第5話:楽しいデート(?)

 門に先について、これほど後悔したことがかつてあっただろうか。

 そう自問するまでもなく、ないと断言する景信の顔は酷くげんなりとしていた。



「ちょっとラニア、抜け駆けするのってどうかとアタシ思うんだけど?」

「キャロ、別にわたくしは抜け駆けなんてしていません。景信さんをお誘いしたのにも正当な理由があります。それにお願いした立場として彼の護衛を務めるのは当然ではありませんか?」

「うんまぁね、それについてはアタシもクアルドも異論はないわよ。だけどね、だからってなんでアタシ達まで留守番しなくちゃいけないのよ!!」



 キャロの怒りの抗議が反響した。

 たかが坑道まで行くだけに、どうして殺伐とした空気を体感せねばならないのか……ぎゃあぎゃあと口論をするのは、今日がはじめてではない。


 3人が事あるごとに衝突するのは内乱の時からだった。

 作戦の方向性で衝突し合うのならばまだしも、おかずの品が平等でないなど、割かしどうでもよいことで彼女らは口論する。

 力を用いないことを、不幸中の幸いと言うべきか……いずれにせよ、時間がもったいない。咳払いを軽くして、景信は3人の仲裁に入る。



「はいはい、言い争うのもそこまでにして――とりあえず今回はラニアの武器の修復が主だ。坑道まではそんなに遠くないし、それにラニアがいるなら多少の怪物程度どうってことない」

