第六〇話 エーデルベルクの薔薇 三 シュナイダー商会


 定期市でにぎわう広場へと続く大通り、そこに面する立派な石造建築の一室に、エーリヒと真綾の姿があった。

 ふたりの腰掛けている椅子が簡易なベンチなどではなく、座面背面に高級織物を張ったセファロニア風の肘掛け椅子であること、また、精緻な彫刻を施された暖炉、壁に飾られた数々の絵画、見事なしつらえの家具調度品などから、ここが特別な客を迎えるための部屋であると窺える。


「そうか、逝ったか……」

「はい、二年前に……。父は最期まで閣下の御身を案じておりました」


 いくつもの小ガラス板を枠に嵌め込んだ大きい窓から、紗を思わせる光の差し込むなか、目をつむり深く息を吐いたエーリヒが沈んだ声を出すと、そんな彼に、三十代半ばと思われる身なりのよい男が、穏やかな声で答えた――。


 怪力少女の背中を見送ったあと、真綾とともに旧知の商人を訪ねたエーリヒだったが、彼らをひと目見て貴族だと見抜いた従業員に案内され、たどり着いた応接室で待っていたのは、商人が他界していたという悲しい現実と、その跡を継いだ息子だったのだ。


「ウルリヒよ、そなたの父は己の利のみに執着することなく、相手のことも考え、ときには恵まれぬ者へも手を差し伸べる、誠に商人の鑑のような男であった。この国も惜しい男を亡くしたものよ……」

「あ、ありがとうございます! こうして閣下から過分なお言葉を賜り、自分の歩んだ道は間違っていなかったと、さぞや……さぞや父も報われたことでしょう」


 亡くなった商人の跡を継ぎ商会長になっている息子、ウルリヒが、こうして感涙にむせんでしまうのも無理はない、ずっと自分が背中を見て育った父の人生を、今、父の最も尊敬した人物に肯定してもらえたのだから。

 その様子を眺めるエーリヒの眼差しは温かい。厳格さゆえに煙たがられることも多かった彼の、数少ない理解者、それがウルリヒの亡くなった父親であった。その意志は、この誠実そうな息子に受け継がれているに違いない、エーリヒはなんとなくそう確信した。


「……ところで、いい加減お前も席に着いてはどうかの? 久しく貴族を辞めておった身としては落ち着かんわい」

「は、ははあっ!」


 エーリヒに促され、深々と頭を垂れたあと席に着くウルリヒ。実は、椅子に座っているエーリヒと真綾の前で、ずっと彼は身じろぎもせず片膝をついていたのだ。

 それほどまでに、かつてのエーリヒは恐れられていたのか……。

 ともかく、故人についての話も一段落したことで、ここまでは重い空気を彼女なりに読み、出されている菓子に手を出せなかった真綾が、優雅な所作でコッソリと菓子へ手を伸ばすのであった……。


      ◇      ◇      ◇


 その後エーリヒは、息子のカールを無事に見つけたこと、彼を新たなタウルス=レーンガウ伯として立て、自分はその後見をしようと考えていること、また、そのためにこれから宮中伯を訪ねること、などといった諸々をウルリヒに話したあと、当面の資金を調達するため、この商会で魔石を買い取ってもらうことになった――。


「――はい、〈伯爵級〉下位の魔石で相違ございません」


 ヴァイスバーデンの代官だった魔石を鑑定し、ウルリヒは満足そうに頷いた。


「めでたく閣下とカール様がご再会を果たされたことと、ふたたび閣下と当商会がご縁を結べましたことを祝し、また、エックシュタイン家のご再興と今後のご発展への願いも合わせまして、可能な限りの高値で買い取らせていただきましょう」

「おお、それは助かる!」


 太っ腹なウルリヒからの嬉しい申し出に、膝を打って喜ぶエーリヒ。下位とはいえ仮にも〈伯爵級〉の魔石、これはかなりの金額が期待できそうだ。格式高い宿に連泊し、衣装を調え、可愛い孫たちへの土産を買ったくらいでは、決して尽きることないほどの――。

 実は、入市手続きの際に宮中伯への面会を申し込んだのだが、宮中伯からのお召しがあるまでは、指定された高級宿で幾日か待たなければならない。面倒ではあるが、それも上位者を訪ねる貴族の常識であった。

