11.有栖栄太郎の最後。

「冗談じゃないぞバカヤロウ」


 アリスの右ストレートが、ものの見事にドワーフのおっさんのぷにぷにした左頬に突き刺さった。


 ヴァルディーガの大立ち回りから一時間ほど後。街から少し離れた小高い森の中に建てられた、いかにも秘密基地な形をしたモグラザカ魔導研究所の一室に、アリスはいた。


 肩で息をしながら、ドワーフを見下ろすアリス。女の子座りで頬に手を当てるおっさんの名はモグラザカ博士。35歳でありながら、ヴァルディマシンを生み出し、異世界からの転生装置を生み出した、魔導科学の大天才科学者だ。

 残念ながら見た目はだらしなく伸びたカイゼル髭とおよそ肉体労働に向かなそうなぷよぷよの体が特徴の太ったおっさんだ。


「な、何も殴ることはなかろう!?」


 そう言ってモグラザカ博士はちらちらとブレーメンとドロシーを見るが、ブレーメンは羨ましそうに彼を見つめ、ドロシーは視線を合わせない。


 アリスはモグラザカ博士を見ながら、あの、太ももの感触を思い出す。


「俺が、アオーニの所の女の子の太ももの上に転移したのは手違いでした、だ?」

「いやー誰にでも間違いはあると思うの、ワシ」


 だらしなく下げたネクタイをアリスに引っ張られ、少し涙目でモグラザカ博士は言う。だが、異世界からの転送装置を操作中にスナック菓子を食べて、油の付いた指で操作したから座標を打ち間違えましたは、誰にでもある間違いで済まされることではない。


「ふつー、それだけの大作業するときスナック菓子は食べないんじゃないでしょうかねー? それに、確認作業とかしませんかねー?」


 至極まともなことを言うアリスが、博士だけじゃなくブレーメンとドロシーにも鋭い眼差しを送るが、ブレーメンは顔を上気させ、ドロシーは目を合わせない。


「お前」


 アリスは再びモグラザカ博士を見た。その顔には暗い影が落ち、瞳は洞穴のように暗い。


「てんそー先がおねーちゃんの太ももの上だったから良かったが、ちょっとずれておねーちゃんと重なってたら、なかなかのスプラッタ映像だな」


 青ざめるモグラザカ博士に、さらにアリスは詰め寄る。


「『壁の中』とかでも笑えねーよなあ。その中で、延々と回復と窒息を繰り返すんだぜ、俺」

「でも、生きてて良かったね、アリスちゃん」


 アリスの責めを一手に受ける博士の姿に対する羨ましさが限界を超え、ブレーメンは口を開いた。


「あ?」と、アリスは鋭い視線を投げる。ブレーメンはときめいた。


「だから、生きてて良かったね」


 自分にもアリスの責めが来ることを予測し、火に油を注ぎつつ、興奮するブレーメン。そんな彼の胸を、アリスは不機嫌そうにつついた。


「お前、転生事故起こされかけて、その後のひと騒ぎがあって、その原因がこの親父の不手際で、良かったねで済むかバカヤロウ」


 言いながらアリスはブレーメンの胸をつつく。つつかれる度に、ブレーメンは至上の喜びを感じた。


 ちっ、こいつ、俺だったらかなりヘコミそうな態度をとっても喜ぶだけだ。めんどくせえ。


 アリスはブレーメンに背を向ける。つつかれて嫌味を言われることがなくなってしまったことにブレーメンはショックを受けたが、そのショックも責めの一つだと思うと興奮した。


 アリスは無視する。


「で、結局、俺がこの世界に呼ばれた理由は何なんだ? 明確なところ、教えてくれよ」


 アリスの問いに、ここは私の話すタイミング来たわねと、ドロシーはほくそ笑んだ。


「呼んだ理由はね、アリス——」


 真剣な表情で言うドロシーの胸元に持ったバインダーには、アリスの情報が書いてある。もちろん、アリスからは見えない。そこには、『性格・単純で正義感の強い熱血バカ』と表記してある。


「巨大な悪の組織、ブラックヘヴラーから、平和な世界を守るためよ! アリスはこの世界を救う勇者(ヒーロー)なの!」


 ビリビリと、衝撃がアリスを貫く。もちろん、良い意味で。よく考えたら、さっきブレーメンからもそんなこと言われたような気がする。いや、何度聞いても良いなあ。


「じゃあ、やっぱり、あのヴァルディーガで悪の秘密結社と戦うために、俺は呼ばれたの?」


 露骨に笑顔になるアリスに、ドロシーは内心ニヤリと笑う。


 してやった!


