第1話「いざ武者修行の旅へ」
一月十五日。
快晴。
今日は私の元服の日。
畏れ多くも殿に月代を剃っていただき、名まで戴いた。
私はまだお家に御奉公していない、なんの手柄も立てていない。
それなのにこのような栄誉を賜るだなんて。
それに私は……。
それを察せられたのか殿は小声で「なに、これは旅立つ若者への餞別だ。しかと励んでくるがよいぞ」と仰られた。
更に「戻ってきた時には土産話を頼むぞ」と。
殿は覚えていてくださったのだ。
私が幼かった頃、お忍びで我が家に来られた際に「元服したら武者修行の旅に出たい」と言った事を。
童が言った事でも受け止め、お許しくださった。
このような御方にお仕えできるなんて、私はなんと果報者なのだろうか。
戻ってきたら精一杯御恩に報いようと誓った。
夜になり、私は父上と母上に修行の旅に出るお許しを願った。
だが、流石の父上もなかなか首を縦には振ってくださらなかった。
母上は「せめてこの子がもう少し大きくなるまで待って」と、生まれて一年になる妹を抱きながら言った。
私も妹が可愛い。そうしようかとも思ったが……それでは旅立つ時に成長した妹に泣かれてしまい、ずっと離れられなくなってしまう。
ぐっと堪え、頭を下げて何度もお願いした。
殿がお許しくださっている事は言わずに。
言ってしまうとお二人は本意でなくともお許しくださる。
それでは駄目だ、本心から納得していただかなくては。
お願いし続けて、夜中になった頃だった。
「……二年だけだぞ」と父上が仰られた。
私は何度も礼を言った。
もう嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
一月十六日
今日も快晴。
既に旅支度を済ませていた私は、眠れずに夜が明けるのを今か今かと待ちわびていた。
やがて夜が明け、父上と母上、家人の
そうそう、父上と母上と吾作さんは分かっていたが、流石に殿は私が異界へ旅に出るとは思われなかっただろうな。
さあ、どんなことが待っているのやら。
一刻も早くあの場所へと走っていたら、途中でこけて泥まみれになってしまった。
思いっきり笑ってしまった。
なんとか泥を落とし、着いた場所は八幡神社。
ここで祈ればいいと幼い頃聞いていた。
目を閉じて手を合わせて祈ると、本殿がまばゆく光だした。
その光の中から御出になられたのは、幼い頃お会いした時と変わらぬお姿。
この世を守られている神でもある、八幡大菩薩様だった。
「ふふ。立派になったな、
八幡大菩薩様が笑みを浮かべて私の名を呼んでくださった。
「ありがとうございます。お陰様でこの度元服し、主君より『
「良い名だな。ふふ、遠江守は自身に縁のある諱をそなた達親子に授けたのだな」
遠江守とは我が主君。
父上の諱は「
「父はともかく、私には勿体ないくらいです」
「遠慮は要らぬだろう。そなたとてこの世を救いし者の一人。それは彼もわかっているのだから」
「私はただ龍神様の言う通りにしただけですよ」
「それでもだ。そなたがいなかったらこの世はどうなっていたやら。私もその恩は忘れていないぞ」
「……勿体なきお言葉です」
「さて、願いはもうわかっているぞ。この社の扉を開けば異界への道があるからな」
「はっ、ありがとうございます」
「気をつけてな。そなたの事は向こうにも話してあるので、もし困った事があればこれを握って祈るがいい。きっと力になってくれるだろう」
八幡大菩薩様は懐から数珠を取り出し、私に差し出した。
「重ね重ねありがとうございます。それでは行ってまいります」
紫がかった長い隧道を歩く事四半刻だろうか。
目の前が明るくなってきた。
そこはどこまでも続いているかのような大草原だった。
空は青く、雲ひとつない。
まるで春のように暖かい。
とうとうやって来たのだ、異界へ。
私は大きく伸びをした後、散切り頭を叩いた。
「向こうでいずれそうしようと思っていたのだろ? だから今してやったぞ」
ここへ来る前に八幡大菩薩様がしてくださった。やはり御見通しだった。
せっかく月代を剃っていただいたが、こちらではこうしたかったのだ。
それと羽織袴も鞄にしまい、今は遥か後の子孫である
どれもこれも幼い頃からの憧れだった。
刀は父上から元服の祝いだと、ご自身が長年使われていたものを授けてくださった。
これは元々お祖父様が使われていたもので、それを父上が受け継いだそうだ。
さてどちらへ行こうかと思って辺りを見ると、少し離れた所に街路樹が、一本道があった。
あの道を行けばいずれ町に着くであろう。
どんな人がいるのだろうか。いやもしかすると妖怪のようなものがいるのかも。
期待を胸にその道を歩いた。
二刻程歩いたが、まだ町の影すら見えない。
もう日が暮れそうになったので、今日はここまでにしよう。
道を外れ、木陰で野宿することにした。
しかし後世にはこんなものもあるのだな。
見た目は三寸程の竹筒なのに、お城くらいの大きな物もしまっておけるだなんて。
それを前にかざして念じた。
すると目の前に寝袋や鍋、食材、そして小さな囲炉裏のようなものが出てきた。
これは後世にある「カセットコンロ」というらしく、火をおこして煮炊きができるものだ。
燃料が入っているというガスボンベとやらも必要だが、それはあまりたくさん渡せないと一彦が言った。
うん、時の流れに影響するかもしれんからな。
今日は異界に来た祝いということにして、後はどうしてもという時のみにしよう。
この日は一彦の双子の姉、
天竺にあるものだそうで、後世の日ノ本では国民食になっているとか。
うむ、辛いが美味い。
聞けば本来の流れにおいて日ノ本で最初にこれを食したのは、今から百数十年後の会津松平家のご家臣だと記されているらしい。
だから絶対内緒にしてくださいと沙貴が言う。
わかっているがこんな美味いものを広められないのは残念だ。
すっかり暗くなり、空を見ると丸い月が二つ浮かんでいた。
改めて異界に来たのだと実感した。
さあ、寝よう。
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