【先読み版】罪囚の虫箱

平なつしお

第1話


 魔女あるいは魔術師とは、罪人に許された唯一、誇るべき称号である。


 ガザン帝国南西部。

 切り立った山脈から通じる隣国への道は、開戦より間も無く常と吹雪の生じる異常地帯へと化していた。

 なぜか、などと帝国にて問うものはいない。

 これこそが魔女あるいは魔術師の下された、刑罰の果てだ。

「アンナ・マルセル」

 吹雪に黒いマフラーをたなびかせ、男が城壁の上で立ち尽くすローブの少女へ声をかけた。

 長身痩躯。黒々とした髪の隙間から覗く眦は鋭く、しかし淀んだ色を持つ。

 若草色の軍服の胸元には、真鍮で作られた小さな笛が一つあった。

 アルフレッド・ラヴァンシーと言う。齢、二十一。軍属へ志願してて五年目である。

 男の顔は寒さで震え、少女の顔は苦痛で歪んでいた。

「アンナ」

 もう一度、アルフレッドは声をかけた。

 ようやくと吹雪を抜けた声に、少女は怯えと恐れと媚び、そして幾許かの悦びへの期待を入り交えて振り向く。

 痩せた少女だ。袖があまり、拘束用のベルトをそのまま飾りの如くぶら下げた黒衣の囚人服から覗く肌に、みずみずしさは皆無である。

 今は止んだ吹雪の中にあっては、容易く押し流されてしまいそうなほどに細かった。

 齢は十八。しかしながら、そうと見てとれるものはいないだろう。興味を持つものも、同じく居ないが。

 病的に痛んだ肌と、くすんだ薄紫の髪が微かに揺れる。

「なんでしょうか、少尉」

 か細く、掠れた声が男の命令を促す。

 魔女である囚人の瞳は男へ、その首にかかかる虫笛に向いていた。

 虫。虫を操る笛だ。

 囚人の体内に巣喰い、特定の呪文を持って奇蹟の如き技法を行使する帝国が持つ最高の秘術にして軍事力。

 その行使は同時に、宿主の神経を、肉を貪るものである。

 ゆえに、魔女あるいは魔術師のなりては罪人に限られた。

 魔術の行使と言う刑罰を持って、彼らは赦されるのだ。

 入れ物として。軍事用の備品、その一つである虫箱となることで。

 だからこそ虫笛は、罪人を飼い慣らす鞭であり飴である。

 虫を外より操り、苦痛をあるいは快楽を持って罪人を支配下に置くのである。

 神経を食い荒らす虫の動きは、同時にうまく誘導してやれば快楽をももたらすのだ。

 苦も、楽も。どちらも神経を通じて身体をめぐるがゆえに。

 苦痛に怯える魔術師は従順であり。

 快楽に涎を垂らす魔女は奉仕に酔う。

 帝国は。虫箱を使う軍人は、そうして魔女ないし魔術師を操るのである。

「先週。我が国の勝利をもって、戦争が終結した」

「ああ……それは……おめでとう、ございます」

 他人事のように魔女がうやうやしく頭を下げた。

「ゆえに。皇帝陛下が十分な働きをした魔女あるいは魔術師たる罪人へ恩赦を出すと、寛大にもお決めになられた」

 しばし躊躇い、男は尊ぶべき帝国の最高峰の言葉を魔女へ告げた。

 恩赦。

 つまりは。

「君の罪を、皇帝陛下はお許しになった」

「……」

 魔女の目は、虫笛に向いている。

「罪を――――」

 だから。

「――――許された」

 重ねて、男が言った。吐き出すように。

「…………本当に?」

 言葉の意味がよくわからないと言いたげに、魔女は繰り返す。

 ただ一人、敵国の侵攻を食い止めた彼女はしかし。

 誰もが持ち得るものを持たず、困ったように男を、虫笛を見た。

「本当に、わたしの罪は許されたのですか?」

 暗く澱んだ青い瞳が、怯えと恐れと媚びに悦楽を混ぜ込んで虫笛を見つめていた。

 ゆえに。アルフレッドは無言で真鍮の虫笛へ手をのばす。

 吹雪に紛れ、ただ一人と無数の虫だけが知る音色が響き渡った。



■第一話


「――――あっ?」

 夜の闇は、あらゆるモノを覆い隠す。生き物にとって見えないという事は何よりの恐怖だ。

 しかして。人の手には、炎と言う輝きがある。

 星よりも近くにあり、人を照らす朱色は漆黒を円状に切り抜き、わずかばかりでもあるべき事実を映し出す。

「お~い、どうしたんだぁ~」

「あれ、レオ倒れてんじゃん。飲みすぎたんか…………えっ?」

 炎が映し出すのは四人。

 酔いの回った赤ら顔が三つ。血の赤に染まる顔が一つ。

「おま、え……なにをっ!」

「ち、ちがう! ちょっと小突いたら、ふらって倒れて……俺じゃないっ!」

 大げさに頭を振る。火の粉が飛び散った。

「と、ともかくみんなに知らせないとっ!」

「待て、待てよ……知らせたらマズい」

「マズいって、何がだ!」

「それは――――」

 言葉がつまる。今、この状況で事故だなどと主張してはたして、信じられるか。最悪、己が犯人にされかねない。

 事実はどうあれ。その方が丸く収まると、酔った頭でも理解できた。

 だから。

「――お前達だって、こいつに迷惑してただろ?」

「そんなの、誰だってそうだ」

 酒癖の悪さを思い返す。そして、日常に変えればけろりと忘れてしまう。

 だけならば、まだしも。賭けの勝ち分ばかりは常に覚え、事あるごとに持ち出しては無心するか仕事を押し付ける狼藉者。

「今日だってそうだ。お前ら、いくら巻き上げられたよ」

「……」

 腰に巻かれた革の財布が、多数の硬貨があることを示す。彼らが勝つ日もあるが、そうなれば使え使えと酒を振る舞わされるのが常だ。

「今、ここでこいつが死んだのは事故だ」

 興奮が高まっていく。紅い顔と、赤い髪が夜風に晒されていた。

「けど、殺したことにされかねない……だろ?」

「だっ、だったらどうするんだよっ」

「俺に考えがある。お前は、脚立と工具を持ってきてくれ」

「えっ?」

「いいから、早くしろ! バレたら俺たち全員、農奴にされちまうぞ」

 自分だけが陥る可能性を拡大し、巻き込み。赤髪の男が叫ぶ。

 酔いが残る頭はただ、目の前に見える危機にばかり意識を取られ。やがて、男たちは暗闇の中を駆け出した。

「悪く思うなよ、レオ……上手くすればあのクソッタレな領主さまにも、一発食らわせてやれるからさ」

 お前も嫌ってただろ、と。慰める声に答えるものは、居なかった。




 ガザン帝国首都、オーバン。

 初代皇帝の名を持つ街は、さすがに戦後から三ヶ月もすぎれば落ち着きを取り戻す。

 とは言え。

 やはり、活気は十二分。朝焼けの霧が当たりを包む頃合いであっても、道行く者の声が方方から聞こえていた。

 その中を一人と、一つが歩く。傍目には二人。

 前を行くのは長身痩躯の男。黒い髪の隙間から覗く眦は鋭く、しかし淀んでいる。

 アルフレッド・ラヴァンシー。ガザン帝国貴族の三男だが、今はその職責を停止してただ軍務に励む軍人だ。

 階級は年齢からすれば高く、中尉――戦時より昇進した――下級ながら士官である。そのため部下を持ち隊を指揮する権限をも持つ。

 最も、彼に部下はなく、部隊は長たるアルフレッドと最高効率の武器がただ一つ、あるだけだが。

 彼は中央に仕切られた馬車用の大通りを右手に、まっすぐと皇城近くへ通じる道を歩く。軍靴が小気味よく、石畳を叩いていた。

 胸には真鍮の笛が鎖で繋がれ、歩くに合わせて揺れている。時折、彼は手を伸ばして所在を確認するように撫で付けた。彼と、武器とを繋ぐ唯一無二の品を。

 背後からやや、小走りに後を追うのはボロを纏った少女だ。

 くすんだ薄紫である。黒衣は擦り切れ、茶褐色の拘束ベルトが飾りのように揺れる。

 首には一つ。飼い犬につけるよりも粗末な首輪にも思える、チョーカーがあった。金属製のタグには『57476』とあった。

 肌は痩せ、アルフレッドの背を追いかける瞳は青くしかし暗い色をはらむ。

 それは怯えであり、恐れであり、媚と法悦が渦を巻いていた。

 アンナ・マルセル。彼女こそが一つと数えられる一人。その身に虫を宿す少女、すなわち虫箱だ。

 少女はただ、息を少しばかりはずませながら足早に道を行くアルフレッドの後を追う。

 二人の合間には周囲と同じような喧騒はない。もとより、アルフレッドはそう口を聞く質ではないしアンナも不要ならば喉を震わすことをしない。

 ゆえに無言。間にあるのは軍靴が奏でる音色と、後を追う素足が鳴らす足音だけだ。

 内情を知らぬものが見れば痛ましさを覚える光景だが、ガザン帝国の者たちはさして気にもとめない。多少なり怯えを交えるが。

 これは当然の行いなのである。

 なぜなら、アンナは魔女だからだ。つまりは、罪人である。

