第12話:懐かしく、静かな夜

 その居酒屋は、とてもこじんまりとしていた。

 机や椅子の数も少なければ、来客数も自分を除けば1人もいない。

 一見すると不人気かと思いきや、不意に新規が1名やってきた。

 その男は一言で形容するなら、優男が恐らくよく似合う。

 温厚で慈愛に満ちて良そうな甘い顔は、さぞ多くの女性からモテただろう。

 そう思っていると、その優男はあろうことか目の前に空席に座した。

 こじんまりとしているとはいえ、カウンター席も他のテーブル席もわざわざあるというのに……一人での食事を楽しみたかった景信としては、この優男に対する感想は決して友好的なものではない。


 とりあえずさっさと食べて出ていこう……ようやくやってきた店員に淡々とメニューを告げて、窓の方を見やる。

 窓の向こうは、何故かとっても白かった。

 陽光があまりにも眩しいから、そう見えただけなのかもしれない。

 とにもかくにも、いつもなら色鮮やかな街並みが今日は白一色に染まっている。

 そのことに、行き交う人々は誰も疑問を抱く素振りを見せない。

 だから景信も、特に気にしないことにした。

 眩いほど穢れがない白は、見ていて心なしか心地良い。

 例えるのなら、まるで夢を見ているかのような……そんな感じ。


 不意に、目の前の優男が、フレインはどうだい? とそう尋ねてきた。

 様をつけず、親しみを込めて彼女の名を口にした辺り、この優男はフレインの知人か何かであるらしい。

 景信は一言、立派な王であると答えた。

 内乱からたったの3年でかつて以上の繁栄を成したフレインは、紛れもなく王である、と。

 その問いに、優男がまるで自分のことのように喜んだ。

 不思議な男だ……そう思って料理が運ばれてくるのを待っていた。

 ふと、窓の向こう側に人の気配を感じた。

 再び視線をそちらにやって、あぁ……、懐かしい顔ぶれに景信は頬を緩める。


 4人の知人が早くこいと言わんばかりに手招きをしている。

 これは、食事をここで済ませている場合ではないらしい。

 早く行かなければ何をしでかすかわかったものではない……景信はまだ何も注文しいない優男に、自らの料理を代役として食べてくれ、とそう告げた。

 赤の他人に対して驕るなど、絶対にやらない。

 ただ何故だろう……この優男になら、そうしてもよいと思える自分に景信は小首をひねる。

 ともあれ、代金を机において景信は席を立った。


 すると背後より、フレインのことを許してやってほしい、と優男から声をかけられた。

 その言葉の意味を景信はわからない。

 わからなかったが、無碍にするのはなんだか気が引けたので、了承という意味合いで右手をすっと小さく上げて応えた。

 店の外へ出ようとしたのと時同じくして、ぞろぞろと団体客がこのこじんまりとした店内にやってきた。しんと静かった空気はたちまち騒がしくなり、なんだかそれがとても楽しく思えた。


