最期の金曜日
朝木深水
最期の金曜日
どれだけの月日が経ったのだろう。
毎月一回、最終金曜日の夜、この椅子に座り、パネラーたちの議論に耳を傾けてきた。
流石に私ももう歳だ。
最近は、番組中にウトウトすることもある。
スタッフも慣れたもので、カメラには映らずに済んでいるが、気力だけではもう限界だ。この辺が潮時かもしれない。
いずれにせよ、もう長くやりすぎた。ここまで続くとは正直思っていなかった。そもそも私自身がここまで長生きするとは思っていなかったのだ。
今では習慣を通り越して、単なる惰性と化している。
番組を始めた頃は私もまだ若く、そして何よりテレビ自体が最先端のメディアだった。
時代は我々を中心に回っていた。
パネラーが一言発すれば、海が割れ、道が開けた。
言葉は翼を広げ、スタジオを飛び出し、世界中を余すところなく駆け巡った。
自由闊達で制約のない、公正公平な議論の場を提供することによって、真実に光をあて、お互いをより理解し合い、無知や不正を正し、悪を一掃し、最適な選択肢を導き出せるものと信じていた。
言論とテレビの力で、我々とこの世界に変革をもたらし、よりよき未来を自分たちの手で作り出せるはずだった。
しかし、全ては過去のものと化した。
今ではどうだ。
インターネットの普及により、メディアと言論を取り巻く環境は激変した。
テレビを始めとするオールドメディアに対する不信感は、最早回復不能なレベルにまで達している。新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、出版、全て不振に喘いでいる。
何か発言する度に、ネットから集中砲火を浴びて、『フェイクニュース』『マスゴミ』と揶揄される。発言内容は関係ない。ちょっとでも気に喰わない発言や、立場の違う人物に対して、ピラニアのように群がり、骨まで喰らいつくす。
これが言論と言えるのか。ルール無用、相手に対する敬意や気遣いもない、弱肉強食のサバンナのような無法地帯と化している。
インターネットは確かに便利だ。しかし、パーソナルメディア故に、事実報道には向かない。
彼らには名前もなければ顔も見えない。客観的な事実報道と、特定の利益集団が、真偽不明の情報を撒き散らすことが同じであろうはずがない。
報道には組織的な取材力、分析・整理・編集力の蓄積、特定の利害と離れた客観性、情報の信頼性が必要とされる。そのためには、独立したジャーナリズム集団が必要とされる。
ジャーナリズムの倫理基準は最高度の厳しさを求められ、記録優先のため、時には世間の常識と衝突することもある。
そのことが充分に理解されていない。
勿論、これは我々自身が招いた悲劇でもある。
本来のジャーナリズムの役割とは、真実を伝えること、そして国民のためのウォッチドッグ(監視する番犬)となり、権力の暴走を防ぐこと、のはずだった。それが政治権力にすり寄って、大本営発表ばかりを垂れ流す発表ジャーナリズムと成り下がってしまった。
新聞記事は無記名で、新聞社の意向に沿って記事を書いている。記者個人が責任を負わない。これではインターネットの掲示板と大して変わらない。
ワイドショーは下らない芸能ニュースを延々と垂れ流し、夕方のニュースはグルメ情報に半分以上の時間を費やす。
素人のコメンテーターが、毒にも薬にもならないコメントでお茶を濁す。
今や一般人のYou TubeやSNSの方が、情報が早く、信頼度も高いときた。テレビの方が、動画サイトから猫動画を借りてきて、嬉々として垂れ流している始末だ。
一般市民と我々の間にある認識の乖離は、埋められそうにない。
最早、信頼回復のために何をするべきか、見当さえつかない。
何故こうなってしまったのだろう。我々はどこで道を誤ったのか。
若手の経済学者が発言をしていると、与党の中堅議員が割って入った。そのまま話し始めた。
『ちょっと待って。今彼いいこと言った』
割って入ろうとしたが、ワンテンポ遅かった。
上げかけた右手を引っ込めた。幸いなことに視聴者には見られずに済んでいるはずだ。
以前ならこんなこともなかった。もう番組進行もままならなくなってしまったのか。
議員は話し続けている。それは段々と熱を帯び、ほとんど演説に近くなってきた。そもそも経済学者の話とも微妙にズレている。経済学者の方は椅子に頭を預けて、宙を睨んで議員の話に耳を傾けている。
実は彼に、直々に番組出演を依頼したのは自分だった。
