おっさんが異世界転生したら耳の長い美少女でした。

赤城ラムネ

第1話「おっさん、美少女になる」

1.異世界転生。

 気が付いたらそこは、女の子の太ももの上だった。



「きゃああ!」という背後からの耳をつんざく悲鳴に、有栖栄太郎ありす えいたろうは跳ねるように立ち上がった。


 咄嗟に振り返って悲鳴の主を見る。そこにいるのは、革張りの豪華なソファーに座った、ふわふわの長い髪の女の子。


 そういったところに出入りしたことがない栄太郎にも、その胸元の広く開いた服が、キャバクラとか女性が接客するような店のドレスだということは理解出来た。


 問題は、何故そんな女の子の太ももの上に、俺が座っていたのかである。


 臀部に残る柔らかい感触は、そこが彼女の太ももと接していたことを意味している。


 そりゃあ、40歳近いおじさんが太ももの上に座っていたら、悲鳴は上がるよな。


 と、そこまでは状況を把握することが出来た。


 だが、問題は山積みである。


 さしあたって一番の疑問は、先ほども述べた通り、何故、太ももの上に座っていたのかである。


 さっきまで俺は、アパートの自室で、ポテチを片手にコーラを飲んでいたというのに。


 会社に疲れ、世間に疲れたおっさんが、コンビニのハンバーガーと野菜スティックで晩御飯を済ませ、いろいろやりたいことはあるのにそれをやる気力も出すことが出来ず、ただ、ぼんやり無気力にバラエティー番組を見ながらポテチを食べてコーラを飲んでいたというのに!


 何だ? 夢遊病か? それとも記憶の欠落でもあるのか?


 今度の健康診断で引っかかるのは嫌だなあ!


 現実逃避とも、現実との直面とも取れる自問自答をしていた栄太郎の視線が、ふと、女の子の視線とあった。その瞳は大きく見開かれ、驚いたようにこちらを見ている。


 ああ、そんな目でおじさんを見ないでくれ。


「どうした!?」


 悲鳴を聞きつけたであろう男の声がして、扉が開き、やたらと体格の良い黒服の男が出て来る。まるで鬼みたいな、いかつい顔をしている。

 これはあれだ、味も分からないような水割りを飲まされて、時間でとんでもねえ料金を請求されるあれだ。そういう店だ。


 ハハ。甘く見るなよ、これでも俺は少なからず武術の心得があるのだ。不当な要求には簡単には屈さないからな。


 ——いや、無理だ。


 間近に立った黒服を、栄太郎は見上げる。2メートルを軽く超える身長から黒服は栄太郎を見下ろす。体はむっきむき。スーツはぴっちぴち。大好きなプロレスラーだって、こんなにはデカくない。


 目の錯覚でなければ、突き出た四角い顎の上の唇に収まりきらない犬歯の脇から、息をするたび煙のようなもやが漏れている。もちろん、寒いからではない。


 もう一つ、目の錯覚かと疑う部分としては、角が生えている。オールバックの髪の両脇に二本。生き生きとした角が。


 今日は節分だったろうか。


 栄太郎には黒服の男が、鬼かファンタジーに出てくるオーガに見えてきたそのときだった。


「店長! この人、変なんです!」


 なんだか聞き覚えのあるフレーズを女の子が言う。俺が腕を左右交互に前後へ動かしたりくるくる回して踊れば、コントのオチだったなんてことにならないだろうかと栄太郎は思った。


 もちろん、やらないが。


「急に私の太ももの上にテンイしてきたの!」


 女の子の言葉に黒服は、一度女の子の方を見てから再びじろりと栄太郎を見た。そして言った。


「大方、テンソウのジュモンでも失敗したのか」


 栄太郎には二人の会話の意味が分からなかった。どうせ業界用語か何かなんだろうと、思った。意味が分からないぶん、なおさら気にはなったが。


 嗚呼——、どうしてこんなことになった。


 栄太郎はサラリーマンであった。基本事務方だったが、会社の方針で営業なんかもさせられた。

 栄太郎は事務の仕事は出来るほうだった。人に頼りにされることもあったし、もともと誰かが困っているのを放ってはおけないタチだったので、誰かを助けることも少なくなかった。