 白い世界そとへと出る――去り際に、フレインのことをよろしく頼む、とあの優男からそんなことを言われたような気がした……。




「……なんか、妙に懐かしい夢を見たな」



 夜更けすぎ、ふと目を覚ます。

 開けっぱなしの窓から吹く、緩やかな微風。

 肌を優しく撫でられながら窓の向こうを見やれば、上質な天鵞絨びろうどの生地を敷き詰めたかのような空に白い月がぽっかりと浮かんでいる。

 どこから見ても月の冷たくも美しい輝きは神々しいままで、それがどこか刀のようにも思えた。



「……少し散歩でもするか」



 妙な時間に目を覚ましてしまったのにも理由がある。

 昨日の夕食はやはりというべきか、フレイン達が担当した。

 本来の料理長やその部下の不安そうな顔から、つまりはそういうことなのだろうと覚悟した。

 唯一の失敗は、昼食の結果を過信しすぎたことか……昼もなんとか乗り越えられたのだから、夕食だってきっと大丈夫、とそう確信して一口目を食してからの記憶が景信はない。

 つまり、今の今まで気を失っていたと推測される。



「まさか昼間よりも衝撃的だったとは……よく生きてるな俺」



 どんな料理だったかさえももはや記憶になく、だが思い出そうとすると頭痛に苛まれるからよっぽどの代物だったのだろうとは容易に想像がついた。

 これ以上思い出そうとするのは心身共に大変よろしくない……景信は咳払いをした。


 それはさておき。


 ざっと数時間も意識がなかったのだから、眠気なんてあるはずもなし。

 眠気が訪れるまでの間、散歩でもしようと景信は客室を後にする。

 当然ながら城内に活気は皆無で、廊下を歩けば己の足音が不気味に反響して寸尺先に広がる闇へ中へと消えていく。



「――、む?」

「あ、フレイン……!?」

「お、おぉ景信! 目を覚ましたのだな! 体調の方はどうだ……?」

「あ、あぁ……まぁなんとかって感じだな、別に違和感もない」

「そ、そうか……それはよかった」

「それよりもフレイン、お前こんなところで何をしてるんだ?」

「い、いやそれは、その……」



 しどろもどろになるフレインの恰好は薄いスカーレット色のネグリジェだ。

 その恰好からこの時間にようやく執務を終えた、とはまずならない。

 大方、自分の心配をして眠れなかったのだろう……元凶の1人でもあるから、手元の小さな灯火が照らすフレインの表情かおは曇っている。


 まずい料理を食べて気絶させた――確かに、この事実をもみ消すことは不可能である。

 だが、景信の中にフレインらに対する怒りなどの感情は微塵もない。

 心を込めて作ってくれたのも紛うことなき事実なのだから。

 景信はそっとフレインの頭を撫でた。

 ハッと驚いた様子で顔を上げたフレインに景信は静かに微笑みを返す。



「せっかく俺のために料理を作ってくれたっていうのに、なんか台無しにしてしまって悪いなフレイン」

「な、何を言う! 責はすべて我々にある。貴殿に非は一切ない」

「まぁそうかもしれないけどさ。でも、誰かのために作られた料理っていうのはやっぱいいもんだよな」

「景信……」

「次も楽しみにしてる――でも、もう少し練習してからだな」

「――、あぁ任せておけ景信! 貴殿の妻として相応しい料理が振る舞えるようになろう」



 本音を暴露すると、当面の間は食卓に出さないでほしいが……などとは、すっかりやる気を取り戻したフレインの前で口が裂けても言えるはずもなく。

 せめて胃薬ぐらいは用意してほしい、とそう切に景信は願った。

 激マズ料理で死んだ、など恥ずかしくて笑い話にもなりはしない。



「――、ところで景信よ。この後少しどうだ?」

「どうっていうのは?」

「何、実は貴殿とはこれに付き合ってほしいと前々から思っていたのだ」



 少し申し訳なさそうに「本当は夕食後にしたかったのだが……」と細くするフレインはハンドジェスチャーを小さく取った。それは何かを飲むような仕草で、なるほど合点がいった、と景信は快くこの申し出を受け入れた。

 葦人あしびとと酒はいつも一心同体……酒飲みがのたまうこの言葉も、今ならばなんとなくわかる。



「最近、夜眠れない時は飲むのが癖になってしまってな。貴殿用にいい酒を用意してある」

「それは楽しみだな。それじゃあせっさくだし、俺もご相伴にあずかららせてもらうか」

「決まりだな。では我の部屋にいくとしよう」

「え? お前の部屋で飲むのか?」

「むろんそうだが?」

「…………」

「あ、先に言っておくがクアルド達には内緒だからな? 我と景信、2人っきりの秘密ということでよろしく頼むぞ?」



 やっぱり断った方がよいかも、と脳が危険信号を発信したのとほぼ同じ。

 がっしりと右手に万力が加わった。

 万力の正体はフレインの左手で、女人とは思えぬ握力がミシミシと骨を軋み上げる。

 右手を犠牲にしてまで断ることは、賢く選択ではない……景信はフレインに手を引かれるがまま、後に続いた。

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