論文や雑誌の記事を幾つか読んだ。
従来の常識には囚われない、斬新な発想が目を引いた。
派閥争いしか能のない経済学者にしては珍しく、リアリストで、何より弱者を労わる姿勢に好感を抱いた。
最初は出演を渋っていた。
自分は人前で話すのがあまり得意ではない。テレビに出るつもりもない。
しかし、彼には光るものを感じた。
パネラーもマンネリ化している。
番組に新風を吹き込むべく、是非とも出演してもらいたかった。いずれはレギュラーのパネラーとして、番組を盛り立ててもらいたい、そう思っている。
しかし、リアリストかつヒューマニストであるが故に、上下左右から叩かれることにもなりかねない。
テレビで顔を売ってのし上がってやろうという野心家でもない。自身の研究さえしていれば満足なタイプなのであろう。今時、本当に優秀な人間はテレビなんぞに出たがらないものだ。インターネットでも、誰の力も借りずに充分やっていける。
テレビ出演は、彼にとっては茨の道かもしれない。そもそも必要がないのかもしれない。
しかし今はテレビの方が、そういう人間をこそ必要としている。
どうしようもないジレンマだ。
やっと議員の演説が終わった。誰も突っ込む気配がない。内容が脱線して、話についていけなくなっているのかもしれない。パネラーの頭上で、クエスチョンマークが回っているようだ。一瞬間が空いた。
最近メディアによく登場するようになった女性コンサルタントに話を振った。彼女が話し始めた。
どうも、いまいち盛り上がりに欠けるようだ。
まだ時間も早い。
こういう時に、誰かちょっと渇を入れてくれればいいのだが、最近では、そういうパネラーもいなくなってしまった。若者たちは、皆優秀で、スマートで要領がいい。しかし、ガッツに欠ける。良くも悪くも品行方正な人物ばかりになってしまった。
昔のパネラーは、皆気骨があった。
特に私より上の戦争世代は迫力が違った。
作家、映画監督、国会議員、左右の活動家や評論家たち。
イデオロギーこそ違えど、正義感に溢れ、誰もが自分自身の信念に忠実で、この国を良くしたい、世界を変えたいと本気で思っていた。
経験に裏打ちされた彼らの言葉には、一つ一つに重みがあった。
皆、私より先に逝くとは思わなかった。私だけこんなに長生きするとは。
もう何十年もやっているおかげで、ありとあらゆるテーマを扱ってきた。
政局、経済、世界情勢、戦争、年金、カルト、震災、環境、メディア、スポーツ、教育、犯罪、司法、などなど。
この番組での議論がきっかけとなって、世論を動かし、国会で法改正されたことも一度や二度じゃない。
しかし、番組を始めた頃と比べて、状況は悪くなるばかりだ。
経済は下り坂で、一向に回復する気配がない。格差が拡大し、収入は上がらず、非正規雇用だけが増え、一般庶民の生活は苦しくなるばかりだ。若者たちの間では、結婚して子供を産むことが贅沢とさえ言われるようになってしまった。人口減少は止まりそうにない。
バブル崩壊後の『失われた三十年』は、そのまま番組の歴史と重なる。
このような状況であるにもかかわらず、何故か投票率は上がらない。特に若者たちが投票に行かないようだ。
彼らが政治や社会問題に少しでも関心を持ってもらえるようにと思ったのが、番組を始めたきっかけの一つだった。
今まで自分がやってきたことにどれだけの意味があったのだろうか。
議論することに意味があるのだろうか。
パネラーたちは淡々と議論を続けている。
田原は改めてスタジオを見渡した。
かつてはスタジオに電話オペレーターがずらりと並んでいた。視聴者からの意見を受け付けて、それらをボードに書き出していた。
視聴者もリアルタイムで番組に参加できるようになっていた。
今にして思えば、ネット時代を先取りしていた訳だ。
今ではモニター一台で事足りるようになった。
画面では、SNSのレスが次々と更新されている。
かつては、我々が情報や主義主張を一方的に押し付けるだけだった。
現在では、記者ではない一般市民でも、自分たちで情報発信ができるようになった。
にもかかわらず、投票率は上がらない、政治に対する関心も薄い。選挙では、組織票に強い与党が圧勝する。これはどういうことなのか。
結局、高い関心を持って発言しているのは、極一部だけということだろうか。
どうすれば彼らの関心を集めることができるのか。視聴率を上げるにはどうすればいいのか。
野党の女性議員が発言していると、与党の中堅議員が割って入った。
年配の左翼活動家が応戦すると、お互いに罵倒を始めた。
年配のネトウヨ作家とリベラル派の若手社会学者が戦列に加わった。
若手の経済学者が、彼らの間に挟まれて窮屈そうだ。
番組が盛り上がるのは大いに結構。
田原は少しだけテーブルに身を乗り出して、姿勢を正した。
右派は愛国心と伝統的家族観の大切さを説き、相手を『日本人じゃない』と罵倒した。
左派は平和主義とジェンダーフリーと環境保護を訴え、『女性の苦しみがわからないんですか』と問い詰めた。
最早、今夜のテーマとは全く関係のない空中戦と化している。
私だって、これでも若い頃は血気盛んだった。
三人の首相を退陣に追い込んだ。
取っ組み合いの喧嘩をしたことだって一度や二度じゃない。
殴り合いの喧嘩をするくらいでなければ、実のある議論など出来ないと思っていた。
そう言えば昔、あるイベントで、パネラーの作家が映画監督をいきなり殴りつけて喧嘩になったことがあった。あれはおかしかったな。
しかし、混乱が収束しそうにない。ここまで脱線すると放っておく訳にもいかないので、この辺でクールダウンすることにした。
「はい、一旦CM、CM」
テーマソングが流れ、CMに入った。
ディレクターが去ると、モニターを見た。
SNSのメッセージが次々と更新されている。
番組の内容がほぼそのまま反映されている。
お互いに口汚い言葉で罵倒し合っている。
議論が熱くなると、SNSの方も投稿が増える。
しかし、この混乱状態に呆れているようなメッセージも少なくない。
どうも、こうした茶番劇に冷ややかな見方をしている視聴者もかなりいるということが、SNSを導入したことでわかってきた。
若い世代では特に顕著だ。
視聴率が頭打ちなのも、そのせいかもしれない。
以前は、議論が熱くなればなるほど、番組が盛り上がり、視聴率も上がると思っていた。
視聴率が上がれば、話題となって世間の関心も高まる。
世論が形成され、それが変革への大きな力となる。
実際、視聴率も上がったし、話題性も充分だった。
元々深夜ということもあり、視聴率には限界がある。それでも、かつては深夜帯にしては驚異的な数字を叩き出していたものだ。
テレビでは主義主張の中身よりも、その場その場での映像的な刺激が求められる。
元々は、充分な時間を取って、実のある議論をしたいと思ってはいたが、テレビである以上、現在主義、映像至上主義から完全に逃れられる訳もない。
いや、むしろそれこそがテレビの魅力なのだ。
先の見えないスリル、何が起こるかわからないワクワク感、筋書きのないドラマ性、刺激的な映像、カメラは出演者たちに肉薄し、ありのままを映し出す。主義主張を伝えるだけなら、テレビでもライブである必要もない。文字だけでも事足りる。その場で議論を闘わせ、反論し、論破され、狼狽し、時には声を荒げ、すれ違い、或いは歩み寄り、稀に和解に至る。堂々と、時には自信なく、パネラーたちが語る様子を視聴者はつぶさに観察することで、言葉以上のものを感じとることができる。結論だけではなく、議論の過程を全て視聴者に見せることで、彼らも間接的に議論に参加することができる。
言論の自由は民主主義の礎だ。
誰でも、自分の言いたいことを言う権利があるのだ。
視聴者や一般市民の声なき声を拾い上げることこそ、我々の責務だったはずだ。
今度は年配のネトウヨ作家が、先の大戦について語り始めた。
彼が語り終えると、野党の女性議員が反論を始めた。
話が元のテーマに戻る気配がない。
今夜のテーマは戦争とは全く関係がない。従来のイデオロギーを超えて議論すべきテーマだったはずだ。何でもかんでもイデオロギーの色眼鏡でしか物事を見ることができない人間が多すぎる。
『イデオロギーバカ』だな。
年配のネトウヨ作家が悪態を吐くと、野党の女性議員と年配の左翼活動家が吊るし上げを始めた。
議論で熱くなるのは構わないが、流石に中傷や悪口はダメだ。仲裁に入った。
また女性コンサルタントに話を振った。
彼女は中々頼りになる。しかし、彼女がやっている仕事の内容はさっぱり理解できない。
この番組では、保守リベラル双方に均等に出演してもらってきた。
元々自分は、イデオロギーにはこだわらないほうだ。私は全方位で、誰に対しても、本音でしゃべる。自民党総裁でも、野党議員でも、その人物にいわねばならないことを直接本人に話す。
