第一三一話 旅立つ前に 一四 反省
その時のことを、後日、某伯爵はこう語った。
「あの場に居合わせたほとんどの者は想像したに違いない、あのお方の美しい頭部が、熟れたメローネのように砕かれる様を。――え? 違うのか? ……そう、違ったのだ、止めたのだよ、あのトロールによる渾身の一撃を、巨大な熊さえも肉塊に変えてしまう棍棒の一撃を、白い指一本だけで、あのお方は……。驚いたかって? 無論、ほとんどの者は驚愕していたがな、実を言うと、私は以前、もっと信じがたい光景を目撃したことがあってな、そのせいで、あれしきのことでは驚けなかったのだ。――うん? その光景とは? ……よかろう、特別に話してやるから、決して口外するなよ。……実は、あのお方がな、宮中伯閣下のファーヴ――」
その次に起きたことを、後日、某女伯はこう述懐した。
「あなたにもお見せしたかったわ、あのあとマーヤ様がなさったことを。――何をなさったのか、ですって? ウフフ、せっかちですのね、あなた。いいわ、話して差しあげましょう。――棍棒を指一本でお止めになったマーヤ様は、すぐさまトロールの腕を片手でお掴みになると、なんと、そのまま振り回されたの、あの巨体を軽々とよ。そして、背後に迫っていたコロニア伯をトロールで弾き飛ばしてしまわれたの。その際にどれだけの握力が加わっていたかは知らないけれど、トロールの腕が握り潰されちゃってね――あら? 顔色が悪いわね、大丈夫? ――しかも、どうしたわけか腕が再生しないものだから、コロニア伯ったら、お酒で赤くなっていたお顔を真っ青にしてしまってね、おかしいったらなかったわ。それだけじゃないのよ、マーヤ様ったら、最後はトロールの頭を素手で爆散させておしまいになったの、まるで、以前、ファーヴニ――」
◇ ◇ ◇
真綾の鉄拳により頭部を粉砕され、トロールが光の粒子に変わってゆく……。その光景を愕然と眺めながら、コロニア伯は床の上にへたり込み、鼻血も拭かず震えていた。
「こ、こんな……」
「これでわかったか、小僧」
声をかけてきた相手を彼が見上げれば、悪魔のごとき笑みを浮かべたエーリヒが見下ろしているではないか。
「それとも、まだ得心がいかぬか? ――のうマーヤ、ほれ、この間の魔石、アレをちょっと見せてやれ」
「ラーサー」
震えるだけのコロニア伯を一瞥したあと、エーリヒが真綾に向かって何やら言うと、彼女は意味不明の返事とともに【船内空間】からひとつの魔石を取り出し、片手で高々と掲げた。……そう、イケガミの魔石である。
「おお、あの大きさ、あの輝き……」
「私も〈諸侯級〉の魔石なら見たことがあるが、これほど大きくはなかったぞ、間違いない、〈王級〉の魔石だ」
「〈王級〉の魔石といえば、これまで人類が手にしたのはほんのわずかで、ひとつでも所有している国は他国から羨望の眼差しで見られるという、もはや国宝どころか人類の宝ですわよね。……そのような魔石を携行していらっしゃるのですから、やはりマーヤ様は、〈王級〉の守護者と契約された姫君で間違いございませんわ、それも、実際に神殺しさえなさった……」
「神殺しを? かろうじて撃退したというのならともかく、実際に〈王級〉を殺した英雄王なんて、ここ数百年というもの、この大陸では現れておりませんわよ、これって一大事ではございませんこと?」
見たこともないほど大きい魔石を目にしたとたん、観衆は一斉に騒ぎ始めた。
当然ながら、〈王級〉の魔石を得るためには神やドラゴンなどを殺すしかないが、そもそも、神やドラゴンのような存在と遭遇すること自体が極めて稀なうえ、人類が便宜上区分した〈王級〉の強さには上限というものが無く、同じ〈王級〉であっても実力差が隔絶している場合もあるため、人類最強たる王でさえ〈王級〉魔石の入手は不可能に近い。
また、たとえその偉業を成し遂げた英雄王の子孫たる王子や姫であっても、王宮の外へ最重要国宝を持ち出すことなど、絶対に許されることではない。
つまり、〈王級〉の魔石を持ち歩いている個人など、それこそ奇跡の存在なのだから、こうして観衆が驚くのも当然だろう。
その一方、コロニア伯の表情たるや、死刑宣告を受けた罪人のごとし……。
「……お、〈王級〉の、魔石……」
「あの魔石はのう、前にマーヤが軽く成敗した悪神のものじゃ。それにの、わずか数日でこの入り江ができたのも、このように素晴らしき祝賀会を開けたのも、すべてはマーヤひとりのおかげよ。……たしか、『〈後ろに誰がおるか〉、〈いざというとき誰の力を借りられるか〉、ということも、貴族にとっては大事な力のひとつ』、であったか? うちに神殺しの姫君がおるとも知らず、ようもまあ呑気に言うたものじゃの。――おう小僧、こたびはようもカールを嵌めてくれたのう、カールやアンナを笑い者にして憂さを晴らす心づもりであったのじゃろうが、エックシュタイン家に喧嘩を売るとは見上げた度胸よ。……無論、覚悟はできておるよのう? ああん?」
「い、いえ、私は……」
「しかもじゃ、よりにもよって、うちのマーヤのことを悪し様に言いおって、……お前、タダで済むとは思うなよ」
「ひぃぃ……」
ヤクザか……。悪魔のごとき笑みを浮かべつつ人殺しの眼光で突き刺してくるエーリヒに、コロニア伯はチワワのように震えるのみ……。
そんな彼の様子を見た悪魔が、とどめを刺せとばかりに真綾に目配せすると、アンナたちを笑い者にしようとした相手を懲らしめることは、無論、彼女や熊野としてもやぶさかではない。
と、いうことで――。
『真綾様、ここはひとつ、ゴニョゴニョ……』
(採用)
――熊野の出した案を真綾が採択したことで、花と一緒に観たアニメの一場面が異世界で再現されることになった。
どんな場面か? なんと、真綾は熊野の念動能力で空中へ浮かび上がると、【船内空間】内にあった武器の数々を続々と出現させ、それを熊野がイイ感じで空中にズラリと展開したのだ!