 エーリヒはその時間を利用して急ぎ衣装を誂え、身なりを整えてから宮中伯との面会へ赴こうと考えているのだ。


「いえいえ、実はここのところ魔石価格が高騰し、入手困難な状況が続いておりまして、当方といたしましても大いに助かるというのが本音でございます」

「魔石がのう……魔導具の普及が原因か?」

「いえ、それがどういったわけか、〈伯爵級〉の魔石だけが異常な高騰を見せておりまして、しかも、各国に置いた支店からの情報によりますと、それは帝国だけに留まらないようなのです……。閣下もご存じのとおり、〈伯爵級〉の魔物は狩人では倒せませんし、お貴族様でも簡単には……。そのようなわけで、もともと流通量自体が少ないために、価格高騰に歯止めが利かないのでございます」

「ほう、〈伯爵級〉の魔石だけが……。穏やかではないな、誰が、あるいはどこが集めておる?」


 ウルリヒの話を聞いていたエーリヒは、アゴヒゲをしごきながらわずかに思案すると、長い前髪から鋭い眼光を覗かせてウルリヒに尋ねた。

 その打てば響くようなエーリヒの反応に、(父さん、やはり〈帝国最強の竜騎士〉は、未だに錆びついてなどいないよ……)と、内心喜びながら、すぐに言葉を返すウルリヒ。


「実は先日、宮中伯閣下からも同じご質問をいただきましたが、偽名を使い転売を繰り返すなどして巧妙に隠されているため、最終的に誰の手に渡ったのかは不明なのです」

「まあ、そうするであろうのう……。逆に言えば不自然すぎるゆえ、どこかの勢力が戦支度のために集めておると丸わかりなのじゃが、そこに気を配る余裕がないほど急いでおるのか……」

「やはり、戦が……」

「うむ、〈伯爵級〉の魔石ということは、そう考えたほうが自然であろう。……さて、いたずらに世の平穏を乱そうとするは、内か外、果たしてどちらの者であろうか、皇帝陛下を逆恨みする愚物は未だにおるからのう……」


 そう言うとエーリヒは、底冷えのする眼光を窓の外に向けた。

 生活魔導具にしか使えない下級の魔石と違い、〈伯爵級〉以上の魔石は魔導武具にも使用できる。すなわち、〈伯爵級〉の魔石を大量に集めるということは、魔導武具の大量生産につながり、そうやってできた魔導武具を、上位貴族と比べて人数の多い城伯たちに装備させれば、大幅な戦力増強が可能なのだ。

 大商人たるウルリヒもそれは気づいていたが、エーリヒの口からあらためて戦支度などと言われると、とたんに現実味を帯びてくる。


(この先、不吉なことが起こるのでは……)


 商人としての直感にそう告げられ、ウルリヒの背中を冷たいものが走った。


「まあ、そのことについては、わしも宮中伯と話してみるゆえ、そなたは魔石売却の相手をこれまで以上に吟味せよ。帝国の敵を利することにもなりかねんからのう……ああそれと、新たな情報が入ったら教えてくれ」

「はっ!」


 ウルリヒがエーリヒの言葉に勢いよく首肯したことで、ひとまず魔石についての話題は終わった。

 めでたしめでたし……ではなかった、ウルリヒ的に。

 エーリヒからの紹介がまったくないため、あえて彼も今までずっと触れないでいたのだが――。


(閣下がお連れになった、こちらの黒衣黒髪の女性は……明らかに貴族だと見て取れる絶世の美女は……いったい誰なのだ! この神々しいまでの気品、そして心臓を握り潰されそうな威圧感、絶対に下級貴族ではありえないぞ……。ま、まさか、閣下は私に何もおっしゃらず、このままお帰りになるのでは……)


 ――真綾という目立ちすぎる存在のことが、ムッチャ気になっていた。

 平民であるこちらから聞くことはできないが、さりとて何も知らされないままでは気になって夜も眠れないと、内心焦り始めたウルリヒは、菓子のなくなった皿を物憂げに眺めている真綾へチラチラと視線を送っては、その視線をエーリヒに戻し、まぶたをパチパチとしばたかせて訴える。