しかし、この番組を始めてみると、保守派の視聴者層が想像以上に遥かに多いことが判明した。
かつては保守派の政治学者や漫画家が、レギュラーのパネラーとして人気を博していた。
現在、『ネトウヨ』と呼ばれる人たちは、巨大掲示板が発祥と言われるが、それ以前は、この番組こそが彼らにとっての最前線だったはずだ。
権力の監視が、ジャーナリズムの重要な役割の一つだ。
そして、政治権力から見放された、声なき弱者の声を拾い上げるのが、我々の至上命題だと思っていた。
よってメディア全体としての傾向は、どうしてもリベラルに寄らざるを得ない。
しかし、その声なき者たちと思っていた人々が、まさか政治権力を支持し、返す刀で我々に切りつけてくるとは、全くの予想外だった。
彼らは発言の機会を求めて深夜のテレビに殺到し、便所の落書きのような巨大掲示板を経て、今ではSNSを通じて自由に、或いは無軌道に発言を繰り返している。
この番組がなくても、インターネットの普及によって、いずれはこのような状態になっていたであろう。しかし、私の番組がその先鞭をつけたことは間違いない。
私はパンドラの匣を開けてしまったのだろうか。
イデオロギストは、ポジショントークに終始しがちだ。
人間ってヤツは、基本的認識が異なると、話自体が全く噛み合わなくなる。
相手を屈服させることができないとわかるや、彼らはすぐに人格攻撃を始める。
そうなったら、もう議論もへったくれもあったもんじゃない。
反論や批判はともかく、相手の人格や人間性を貶めるのはルール違反だ。
しかし、プロのジャーナリストが従うべきルールは、ネットには存在しない。
最後に勝つのは数の力だ。
リアルでも、結局は声のでかい方が勝つ。
今までは、リアルで組織力のある『パヨク』の方が優勢だったように見えた。
我々は現実を見誤っていた。
今はもう二十一世紀だ。いつまでも七十年代のままではいられない。
我々は民意を無視するべきではない。
だからと言って、世論に迎合するのはダメだ。
先の大戦の二の舞となるだろう。
世論に迎合すれば叩かれ、世論を敵に回せば息の根を止められる。
ではどうしろと言うのか。
イデオロギーの方だって変化している。
旧態依然とした右左のカテゴライズが、最早通用しなくなっている。
本来は、我々の方が言論をリードして、市民に対して選択肢を提供しなくてはいけない立場のはずだ。ところが我々の方が、時代の変化に対して完全に後れを取ってしまった。
議論は淡々と続いている。
流石にこの時間になると、スタジオも静かになる。どこかで何かを落とした音が響いた。スタッフの誰かだろう。
パネラーも眠気には勝てない。
SNSでも書き込みが少ない。
視聴者やネットの方も、盛り上がっていないようだ。
月一回、約四時間。今まで膨大な時間を議論に費やしてきた。
私自身は、右でも左でもどちらでも構わない。
ただ議論する場を提供したかった。
しかし、どれだけ議論を尽くしても、結局何も変えられなかった。
むしろ、状況は悪くなるばかりだ。
視聴率は頭打ち。
投票率も上がらない。
総理大臣を三人失脚させても、結局日本は変わらない。
コロナ禍が起きて、大勢の人々が死んだ。今度もまた戦争が起きている。
何十年もやっていて、思い知らされた。
議論なんて噛み合う訳がない。
情報を右から左に流しているだけだ。
これは所詮テレビなのだ。
別に結論なんか出なくたって、その場で面白い画が撮れればそれでいいのだ。
ただそれだけのことだ。
番組が、いや私自身がもうオワコンなのであろう。
所詮はただの電波芸者だったのだ。
私の仕事は無駄だった。
私の人生は一体何だったのか。
もう疲れた。
若手の経済学者が発言していると、今度は左翼の評論家が威圧的な口調で割って入ろうとした。
「ちょ、ちょっと、ちょっと待って下さい。最後まで聞いて下さい」
経済学者が臆せずに逆に止めに入った。
彼が自身の見解を述べ終わると、一瞬だけスタジオが沈黙に包まれた。客席からポツリポツリと拍手が起こった。そしてゆっくりと客席全体に広がった。
左翼の評論家が何か言いかけたが、断念したようだった。
モニターでは、SNSのレスが次々と更新されている。
この状況に、当の経済学者自身が一番驚いているようだった。無理に首を回して客席を見ようとしている。
与党の中堅議員と目が合った。何か言いたそうだ。頃合いを見計らって、彼に話を振った。
