第2話:旧き友たちとの再会

 【オルトリンデ王国】に景信が訪れたのは今からでちょうど三年前となる。

 他国の刀はどんな風なのだろう……この時の景信は大陸についての強い関心があった。

 そこで生まれ故郷である葦原國あしはらのくにを飛び出した。

 武者修行というよりは、観光気分に近しい。

 その観光気分がよもや内乱に巻き込まれるとは、今思い返しても夢にも思わなかったが。  



 【オルトリンデ王国】では身内らによる醜い家督争いがちょうど勃発していた。

 血を分けた親兄弟でありながら暗殺、冤罪、追放……どの国でも自分が権力を手にするためならば、どんなにも冷徹になれる生き物だとつくづく思い知らされる。

 とにもかくにも、観光にやってきた自分にはなんの関係もない話だ――傍観に徹するはずが、1人の女性との出会いが景信を動かした。



「フレイン……」



 “我が国は現在最大の危機に瀕している、故に貴殿の力をどうか再び貸してほしい……”――このような内容で書面が送られて、景信はその日の内に故郷を飛び出した。

 だが実際はどうか。

 どこから見ても危機に瀕している、とはお世辞にも見えない。


 まさか、俺は彼女に騙されたのだろうか。景信がそう捉えてしまうのも無理はない。

 【オルトリンデ王国】の内乱は凄烈の一言に尽きるものだった。

 それがまた起ころうというのか。せっかく平和な世を乱さんとする者がいるのであれば――その時は迷わず、斬る。

 そうしてやってきたのに、平和すぎる空気に景信は疑問を抱かざるを得ない。

 とりあえず、事の真相は直接本人から聞き出す他なさそうだ。



「……彼女に限って嘘を吐いたとは、考えたくはないけど」

「――、いたいた! 景信さーん!」

「おや……」



 幼さを残したその声は景信には実に3年ぶりとなる。

 しかし、彼の周囲に景信を呼びかけた者は誰もいない。各々好きなように行動している。

 当然と言えば当然だ。何せ彼女はペガサスと共に空を駆る勇敢なる騎士――ペガサズナイトである。ならば地上ではなく空に身を置くのは必然であり、上空を見やる景信は小さく微笑んだ。


「お久しぶりです景信さん!」

「えぇ、久しぶりですねクアルド。お元気そうで何よりです」


 地上に降り立つペガサスに跨った少女――クアルドがにっと笑った。

 人懐っこい笑みは3年たった現在いまでも健在で、どこかホッとする。

 アルテミリアの元を離れてやってきた、ということはそういうことなのだろう。景信は察した。



「君がここへ来たということは、迎えに来てくれた……ってことでいいんでしょうか?」

「はい! お姉さま……じゃなくて女王様からの命令で景信さんをお迎えにあがりました!」

「そうですか。それならちょうどよかったです。この書状の真相について是非ともお話したかったので」



 例の手紙を景信が見せると、クアルドが嬉しそうに笑った。

 何故彼女は喜んでいるのだろう……クアルドの様子を見やると、やはり書状に記された内容は全部嘘だったのか。断定するのはいささか早計やもしれぬ、が可能性が濃密なものとなったのも事実である。


 あれこれと思考を巡らせても何も始まらない。

 景信はクアルドの後ろのスペースに跨った。



「それじゃあ景信さん! 今からお城に向かうから振り落とされないようにだけ注意してくださいね!」

「心得ました。よろしくお願いします」

「――、でもその前に!」

「ん?」

「その喋り方、直してくんなきゃ嫌です。前みたいに普通に話してください」

「それはそれは……」



 一応、景信なりに気遣っての対応だった。

 片や島国出身の刀鍛冶師――おまけに作る刀はどれもこれもが等しく問題児であるから他と比べると買い手が大変少なくて、悪い意味で有名になってしまった。

 そしてクアルドは、まだ16歳という極めて若い少女でこそあるものの、ペガサスナイトにして騎士団長をも務める実力者だ。


 他国であれど、両者の間には天と地ほどの身分の差がある。

 それを無視して親し気に話せば、周囲もいい気はしないだろう。そう思っての態度だったのだが、どうやらこの小さな姫君はお気に召さなかったようだ。

 不満に頬を膨らませるのは、今も何ら変わっていない。景信はくすりと忍び笑う。



「――、わかった。それじゃあ改めてクアルド。城までいっちょ頼む」

「了解です!」



 雄々しくいなないたペガサスが再び大空へと舞う。



「――、やっぱり上空からの景色って言うのはすごいもんだな」



 もそり、と景信は呟いた。

 先程までいた地上が、もう遠くにある。

 忙しなく行き交う人々も今や豆粒のようで、地上からだと決して手が届かない雲がすぐ目の前にある。

 故郷であれば絶対に不可能であったこの体験は、自然と景信の頬を緩ませた。



「――、ところでクアルド」

「なんですか?」

「本当にどうしてこんな書状を俺に送ってきたんだ? 俺から見ても【オルトリンデ王国】は平和そのものだったじゃないか」

「確かに【オルトリンデ王国】は女王様や景信さん達の活躍があってとっても豊かで平和な国になりました。だけど国王様……フレインお姉さまは現在、最大の危機に瀕しています。この私もそうなんですけど……」

