『世界最強のただの鉄の剣』 ~魔術が絶対の世界で魔力のない不良王子。前世の記憶で日本刀を作り、剣士として生きていく~

久遠童子

序章

第1話 目覚めた先はおとぎの国

 闇。闇の中にいる。

 一筋の光も差し込まぬ、漆黒の暗闇。

 周囲に何も見えない中、自身の身体だけは妙にはっきりと視認できる。


 ここはどこだろう?

 俺は無造作に四肢を投げ出しながら、この奇妙な状況に考えを巡らせていた。


 浮かんでいるのか、たゆたっているのか、自分でも分からない奇妙な漂流感。

 ゆらゆらとした空間の中、温かく、それでいて冷たさも感じる不思議な潮流ちょうりゅうが訪れる。

 ぬるいというよりは、身体の熱が外に溶け出していくあわい感覚。

 まるで自分という存在が希釈きしゃくされているような、そんな錯覚におちいる。


 不意に、嫌な想像が脳裏をよぎった。

 もしかして俺は……いま死んでいるのだろうか?

 仮に臨死体験をしているとして、ここが三途さんずの川だとするなら妙に納得がいく。

 常闇とこやみのしじまに包まれ茫洋ぼうようと漂う中、鼻腔をくすぐる生々しい反応があった。


 匂いだ。

 えたような、獣の匂いがそこら中に立ちこめている。

 こんなあやふやな空間に獣などいるはずはないのに。

 いったい……なぜ?


 だが、たしかにいる。

 自分以外の何かが、形容しがたい何かが、俺のかたわらに息づいている。

 底知れぬ存在がとぐろを巻く気配。

 それはひどく俺を不安にさせた。

 なぜ俺はここにいるのだろう?

 どうしてこんな場所にとどまっているのだろう?

 こんなところは嫌だ。

 誰か助けてくれ。

 そうでないと俺は、おかしくなりそうだ。


 不意に何かが俺の足首をつかんだ。

 ガシリと、確かな質感をもって。

 瞬間、背骨の代わりに氷柱つららでも差し込まれたような、底冷そこびえとする悪寒が駆け抜ける。

 振り返ると、そいつは確かにそこにいた。

 姿は見えない。

 形も分からない。

 だがそれが何であるかを、俺は理解できてしまった。


 ――本能。


 もう一人の自分とも呼ぶべきそいつは、この世でもっとも俺が忌避すべき、けれど……求めてやまない存在だった。


『ユダ……ネロ……』


 常闇とこやみの影はささやく。


『……ユダネロ……』


 つかまれた足をずるりと引っ張られる。

 駄目だ。この声に耳を傾けてはいけない。

 もしもこの囁きに、誘惑に屈してしまえば、俺は……俺ではなくなってしまう。


『ココロ……ヲ……ユダネロ……』


 ついに両足をつかまれた。

 ものすごい力でさらなる闇の底に引きずり込まれる。

 まどろみを消し去り、俺は必死にもがいて深淵の坩堝るつぼからい上がろうと試みた。

 だが腕をかくたびに、身体は鉛のように重くなり奥底へと沈んでいく。


 クソッ、クソッ! 何なんだこれは!? 沈んでいくだけじゃないか!

 だいたいこんなのは幻だ、俺が見ているのは夢に過ぎない。

 ……そうだとも。

 思い出せ。俺は、この夢をずっと昔から見てきたじゃないか。

 同じ夢を何度も。

 何度も! 何度も !何度も!

 だから夢だと理解できている。

 こうやってもがいていれば、いずれは目が覚めるのだ!

 目覚める。そう、目覚めるはずなんだ。

 あぁ。だというのに、どうして目覚める感覚は日増しに遠くなっていくのだろう?

 まるで、いずれ目覚めることなく自分という存在が消え去りそうな。

 そんな不安に駆り立てられる。


 嫌だ!そんなのは嫌だ!

 誰か起こしてくれる人はいないのか!?

 布団から這い出さえすれば、こんな暗闇はすぐに消し去ってしまえるんだ。

 起きろ!

 早く起きろ俺!

 こんな夢など、俺は望んじゃいない。

 俺の本当の望みは……!


『……殺戮サツリク……』


 ひたりと、何かがうなじを撫で上げた。

 不気味な声。けれど魂を揺さぶる甘美な響き。

 屈するな。こんな誘惑、全力で抵抗すればかき消せる! 俺の本気を見せてやれ!

 でも……本気?

 本気って、いったい何だ?

 本当にやりたいことを拒む気持ちは、果たして本気と呼べるのだろうか?


