深夜を過ごす

@__ruukun__

深夜を過ごす

観察


「いらっしゃいませー」

僕の1日の始まりの合図だ。感情のこもってない歓迎の挨拶を言い続けている。そもそも朝起きてからバイト先に着くまで挨拶なんてしない。強いて声を出す時は電子レンジで温めた晩御飯の残りを触って熱いと感じた時くらいだろう。バイト先は渋谷でカップルなのか男女仲良し組なのか分からない若者たちがよく来る。

「おすすめなぁに?」

甘えた声で男性に聞く姿、小さい「あ」が入っている声はわざとらしく聞いていて呆れる。

「これとこれください、支払いはカードで」

「いいよぉ、半分出すよぉ」

「大丈夫!座って待ってて!」

しばらく経ってブランドのバッグを持ち綺麗な髪の女性はあっさりとテーブルに向かった。男慣れしていることに僕は気づいたがレジの前の男性はまだ気づいていないのだろう。カフェで400円前後の飲み物を奢ってもおそらくあの女性は喜ばないし惚れもしないだろう。

「ありがとうございましたー」

また思ってもないことを声に出して次の接客が始まる。こんなことを繰り返してくうちにバイトも残り10分でもうすぐ終わる。僕は何を考えてこの時間過ごしたのか分からない。むしろ記憶が無いと言った方が正しい。就活も始まるというのに何も考えられないしやりたいこともない。しかしそんなふうに迷っていた時間は記憶にあるのだから不思議だ。

「おつかれさまでしたー」

今日も思ってない言葉の連発だった。ワイヤレスヘッドホンを当ててハチ公前を過ぎ改札方面に向かう。ちなみにイヤホンは耳の穴に入れるタイプではダメなのだ。なぜなら耳の穴に入れるタイプだと付けてることが相手に気づかれず話しかけられてしまう。それを防止するためにもヘッドホンは最適なのだ。帰りに電車で聞く曲と乗る電車をなんだかんだ30分も考えていた。


 回顧 


 僕は調布に住んでいる。調布に帰るためには渋谷から明大前へ向かいそこから乗り換えて帰る方法と渋谷から新宿まで行きそこで乗り換えるの2択だ。今日はバイトが18時に終わったこともあり時間に余裕があった。そのため新宿のルミネエストで服を買って帰ろうと考えていた。しかし買ったのは家に着いたら飲むお酒と避妊具だ。彼女もいないのになんで買うのか不思議に思うだろう。僕も不思議だと思う。しかし避妊具を買ってることで彼女がいると錯覚できるのだ。彼女はもちろんいたことはある。でも別れてしまった。なんで別れたのだろう、一言で済ますのならお互いの価値観の違いだろう。お互い大学1年生の時に付き合ったこともありまだ未熟だったのだろうと思い込んでいた。お酒と避妊具はやけに重く感じて5円くらいした有料の袋で指先が赤く充血していた。重さに耐えられずリュックにしまって再びヘッドホンを耳に当てる。

「二軒目行こうよ!」

「カラオケどうですか?」

こんな誘いがヘッドホン越しでも聞こえる。そんな無駄な音の中でも気がついた音があった。

「え!待って!」

すぐに足を止めた。どこかで聞いたことがあるような気がする。

「やっぱり!久しぶり!」

元カノだ。なんて返事をすれば分からずそのまま無駄な相槌だけを続けた。

「サークルの飲み会なくなってさっきまでカラオケでお酒飲んでたんだよね、もう疲れた」

相変わらず元気で大学3年生になった元カノは髪が短くなり前より少し痩せていた。コロナ過でオンライン授業になりきっとこの1年間で努力したのだろう。

「相変わらずうるさいね、付き合ってた時と変わってなさすぎでしょ」

また思ってもないことを言ってしまった。本当は変わったことを伝えたかったのに何故言えないのだろう。

「うざ、でも今の彼氏はうちよりうるさいよ!」

「彼氏できたんだ、よかったじゃん」

「でも2ヶ月会ってないけど」

「お幸せに」

「え!待ってよ!久しぶりに飲もうよ!」

「実はキャバ嬢でしたって言うなよな」

「大丈夫!純粋な居酒屋店員だから!」

そのまま流れるように新宿の鳥貴族に向かった。新宿の鳥貴族は僕たちが初めて行ったデート場所でもあって思い出があるが今はもう何も感じない。今は。

「お荷物あればこの籠にお入れください」

店員さんのありがたみを知ったがこれもテンプレなのだろう。何も考えず荷物をしまった。そこでトラブルは起きた。お酒と避妊具が落ちて見えてしまったのだ。

「彼女いるんじゃん!性欲ある方だもんねー」

「そこは見ないふりしろよ、デリカシーないな」

あ、今日初めて思っていることが言えた。

お互いハイボールを飲み続け途中でレモンサワーを注文する。付き合っていた時と同じ注文の仕方だ。かなり飲んでいて気がついた頃には買ったはずのお酒はもう常温になっていた。