「ふむ……俺の知らないところでまた何かとんでもない奴らが動き始めている、か」

「あぁいえ、そこまで重苦しいものじゃないですよ。お姉さまだって毎日元気ですし、この前なんかドラゴンをお1人でやっつけちゃったぐらいなんですから」

「あのドラゴンをか!?」



 これにはさすがに驚きを禁じ得ない。

 ドラゴンとは、大陸においては最強に位置するモンスターだ。

 かつて景信も単身で戦った過去がある。

 結果はギリギリの勝利。あとほんの少し早く体力が尽きていれば丸焼きになっていた。

 後に、ドラゴンは単身では決して絶対になにがあっても戦っちゃいけないよ、と言われた時は思わずその輩を斬りそうになったが……。

 

 そのドラゴンを倒したとなると、さすがとしか言い様がない。

 もっとも気高く、もっとも美しい黒閃の騎士王――この異名以上の実力を兼ね備えたようだ。

 どのように彼女は討伐したのか後で詳しく尋ねるとして、しかし肝心の回答は得られていない。

 先を促す景信だが、クアルドからの返答はなかった。



「――、見えましたよ景信さん!」

「おぉ、懐かしいな」



 目的地の到着に、景信は思考を一時中断させた。

 連なる山々と広大な海に護られる中で、どっしりと構えた巨大な城――オルトリンデ城。

 思いの外早く目的地に到着したらしい。

 ペガサスが降り立てば、既に待機していた多くの兵士から景信は万来の喝采を浴びせられる。

 3年前の内乱でそこそこ貢献しただけなんだが、ここまで盛大に出迎えるとそれはそれでなんだかむず痒い。


 気恥ずかしさを紛らわせるために頬をぽりぽりと掻く景信に、数名の女性が彼へと駆け寄る。

 彼女らもまた、クアルドと同様にかつての内乱を共に制した仲間達で、青年を見るや否や無機質なガラスのようにきれいな瞳からぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちる。



「えっ!?」



 突然泣かれるという、予想だにしなかったこの展開には酷く焦った。

 何も悪いことはしていないのに、なんだかとんでもない罪を犯したかのような錯覚がじわり、じわりと胸中で芽生えるのを景信は否めない。

 


「ちょ、ちょっといきなり泣き出すとかどうしちゃったんですか?」

「グスッ……いえ、景信様とこうしてお会いできたことがわたくしとっても嬉しくて、つい……」



 蒼き冷氷の騎士姫ラニア――その異名のとおり、海のように色鮮やかな蒼い長髪が特徴的な彼女がすすり泣いた。どれほど苛烈な戦場であろうと決して表情を崩さぬ姿から冷酷というイメージに捉われがちなラニアが泣いたのを見たのは、ひょっとすると初めてかもしれない。

 


「そんなに!?」

「そんなにって、こっちからしたら3年も会えなかったんだよ!? アタシ……どれだけ寂しかったかわかってンの!?」

「お、おぉ……なんか、申し訳ないです、はい」



 烈火の申し子キャロ――赤々とした焔のような髪と瞳が特徴的なこの娘は、戦場では誰よりも凄烈ににして、誰よりも先に先陣を切るのに甘えん坊なのは、3年前から何も変わっていないようだ。今もぷくっと頬を膨らませて不満だと意思表示する姿はかわいらしい。


 そして――



「久しいな、景信……」

「お久しぶりですね、フレインさん。いや、フレイン国王と申した方がいいでしょうかね」

「ふっ、貴殿と私の仲だ。以前のように振る舞ってほしい。なんというかその喋り方は、我は嫌いだ」

「……そうか。なら俺も普通にさせてもらおう」



 それは闇夜を切り裂く紫電一閃の如く。

 金色の重鎧と身丈ほどはあろう長剣――ブラムヴェルマを携えた彼女の濡羽色の長髪がふわりと靡いた。【オルトリンデ王国】の現国王にして黒閃の騎士王……フレインに、景信は静かに微笑みを返した。

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