 その咎への報いとして、尊ぶ皇帝によりくだされた判決に乗っ取り刑罰をこなす最中であるのだから。

 罪への怯えはあれど。扱いは当然と誰もがとらえ、ゆえに年若い少女が素足で道を行くことへ何かを思うことも手助けを口にすることもない。

 無言。アルフレッドも、アンナも、そして住民も。

 喧騒を背負い。しかし混ざることはなく、一人と一つはやがて目的地へとたどり着いた。




 赤色の煉瓦を積み重ねた門には、見張りが二人。手には槍を。古式から続く守兵の役割は、武器の更新こそあれどそう変わることはない。

「ご苦労さまです!」

 アルフレッドの姿を認めた守兵が姿勢を正し、左手を背に。右手で槍を掲げて礼を示す。

「ご苦労」

 立場上、上官に当たるアルフレッドは若い声を受け止めながら奥へと進む。

 朝早い。しかし、軍務を担うこの砦の如き職場は常と眠ることはない。昨日から続く今日を働くものが、いくばくか走り去っていく。

 アルフレッドは入り口から少し進んだ分かれ道を、右に進む。半月前から配属された職場は、三階建ての一階部分、最も東側にある。

 靴音が踏み心地の良い紅い絨毯に吸い込まれた。白い壁との差異が有無、色鮮やかさは彼の趣味には幾らか合わない。が、口出しするものでも権利もないので早く慣れねばと思うばかりだ。

 そうして、今日も慣れない内に職場へとたどり着く。

 重厚な黒壇材で作られた扉には、野菊が掘られ格を一つ上げていた。鈍く輝く真鍮のドアノブへ手を伸ばす前に、アルフレッドは戸を二度ほど叩く。

「どうぞ~」

 間を置くことなく、扉に遮られたくぐもった声で入出を促す声がかかった。

 同僚の同意を得たことで、ようやく。アルフレッドはドアノブへ手を伸ばして職場へと立ち入る。

 窓の外には背の高い木々が少し。室内は綺麗に整えられた正方形で、隅には書棚とベッドが一つずつ。

 脇にはまだ早い暖炉がホコリをかぶり、中央にチーク材の執務机と黒革の椅子。

 女が一人、執務机へ豊かな臀部を乗せていた。膝上へ一つ、フリルをふんだんにあしらったドレスで飾られた虫箱がある。

 艶やかな長い白銀の髪が執務机へ散らばり、大きな乳房の上にはやはり、真鍮の虫笛が一つ乗る。

 彼女は入り口へ深い藍色の目を向けただけですぐに作業へと戻った。

「ごめんなさいね、引き継ぎは少しだけ待ってもらえるかしら」

 目を細め、柔らかく女が微笑む。大人びた表情は、アルフレッドへ幼き日に世話をしてくれた乳母を思い起こさせた。

 リュドミラ・ヴァレーエフ中尉。古くからガザン帝国に住まう者が持つ響きの名をした年若い美女。そんな同僚と、今はもう結婚し子が相応に育った乳母を同じにするのは失礼かと男は内心で謝罪しつつ答えた。

「いえ……しかし、なにを?」

「かわいいでしょ?」

 問へ問が返される。

 ほら、と見せつけるようにリュドミラは櫛を片手に虫箱たる少年の顔を持ち上げた。

 うっすらと化粧が施されているのか、色艶は良い。赤髪もまた香油で濡れ、若々しさを取り戻している。

 着飾った姿を合わされば社交界へ出ても違和感はない。

 だが。紅いドレスへ目を向ければ性別と釣り合いが取れているとは、言い難かった。

「しかし、罪人です」

 アルフレッドは少年へ少女性を象徴するかのような衣服を着せることの違和感はさておいて、まず気になる点を問うた。

 虫箱は罪を犯した存在である。魔女ないし、魔術師と称されようとも。逃れ得ることのできない罪を抱えた存在だ。

 むろん、無銭飲食をしたなどという軽い罪で至るものではない。

 殺人か。あるいは、国家へ反逆を企てたか。もしくは、皇帝の不興を買ったかのいずれかで……この場には二種の罪がある。

 彼。アルフレッドが言うのはつまり、死を持って償うに等しい刑罰の最中へある罪人が、着飾る自由を許すべきであるのか、と言う点だ。

「アルフレッドくんは、軍刀を剥き出しで持ち歩く?」

「いいえ」

「理由は?」

「市井の者を悪戯に怖がらせる気はなく、誤って無辜の民を傷つけることがないように鞘へと収めます」

 腰の軍刀へ触れ、重なる問いかけにアルフレッドが淀みなく答えた。

「それと同じよ」

 櫛をひと撫で。

「魔女あるいは魔術師を連れ歩くだけで、普通の人は怖がっちゃうでしょう。だから着飾って、見栄え良くして気が付きにくいしているの」

 戦争も終わったしね、とリュドミラが締めくくる。

「――――なるほど」

 くすんだ目を見開いて、背後に虫箱をそのまま連れ回す男は深くうなずく。

「考え不足でありました。確かに、民を思えば当然の処置かと」

「わぁお、想像以上に素直ー」

 武器を飾るものかと納得し、呆れたような声を聞き流しながらアルフレッドは無言で控える己の虫箱たるアンナを見た。

 囚人用の黒い拘束衣はそのまま。今は使うことのない手足、胴を飾る茶褐色のベルトが唯一の装飾だろう。

 着飾るとなれば、適当に市井で買い求めればいいかと思案しつつ、しかしと男は内心で続ける。

(だが……罪人にはボロこそが似合う)

 思う声は、真逆。

 罪人を囚人へ変える拘束衣姿こそ、アンナには似合うとアルフレッドは思うのだ。

「良ければその子も、あたしが見立ててあげましょうか」

「……ええ、よろしければお願いいたします」

 アンナへ向く指へうなずく。

 私情はどうあれ、民を怖がらせるものは貴族であり軍人である者がすべきことではないと自戒しながら。

「任せておいて。とびっきりかわいいのを、探してあげるわ」

 喉を鳴らして笑いながら、リュドミラが最後に己の虫箱の頭部へ唇を落とす。

 鮮やかに彩られた少女の姿をした少年が床へ降ろされ、しずしずと持ち主の背後へ回った。

「さて、引き継ぎだけど三日間、特筆した事件はなしよ」

 職務は三日。この場にて寝泊まりし、持ち込まれた案件へ対処するのだ。とはいえ、彼らが務めだしてからまだ半月。外へ出向く必要のあることは今の所、起きてはいない。

「仔細は連絡帳に記してあるわ」

 尻の下へ敷いていた冊子を抜き出し、リュドミラが差し出す。少しばかり温まっていた。

「はっ。確かに、引き継ぎました」

「うんよろしく。それじゃ、今からは君が担当だから――――」

 声を遮るように、ノックの音が二回。

「ヴァレーエフ様。お約束どおり、千ほど数えましたが……」

 アルフレッドは同僚を、信じられなモノを見る思いで睨めつける。

「引継書、確認しといてねー!」

 背の高い美女は片目を軽やかに瞑って、くるりと髪を翻して職務から背を向けた。




 首都から伸びた街路は幾度と馬車と人が行き交うことで、固く踏み固められて草木が生える事を忘れる。

 道の左右には少なからず田園。農夫の姿がまばら。穀物のおこぼれに与ろうと山鳥がいくらか空を舞っていた。

 馬車から覗くヴァレーエフ領の姿は、アルフレッド中尉に故郷の姿を思い起こさせる。ラヴァンシー領。彼の父が収める、農業が盛んな土地だ。

 ガザン帝国にて貴族とは行政を取り仕切る権限を持つ者である。

 西部。首都から馬車で二日ほど、のんびりと進めば山林地帯へとたどり着く。都合、アルフレッドが仕事を引き継いでから三日が過ぎていた。

 古くからの帝国領土であり、ゆえにここを任されるのはよりガザン帝国の血が濃き者である。付け加えるならば、戦争の初期にてアルフレッドの上官でもあった男だ。

「すまないが、このままヴィクトール殿へ言伝を頼みたい」

 村の入口。此度の仕事場前で馬車を降りたアルフレッドは、彼の荷物を下ろす若き軍人へ告げた。言葉こそ丁寧だが、抑揚の薄い声は有無を言わさぬ圧がある。

「はっ! なんと、お伝えしましょう」

「明日の昼頃、アルフレッド・ラヴァンシーがご挨拶に伺います……この封筒と共に伝えてくれ」

 空を見上げて日の高さを図りながら言伝を短く告げて、カバンから取り出した封筒を手渡す。帝国軍の正式な書類であることを示すロウにて、封がされていた。

 若き軍人は口中にて反芻し、景気良い返事と共にすぐさまに左腕を背中に回して右手をピンと体へ貼り付ける。敬礼の仕草だ。

 うなずき、そらから荷台へ目を向けた。ゆるりと、アンナが地面を踏みしめるところが見える。

 靴は履いていた。慮って、ではない。

 首都と違い、隅々まで整備されたわけでない道や道と言えない歩ける場所は、彼女の足を悪戯に傷つける。かくなれば、いざその力が必要となる時に文字通りの足かせとなりうるのだ。