「おお!」
「これこそまさに、英雄王の御業ですわ!」
どこぞの英雄王による宝物庫開放シーンのごとく、宙から見下ろす真綾の周囲にビッシリと浮かぶ、大太刀、打太刀、大身槍、鎌槍、エトセトラエトセトラ……。その光景を目の当たりにして驚くなと言うほうが無茶であり、観衆はそれはもう見事に反応してくれた。
「どうじゃ小僧、壮観であろう? あれらすべてが神をも屠る宝具よ。……お前、トロールの加護がどれほどのものか、ちと、試してみるか?」
エーリヒがそう言ったとたん、ノリノリの熊野が武器群の切っ先を一斉にコロニア伯へ向け、これまた内心ノリノリの真綾も、凍てつく視線で彼を貫いた。
「ひっ!」
とたんに短い悲鳴を上げるコロニア伯……。もはやすっかり酔いから覚め、明瞭になった頭で考えてみると、疑いようもなく真綾には王としての力があり、しかも悪神を誅したというのが事実ならば、歴史書に偉業を記されるべき英雄王ということになる。
彼女に対して放った己が暴言の数々を思い返すにつれ、彼の脊髄は急速に凍りついてゆく……。
(私は、何ということを……)
「安心せい、マーヤは女神のごとく慈悲深いゆえ、これしきのことで宮中伯領全体までは滅ぼさんじゃろう、〈宮中伯領全体までは〉、な……。これが何を意味するか、もちろんお前にもわかっておろうな、コロニア伯。……領主の言動ひとつで、一族郎党はおろか領地領民に至るまでことごとく灰燼に帰す、その重み、まさか忘れたわけではあるまい?」
エーリヒがそこまで言ったところで真綾の武器群が一斉に飛び出し、コロニア伯を全方位から囲んだところでピタリと止まった。これも熊野の仕業であることは言うまでもない。
「ひっ! ――ご、ご無礼の数々、誠に申しわけございませんでした! この私めが愚かにも御身のご真贋を疑い、さらなる愚行に及びましたのも、宮中伯領全体の安寧を憂うがあまり、すべては宮中伯閣下への忠誠心ゆえでございます。マーヤ姫殿下、お願いでございます、何とぞ、何とぞお慈悲を!」
短い悲鳴を上げたことで我に返るや、恥も外聞もかなぐり捨てて真綾に命乞いを始めるコロニア伯……。だがしかし、このくらいで許す気などサラサラないエーリヒは、自分の足元にいる憐れな子羊を冷たい目で見下ろした。
「なるほどのう、大人しく己が命を差し出すゆえ、一族郎党や領民の命ばかりは許してくれと……」
「えっ? い、いや……」
「年若いシュタイファー伯でさえ見事な覚悟を見せたというのに、いい歳をしたお前が、よもや己の保身のみを考えてなどおらんよなあ? ああん?」
「そ、それはもちろん……いや、しかしですな……」
エーリヒに痛いところを突かれ、すっかりコロニア伯はしどろもどろである。
「そうかそうか。――のうマーヤ、とりあえず目玉のひとつでも貰うておこうか」
「ラーサー」
とりあえず生ビールならぬ、とりあえず生目玉……。悪魔の提案に真綾が返事するや、コロニア伯を包囲していた武器群から一本の打太刀が飛び出し、彼の片方の眼球に触れる直前で停止した。
「ヒッ!」
またも悲鳴を上げたコロニア伯は、鋭い切っ先を凝視したまま身じろぎもできない。恐怖のあまり固まっているのか? ……いや、今回の場合、不幸な事故の起こらぬよう熊野が彼の動きを止めているのだ。さすがは熊野、なんと細やかな気配りだろう。
コロニア伯、万事休す……。
そうやってエーリヒのオモチャにされているコロニア伯の姿を、誰もが声すら出せず青ざめた表情で見守るなか、憐れな子羊に思わぬ救世主が現れた。
「こらあっ! おじいさん、マーヤ、お客さんに何やってんの! これ以上イジメたらかわいそうじゃないか、こうして謝ってんだから、もう許してあげな!」
たいそうお怒りのアンナである……。えらい剣幕で彼女に叱られるや、エーリヒは直立不動の姿勢を取り、真綾は武器群を消して彼の横に並んだ。
「いや、うちに手を出そうなどという気を二度と起こせんように、ちいとばかり仕置きをじゃな……」
「やりすぎだよ! いいかい、お客さんってのは大事にするもんだよ、ちょっと意地悪されたくらい何さ。だいたいね――」
言いわけしょうとするエーリヒを、アンナは一発で黙らせた。
それからクドクドと続く彼女のお説教を、ふたり仲良くうなだれて聞き続ける、最強の竜騎士と神殺しの姫君……。
「すまん、やりすぎた……」
「海よりも深く反省……」
そして、最後にシュンとして謝るふたり……。
(あのおふた方を、あのように……)
(強い……)
(お強い……)
(お強いですわ……)
それら一連の光景は見る者の心に深く刻み込まれ、宮中伯領カーストにおけるアンナの位置は、ここに確定したのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます