2章10 『ドロドロのミスゲート!』 ⑬


「…………」


「…………」


「…………」



 内緒話をする為に口元に手を添えたままのポーズで、早乙女が弥堂の顔を黙ってジッと見上げている。


 弥堂は変わらず希咲を抱きしめたまま、そんな早乙女を黙ってジッと見下している。


 そしてそんな弥堂の顏を、やはり無言のままで希咲がジト目で見ている。



「耳をかして――」と、早乙女が弥堂の顏に向かって背伸びをしようとしてから、3人はこの状態で止まっていた。



「…………」


「…………」


「…………はぁ」



 またも無言のまま数秒が流れようとして、希咲は諦めたように溜息を吐いた。



「ちょっと」


「なんだ」



 ジロリと横目で返事を寄こすコミュ障男を胡乱な瞳で見る。



「身長差」


「あ?」


「『あ?』っつーな。あんたが屈んであげなきゃ、この子届かないでしょ」



 本来今の立場でそんなことを言ってやる義理はないのだが、このままだと何も進まなそうなので仕方なく注意してやる。


 これくらいのこと言われなくても普通はわかるだろ、というのが希咲の常識だ。


 しかし、コミュ障というものは極まると支障を来すのはどうも会話だけではないようで、若干この男の社会不適合具合が深刻過ぎて心配になってしまった。



 だが――



「お前が邪魔で屈めない。お前のせいだ」


「はぁっ⁉」



――コミュ障、そして他責思考。


 今も自分を抱っこしたままのクソ野郎はさらにその上を超えてきた。



「あ、それもそっか。ありがとう」と軽く言えばいいものを、こんなことまで他人のせいにしてくる。


 見たことのないレベルのダメ人間っぷりに七海ちゃんはビックリだ。


 しかも――



「――だったら離せばいいでしょ! 頼んでないし! てゆーかむしろ離せって言ってんのよ!」


「その手にはのらない。俺は何があってもお前を離さない」



 自分が一番の嘘吐きのくせに異常に猜疑心も強いという最悪っぷりだ。


 希咲はそんな男に激しい怒りを覚える。



「キモいんだよ! このクソへんたいっ!」


「でも七海ちゃん、この状態にちょっと慣れてきてるよね」


「うっさい! んなわけあるかぁー!」



 余計なチャチャを入れてきた早乙女にもついでにガーっと怒る。


 間近で響く希咲のその声が煩いので、弥堂は仕方なく早乙女に顔を近付けてやることにした。



「――ぁぃたっ。ちょっと! 急に動かないでよ!」



 すると、自然と希咲の身体に体重をかけて巻き込む形になり、またも怒られてしまった。



「うるせえな。お前もちょっと屈め」


「はぁ? 命令すんなし。あたしあんたの彼女じゃないんだからね」


「彼女だが?」


「彼女じゃないんだってば」


「とりあえず早乙女が待っている。このままでは彼女に迷惑だ。早くしろ」


「まーたそうやって卑怯な言い方するし。もぉ……、しょうがないわね……」



 ぶちぶちと文句を言いながらも、なんだかんだと七海ちゃんは協力してくれた。


 そんな二人の仲睦まじい姿に、早乙女さんを始め、周囲の皆さんもニッコリだ。



「じゃあ、耳をかして欲しいんだよ」


「あぁ」



 三人でお顔を近付ける奇妙な構図になると、改めて早乙女が切り出した。


 早乙女に耳を向けるために顔を横に向ける。


 すると――



「――ひやぁっ⁉」



――必然的に希咲の方へ顔を向けることになり、現在の体勢上二人の唇がニアミスした。


 希咲は素っ頓狂な声をあげながら反射的に背を反らして紙一重で回避する。



「ちょっと! 危ないでしょ! つか、マジで危なかったでしょ⁉」



 かなりガチめの抗議をされ弥堂は気分を害する。



「今度はなんだ」


「くちびるっ! キスしそうになっちゃたじゃん! 顔近いんだから気をつけてよ! それはマジでシャレになんないでしょ!」


「仕方ないだろ」


「逆向けばいーじゃん! こっち見んなクズっ!」


「そっちには首は曲がらんだろうが」


「うっさい! あっちいけ!」



 希咲は弥堂のほっぺに手を当ててグイグイと押す。


 すると今度は――



「――ぅひゃぁっ⁉」



――弥堂の顔が逆へ向けられる際に、至近距離に居た早乙女の唇のすぐ傍を弥堂の唇が通過していき、彼女も素っ頓狂な声をあげて飛び退った。



「ちょちょちょぉーっと⁉ 流石にののかもキスはNGなんだよ⁉」


「俺に言われてもな」


「見た通りキッチリ初めてですから! それが事故で奪われるとなってはガッツリ泣くからね! そこんとこはお見知りおきを!」


「よくわからんが賠償の話か? 仮にそうなったら金はくれてやるからさっさとしろ」


「あんたマジでいい加減にしなさいよね」


「ち、ちなみに、いくらくらいくれるの……? あくまで参考として……」


「ののかっ! あんたもいい加減にしなさい!」



 お金で物事の善し悪しの判断が変わる人たちは七海ちゃんにガーっと怒られてしまい、仕方なく内緒話を始めることにした。



(……それじゃ弥堂くん。さっきの話なんだけど……)


「あ? 何か重要な見落としがあるという話だったか?」



 耳元でコショコショと囁かれる不快さに若干顔を顰めながら、弥堂は早乙女の提言に耳を傾ける。


 だが――



(――しっ! 声を潜めて! 七海ちゃんに七海ちゃん必勝法が聞かれちゃうんだよ!)

(ちっ、めんどくせえな。これでいいか?)


「や。フツーに聴こえてるし。この近さで聴こえないわけないでしょ? バカなの?」



 現在は体勢的に、弥堂に抱きしめられる希咲のほぼ目の前に、弥堂の右耳と早乙女の顏があるような状態だ。


 おバカなクラスメイトたちへ希咲がジト目を向ける中、秘密のブリーフィングが行われる。



(そもそもなんだけど。弥堂くんは何で七海ちゃんがこんなに怒ってるかわかってる?)

(それを俺に訊くと言うことはお前には既に答えがあるんだろ。だったらそれをさっさと言え。もっと効率的な会話を心掛けろグズが)


「この人超エラそうなんだよ⁉ 知ってたけど!」


「ねぇ。あたし待ってるからさ。あっちであたしに聴こえないようにやってくんない? これ目の前で聞いてるのって、なんかあたしまでバカっぽいじゃん」



 呆れたように言う希咲の要求は二人には無視された。


 そのまま本題に入って行く。



(弥堂くんは、自分が浮気をしてたってことを忘れてるんだよ)

(なんだと?)


「は? うわき?」


(ちゃんと浮気問題をハッキリさせて、それからゴメンなさいをしないと女子は絶対に許してくれないんだよ)

(……そういえばそんな話もあったな)


「ちょっと、なにそれ? 今度はなんの話してんの?」



 なにやらまた不穏な話が浮かび上がってきたことで希咲は眉を顰める。


 だが今は秘密の作戦会議中なので、当然弥堂も早乙女も希咲の質問は無視した。



(ほらー、自分のしでかしたことだっていうのに弥堂くんは他人事すぎるんだよ。ののかそれはよくねーなって思います!)

(つまり、キッチリと落とし前を付けろということか? 指でも落せば済むのか?)


「え? なに? 知らぬ間に彼女にされただけじゃなくって、あたし浮気までされたことになってんの? そんなことってある?」


(そんなことされたらドン引きなんだよ! まずは普通に謝ろうよ。許してくれるなら何でもするって姿勢を見せることが女子的に重要なんだよ)

(それは全面降伏だろうが。どんな条件でも呑まなくてはならなくなる。悪手だ)


「は? は? マジムカつくんだけど。なにそれ。あたしの価値低すぎじゃない?」


(それはしょうがないんだよ。女子にとって浮気をされるっていうのは、それくらいのことなんだよ。そこまでしても許してくれない子の方が多いかもしれないんだよ)

(ち、面倒だが仕方がないか……)


「ゼッタイ許さないんだから……っ」



 弥堂は早乙女の言に一定の納得感があると認めた。


 作戦上必要なことだと思えば受け入れることも可能だ。



 すでにもう希咲が答えをブツブツと言っているが、一応浮気を謝ってやろうかとクルっと首を回して希咲の方を向く。


 すると――



「――ぅひえぁっ⁉」



 今度は早乙女の低い鼻を唇が掠めていき、彼女はまた奇声をあげた。



「あ、あぶねーっ! 鼻にチューだったんだよ! あともうちょい下だったら、ののかが浮気相手になるとこだったんだよ!」


「うるせえな。大袈裟に騒ぐな。ほら――」



 弥堂は鬱陶しそうにしながらさりげない動作で早乙女の手にくしゃくしゃに丸めた一万円札を握らせてやった。


 早乙女はそれをジッと見ながら手をニギニギする。


 そして――



「――許してあげるんだよ! つか、鼻チューで一万円なら、ののかワリと吝かではないんだよ!」


「そうか。ご苦労」


「サイテー……」



 無事に金で解決が為された。



 彼女の目の前で浮気相手との示談に成功した男は、彼女に浮気を詫びることにする。



「おい、七海――」


「――絶対ダメ。許さないから」



 しかし、謝罪を口にすることすら許されず強弁に拒否されてしまった。


 弥堂はクルっと早乙女の方を見る。



「おい」


「逆ギレだけはダメなんだよ! ちゃんと誰と浮気したのかとか、経緯を説明しつつ常に下手に出るんだよ!」


「そうか。おい――」



 彼女への謝罪方法のアドバイスを他の女から受けて、また首を動かす。



「――どうやら俺は浮気をしてしまったようだ。だがわざとじゃない。それでも俺が悪かったと一応認めてやる。だからお前も俺を許せ」


「ホントに浮気されたわけじゃないけど、あんたマジでムカつくわね……っ。なによ『わざとじゃない浮気』って。そんなの許されるわけないし」


「……おぉ。これで謝ってるつもりなんだ……。スゲェなこの人……」



 その謝罪の仕方があまりに漢らしすぎたが為に、女子は二人ともドン引きした。



 しかし――



「早乙女。お前のおかげでどうにかなったようだ。感謝する」


「えっ⁉ 一個もどうにもなってないよ⁉ むしろ悪化したんだよ⁉」



 弥堂本人は今の謝罪に一定の手応えを感じていたようだ。


 歴戦のクズである弥堂的には、自分が謝って相手が怒鳴り返してこなかったらその謝罪は通ったことになるようだ。



「安心しろ。お前の助言の効果もあり、そろそろこいつを倒せそうだ」


「うん、これはもうダメそうだねっ。応援はしてるよっ」



 そして、『倒す』の意味がわからなすぎたので、早乙女さんももう匙を投げることにした。


 適当にバチンっとウィンクをしておく。



「感謝の気持ちだけは受け取ったんだよっ」


「あぁ。ありがとう。好きだぞ」


「ぅおいっ⁉ 『好き』って言い過ぎて『好き』の蛇口が緩んでるんだよっ! 浮気相関図にののかを組み込まないでほしいんだよ!」


「む。失礼した。今のは俺の失言だった」


「ののかはね、あくまで鑑賞する側でいたいんだよ。決して登場人物にはなりたくないんだ」


「そうか。よくわからないが、これは詫びだ。とっておけ」


「む」



 弥堂には早乙女の言っていることがわからなかったので、手っ取り早く彼女の手に賠償金を握らせた。


 早乙女は手の中の感触を愛しげにニギニギとすると――



「――まいどっ」



 ぺろりんっと舌をだしながらウィンクをキメて、所定の位置へ戻っていった。



「――というわけだ」


「なにが『というわけ』か。どういうわけなのよ。つか、あんたたちサイテー」


「それはもういいだろ」


「いいわけないし。つか……ねぇ。あんたってばさ、一体どういう認識になっちゃってるわけ?」



 付き合っていると思い込んでいるくせに浮気を働き、そのくせ公衆の面前で抱きついて「すきすき」言ってくる――そんな怪物に希咲は慎重に問いかけた。