 魔女、ないし魔術師と呼ばれるアンナは罪人である。だからこそ振る舞いは相応のモノを強いられる。が、だ。

 その身に飼う虫を使うならば、それは十全の備えが必要である。

 此度。アルフレッドはその必要性を認めていた。

 あるいは、でなくとも。魔術の、虫の行使はあるのだ。

「まずは村長の元へ向かう」

 馬車が立ち去る音を背後に聞きながら、アルフレッドは村の入口へ目を向けた。

 昼下がり。休憩をとっているだろう村民がいくらか、不安そうな眼差しで軍人と虫箱を見ている。

 歓迎されないのはわかりきっていたが、目に見えて分かる畏怖を感じながら軍人はさっそうと己の虫箱を背に進む。

 ラザレフ領は原則として、果樹の生育を目的とした領地だ。これを帝国では果樹貴族と呼ぶ。麦等ならば農業、鉱山を持てば炭鉱と言った具合に貴族は皇帝より賜る役目を枕詞として掲げるものだ。

 貴族とは領地に村を点在させ税となる産業を管理し、そして滞りなく首都へ運ぶ役割を担うモノの事である。

 むろん。果樹貴族だからといって果樹ばかりを育ててはいないが、少なくともこの村の主要生産物は果物である。とりわけ、りんごだ。

 入口近くは旅人、商売人に向けた宿や飲食店がいくつか。しかし奥まっていけば、実った果実を選別する作業場や保管するための蔵、農機具を収める物置などが居並ぶ。

 更に背後へ目を向ければ、緑豊かな山林が広がっている。時期が合えば真っ赤な果実を見ることもかなっただろうが、今はそれらしきものはなく、ただただ木々が生え揃うばかりだ。

 村を預かる長の館は、そうした生産拠点からほど近い位置に建てられていた。

 なかなかに広い。が、こうした建物は同時に村人が集まることも前提に、作られているものだ。例にもれないのだろうと、玄関口で恐縮した様子の村長を見ながらアルフレッドは思う。

「遠路はるばる、ご苦労さまです」

 声の震えは軍人を前にしたがゆえか。あるいは、立場ある人間が来るほどの事態だと認識したのか、もしくは虫箱たる魔女の存在がそうさせたかだ。

(戻ったらリュドミラ殿へ相談するか)