 

 深夜を過ごす


「眠い、限界、とにかく眠い」

そう言ってお店を出た。気がつけば時間はもう遅くサラリーマンや悪ノリの大学生らしい人たちが多くいる。元カノはもう酔っ払って歩くことすら困難な状況だった。

「ホテル行こうか」

「うん、寝る」

僕は何をしているのだろうか、彼氏がいる女性とホテルはまずいだろ。お酒を理由にしてホテルに向かう。「お酒よ、僕の背中を押してくれてありがとう」と心のどこかで思ってしまう。「僕はまだ元カノのことが好きなのだろうか」こんなことを考えながらホテルの部屋に着いて焦った。普通に歩いているどころか走り回っている。

「どっちが先シャワー浴びる?」

「どっちでもいいけどお前寝るんじゃないの?」

「寝るなら化粧落としたい!髪洗いたい!」

「あっそ、先どうぞ」

「あざーす!」

結局元カノが先に入ってその次に僕が入った。お風呂は泡まみれでボディソープは倒れていた。付き合ってる時と変わらない部分もあると知り少し安心した。シャワーを浴びながら僕はスマホの通知を消した。友達も多くないため消さなくても通知が来ないことは分かっていた、しかし通知が来たら2人の時間にその音が乱入して2人きりの時間ではなくなる。その通知の相手がいること時点で嫌なのだ。この時点で僕は元カノにまだ未練があることを確信した。

「風呂出た」

「おかえりー」

元カノは裸のままでベッドに寝転んでいた。こんな姿を見て理性を保てるはずがない。思わず一緒のベッドに寝転んでしまった。

「ねぇ、ぎゅーってしよ?」

「彼氏さんを想像しないでね」

「もちろん」

ものすごく暖かくて柔らかい感触が全身に巡る。人の温もりを忘れていたこの自粛期間と彼女がいなかったことも重なり感情は不安定になる一方で不思議と涙もでてきた。涙を拭うようにキスをして全身にキスをした。避妊具を買っておいてよかったとこの時今まで以上に実感した。

「生でもしたい」

「分かった」

快感よりも彼氏から奪いたい気持ちが強かったのだろう。直前で抜かないと妊娠してしまう。

「アフターピルとかあれば私飲むよ」

「そんなの持ってるわけないだろ」

「だよね」

そのまま朝4時まで過ごした時間はバイトの休憩よりも短く感じてどこか冷めていくだけだった。普段の僕はこの時間寝ているし起きて外を覗いて見ると始発に乗るであろうサラリーマンが磨きのかかった靴を履いて早歩きで駅へ向かっている。カーテンを開けて裸の元カノが横で寝ている。「首の裏のシミ、予防接種の跡、ブラをつけている時よりも胸が小さいこと、調子の悪い二重幅」この深夜の限られた時間は確かに元カノのことが好きだった。しかし朝になり僕が独りになった時は元カノに対しての好きの感情が消えかけていた。

「おはよー」

「おはよう」

この「おはよー」は僕の思ってもないことだ。元カノはどうなのだろう、そんなこと考えても他人は他人なのだから考えるだけ無駄だろう。お互い昨日の服をきてホテルを出る。空は憎らしいほど綺麗な青空だった。

 反復 


 僕は恋をした。深夜0時から朝4時までの限られた時間の中で全てを味わった。周りにはスーツを着て会社に向かう人もいれば朝帰りの人もいて多くの種類の人間が行き交う。3月ももう終わり僕は新しく大学4年生になる。出会いの春でもあれば別れの春でもあり音楽番組では卒業ソングと春歌特集の特番ばかりだ。

「トースト焦げたけど食えるっしょ」

この一言から今日の僕は始まった。結局彼女は今も出来ず大学に行ってバイトをして終わったら即帰宅して週に1回就活のエントリーシートや企業の面接を行う日々だ。「ピンポーン」とオートロックのマンションのインターフォンが鳴る。毎週日曜日は元カノとお酒飲みながら僕の部屋で語ると決まっているのだ。そして日曜日の部屋を開ける時に限って思ってもない言葉ではなく必ず正直に言える言葉がある。エレベーターの音がして足音が近くなる。元カノがドアの目の前に着いたみたいだ。

「いらっしゃい」

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