「だから、俺はお前と付き合っているが、うっかり浮気をしてしまったようなんだ」


「……ダメだ。何回聞いても全然わかんない……。とりあえず、あんたのその『浮気はしたけど自分は悪くない』みたいな他人事の態度はガチでキライ」


「だが安心しろ。その女とはもう切れている」


「そういう問題じゃねーんだわ。サイテーすぎ」


「なんにせよ、もう終わった話だ。始末もついている。問題はない」


「問題だらけでしょうが。つか、浮気じゃなくってそっちを本気にしてよ。こっち戻ってくんな」


「そうはいかない。何故なら、俺はお前のことが好きだからだ」


「どうしよう……。ホントは浮気されたわけじゃないんだけど。それでもこんなクズ絶対に許せないって思っちゃう……」



 希咲としても、彼と付き合っているわけではないので、実際にこの浮気問題を問い詰める必要は全くない。


 なのだが、弥堂の態度があまりに典型的なクズ男すぎるので、女子として絶対に許してはいけないという敵愾心が湧いてくる。



「つかさ。浮気ってあんた、誰としたのよ?」


「あ?」



 なので、必要もないし、聞きたくもないのに、口は勝手にダメ男を詰めてしまう。



「『あ?』っつーな。浮気したくせにエラそうにしないで」


「あぁ、ちょっと待て……」



 胡乱な瞳を向けてくる希咲に断りを入れて、弥堂は考える。



(そういえば、俺は誰と浮気をしたんだ……?)



 よくよく考えればそれを自分で把握していなかった。


 先程の希咲もそうだが、現在の愛苗の影響による記憶や認識の改変と、自分の吐いた嘘が複雑に混ざり合って、自分でも実際何がどうなのかがよくわからなくなってきてしまっていた。



 混沌に頭を悩ませる男の顔を、希咲はさらにジトっとした目で見た。



「なんで自分でわかってないのよ」

「わかってる」


「や。それわかってない時の顏じゃん」

「お前に俺の何がわかる」


「あたしはあんたの彼女なんでしょ⁉ だったらわかってもいいじゃん!」

「調子に乗るな。ちょっと恋人扱いしてやっただけで、何もかもわかった風なツラをするな」


「はぁ⁉ まるであたしがあんたのこと好きみたいな言い方すんな! 彼女じゃねーし!」

「彼女だ。お前は俺を好きだし、俺もお前が好きだ。でなければ恋人関係は成立しない。今更簡単に他人ヅラが出来ると思うなよ」


「なんなのっ⁉ あんた何が望みなの⁉ あたしもうマジでいみわかんなくなってきた!」



 希咲さんも現在の自分たちの設定が把握しきれなくなってきて頭を抱えた。



「あーーっ、もうっ! イヤだけど、これじゃ一個ずつハッキリさせてかなきゃなんないじゃん……っ!」



 そうしないと自分とは一体何なのかを見失ってしまいそうだった。



「あんた誰と浮気したのよっ⁉」



 昼ドラの再放送でよく聞きそうな台詞を叫ぶと、『こんなのをリアルで見れるとは』と周囲の注目も強まる。



「ふむ……」



 そんな中で、弥堂は冷静にここまでの展開を振り返り、自分が一体誰と浮気をしたのかという謎に迫る。



 まず大前提として、そもそも本当に浮気をしたのかというと――



(――してない。そもそもこいつと付き合ってねえしな……)



 そう答えを出しかけて――



(――いや、付き合ってはいる。危なかった)



 もう一度思い込み直す。


 こういった些細なところから暗示が弱まるので、今一度気を引き締めた。



 次に、では何故浮気をしたことになっているかというと――



(――水無瀬のせいか)



 弥堂が希咲と付き合っていることになっているのと同じように、愛苗が『世界』から忘れられたことの辻褄合わせの一環なのだろう。


 少なくとも、ここに居る一般人のような連中は本当にそれが事実だと思っていることになる。



 じゃあ、その浮気の相手がいるはずだ。



(それは誰だ――)