 アルフレッドはアンナへ怯えていると受け止めた。事実を村長の口から語らせるならば全てだろうけれど。

 気にすることはないと告げるべきか悩み、しかし本能的な怖気はどうしようもあるまいと職務をこなすべく先を促す。

「中へ入っても?」

「え、ええ。どうぞ」

 冷淡な声音にびくりと体を震わせ、村長が道を譲る。でっぷりとしたお腹を無理に引っ込めて、少しでも触れる部位を減らそうとしていた。

 横目にアルフレッドは我が物顔で進む。

 まっすぐに廊下が伸びていた。右側に二つ、正面に一つ、左に三つのドアがある。中はやはり広い。

 左奥が応接室だと言う声に従い、重い靴音を鳴らしながら進む。小さくアンナが続き、慌てたように村長が走った。

 ドアを開く。

 応接室の名の通り、中央にテーブルが置かれていた。若草色のクロスが一枚。木造りの椅子が四つある。

 一つへ腰掛け、背後にアンナがピタリと寄り添う。椅子にも、木造りの床にも座ることはない。

「え、ええっと……」

「話を伺わせてもらいます」

 前の椅子を平手で指す。横柄にすぎる態度だが、待っている時間が惜しいと彼は事を押し進める。

「は、はぁ……では……」

 脂汗を浮かべた村長は額に張り付いた前髪を撫で付け、よろよろとした様子で椅子へ腰掛けた。

 テーブル越しに両者が向かい合う。

 村長の内心は荒れ狂う嵐がごとき有様だが、アルフレッドは鋭くも涼しげな眼差しのままに切り出した。

「私がここへ来た理由、すでに把握のことと存じますがいかがですか?」

「え、ええっ! そ、それはもう……!」

 緊張が混乱を生み、何から話したものかとばかりに目が泳ぐ。

 ともすれば事態に関わっているのではと言う疑いすら向けたくなるが、先入観は持つまいとアルフレッドは己を諌めるように顔をしかめる。息を飲む音が聞こえた。

「始まりは……今から一週間前でした」

 生唾を飲み込んだ村長はようやく、語り始めた。




「朝方、ここから右手へ少し行ったところにある蔵の屋根で、死体が発見されました」

 玄関側に座る村長が背中側を振り向き、手で示す。おおよその方向をアルフレッドは取り出した手帳へ記入する。手早く、最低限の情報だけだ。

「遺体は村の者ですか?」

「ええ……少々、酒癖が悪い男でしたが働き者でした」

 問題はあるが排斥するほどでなく、好漢とは言えないが悪漢とするほどでもない。せいぜいが酒席で遠巻きにしたくなる手合だろうと、アルフレッドは推測を立てた。

「酔うと乱暴狼藉を働くのですが、朝にはいつも誰より早くに起き出して意気良く働くもので……誰もが手を焼きつつも、と言う男です」

 見立ては、おおむね間違いでないらしい。

 眦の鋭い軍人からすれば、酔って乱暴を働くことと仕事にせいを出すことは等価ではないのだが、個々の自由と不快感を飲み込む。

「そして、彼が殺された……と」

「は、はい……!」

 死体を見たときの状況を思い返してか、村長の体がぶるりと震え上がり脂の浮いた顔が青ざめていく。

「それで、死体はどんな状況でしたか?」

「――――っ」

 一度、村長は言葉に詰まった。

 目をさまよわせ、助け船を待つ。が、冷淡な軍人の顔色がまるで変わらないのを見ると、観念したように語りだした。

「は、腹を……腹を、引き裂かれて内蔵をばらまいていました……」

「腹を」

 しばし、己の腹筋と村長の膨れた腹を見比べる。

「アンナ、服を捲くりあげて腹を見せろ」

「はい」

「はっ?」

 息を吐くようにアンナが同意し、村長が短く疑問とともに空気を肺から吐き出した。

 ほどなく。目が見開かれ、頬が紅潮していく。

 ボロのような黒の拘束衣をアンナが下から捲くりあげて腹を露出させる。腹を問わず、肌にはうっすらと傷跡があった。捕囚を辱めたものではない。懲罰の末、できたものだ。

 痩せた体躯にはそれでも、女の象徴が膨らみをみせていた。

「ここから、この当たりまでを裂かれていたということで、よろしいですか?」

 アンナの素肌へ指を這わせ、胸下の合間から臍下の粗末な下着まで走らせる。その最中、虫箱は微動だにしない。

「村長。ちゃんと、見てください」

 返答のない村長へ促す。彼は罪人といえど若い女性の肌を前に困惑と動揺しながらも、軍人の言葉に従った。

「もう一度。ここから、ここまでですか?」

「えっ、と……良くは覚えてませんが……たぶん」

「たぶん?」

「い、いえ! いえ! そうです! そうです!」

 恐れる声がすぐさまに答え、首が何度も縦に振るわれる。それを確認し、アルフレッドは罪人へ命じた。

「戻していい」

「はい」

 やりとりは短く。行動は素早く。

「ありがとうございました。他に遺体の状況で特徴的なことは何か、有りましたか?」

「覚えてる限りでは……鳥が集って、肌や腹がひどく錯乱していたくらいでしょうか」

 口元を抑え、嫌そうに村長が答える。

 戦場で似たようなものを見たな、と君は思い返しつつうなずきをいれる。必要なことは聞き終えたとばかりに、切り出す。

「わかりました。ご協力、どうも。このあと他の村人へ話を聞きますが、よろしいですね」

 許可を得るような言葉だが、やはり拒否を言わさぬ圧がある。声にも、そしてアルフレッドが背負う立場にも。

「それは、はい……ただ、いくらかはまだ仕事中で、山へ入っているかと」

「実をつけていないので、仕事はないかと思いましたが」

「獣を捕獲したり、雑草や不要な枝を間引いたりと手間は今もございますので」

 苦笑する顔は仕事への誇りを交え、村長が持つ本来の姿をアルフレッドは垣間見た。




 村長の家を出て、すぐに遺体発見の現場となった教会へ向かう。

 取れた果実を運ぶ荷馬車が行き交うためか、左右へ大きめに作られた通りからすぐに建物は確認することができた。

 白く塗られた壁が傾き出した日差しを受け、まばゆく輝く。

 帝国にて、白は神聖な色だ。とりわけ初代皇帝が好んだこともあり、彼の者を象徴する証の一つと言えた。

 教会が白を好むのも同じ理由である。すなわち神聖。帝国にあって唯一、建国の父と同じ立場に在れるのが教会であった。

 ――ゆえに。罪人は黒を着せられるのだ。神聖と真逆、罪に穢れた存在であると示すため。

 とりわけ、アルフレッドが好む色でもある。

 その色を横目にとらえつつ、進む。

 ほどなくたどり着いた教会の戸を開くが無人。村長の言葉を思い返し、軍人は山へと目を向けた。

「人手として、持っていかれることもあると聞いたな」

 過去。農地で作業を手伝っているおりに、教会の神父がいた事へ疑問を覚えて問いかけたことを思い返す。狭い村では手隙の時に協力するのが当たり前だと柔らかな口調で教えられたものだ。

 故郷であるラヴァンシー領。農業貴族と分類される彼の生家は、家人にも畑仕事へ従事させる。苦労を知らずして、税を取るなどと言う方針からだ。

 これにアルフレッドも否はない。晴れた日は田畑へ向かい、雨の日は部屋で書へ目を通す。軍人になる前の彼の日常は概ね、そういうものだった。

 その経験から結論を得た彼は教会の扉を閉ざし、ぐるりと建物の周りを回りだす。

 長身痩躯。その長い足でさっそうと歩けば、一分とかからず一周を回ることができた。垣間見える村の人口からすれば手狭に思える、大きさだ。

 誰もが信心深いというわけでないであろうし、あるいは足りないくらいが程よいのかもしれない。

 人々の生活に思いを馳せるも。探している遺体の痕跡らしきものは見つからないまま、アルフレッドは教会の玄関口へと戻ってきた。結局は話を聞くしかないかと、時間をつぶすために宿へ戻ることを思案するように上を向く。

 はたして、それはあった。

 教会の玄関口。少しばかり高い位置へ、黒点がまばらに穿たれている。背の高い彼でも見上げねばならない位置だ。

 白壁へと作られた黒は、すなわち穴。左右の距離はおよそ、人の肩幅程度。わずかにズレはあるもおおむね並んだ状態で開けられている。

 奇妙なのはどちらの穴も、二つ三つと似たような位置に試行錯誤した跡が残ることか。

 穴の位置から見るに手か、腕かあるいは肩が固定されていたのだろう。腹を裂かれた男が、だ。

「磔刑、か」

 帝国における旧き処刑方法の一つだったか、とアルフレッドは昔読んだ歴史書を思い返した。

 法へ、帝国へ仇をなせばこうなるのだぞと見せしめるための方法。罪人は日差しに焼かれ、夜に凍え、雨に溺れて鳥に啄まられて死すと言う。

 魔女あるいは魔術師を作る技法が生まれる前の処刑方法だ。今は、行われていない。咎人は、その罪が許されるまで苦痛を受け国家へ奉仕するのが通例だからだ。無論、相応の罪に対してと前置きは必要である。

 死、などと言う許しは軽々に与えられないのである。

「高いが、届かないほどではないか」

 眼差しを鋭く細め、注意深く壁へ穿たれた黒点を見つめる。塗装が剥げ、木肌がわずかに露出していた。

 雑な作業は打ち付ける時にできたものか、あるいは下ろすときかまでは定かでない。中尉の所管では後者だが、さほど重要視しなくて良いだろうと記憶の片隅へ追いやる。

 重要なのはここへ、男が磔にされたこと。何故か、だ。

 よもや死体が一人でに動き、己の手か腕へ釘を打ち付けるなどということはあるまい。

 必ず、人の手が入ったのだ。それが魔法か人力かの差はあれど。そして、ならば。

「――ずいぶんと、無駄な事をするものだ」

 皮肉げにアルフレッドは口を歪めた。

 嘲笑を形つくるそれに、アンナが目を向ける。怯えと、来る痛みと、媚とに濡れた眼差しが軍服の上で煌めく真鍮の虫笛へ吸い込まれていく。

「今は、使わないぞ」

「はい」

 目線に気が付き、アルフレッドがアンナへ告げる。抑揚のない少女の声にこもる感情を理解できるものは、この場では二人。しかし、声にならなければ伝わることもない。

 稀にあるやりとりに、歪んでいた軍人の口がわずかに和らぐ。

 嘲笑とは違う笑み。されど、優しさはなく。言い知れぬ顔は見るものが見れば不気味に思うものだ。

 頬が釣り上がる自覚を得て、男は首を左右へ振り雑念を追い出す。

「一度、宿へ向かう」

「はい」

 現状。得られる情報はこの程度だろうと判断し、アルフレッドは教会へ背を向ける。

 そう大きくはない村だ。宿が満室になるなどということはあるまいが、作業へ向かっている神父等の帰参を呆然と待つよりは有効な時間の使い方だ。

 軍人は大きく足を広げて颯爽と歩き、その後ろをボロの拘束衣を纏う少女が小走りについていく。

 首都でよく見られる光景は、村でも奇異の眼差しで見送られていった。




 宿の主人に部屋を借り、食堂で軽く茶を一杯。自慢の酒があると誘われたが職務中ということで辞し、夕食時にと付け加えてしばし時間をつぶす。

 日が暮れかかる頃。ほどよいかと、アルフレッドは荷物を手に、背後に虫箱たる咎人アンナを伴って再び村へと繰り出した。

 はたして。目論見通り、教会の前に差し掛かると複数名の姿が目に留まる。

 軽く日に焼けた肌をした男たちが四名。誰もが作業着姿であり、日に汗が濡れて輝く。

「失礼」

「――はっ! 何でしょうか、中尉!」

 声をかけると、反射的に一人の男が左腕を背に右手をまっすぐ膝へと伸ばして敬礼の姿勢を取る。従軍経験があるようだ。

 赤毛の男に習うように三人が続き、最後の一人はやや遅れて形だけをなぞった。おそらくは彼が神父だろうと当たりをつける。

「休んで良い――どこの戦場へ?」

「二年ほど、西部へ」

「そうか、ならば入れ違いだな。私もそこへいた」

 開戦して間もない、ヴィクトールの指揮下へいた頃の話である。そして、ちょうどアンナを使い始めた時期だ。終戦間際こそ、西部の砦はおもに捕虜の収容施設と化していたが初期は前線の一つ。ゆえに、虫箱の力は大いに振るう価値がある戦場であった。

(奇妙な縁……でも、ないか)

 西部での戦線の責任者であったヴィクトール・ラザレフ。彼が病に倒れた父に代わり、貴族業務へ戻る必要ができた時、後任にはアルフレッドかあるいはラザレフ領出身の男と、どちらかが現場指揮を預かる手はずであった。