「元いた世界から、この世界に転生することによって、優れた魔力を持つであろう候補をピックアップ。その中で、今にも死にそうだったアリスを転生させたのよ」


「へーそーなんだ―。って、今にも死にそうだったの!? 俺!?」


「そーよ」ケロリとドロシーは返す。

「えっ!? 何で!? 原因は!?」

「ストレスによる脳の病気ね」

「ストレス! 脳の病気!」


 ストレスの部分に、あまりにも心当たりがあり過ぎた。


「えっ何で分かるの?」

「映像が見れるわ」

「えっ、見たい」


 俺は自分が死んだところを、見てみることにした。


「これよ」


 ドロシーに見せられたモニターには、おっさんが一人で、部屋の中で、コーラとポテチをひっくり返して倒れている映像が映っている。俺は、ピクリとも動かない。


 どんな感情だ。自分が死んでる映像を見るって。しかも恐ろしく寂しい孤独死。


 画面の映像がぼんやりとにじむ。そして、フェードアウトしていくみたいに小さくなって行く。


 あ、消えた。


 気が付くと涙を流している俺にハンカチを渡しながら、ドロシーは言った。


「転生装置が壊れたみたいね」

「え?」

「転生装置、一人転生させるごとに壊れるのよ。次は魔力の充填も考えてまた五年後くらいかしら」

「えっ、帰れるの?」

「帰りたいの?」

「正直、帰りたくない」


 アリスの答えにドロシーは満足したような表情を浮かべると、言った。


「アリスの世界に帰るためには、この『ヘブンズ・トーキョー』の都市まるまる一つ分のエネルギーが必要よ。それを行うと結果、この都市の機能は壊滅、魔力濃度は崩壊。向こう十年は生物の住めない不毛の土地となるわね」


「なるほど」と答えてみたものの、今一つピンとこない。この世界のことが良く分からないからだな、とアリスは思った。


「あの、ドロシー先生」

「何かしら?」


 アリスに先生と呼ばれドロシーは、彼女なりの先生のイメージなのだろう、掛けてもいない眼鏡を直すふりをした。


 意外とノリは良いんだな。


「この世界のことをもう少し詳しく教えてください」

「良い質問ね、アリス君」


 明らかにノッた感じで、ドロシーは手にしていた見るからに魔法を使うときに使うような杖を翳した。杖でとんとんと空間をタップし「銀幕よ」と唱えると、大きなスクリーンが現れる。これも、魔法の一種だろうか。


「私たちの住むこの世界は、ヘブンズ・プラトー」


 ドロシーがスクリーンに表示した映像に、俺は驚いた。球体ではない。平たいのだ。下の部分は、ギザギザで、とんがった荒涼とした山がたくさん吊り下がっている。上の部分が生命が住む世界なのだろう、山があったり、緑があったり、海があったり。とにかく驚くのが、球状ではなく、平たい大地の上に乗っているってことだ。


 海の水が世界の果てからこぼれているのが衝撃的だ。


「プラトーの上面の面積は、大体アリスの住んでいた地球という星の表面積の半分くらいよ。太陽という恒星の周りを回っていて、月という衛星を持っているわ」


 太陽と月がある。そしてその単語にアリスは興味を持った。

 まだこの世界に来て数時間だが、この世界と俺が元いた世界とは、奇妙な共通点がたくさんある。


 あり過ぎる。


「そしてこのプラトーの上面中心にあるこの島国が——」


 ドロシーがスクリーン上で回転させ、上部から見下ろした映像の地図に乗っていた島国は、日本に近い形をしていた。


「ヘブンズ・ヒノモト。私たちの住む国よ。その首都こそが、大魔法都市ヘブンズ・トーキョーよ」


 映し出された映像は、建物の質感の違いや、圧倒的に多い緑の森を除けば、俺の知る東京の姿であった。

 アリスはここに来るまでに見た、街並みや住民の服装を思い出す。

 文字、単語、外観、文化。

 いろんなものが、俺の居た世界と共通点があり過ぎる。


 何だ、この世界は。


 アリスの困惑する表情に、モグラザカ博士は気付いた。そして、こう告げた。


「この世界はね、君たちの住んでいた世界の、天国ともいうべき世界の一つなのだよ」

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