アラガウナヨ……』


 あァ……駄目だ……この声に、身を任しては……いけない……。


イツワル必要ナドナイ』


 だからどうか、どうか夢ならば覚めてくれ……。


『――本当のお前はここにいるのだから――』


    ◆


 花火の音で、俺は目を覚ました。


 何か怖い夢を見ていた気がする。

 気持ちの悪い、嫌な夢を。

 しかし起きた瞬間、夢はどんな内容だったのか思い出せぬまま忘却の彼方へと消えていった。


 ため息をつきながら、ゆっくりと身体を起こす。

 辺りには見慣れない光景が広がっていた。

 天蓋てんがい付きのベッド、絵画が飾られた上品な壁紙。

 床にはシルクの絨毯じゅうたんが敷かれ、黒檀こくたんでできた調度品が並ぶ中、部屋の隅には赤い花で彩られた熱帯の観葉植物がひしめいている。

 豪華絢爛ごうかけんらんな部屋に呆然としていると、部屋の扉が開かれた。


「おはよう。よく眠れた?」


 入ってきたのは二人。

 先を歩く人物は純白のドレスに真紅のマントを羽織り、宝冠ティアラをかぶった美しい女だった。

 その後ろに控えるのは、メイド服を着た女中じょちゅうの娘。

 彼女達が入ってきただけで部屋の品位が一段階増したような、そんな気がする。


「いや、夢見は……最悪だったけど」


 だが寝ぼけ眼の俺は、無頼ぶらいな反応を返すので精一杯だった。


「き、貴様……何者だ!? その小汚いナリでどうやってここに入った!?」


 途端とたんに、お付きの侍女はものすごい形相でこちらを睨んできた。


「ここはユーシア王子殿下のためにしつらえた貴賓室きひんしつなるぞ! その寝台は貴様のようなみすぼらしい輩が腰をあずけて良い場所ではない! 即刻離れよ!」


 怒り心頭の侍女に対し、白ドレスの女は穏やかな笑みを浮かべている。


「いいの。この子は……」


「姫様お下がりください! 王城に忍び込むとは、この賊……ご帰還される弟君おとうとぎみさまに放たれた刺客やも知れませぬ!」


「その……俺が、弟なんだけどな。一応」


「……は?」


 俺のつぶやきに侍女は眉をひそめ、それから美女の顔を仰ぐ。

 ドレスの女は微笑みながらゆっくりと頷き、侍女に対して下がるよう身振りして見せた。


「ま、まさか……お、王子? お戻りになられていたのですか? あわわ……し、失礼いたしましたぁ!」


 ものすごい勢いで土下座してから出て行く侍女に、相変わらず鈴の音を転がしたような声で笑いながら、ドレスの女性は俺の方を振り返った。


 陽光を受けてきらめく長いブロンドの髪。

 つややかな前髪は片目をうっすらと隠し、どことなく神秘的な雰囲気を漂わせている。耳の裏から胸先まで垂れる髪の両房りょうふさは、上品な巻き毛を演出し貴族然としたたたずまいを見せていた。

 綺麗な顔の女性というのはとかく冷たい印象を持たれがちだが、彼女の青い瞳はとても優しい光をたたえている。

 すっと通った鼻梁びりょうに、整ったおとがい

 処女雪を思わせる白肌に、品良く色づいた唇。

 長い手足にスラリとした身長は、モデルのようだ。

 細身の腰はしっかりとくびれており、ひときわ盛り上がる胸の膨らみはドレスの上からでも分かるぐらい優艶ゆうえんな色香を漂わせていた。

 まるで女としての艶としとやかさがい交ぜになった、この世にあるまじき美貌を身にまとうこの女性。


 レーテシア・レス・レクシオン。

 彼女こそ、超大国〈レス〉の第一王女にして……俺の実の姉だった。


「慣れないベッドで寝たから夢見が悪かったのね。ゆっくり休んで欲しくて、こちらの部屋を用意したのだけれど」


「ずっと雑魚寝してたから慣れないんだよ、こういうのは」


「そう……。でも、これからは慣れてもらわなきゃね。ユー君、あなたは王子なんだもの」


 思わず甘えたくなる優しい声音と、ユー君という呼称にこそばゆい気持ちになる。


 ユーシア・レス・レクシオン。

 それがこの俺の名前だった。


 とはいえ、〈レス〉の第一王子として生まれながら、みすぼらしい輩とまで言われたのが俺のステータスを反映している。

 実際あの侍女の言い分は何も間違っていない。

 汚いナリをしているし、国を追われた身分など、王子に値しないはずなのだから。


 追放された不良王子。それが世間の俺に対する認識だ。


 方や目の前にいる五つ歳の離れた姉君は、王国の生きた宝石。

 姉弟といえどその差は歴然だ。


(本当に帰ってきたんだ……よな?)