 アルフレッド・ラヴァンシー、そして虫箱のアンナには力を振るう先が多く、ゆえに選ばれたのはもう一人の男だ。

 ラザレフ領の者が戦場へ出るならば、ヴィクトールは大事ないように彼の元へ届くよう手はずを整えたのだろうと今は階級も並んだかつての部下は、正確に推察してみせた。

「それで、中尉はなぜこの村へ……あっ、申し訳ありません。機密であれば……」

「この教会で見つかった死体について、調べるように言われている」

 答えに、赤毛の男が目を輝かせた。

「ああ、ついに! あいつ! あの、レオは俺たちの友人でして、あのだから」

「この中に、教会の関係者は?」

 手を無言で差し出し、興奮気味に話しだした男を制する。

 まだ名を確認していない彼を前に、アルフレッドは手順があるとまずは教会を預かる男へ目を向けた。

「わ、私が神父をしています。今日は雑草取りがあり教会を空けていました」

「問題ありません。作業、ご苦労さまでした。

 して、話しを聞かせてもらいたい。順番に。場所を貸してもらっても構わないですね?」

「はい、それはここでよろしいのですか?」

 教会を指差した。太い腕が日常的に労働へ勤しむことを示す。勤勉な神の従僕は村の一員としても、よく働いているようだ。

 そんな神父へ好意的な感情をいだきつつ、アルフレッドがうなずく。

「ありがとうございます。では、中へ」

「わかりました……あ、あのそれと彼女は……?」

 アンナを伴い、中へ先んじて進むアルフレッドへ控えめに疑問が投げかけられる。

「見たことはないのか?」

「ええと、たぶん」

「なら、覚えておけ。これが虫箱だ」

 引きつった声が漏れ、男たちがたたらを踏んだ。

 視線はアンナを遠巻きに、はっきりと怯えの浮かぶ顔は労働の汗とは別のものが浮かんでいた。

「行くぞ」

 足を止めた男たちとアンナを促し、虫箱と虫笛を持つ男が教会の扉を再び開く。

 夕暮れの日差しが差し込むも室内はうっすらと暗い。神父が慌てたように、火をと言う。

「いえ、構いません。アンナ、燭台へ火を」

「はい――――LULA FAL」

 刹那。変化は二つ、訪れた。

 教会の壁に設えられた、銅の燭台。使い古した蝋燭へ一斉に火が灯る。温かみのある小さな炎が室内を染め上げ、たちまち人のいるべき場へと塗り替えていく。

「ぃ、ぎゃ……ああっ!」

 苦痛の悲鳴。アンナが細身の体を折り曲げ、体を抱きしめていた。

 それこそが、魔法もしくは魔術を使用する対価である。

 魔女、魔術師は体内に【虫】を飼う。それが正確にどんなモノかは国家機密ゆえ、アルフレッドも正確には知らない。

 ただ【虫】は人の体内に寄生し、虫笛で操れ、そして宿主の神経や肉を餌に奇跡のような技法である魔法や魔術と呼ばれるモノを行使する。

 その痛みは想像を絶するもので、屈強な大男でさえも死を懇願するとさえ言われていた。

 だからこそ、魔女や魔術師は罪人でなくてはならない。悪戯に人を傷つける有用に過ぎる技術は、咎人こそが使い、世に人に仇をなした罪を罰するのだ。

 そして。使い続けた先にこそ、罪が許されると信じて。

「――――――――よくやった」

「は、い」

 体内を駆け巡る虫のざわめきによる、鈍く辛く身を苛む痛みから涙をこぼしながらアンナは長身痩躯の軍人と、その胸に光る虫笛を見た。

 ねぎらいの言葉は届いているのだろうか。辛そうに歪む顔から判断は敵わないが、しかし。

 唇を釣り上げ、不気味に嘲笑うアルフレッドの顔を確かに、見つめていた。

 怯えながら、恐れながら、媚びながら、そして期待するように。人の心が持ちうる感情を煮詰めた眼差しで、見つめていた。



 

