城のおざなりな対応に憤慨していたが、ようやっと事の奇妙さを感じ始めていた。

「平松、おぬしのところにいた目明しはいずれも長いのか」

 本陣の奥座敷で代官の平松と二人、声を潜めて対座していたが、太兵衛は更に声を落とした。

 部屋の外へ漏れることを危惧したためだ。

 その意図を汲み、平松も膝をいざって太兵衛の側へ寄る。

「例の下手人を調べたところ、幾月か前に与力が雇い入れた者でした。それ以前の素性については一切判明せず、他領から流れてきた浪人のようです。名は源八と名乗っていたようですが……」

 与力、同心まではいざ知らず、更にその配下である目明しについては与力らが個別に雇い、これを駆使する。

 その給金も雇い入れた与力などが支払うために、代官所や奉行所ではその頭数程度しか把握しなかった。

 そこを突かれたのだろう。

「この代官屋敷の中にまだわしを狙う者があるかもしれぬが、泳がせておけ。次があれば、その時こそは生きたまま捕らえる」

 内にも外にも敵がいる。

 加えて、傷は命に係るものではなくとも、肩をやられている。

 手当を施しても強い痛みと熱を持ち、まるで肩に心の臓があるかの如く荒く脈打っていた。

 もしも次に襲撃があれば、片腕で応戦せねばなるまい。

 脂汗の滲む額を拭った太兵衛を、平松は痛ましげな目で見ていた。

「赤沢殿、やはり交代の者を立てて頂くよう願い出るべきでは」

「いや、構わん。それよりも、殺害された名主一家の調べを進めてもらいたい」

 当主一人だけが難を逃れて保護されたが、太兵衛はそこに奇妙な引っ掛かりを覚えていた。

 疼痛に歪む太兵衛の表情を窺いつつも、平松は不承不承といった様子で指示を呑む。

 峰が遣わした密使が岩角の太兵衛のもとに辿り着いたのは、それから四半刻ほどあとのことであった。

 

 

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