 上着を羽織って姿見の前に立ち、改めて似ていないなと痛感する。

 優しい瞳の姉に対し、鏡に映るのは目つきの悪い金髪の少年。

 凱旋用に仕立てた白のコートは長旅ですっかりとすすけてしまっている。

 同じ白色のドレスでも、何者にも染まらぬ純潔さをアピールする姉とは違い、俺の出で立ちは簡単に何かに染まってしまう気風を表しているような気がした。


 レーテシア王女……姉さんと出会うのは、俺にとって七歳の頃以来。

 深夜未明に城へ訪れ、そのまま客室で一晩明かした俺にとって、この再会は実に十年ぶりのことだった。


 本来ならば、二度と王宮の敷地をまたぐことは許されないと思っていた身。

 それがよもや、姉の鶴の一声で呼び戻されたとは。

 国王代理という新たな役職は、王のそれと同等ということだろうか。


 いずれにしても城に泊まったのは久しぶりだ。

 俺は窓に寄ると、眼下に広がる雄大な町並みを見下ろした。

 傾斜地けいしゃちに広がる石造りの城下町。

 都市全体が上層と下層に分かれており、貴族の暮らす上層は赤煉瓦あかれんがの屋根が印象的な鮮やかな風景を描き出している。

 遠景は広大なブドウ畑に彩られ、初夏の日差しに照らされた深緑しんりょくの景観は、赤い屋根と相まって見事なコントラストを引き立てていた。


 美しい街。だが、特に目を見張るのは上空を漂う大小様々な浮遊島の存在だ。

 小さな島がプカプカと牧歌ぼっか的に青空を漂い、そこには城と見まがうほど立派な館が建てられていたり、泉があるのである。

 泉、である。

 いかなる原理なのか、浮遊島から際限なく溢れる湧き水は空から滝となって降り注ぎ、地上……城下町の脇に巨大湖を築き上げていた。

 水源豊かな下層の市民街には、オベリスクを思わせる巨大なクリスタルがいくつも点在し、そのクリスタルから伸びる光の柱はこの街の遙か頭上……天空に巨大過ぎる紋章をぼんやりと浮かび上がらせている。

 〈結界〉と呼ばれるそれは、外部からの侵入や攻撃を防ぎ、天災をも防ぐ都市防衛機能の一つ。

 城下町は文字通り王家の紋章の庇護下にあり、市民の王族へ対する畏敬の念は計りしれないものがあった。


 ――魔法都市イシュガリス。

 この街こそ超大国〈レス〉の王都であり、俺の故郷である。

 市民の多くは杖やローブをまとい、見るからに魔術師っぽい格好をしている。

 老若男女例外なく、ここは魔術師の、魔術師による、魔術師のための国だった。

 街は祭の真っ最中なのか、今もなお不思議な力で花火を打ち上げている。


 このメルヘンじみたおとぎの国を追われ、俺が舞い戻ってきた理由。

 それは……先王の崩御ほうぎょに他ならない。

 俺を捨てた父……国王アイデスが亡くなり、王位継承権を持つ者が集められることになったのである。

 いわば跡目争いなのだが、王室から追放された俺にその資格があるとは思えない。

 俺個人の思惑としては、せめてもの義理として葬式ぐらいには参加しようと思い姉の便りを受け取ったに過ぎないのだが。


「国葬って、もっと辛気くさいと思ってたけど。ずいぶんとにぎやかなんだな」


「新しい王を決める儀式の始まりですもの。それに、この方針はお父様の遺言でもあったから」


「ふうん……。でも、新しい王様には姉さんがなるんだろ?」


「私は……王になる気はないかな。あくまで国王代理。一時的に王になる代わりに、継承戦の監督役を務めるだけですもの」


 まるでカトリック教会のカメルレンゴだな。

 ローマ教皇の秘書長が、使徒座空位しとざくういの際に教皇代理になるのと一緒だ。

 その後に行われる教皇選挙をなぞるなら、〈レス〉の王位継承戦はコンクラーヴェと呼ぶべきだろうか。

 ……まあ、彼女に話しても何のことだか分からないと思うが……。


「しかし王権を得て最初にやることが俺の召還なんて驚いたね。何だってこんな真似を」


 国王が放逐ほうちくした人物をわざわざ呼び戻す。

 それができるのは同じ権力を手にした人間だけだ。

 彼女の狙いは何だろうか?

 親族間における継承戦、権謀術数けんぼうじゅっすうの手駒にでもしたかったのだろうか?