 さほど高くない天井。等間隔に並ぶ木造りの椅子は、三人がけが左右に五つ並ぶ。都合、三十人だが、詰めればあと十は入るかとアルフレッドは雑多な感想を抱く。

「では、あなたが死体の第一発見者と言うことでよろしいですね?」

 その一角。左の列、中央にアルフレッドと神父は並んで座っている。

 アンナは所持者の真横。痛みの余韻は収まったのか、ぼんやりとどこを見つめているかわからない顔で立ち尽くしている。

 軍人の手にはメモを取る手帳が一つと簡素な万年筆があり、椅子には黒々としたインクの満ちる小瓶があった。

「はい。朝、目覚めてすぐに気が付きました」

 神父に曰く。無理をしなければ教会の出入りは、先に彼らが通った玄関口しかないという。寝泊まりする小部屋は奥にある戸をくぐって、すぐ右手。

 頻繁な出入りをするならば不便だなと思いつつ、アルフレッドが重ねて問いかけ続ける。

「死体は、どのような形で?」

「腹を裂かれて……ええと、へその上から少し下までを。上手く行かなかったのか、へそ近くは特にひどく肉が抉れていました。

 それから両方の脇の下と、両手に釘が刺したままに。これも失敗のあとでしょう。

 遺体そのものは、磔というよりは脇で太めの釘へぶら下げているようでしたね」

 両肩を上げて、神父が脇の下へこぶし大の隙間を作る。その下と余った皮膚を釘で打ち付けてあったと言う。

「ずいぶんと正確に覚えていますね」

 村長の示した部位とは違い、かなり正確な表現に間をおかず疑問を挟む。

「埋める前、私が整えましたので……その、職業意識もありますが、酒飲み仲間の有様を見ておけなくて」

「酒飲み?」

 羞恥と、悔いが交じる顔で壮年の神父がうなずく。

「お恥ずかしながら、事件の日も浴びるほど……戦争に勝利した祝の後、良い酒が安く手に入ったと村の飲み屋で言われまして」

 ああ、と。思い当たる宣伝文句にアルフレッドも同意を示す。宿の店主も同じように彼へ酒を進めていた。

「首都からほど近いと言え、田舎は田舎。そんな珍しいモノを堪能しないわけにもいくまいと、皆で飲み明かしたのですが」

 視線が一度、反対側の椅子で軍人による神父への聴取を興味深そうに眺めているようだ。

「ですが、年のせいか私は先に酔いが回ってしまったので、飲んだ分の金子を置いて先に帰りました。

 戻ってすぐに寝入ってしまい、朝まで何も気が付かずにいたんです」

 恥じ入るように、神父が拳を握りしめる。

 物音に気が付き、起きていれば友人は死ななかったのではないかと空想しながら。

「わかりました。結構です」

 慰めもせず、軍人は神父への聴取を打ち切った。

 手帳には遺体の状況のみが克明に記されている。

「次は……此度、死体となって見つかった男と特に親しかったのは? 貴方以外で」

「カイン、でしょうか」

 神父の目線をたどると、赤毛の青年の姿があった。

「わかりました。次は彼を呼んできてください」

 促された神父は軍人へ礼を持って対応し、すぐにカインの元へと向かった。

 ほどなく足早に赤毛の青年がアルフレッドの前へとやってきて、興奮気味に敬礼の姿勢を取る。

「気にしなくていい。それよりも、話を聞かせてくれ」

 平素。丁寧に話す軍人だが、部下のように振る舞う男には言葉がどこか命じるように変わる。無礼というわけでなく、立場の差を示すために身についた癖のような習慣だ。

「はい! わかりました! 何でも聞いてください!」

 ならば、と。剣呑とした鋭い眦でカインを射抜きながら、1つ目の問がなされる。

「男を殺したのは君か?」

「――――は、え? あ、や……いいえ! ち、ちがいます!」

 質問の意味を咀嚼し、やがて慌てたようにカインが顔の前で手を振るう。そんな問は予想していなかったと言いたげなほどの、慌てようだ。

「そうか。では、座ってくれ」

 アルフレッドの唇が嘲笑を形作り、すぐさまに一文字に結ばれる。

 抑揚がはっきりと薄く、平坦な声は威圧的だ。

「死体となったのはレオ、と言ったかな。交友期間はどの程度だ」

「狭い村ですから、生まれてから今までで所です」

 だいたい、二十四年だと付け加えた。今、二十一のアルフレッドが生きてきた年数より長い。誤差程度だが。

「事件の日も酒を飲んでいたと聞くが、いつもあの面々で?」

 長椅子に腰掛け、こちらを伺う者たちを横目に問う。

「です、ね。はい。神父さんが混じらない日もありましたけど、基本的にはそうなります」

 うなずく。

「そして、途中で神父が金を置いて帰路へ。その後は?」

 少なくともその瞬間、被害者のレオは生きていた事が確認できている。

「しばらくはいつもどおり、酒を飲んだりポーカーをしたりですね。それで、瓶をひとしきり空けたので解散するか、となりました」

「店で解散し、そのままそれぞれの家に帰った……全員がバラバラに?」

「俺とニオス……ああ、あいつです。家が同じ方なので、途中までは一緒でした」

 こちらを伺う神父を含めた三人の内、右端に座る男を指差す。告発されたかのような動きに、ビクリと体を揺さぶるのが見えた。

 しかし。すぐにアルフレッドたちが視線を外した事で、ホッと胸をなでおろす。

「だからあいつを次に見たのは、教会で死体になってでした」

「腹を裂かれ、磔になった姿か」

 カインは神妙な面持ちでうなずき、付け足すように答えた。

「大慌てで駆けつけて、皆で下ろしてやりました」

「腹部の裂傷はどの程度だった?」

「腸が溢れてて、凄い匂いがしました。範囲は、これぐらいです」

 へその上から下まで、短く線を引く。神父の証言と同程度だ。

 アルフレッドが少しばかり、喉を鳴らした。

「他に遺体で気になる所は? 他の目立った傷や、持っていたモノが無くなっている、とかでも良い」

「それなら、間違いなく磔にされていた事ですよ」

 力強く、カインが言う。姿勢は前のめりに、鼻息荒く興奮した様子が手にとるように分かった。

 わずかに。アンナが目を向けた。良く作られた虫箱は、所持者を良く守るものである。 

「普通、腹を割いて殺したのに磔になんてしないでしょ! これは間違いなく、見せしめにするためですよ!」

 確かに。磔刑に見せしめの意味があるのは事実だ。

 罪を犯せばこうなるぞ、と。民草に、敵に示して懲罰への恐怖を持って治安を守るものだ。

 だが。今、帝国で磔刑は行われていない。同程度の罪を犯せば虫箱となるのが常だ。あるいは、至らず幸運にも死ぬか。

 それを知ってか知らずか。カインが己の言葉へ苛立つように、まくし立てた。

「税の軽減を嘆願したのを、疎んじてですよ。最近まで戦争してて、男でだって戦に行ってたから収入が減ってるのに、いつもどおりの税率で……」

「ほう……つまり、君たちはラザレフ殿が犯人だと?」

 事件とは無関係とは断言できないだろうが、少なからず私怨の見え隠れする言葉を断ち切るように口を挟む。

 ヴィクトール・ラザレフはアルフレッドも世話になったため、よく知る男だ。無為に罵倒される謂れのある人物であるとは、思えなかった。

「あ、いえ……そこまでは。でも見せしめをするのだから、そういうことかなって……」

 剣の鋭さを持つ眼差しに、気勢を削がれたカインが尻込みをする。怒気がすぼみ、彼は居心地悪そうに椅子へ座り直した。

「あらためて聞くが、遺体に異変はなかったのか?」

「ありません。腹を裂かれて、あいつは殺されてました」

 断言する声に、アルフレッドは首を縦にふる。

「わかった。以上だ……そうだ、一つ忘れていたことがあったな」

「なんでしょうか?」

 不意に思い出したとばかりに言う中尉へ、カインは首をかしげた。

「お前でなく神父にだ」

 立ち、カインを追い抜いて長身痩躯の軍人が威圧感を持って歩く。神父は椅子から見上げ、冷や汗を流す。

「後ほど、レオの遺体を見聞したい。掘り返しても構いませんね」

「え、は……え? 遺体を、ですか……?」

「作業はこちらでやる。場所だけ教えてくれれば良い」

 神父は戸惑いを露わに、答え兼ねた様子で押し黙る。

「死者を冒涜するのはいささか……遺体の詳細は私が記憶している限りで、不足でしょうか?」

「ふむ――――ならば、お答えいただきたい」

 腕を組み。足を鳴らし、それからアルフレッドは問いかけた。

「レオの死因は?」

「それは…………腹を、切り裂かれたから、では?」

 軍人の問いかけに。神父は自信なさげな問いを返す。続けて、彼は目線を若者達へ向けた。

「お前達も、そう思うか?」

「え……」

「腹を裂かれ、絶命したと。そう、思っているか?」

 切っ先鋭い眦がカイン達を順々に睨めつける。

 アルフレッドは目を閉ざし。首を左右へ振った。彼も知るわけではない、が。

「酔っていたとしても、腹を呑気に裂かれる馬鹿はいないでしょう」

 断言し、他の要因があると告げる。僅かな沈黙と、怯えた目がいくつか。そのすべてを無視して続く。

「後日、遺体を改めます。場所を今のうちに、教えていただけますね」

 手にしたままの手帳に、アルフレッドは村の共同墓地の場所を記す。

 教会の中で記したのは、ただそれだけであった。




 日が暮れる前。アルフレッドはアンナを伴い、宿へと戻った。

 ベッドと簡易的なテーブルが一つずつ。窓には木造りの雨戸があり、今はもう閉ざされ外の様子は伺えない。

 テーブルに乗せられた銅の燭台には、安い脂が燃えている。

 質素に過ぎる単身者向けの部屋だ。無論、ここには一人しか居ないのだから当然ではあるが。

「よほどの商売上手か、騙されたか」

 椅子に腰掛け、アルフレッドは酒瓶ごと買った貴族階級が嗜むと言う高級な蒸留酒を舐めた。

 実情。味は薄く、彼の知るモノからすれば余分な混ぜものか薄められているのは明白だ。

 販売に来た業者が上手く騙し、まがい物を高値で売りつけたのか。あるいは宿の店主が似たようなやり口でモノを知らぬ客を騙しているのか。

 どちらにせよ。偽物だろうと理解して買ったアルフレッドに、苦情をつける心積もりはない。

 万が一にも本物ならば格安で旨い酒が飲める、程度の下心からの賭けに負けただけなのだから。

 苦笑は自嘲。敗者の無様さを思いながら、アルフレッドは軽く立ち上がってベッド脇へ置いた己の鞄へ手をのばす。

 中から取り出すのは仕事の資料である、リュドミラに手渡された引継書を閉じた革張りのとじ込み帳。そして、片手ほどの瓶詰めにされた虫と囚人へ与える食料だ。

 瓶の中身はどろりと、液状になるまで煮詰めた麦と香草である。味はしない。

 魔女たち、魔術師たちが体内に飼う虫も生きている。宿主に異常を行使させる力の対価として、肉か神経か血を喰みながらも同時に豊富な栄養も欲する。虫箱となった彼、彼女らが摂取する通常の食料品では追いつかないほどに。

 だからこそ、専用の食事が必要なのだ。他のものも食べられないわけでないが、扱いとしては嗜好品に近い。

「今日は木製のスプーンを使え」

 店主から借りてきた、木製の皿を二つ。そこへ虫の餌を流し込みながら告げる。

 犬のように食わせる場合もあった。道具の類は自害を防止するためにも、原則として持たせない。とはいえ、外で人の姿をした虫箱を犬のごとく振る舞わせるのはいささかに風聞が悪い。

 リュドミラからの薫陶を思い出した生真面目な中尉は、借り受けた部屋の中でも念の為と意識してそう命じたのである。

「はい」

 うなずき。アンナが立ったまま、スプーンへ手をのばす。それを見てから、対面へ座るアルフレッドも追うように虫の餌へ手を伸ばした。

 不味い。

 ただそれだけの感想が頭をよぎる。今しがた飲んだ安酒すら美酒に思うほど、味を感じない。

 当たり前の話だ。罪を償い続ける罪人が人と同じ楽しみを味わうなど、許されるはずもないのだから。

 ゆえに、虫の餌はただ生きながらえる栄養だけを持ち、腹を満たせる量だけを与えられるのだ。

 かちりと。無言のまま、二人はしばし互いに罪人の餌を貪る。

 冷たい味をしばし。堪能とは言わないでも、流し込むようにして食事を終えた。

 お世辞にも楽しいなどと言えない夕食を終え、アルフレッドは引継書をとじ込み帳から取り出した。

「アンナ、窓を開けてくれ」

「寒く、ないですか?」

「問題ない」

 所有者である中尉を気遣う声に答え、視線を引継書へ落とす。ほどなく。夜風が頬を撫でた。冷たく、しかし安酒の悪酔いには悪くない塩梅だ。

 アルフレッドは視界の隅に再び立つアンナを確認した後、視線をはっきりと書類へ落とした。

 記載されているのはラザレフ領における税収と、ここ数年で起きた傷病の記録、そして死亡者の数と提出された領民からの単願だ。

 元来。領内の政は門外不出であるが、例外はむろん存在する。

 帝国の上層。国内の政を見張るべき立場にあるがゆえ、こうした記録を資料として収集し、見分し不手際や不正がないかをつぶさに見直す。

 そのさい。多少の不備、誤記は見逃されるのが通例だ。

 なにせ届くまで日がある。さなかに状況が変わるなど、よくあるものだ。真偽はどうあれ。

「――ふっ」

 文字の列、数字の推移へ指を這わせた。

 いかにアルフレッドが帝国軍の中尉と言う地位につくとも、たやすく見ることが敵わない秘匿すべき資料。これを得たリュドミラの才覚かあるいは、伝手に感嘆としながら口の端が笑みを形作る。