「だ、だけど!」

「騙されないでください景信さん! 素材ならいっぱいあるんですよ!」



 「ホラこれを見てください!」とそう言ってクアルドが景信に見せたのは、これから正に採取しにいくはずの素材――オリハルコンだった。

 葦原國あしはらのくにでは天鋼石あまはがねいしと呼称されるこの鉱石は、見た目がさながら天空そらのように美しいことから、その名がついている。

 ただし、見た目とは裏腹に玉鋼と違って扱いが極めて難しい鉱石でもあった。

 玉鋼と違ってこの鉱石はちょっと火加減を間違えるだけでおしゃかとなる。


 クアルドのこの行動に誰よりも過剰に反応を示したのはラニアだった。

 共に戦場を駆けて背中を任せられる戦友を、まるで親の仇だと言わんばかりに睨みつけている。

 憐れにもたまたまこの殺伐とした空間に居合わせてしまった兵士達が、ヒィィッ! っと情けない悲鳴をあげてすっかり腰を抜かしていた。

 新兵においては完全に気を失っている始末である。



「……クアルド。今回だけはあなたをこれほど疎ましく思ったことはありませんよ」

「残念でした~。ラニアだけおいしい想いはさせないもんね~だ!」

「嘘吐いてまで抜け駆けとかマジでありえないんだけど。それでもアンタ、フレイン様を守護する三将星の一角なの?」

「ぐっ……いわせておけば――」

「いい加減にしてくれって。このままだといつまで経っても出発できないだろ」

「か、景信様……!」



 そろそろ潮時だ。

 本当に実害が出てしまう前に、景信はさっさと本題を彼女らに切り出す。

 それ以前の問題として、何故自分がフォローに回らないといけないのやら……景信は、ただそれだけが不満だった。



「備蓄があったとしても使えばその分なくなる。それを補充する意味でも坑道にはこのまま俺とラニアでいくよ」

「景信様……! あぁ、やはりあなたはわたくしの最愛の殿方です……!」

「お、おい見ろよ。あのラニア様があんなに嬉しそうに笑っておられるぞ」

「あの御方も表情をあんなにも変えられることができたのだな……!」



 普能面ばかりを恐らくは拝んできたであろう兵士達が、ラニアにとても驚いている。

 頬をほんのりと赤らめて微笑む表情かおは乙女そのもの。

 彼女の強さを誇示する異名も、この時ばかりは霞んでいた。


 さてはて、これで一件落着……そうあってくれればどれほどよかったことやら。

 景信は恐る恐る、極力目を合わさぬようにクアルドとキャロを方を見やった。

 2人から向けられた視線は刺々しい。

 輝きが失せた瞳を覆う黒は、まるで泥沼のようだ。

 人間あのような目ができるものなのか、と関心している場合ではなく。景信は即座に彼女らのフォローに入る。



「し、城に戻ったら後でまたゆっくりと話でもするとしよう。久しぶりに俺も色々と2人からは話を聞きたいからな」

「――、は、はい! その時はおいしいお茶菓子を用意して待っていますね!」

「えへへ……アンタが聞いたらビックリする話、たくさんしてあげるわ!」

「それは楽しみだ。それで――ラニアはどうした?」

「……別に。なんでもありません」

「そ、そうか。それじゃあ話もうまくまとまったことだし、早速出発するとしよう」



 そそくさと逃げるように景信はその場を後にする。

 ラニアの雰囲気に恐怖を感じたのは紛れもない事実ではある。

 しかしそれよりも恐怖を感じたのは、よくよく耳を研ぎ澄まさねば聞き取れぬほどのか細い声で――「坑道で押し倒してそのまま子作りしなきゃ……」という、不穏を極まりない台詞が景信に不安を煽らせた。


 絶対に隙を見せないようにしないと……景信は自らにそう強く言い聞かせた。

 不安を抱えたまま、景信はラニアと共に城を後にする。




 フォーン坑道までの道のりを馬を走らせること2時間ほど。

 広大な草原を抜けた先、ぽっかりと空いた洞窟が景信らを出迎える。

 耳を澄まさずともカツーンとツルハシが岩を砕く音は、妙に気持ちがいいのは何故だろう……どうでもいいことに思考を巡らせつつ、景信は坑道へと足を踏み入れる。



「――、ん? これはラニア様! このようなむさくるしい場所に今日はどのようなご用件で?」



 筋骨隆々の男のその問いに表情を変えることなくラニアが答える。

 ただしその声は明らかに上機嫌であった。



「日々お疲れ様です。今日はデート及びオリハルコンの採取状況を見に来ました」

「なるほど――ん? デート?」

「これ、逢引デートなのか……?」

「あの、失礼ですがラニアさま。デートと言うのは、その隣にいる小僧と?」

「なんと無礼な――この方をどなたと心得るのですか!」

「え……?」

「お、おいラニア? 俺は別に――」

「この方の名前は葦原國あしはらのくによりかつて義勇兵としてこの【オルトリンデ王国】に数多く貢献した英雄、千珠院景信せんじゅいんかげのぶ様ですよ!」



 怒りに満ちたラニアの声に、他の作業員も驚いて手を止めた。

 たちまち、筋骨隆々の男の顔からさぁっと血の気が引いていく。

 表情はやはり相変わらずというべきか。されどその瞳には明確な怒りと殺意が孕んでいる。

 例え一般人であろうと、容易く読み取れてしまうほど濃厚にして凄烈な殺気を当てられれば自ずと己が死を連想しよう。


 熊のように大きな体躯を縮こまらせて土下座をする筋骨隆々の男がラニアに命乞いをした。



「も、申し訳ありません! ま、まさかそのような凄い方であるとは知らずにとんだご無礼を……!」

「あ~いえ、そこまで気にしないでください。私は気にしていませんので」

「あ、ありがとうございます……! ありがとうございます!!」

「いえいえ、それよりも今はオリハルコンの採掘状況です。如何ですか?」

「は、はい! それならばこちらに――」



 結果として、景信は無事にフォーン坑道を後にした。

 周囲の目が思いの他多かったからか、ラニアが襲ってくることは最後までなかった。

 【オルトリンデ王国】へ帰還するその道中においても、彼女はとても静かでいる。

 もっとも、ラニアの口元は終始緩みっぱなしだったが……。



「景信様、今日のデート楽しかったですね」

「え? あ、あぁ。そう……だな?」

「ふふっ……これでまずはわたくしが一番にアピールできましたわね。後はこのまま……ふふっ」



 あれでそんなにも喜んでくれるのなら、あえて何も言うまい……景信は苦笑いを浮かべる。

 坑道での多くの会話は事務的なもので、おまけに坑道の監督を務めるあの筋骨隆々の男との会話で大半を占めている。

 およそ男女がする逢引デートとはお世辞にも言えない――満足している当人にあえて言うほど、景信も愚かな男ではない。

 触らぬ神に祟りなし、である。

 ふんふんと上機嫌で鼻歌まで唄い出すラニアを、景信は優しく見守った。

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