 会社では、割と上手く立ち回れていたのである。


 あるときまでは。


 あるとき、会社の経営が、どうにもこうにも良くなくなった。困った会社は、その経営の立て直しを栄太郎たち末端の人間に丸投げした。

 とても現実的とは思えない営業ノルマに、栄太郎は疲弊した。

 それまではどちらかと言えば和気あいあいとしていた職場は、だんだんと殺伐としてくる。


 しかも悪いことは重なるのである。


 人事異動。


 学生時代の席替えやクラス替えは、人間関係においては致命的な破壊をもたらすことがある。それに似たことは社会に出てからも、一部の会社等では発生する凶悪なイベントの一つなのである。


 末端の辛さを理解する温情な、仕事の出来る上司は他の支店へ。


 個性的で、ぶつかることもあったりしたが、それでも支えになってくれた部下は他の部所へ。


 代わりにやってきたのは、仕事が出来ず、出来ないことを隠すために威勢を張るような上司と、やる気がなくて仕事も出来ない上にズルだけは得意な部下。


 思い浮かべるだけで、栄太郎の胃液の酸性濃度は倍に増す。


 それでも栄太郎は業務をこなし、売りたくもないものを自分をごまかし売り、食事のたびにこれでもかってくらいの量の胃腸薬を摂取する。


「誰だ! こんな仕事もちゃんとやっていないのは!」

 上司の怒声に栄太郎は、それはあんたの仕事だよと心の中で呟く。


「こんなこと、やりたくないんですけど?」

 それでもそれがお前の仕事だよと、部下への言葉を飲み込む。


 ストレス。


 完全に飽和状態のストレスが、栄太郎の生活を駆逐した。


 それまでは、あまり得意ではないながらもこなしていた料理は全くしなくなり、コンビニが台所に。


 プラモデルを作ったり、漫画や雑誌を読んだりしていた楽しい有意義な時間は、ポテチを食べコーラを飲みながら、見ているかどうか分からないバラエティー番組を眺めるだけの時間に。


 好きだったポテチとコーラは、何だか味がしなくなって来ていた。それでも美味しかったころの記憶が、せめてものストレス解消にとポテチとコーラを口に運ばせる。


 ぼんやり眺めるだけのテレビは、まさに無気力状態。


 楽しみにしていた桜の花が、灰色に見える。何だか鼻も効かない。


 ——って、こんなときだっていうのに、思い出すことは会社とストレスか!


 なんだか栄太郎は、無性に腹が立ってきた。


 いろんな怒りがふつふつとこみ上げ、鼻から唸るほどの息となって漏れる。


 そんな俺に、この黒服は50万も払えって言うのか!


「女の子の太ももに座って、ただって訳にはいかないだろう?それに驚かせた慰謝料。それで50万なら安いもんだよな。――耳揃えて払いな!」


 黒服がすごむ。だがこのとき、栄太郎の意識は全く別の方に向いた。


 耳。


 言われて気が付いた。さっきから俺の耳、いつもと空気の当たり方が違ってないか?感情に合わせて、ひくひく動いてる気がする。


 些細なことに違和感を感じる栄太郎に黒服は言った。


「さあ! 払いな! それともここで働いてくれても良いんだぜ、『お嬢ちゃん』!」


 お嬢ちゃんの単語に、栄太郎は反応した。


「オジョウチャン?」


 また業界用語か何かだろうか。そうだ、業界用語と言えば、さっきこいつら何か言ってたな。


 ——テンイしてきたの。

 ——テンソウのジュモンでも。


 もしかして、テンイは『転移』、テンソウのジュモンは『転送の呪文』か!?


 その言葉に、栄太郎の心はざわついた。そんな言葉が出てくる漫画もアニメも小説もゲームも、たくさん見て来た!


「さあお嬢ちゃん! 観念しな!」


 もう一度言われたお嬢ちゃん。栄太郎は周りを見渡し、鏡のような物がないか探す。きょろきょろと見渡して栄太郎は、まるで鏡のように磨き上げられたタイルの床を見つけた。


 恐る恐る、床を覗き込む。


 およそ、人の顔というものは、下を向いたときに崩れやすい。だが、そこに映った顔は、下向きであるにも関わらず、まるで透き通った池の水のように澄んだとんでもない美少女だった。特徴的な長い耳は、栄太郎にエルフという名称を彷彿とさせた。


 異世界転生。


 栄太郎の頭をよぎったのはそんな単語だった。


 あまりにも美しい少女の姿に、栄太郎は思わず小さくガッツポーズを取る。


 ——あっ。


 パンツ丸見え。

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