 冷笑の如き、失笑だ。

 アンナへ向ける嘲笑とは違う。ただただ、冷たく嘲笑う。

 戦前と戦後。見るべきちがいは、ここのみだ。

 税収。無論、差があってしかるべき。

 傷病ないし、死者数。ヴィクトール・ラザレフが戦場に居た頃は、やや多い。戦場へ赴いたモノも含むゆえだ。

 アルフレッドが見るに、そう問題のない資料の中で唯一。目を引くものがある。それこそが彼の鼻を鳴らしたものである。

「雑だな。レオ、カイン」

 赤髪を思い浮かべる。そして、土塊の下に眠る死体を思う。

 始めから、答えはここにあった。アルフレッドの仕事はただ、誰がかを見つけ出し、そして罪を糾弾するだけ。

 ただそれだけだが。

 だからこそ、大きな力を振るわねばならない。

 見せしめである。磔刑のように。

 資料から顔を上げた。風が黒髪を揺らす。アンナの、傷んだ薄い紫の髪が流れていく。

 剣先を思わせる眦が開け放たれた窓の外を見た。半円がある。

 隠れて何かをするにはまだ、明るい。

 例えば。例えば、死体を掘り返すならばもう少し、暗く。皆が寝静まる頃合いが良いだろう。

「出る時に声をかける。それまで、休んでおけ」

「はい。ありがとうございます」

 しずしずとアンナが壁を背に、床へと座り込む。指定されねば、ベッドへ向かうことはない。

 横目で見つめたアルフレッドは満足げに口を持ち上げ、手元へ視線を落とす。

 安酒の残るグラスがある。仕事が残る今、悪い酔い方をするのは得策ではない。

 鞄の中から葉たばこを取り出し、唾液で端を湿らせた後に巻きつけてテーブルへ置く。借りている部屋へ匂いをつけるのは、好ましくはない。吸うならば外で、だ。

 窓の外を見やり、もう一つ。かつての上官へ教えられた楽しみを形にすべく彼は手を伸ばした。

 



 村の外れ、と言うほど距離があるわけではないが。少しばかり山へ進んだ所へ墓地はある。

 半分に欠けた月が高い。雲が濃く、夜の闇が深い。

 漆黒へと飲み込まれた墓地の中で炎が三つ、風に揺れていた。

「早く手を動かせ!」

「わっ、わかってるけどこう暗くちゃ!」

「いいからやるんだよ! 明日、掘り返されたらヤバいんだぞ!」

 乱立する村の死、その歴史の中。赤毛を汗に濡らし、カインが叫ぶ。

 レオの死因。死ぬに至った原因は事故だ。

 酔い、足を滑らせてただ頭を石か何か硬いものへぶつけただけ。

 そこへ事件性は――多少なり、乱暴に押したかもしれないとしても――ない、はずだとカインは信じている。

 問題は他者が信じるかどうかだ。まして、あの虫箱を連れた目付きの悪い軍人が、だ。

「~~~っ! あいつも、あいつもラザレフの、貴族の言いなりなんだよ!」

 苛立ち、深くシャベルを地面へ突き刺す。埋めてから週が過ぎた。土は雨と風に固められ、掘り進めることは難しい。

 それでもなお。カインは乱暴に地面をほじくり返す。

 一度。乱暴狼藉を働く、嫌いだが頼りになる男への恨みと懺悔を込めて。

 一度。領地を守ると言いながら、隣国と違い管理するばかりの貴族へ憎しみを込めて。

 一度。病に倒れた母のため、減税を申し出ても許してくれなかった貴族へ恨みを込めて。

 一度。捕虜となった兵から聞いた、王はあっても貴族はなく働きに応じて出世できる国へ憧れを込めて。

 一度。なぜ、自分がこんな理不尽な目に合うのだと嘆きながら。ただ、土を掘り返した。

「あった!」

「お、おいっ!」

 はたして、声は同時に。

 カインは棺を叩いた喜びに。

 そして、隣で掘る振りをしていた男は――揺らめく赤を見つけて。

「誰だっ!?」

 答える代わりに、墓地へ踏み込む硬質な靴音があった。

「夜遅く、精が出るな」

「――――っ!」

 松明の明かりに照らされたカインの瞳が、見開かれる。

 声の主。村人が寝静まった夜遅くに出歩く、虫箱たる魔女を連れた軍人が紫煙を燻らせ、墓を暴く冒涜者の元へと進む。

 夜の闇。たばこのわずかな火が、軍人の口を照らす。

 嘲笑を。冷笑を浮かべていた。

「中尉、これは……っ」

「人体を刃で貫くのは難しい。まして、農村に常備してある程度の刃物では、な」

 朗々と語る。

「なんの、事ですか?」

「磔刑だよ」

 ふわりと、紫煙を吐き出す。雲のように夜空へ。半円が陰る。

「通常。罪人を磔にした場合、腹を裂くのは最後だ

 土台へ固定し、刃を突き立てて引き裂くか、頭上へ掲げて下から槍などで突くか」

 読み聞かせるように、ゆっくりと語る。かつて、帝国にて行われていた刑罰の実態を。

「腹を裂く事にしたのは、本当の死因を隠すためだ。いや、あるいはヴィクトール・ラザレフ殿への反感を煽るためも、か。

 だが、誤りだったな」

「……」

 黙々と語る。反論の声はない。

 暗闇を照らす松明の火は、怯えた顔と剣呑ないろを帯びる赤毛の青年を映し出す。

「刑罰は皇帝陛下が貴族へ与えた義務であり、権利だ。これを悪戯に真似るから、私のようなモノを招くことになる」

 吐き出した煙がカインの方へと伸び、しかし途中でかき消えた。

「中尉のような、とは……死体の調査へ来たのではないのですか?」

「そう言えば、まだ私がこの村へ来た理由と今の所属を話していなかったな」

 半ばまで吸ったたばこを、咥え直した。平素ならばそろそろと、捨てる頃合いだ。

「過去。他国を併合したおり、帝国内には好ましくない思想が広がった」

 実際に見たわけではないが、想像は容易い。文化もいきてきた土壌も違う国を取り込んだのだ、そうなってしかるべきだろう。

 アルフレッド・ラヴァンシーの先祖もまた、純粋な帝国人ではない。顔も知らない曽祖父の時代に敗れ、国ごと飲み込まれた。最も、彼が郷愁を抱く故郷は帝国にあるラヴァンシー領である。

「言葉、文化、思想、宗教……すぐに馴染めるものではないだろうが、いたずらに帝国のそれを排除して自分たちのモノを広め、混乱を招く。

 これは、帝国の上層部からすればけして容認できないことだ」

「……っ!」

 カインがシャベルの柄を固く握りしめた。

 目が血走った。ふいに湧いた怒りに支配されていくのを眺め、しかし中尉は続ける。

「その反省から、帝国は帝国の法、皇帝の威に従わぬモノを排除する部隊を用意した」

 たばこの煙を吐き出す。黒い革手袋に包まれた指先で摘み、無作法に投げ捨てた。

「治安維持局・罪囚管理部隊所属。アルフレッド・ラヴァンシー」

 名乗り。小指の先ほどにある真鍮の虫笛をつまむ。

「どうでも良い農夫の死ではなく……領地を預かる貴族へ、無用な単願と国政への不満を漏らす者共を囚えるべくやってきた」

「――――――――」

 アンナ・マルセルの視線が揺れた。

 怯えに。恐れに。媚びに。そして、言い知れぬ色へ。

「お前も、俺たちを農民と蔑むのかっ!」

 カインの激高を聞き流すように、アルフレッドが虫笛を咥えた。

 吹く。

「ひ、っぎ……あぁああああぁつああっ!」

 苦痛の悲鳴。駆け出そうとしたカインの足が、そのあまりに異常にすぎる叫びに止まった。

「戦闘……いや、捕縛用意」

「は――――いっ!」

 食いしばった歯が、ぎしりと音を立てた。

 細い少女の体。白い肌の下、だれとも変わらない肉の中を今。無数の虫がうごめく。

 それは骨を這い、血肉を泳ぎ、神経を食い散らかして一つの奇跡の如き暴威を巻き起こす。

「うわぁああああああっ!」

 一人。背を向けて逃げた。

 魔女、魔術師あるいは虫箱。戦場で垣間見た常人には抗えぬ絶対を前に最もかしこき選択をなす。

「LULA LULA COL」

 アンナが手をざっと、左から右へと薙ぐ。

 旧い帝国言語にて紡がれる魔法の発動。指定した範囲を凍らせろと言う、虫への命令。

 はたして。

 その命令は一瞬で、現実のものとなる。

 魔女の、虫箱の手が動くに合わせて氷壁が地の底より湧き出たかのごとく列をなす。

 木々を凍らせる。草花を踏みにじる。そして、罪なき者が眠る墓石を透き通った水晶の如き氷で彩りながら。

 大気が一瞬で冷えていく。透き通った氷の数々は上背高く、またたく間に墓地の反対側を覆い尽くして罪人たちを閉じ込めた。

「あ、が…………」

「一人、死んだか」

 視線の先。逃げ出した男が巻き込まれ、氷の中へ体の半分を埋めて絶えている。

「申し、わけ……ありま……せん」

 荒く息をしている。虫が未だ、体の中で暴れる苦痛、激痛、辛苦は収まらず。痛みに喘ぎ、冷や汗を流しながらアンナは中尉を見上げた。

「良い。本命だけ生きていれば、十分だ」

 点在する石畳を踏む。頭を抱え、震え、嵐が収まるのを待つ矮小な姿を一瞥し、アルフレッドは今回の騒動で囚えるべき主犯を睨めつけた。

「ふざ、ふざけるなよ……なんで、こんな事ができるんだよ……俺たちだって、生きてるんだ……なのにっ!」

「病床の母へ医者を呼ぶため、税負担を軽くして欲しい。そう、嘆願していたな」

「――――え? あ、ああ……そうだよ! なのに、ラザレフはっ!」

「領民の収益から税率は決めている。その上でいうが……よほど、散財していなければ医師の一人くらいは呼べたはずだが」

 見下ろす。

 酒と、賭けに金を使い果たした農夫を。

 そもそもにおいて。圧政を持って領民を食いつぶす愚者が、何時までも帝国の領土を預かれるはずもない。

 多少の悪辣は見逃されるが。帝政へ影響を与えない範囲での話しだ。

 そして。少なくとも、ヴィクトール・ラザレフという男は、アルフレッドが恩義を感じている事を抜きにしても、領民を虐げる政治をする者ではない。とりわけ、彼らを富ませるほどでもないわけだが。