 その真意を尋ねると、姉さんはムッとした表情になって身構えた。


「それを言うなら、ユー君こそお姉ちゃんに何か言うことがあるんじゃないかな?」


「俺が? 姉さんに?」


 何だろう? 急に不機嫌な様相ようそうになって尋ねられても、思い当たる節はない。

 そもそもずっと連絡を取っていなかった人物だ。

 姉と言っても遠い親戚ぐらいの気持ちなのに。


「ユー君、ひどいんじゃないかな。ずっと無視するなんて」


「無視……って?」


「毎年、ユー君宛にお手紙書いたのに。一通も返事くれなかった。ひどくないかな。意地悪……しすぎなんじゃないかな」


 手紙だって? ンなもん、一回も来たことないぞ。

 今回の召還みたいに、王の勅令でもなければ俺に連絡なんて。

 ……そこまで考えてから、はたと思いとどまる。


「一通も届かなかったよ。たぶん、俺に届く前に父上が握りつぶしてたんじゃないか」


 俺が絶縁されたと思っていただけで、姉さんは何年も便りを出してこちらを気に掛けてくれていたのか。

 流刑地るけいちの俺には届かなかったけれど、心配してくれてたんだな……。

 事の真相を知ってか、姉さんは涙目になりながら震える拳を握って見せた。


「そう、なんだ。……じゃあ召還した理由だけど、怒らないで聞いてくれる?」


「ああ」


 最高権力を頂いた者の言葉。

 広大な版図を持つ超大国の女王。

 その位になった姉の意向を俺は固唾かたずを呑んで待つ。


「お姉ちゃんね、ユー君に会いたかったの」


「……」


「弟に、会いたかったの」


「……は?」


 魔法王国の頂点に上りつめた姉は、そんな突飛なことを言い始めた。

 まさかそれだけのために、継承権を放棄して確実な国王代理に就いたと?


「この十年間、ユー君のことを忘れた日はなかったわ。本当はね、ずっと……ず~っと一緒に暮らしたかったの!」


 国王代理としての風格はどこへやら、姉さんは大人びた雰囲気を捨て去ると、瞳を潤ませて俺の手を握った。


「今まで大変だったよね? これからはお姉ちゃんに何でも言って! お姉ちゃん、ユー君のためなら何だってするからっ!」


 国で一番偉い女性に抱きしめられ、柔らかな感触に顔が熱くなる。


「つらかったよね? 寂しかったよね? よしよし……でも、もう安心だからね。ユー君はね、もう頑張らなくてもいいんだよ? これからはお姉ちゃんが養ってあげる」


 ついつい甘えたくなる衝動に突き動かされながらも、俺は慌てて姉さんを突き放した。


「わっ、悪いけどっ! そう言ってくれんのはうれしいけどさ! 一緒に暮らすとか……無理だからね、俺。分かるだろ? こちとら骨身に沁みてんだ」


 脳裏に嫌な思い出が駆け抜け、俺はベッドの脇に立てかけてある長物ながものを握って、続けた。


「自分の面倒は自分で見るよ。そうして生きてきたんだ。だから姉さん……ごめん。あと、ありがとう。こんな俺に優しくしてくれて」


 別にこの人のことが嫌いなわけじゃない。

 ただ色々な理由が重なり、素直に愛情を受け取ることができないだけだ。


「苦労……したのね。当然よね、ずっと過酷な土地にいたんですもの」


 姉弟再会の温度差を感じ取ったのか、ばつが悪そうに目を伏せる姉さん。

 その視線は次第に俺の握る長物へと向けられた。


「その道具……武器? 普通の剣には見えないけれど……」


「ああ。鉄の剣だよ」


 この街の住人には、こんなは必要ない。

 当然だ、護身術のみならずあらゆる生活は魔術で事足りるのだから。

 火をおこすのも、水桶みずおけを運ぶのも、畑を耕すのも全ての暮らしが魔術でまかなえる。

 この国の住人なら誰もがそうだった。


 だがもしも、その当たり前のことができなかったら……魔術が使えない人間がいたら、その生活はどうなるのか。


 仮に魔法王国の王子が、魔術を使うことができなかったのなら……


「鉄……。そう、じゃあお姉ちゃんには持てそうにないわね」


 伸ばそうとした手を引っ込める姉さん。


 


 ファンタジーRPGじゃ常識のルール。

 それが、現実に適用されているのだからこの世界は滑稽なほどゲームに酷似している。

 だが魔術師でないのなら、例外だ。

 つまり、俺がこの道具を手にするのは必然だったわけで……。


「それ、名前はあるの?」


「ああ。これは――日本刀。魔術を使えない俺が、唯一使える力のあり方さ」

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