「さっきも言ったように、今与党内でも、検討委員会を立ち上げて、議論が始まったところなんですね。それで、まあ、次回は無理かな、その次の通常国会あたりに、法案を提出できると思います。こういう話って、今までどこでもする機会がなかったんですね。テレビでも話はできなかったしね。だから、今回はこうやって話ができて良かったと思います。こういう機会を設けて頂いて、田原さんには本当に感謝しています」
流石と言うべきか、変わり身が早い。伊達に国会議員をやっている訳ではなさそうだ。
CMに入ると、ディレクターがやってきた。短い確認の後で、彼が言った。
「良かったですね。さっきの」
「んん、ああ、そうだな」
良かったなんてとんでもない。最高だったじゃないか。そう言えば久しく忘れていた。この感覚を。
何が起こるかわからない。これがテレビというヤツだ。
これがあるからテレビはやめられないのだ。
田原は若手の経済学者の方を見た。彼は目を伏せて、資料に目を通している。
彼はきっと大物になる。経済学にとどまらず、我が国の言論界をリードする存在となるだろう。
SNSでは、彼の名前がトレンドに入ったらしい。掲示板の方でも、恐らくスレッドが伸びているだろう。
いくらテレビとは言え、発言一つで山を崩したり、枯れ木に花を咲かせられる訳ではない。
我々に出来ることは、せいぜいさざ波を一つ起こすくらいのものだ。
しかし、一つ一つは小さなさざ波であっても、共鳴し合えば大きなうねりにもなる。
逆に他の波に打ち消されてしまうこともあるだろう。或いは我々自身が、うねりに呑み込まれてしまうかもしれない。
メイクの手直しが終わると、田原は改めてスタジオ内を見回した。パネラーは資料に目を通したり、ある者は眠そうにしている。慌ただしく動き回るスタッフたち、そして観客たち。
田原は改めて驚異の念に打たれた。
こんな深夜にもかかわらず、これだけ多くの人々が番組に付き合ってくれているとは。それも何十年も。
私は思い上がっていたのかもしれない。
決して奢ることなく、常に己を律し、己を疑い、市民の声に耳を傾け、対話し、自問自答を繰り返す。そして己の信ずる道を進む。結局はそれしかない。正解でなければ叩かれるだろう。或いは正解など存在しないのかもしれない。それでも正解を探し続けるしかないのだ。
急に眠くなってきた。背中に微かな痛みを感じる。いけない、まだ番組は終わりではない。しっかりしないと。改めて田原はカメラの位置を確認した。
まだまだテレビだって捨てたものじゃない。テレビにできることはまだある。
新聞だろうと、雑誌だろうと、テレビだろうと、ネットだろうと、結局は波の上で揺られながらもがき続けるしかないのだ。
ADが本番の始まりを告げた。
「5,4,3,(2,1,キュー)」
カメラが田原総一朗の顔をアップにして映し出した。
田原は目を見開いて、カメラをまっすぐに見つめている。口元はほんのわずかに笑っているように見える。テーブル上で両手を組んで上体を乗り出している。いつもの彼のポーズだった。
CM明けは、田原のコメントから入ることになっている。ところが田原はカメラを見つめたままで微動だにしない。その眼差しは、まるでこの世の全てを見通すかのように鋭い。
一秒、また一秒と、沈黙したまま時が流れていく。
左隣で彼をアシストしている国際政治学者の女性も異変に気付いた。
「田原さん」
彼女は田原に優しく呼びかけた。彼の左肩を軽く叩いたかと思うと、突然立ち上がった。彼の耳元に叫んだ。
「田原さん」
パネラーたちも何事かと身を乗り出して、田原の方を見つめている。若手の経済学者もゆっくりと立ち上がった。
ディレクターが叫んだ。CMCM。スタッフたちが慌ただしく動き始めた。
スタジオが騒然とする中で、田原一人だけがカメラを、そして視聴者を真っ直ぐに見つめ続けた。
テレビとジャーナリズムにその生涯を捧げた男の、壮絶な最期だった。
参考文献
『嫌われるジャーナリスト』田原総一朗 望月衣塑子(SB新書)
『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』上杉隆(PHP新書)
『ジャーナリズムの可能性』原寿雄(岩波新書)
最期の金曜日 朝木深水 @shinsui_asagi
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