 今回に限れば、言えることは一つ。

「お前の愚かさを、ラザレフ殿へ、国へ転換するな」

「う、うるさいっ! お前に、お前に何が分かるっ! 共和国では――――」

 ある意味で、犯行の自供である。帝国内において、と前置きをするが。

 馬脚を現すとでも言うべきか。あっさりと事件の解決に必要なものを手に入れた中尉は、やはり口へ冷笑を浮かべた。

「理想を胸に秘めるのは、大いに結構。だが、お前のそれは違う」

 歩む。

 松明の火が墓地に揺らめき、水晶の輝きを放つ氷壁を飾り立てた。

 力む。

 カインは手にしたシャベルを担ぐように構え、軍人を威嚇するように睨む。

 鋭い眦は冷たく、怒りに燃える瞳は剣呑。

 しかして。憎悪はまるで見当外れだと、怯え混じりのそれを侮蔑するように見下した。

「ただ、楽に流された結果……お前は金を失い、友を失い、領主の信用を失い、そして母は……ああ、まだ生きているか」

 時間の問題だろうが。

 挑発的に紡がれた言葉は、怒声へ紛れて消えた。

 カインがシャベルを振りかぶり、中尉の頭上へめがけて振り下ろす。

 風鳴り。けれど、見え見えのそれは正規の軍人として職務へ当たっていた長身痩躯の中尉にはなんら、驚異にはならない。

 頭上から迫るシャベルの柄を、中空で黒革の手袋に包まれた右手がしっかりと掴む。そのまま引いて、持ち主と肉薄。

 空いた左の掌打が、カインの顎を真下から打ち据えた。

「がっ」

 赤毛の頭が揺さぶられ、目がぐるりと泳ぐ。そのままアルフレッドは左手で彼の頭を掴み――――

「ああ……殺しては駄目だったな」

 失笑と嘲笑を混ぜ込んで、わざとらしく告げてシャベルを持つ手を離しカインの腕を捻り上げる。

 彼の視線はレオの墓石へ。その角へ、向いていた。

「ぎがっ!」

 悲痛な声と、骨をへし折る音がする。

 地べたへ押し倒されたカインは、そのまま腕の関節を曲げ折られた。

「さて――――」

「ひっ、ひぃいっ!」

 抵抗する余力をなくしたカインを放置し、アルフレッドは震えたままの男を見下ろす。

「立てるなら立て。余計な手間をかけさせると、どうなるかわかるだろう?」

 冷たい声。今しがた、骨をあっさりと折られたカインを涙目で見つめて男がゆるゆると立ち上がる。

 諦観と恐怖に青ざめた顔は、墓地にあっては幽鬼のようであった。

「おれ……おれは、どうなるんだ……ですか?」

「現在、帝国内で記録される犯罪の内、重いものは二つ」

 アルフレッドはアンナを見た。

「殺人と」

 くつと、中尉の喉が揺れる。

 同僚から聞かされた冗句を、そのまま告げた。

「皇帝陛下の別荘地から、りんごを盗んだこと……だ」

 つまりは。

 人の命を奪うか。あるいは、帝国ないし皇帝の権威へ泥を塗った者が重犯罪者として囚えられる。

 その末路は一つ。

「虫に、体内を喰まれる心地を教えてやれ、アンナ」

「――とても、痛いです」

 抑揚のない声が、男には死神の宣告に思えた。




 日差しが高くのぼる。

 重厚な基礎の上へのる赤レンガの館は新しく。ヴィクトールの父が自ら図面を引き、建てたものだ。無論、専門家の意見を取り入れ不可能な部位は補正してある。

 ゆえに他へ類を見ないと自負する邸宅を背に、ヴィクトール・ラザレフは今年で十四となる末娘と共にかつての部下を出迎える手はずであった。

 用向きは単純である。

 共和国にて基本的な理念である、法の元に人は平等と言う思想。これに感化されただろう領民を囚えること。

 先んじて渡された資料に不備がないかあらためた後、犯人逮捕へ向けて動く。そのはずであったが、しかし。

 ことはあっさりと片付き、即日で犯人を捕縛するに至ったアルフレッド中尉はかつての上官へ丁寧な挨拶と、ちゃんとした都の酒を手土産として渡して引き止める間もなく護送のために馬車へと舞い戻った。

 それが、つい先程のことだ。だからか未だ、玄関口でも馬車が闊歩する音色が響いている。

「お父様、よろしかったのですか?」

「ん? 何がだ」

 かつて、部下としてアルフレッドを使っていたときにはなかった口ひげを撫でる。領主となってから伸ばし始めたそれには、まだ慣れていない。

「いえ、わたくしはてっきり。アルフレッド様の元へ嫁に出されるものかと思っていました」

 赤茶色の髪がなだらかな波を打つ。身奇麗に整えられた衣服は、少女が親の意を組んで着飾った余所行きと家着の中間。華美に過ぎない、しかし少女らしさを引き出すワンピースを不満げに見つめる。

「一年で殺すのは無能、二年使えば並、三年使うのは残虐にすぎる」

「なんですか、それは?」

 唐突に諳んじられた格言へ、少女が首をかしげた。

「魔女ないし、魔術師を使う時の戒めみたいなものだ。一年未満で使い潰すのは、無能の証。かと言って、長く苦しめるのは罪人とて哀れにすぎるだろう」

 息を吐く。遠ざかっていく馬車の音色はもう聞こえず、ただ野山を舞う鳥の歌声だけがわずかにあった。

「あいつの側にあった虫箱を、オレは戦争中も見た」

「ええと、たしか中尉がお父様の部下だったのは五年前……ですよね」

 父親がうなずく。

「もちろん、軍事行動の前提となることからも三年以上、使うことはある」

 しかしと、目を閉ざして首を振るう。

「恩赦が出されたのだ。皇帝陛下から、戦時中によく働いた魔女や魔術師たちへ」

「にも関わらず、彼の側には――」

「ああ、同じ虫箱がある。だからだ、ナディア」

 娘の名を呼び、肩を叩き玄関へ入るのを促す。

 開け放たれた扉の向こうには大きく作られたホールがあり、左右には先祖伝来の甲冑が二組。広間を守るように飾られている。

「貴族である以上、婚姻に政治が絡むのは事実だ。その点、あいつは酒とたばこはオレが教えなければほとんどやらなかった。

 女も買いに行くことはないし、平時は田畑を耕して雨が降れば本を読む程度。農業貴族の三男坊で、大きな責務も債務もない……うってつけ、だったんだがなあ」

「上背も高く、猛禽を思わせる眦は眼を見張るものがありました」

 ほんのりと顔を染めて、娘は父へ彼の部下だった男の容姿を称える。

 諦観のため息が深く落ちた。

 条件として、悪くない。いやおよそ、優良だろうと思えていたのだ。末娘を嫁がせる相手として。

 だが。

「五年。五年だ。その間、ずっと同じ虫箱を、魔女を使っているんだぞ」

 首を左右へ。

 魔女は、魔術師は、虫箱は罪人だ。

 故に、虐げられる事由がある。だが、しかし。

 通常。三年を目処に罪を償う罰には十分とする。

 此度。帝国にて誰よりも貴き皇帝が恩赦を出した。

 すなわち、罪は許されたのだ。すでに。

 だと、言うのに。

「ナディア。貴族である以上、婚姻は政治だが……オレは別に、娘が不幸になって欲しいと、思ってはいない」

 同じ言葉を繰り返し、そして。愛情を確かに告げてヴィクトールは話を締めくくる。

 アルフレッド・ラヴァンシーへと嫁ぐ事は、並の女では不幸にしかならないと言外に告げて。

 彼は、ゆるりと玄関の扉を閉ざした。


~第一話・了~

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【先読み版】罪囚の虫箱 平なつしお @natusio_hinaka

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