「うん? どうしたウルリヒ、目にゴミでも入ったか?」


 違うぞエーリヒ。


「え? い、いえ、目は問題ございません、目は……」


 わかってくれないエーリヒに気づいてもらえるよう、ことさら目を強調してから、最後にもう一度、真綾へチラリと視線を送るウルリヒ。


「うん? ……おお、そうであった、わしとしたことが紹介がまだであったのう。放浪生活が長かったゆえ、こういったことに鈍くなったようじゃ、許せウルリヒよ」

「い、いえ、滅相もございません……」


 渾身のアイコンタクトにエーリヒがようやく気づいてくれると、ウルリヒはホッと胸を撫で下ろした。


「マーヤ、紹介が遅れてすまんのう。この男が、わしの最も信頼しておった商人の息子、ウルリヒじゃ。これが見習いをしておったころから見知っておるが、父に似て聡明誠実な男であるし、この商会はフクス商会など話にならぬほどの大商会じゃから、マーヤも何かあらば安心して頼りにしてよいぞ」


 などと真綾にウルリヒの紹介をしたエーリヒは、精一杯誠実そうな営業スマイルを浮かべているウルリヒへ向き直り、今度は真綾の紹介を始める。


「――さてウルリヒよ、これなる、天上の女神と見紛う美しさと慈悲深さを併せ持つ娘が、わしの命の恩人、ラ・ジョーモン家のマーヤじゃ。ゆえあって遠き異国より来訪しておるが、もはやわしの家族同然ゆえ、よろしく頼む。――万が一にもマーヤの身に何かあったときは、わし、どうなるか自分でもわからぬ……」

「…………。こ、心得ました……」


 装飾過多な紹介の最後に入った不穏な言葉と、それを言った時のエーリヒの狂気を帯びた眼光にドン引きしつつ、ウルリヒは気を取り直すと、尊敬するエーリヒの命を救ったらしい美女に、最大限の敬意を払って名乗り始める。


「神のご寵愛受けし貴きお嬢様、初めてお目通り叶った幸運に喜びの言葉もございません。閣下よりご紹介を賜りました、〈シュナイダー商会〉会長、ウルリヒと申します。父の代には閣下から過分なるご高配を賜っており、そのご恩はバーデン湖よりも深く計り知れません。お嬢様におかれましても、ご用がございましたら何なりとお申しつけください」

「真綾羅城門です、よろしくお願いします」


 ウルリヒに対して真綾の挨拶は極めて短い。……しかし、背すじの伸びた美しい姿勢と隠しようもない気品、そして圧倒的な威圧感から、王侯とも面識のある大商人ウルリヒは彼女のことを、〈ソレ〉であると判断した。


(五大諸侯、いや、皇帝陛下にさえ勝るとも劣らぬこの存在感……。このお方が〈やんごとなき〉ご身分であることは疑いない。東方大陸の東側には黒い髪と黒い瞳の人間が多いと聞くし、もしかするとマーヤ様は東方の姫君なのでは……。だとすれば、閣下とカール様が長年消息を断っていらしたのは、宮中伯閣下の密命を受けて東方へ……いやいや、それは考えすぎというものか、いやしかし……)


 などと頭をフル回転させているウルリヒをよそに、真綾は寂しかった、口が……。

 ウルリヒが出してくれた菓子は最上級の品ではあったが、あまりにもお上品すぎたのだ、量的に……。すでに菓子は消え、一緒に出されていたハーブティーもどこか(胃袋)へ行ってしまった。

 しかし、だからといって、エーリヒについてきただけである自分が、彼の知人の息子におかわりを要求するというのも、真綾としてはさすがに恥ずかしいし、【船内空間】から菓子を出して食べると、ウルリヒに食いしん坊だと思われそうだ……。その程度の分別は彼女にもできるのだ。

 すると、苦悩する真綾を不憫に思うあまり冷静な判断力を欠いた熊野が、ここへきて余計なことを――。


『真綾様、ここでお菓子を【船内空間】から取り出せば、たしかに食いしん坊さんだと〈勘違い〉されかねません。でも、もしそれがお紅茶なら、お上品に見られるのではないでしょうか? ここはひとまず、水もので空腹を紛らわせましょう』


 どういう理論だ……しかし――。


(さすが熊野さん)


 脳内で熊野を称賛した真綾は、ユラユラと湯気の立つ紅茶で満たされたティーカップを、おもむろに【船内空間】から出現させると、優雅な所作で飲み始めたではないか。


「そそ、それは!?」


 そのとたん、目ン玉ひん剥いて驚愕するウルリヒ。それは、この世界の人間(カール一家を除く)が、取っ手付きのティーカップというものを初めて目にした瞬間であった……。





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