 実際にそのような事実はないのだが、『世界』の辻褄合わせの為に、現在この『世界』のどこかに、弥堂と浮気をしたと思い込んでいる頭のおかしな女が存在していることになる。



(気持ちワリィな……)



 抗い様のない仕方のないこととはいえ、弥堂は自分と浮気をしたと思い込んでいる誰とも知れないストーカー女を強く軽蔑した。



 とはいえ、弥堂自身もその“思い込んでいる側の人間”を演じ切る以上は、自分で浮気相手を把握していないことがバレるのはマズイ。


 嘘が破綻し、これからも希咲に疑われ続けてしまうことになるだろう。



 つまり、この場でその答えを見つけ出さねばならない。



(なにか、あるはずだ……)



 ここまでの情報でその答えを示すものが。



 弥堂は熟考し、そして一つの答えに辿り着いた。


 カっと――眼を見開く。



「そうか……、そういうことか……っ」


「…………」



 真犯人を見つけ出した名探偵のようなことを口走る男を希咲は疑いの目で睨む。



「ちょっと」

「今わかった」


「なんで今までわかってなかったのよ。おかしいでしょ」

「おかしくない」


「おかしいじゃん! だって、誰かもわかんない人とどうやって浮気すんのよ⁉」

「うるさい黙れ」



 答えられない質問にはごり押しで乗り切ることにした。



「で?」

「あぁ、俺の浮気相手――それは……」



 意図したわけではないが弥堂がタメを作ると、周囲の熱量がグッと増した。


 誰かがゴクリと喉を鳴らす。


 反比例するように希咲さんの目はより冷たくなった。



 そんな中、弥堂が満を持して浮気相手を発表する。



「――それは、紅月 望莱あかつき みらいだ……!」


「はぁ?」



 その発表に希咲は盛大に眉を顰める。


 しかし――



「あぁ、やっぱそうなんだ」

「さっき言ってたもんね」

「そういうことだったんだぁ」



 周囲からそんな話声が聴こえてくる。



「え……? なに? なんでみんな納得してる感じなの⁉」



 希咲としてはここで望莱の名前が出てくるのはまるで意味がわからないのだが、周囲に同様に訝しむ者は一人も居なかった。


 だが――



「えっ? もしかして“あれ”がみらいの名前に変わっちゃったのって、そういうことになるの……⁉」



 法廷院のスマホに表示されていた名前。


 そして弥堂が答えた名前。



 元々希咲が弥堂へのトラップとして用意していたものだった。



「でも……、あれ? あれは本当は愛苗のはずだし、それがみらいになっても……、だってあたしがこいつの彼女になっちゃってるのって愛苗があたしに置きかわっちゃったからじゃないの……? あ、でも、愛苗もこいつと付き合ってたわけじゃないし、あれっ……? えっ? ど、どういうこと……⁉」



 最早色々なものがこんがらがってしまって訳がわからない人間関係になってしまった。



「あぁぁぁ……っ! もう頭おかしくなるぅぅぅっ!」



 もう理解することを放棄してお家に帰りたくなるが、そうもいかない。



「ちょっと! どういうことなのよっ!」



 仕方ないので本人に聞いてみることにする。


 だが、その台詞は浮気を問い詰める彼女の定番的なものになってしまい、周囲にはさらに誤解を深めることになった。



「なにがだ」

「なんでみらいが出てくんのよ⁉ あんたあの子とカラミないでしょ⁉」



 とりあえず事実ベースで問い詰めてみる。



「それがうっかり絡んでしまった。肉体的に」



 もはや何が事実で何が思い込みで何が嘘なのかも判然としないので、弥堂は勢いで適当なことを言ってみた。



「なに言ってんの⁉ だって一回しか話したことないでしょ⁉」


「実はあった。浮気に発展するほどに。そしてもう終わった」


「時系列どうなってるわけ⁉ いみわかんない!」



 被疑者の供述には何一つ納得できるものがなく、希咲は余計に混乱する。



「つか、ありえないけど……。そんなわけないけど……。でも、あんたとみらいとか組み合わせが最悪過ぎてマジ恐怖だわ……」


「それなら安心しろ。あの女はもう捨てた」



 嘘でも思い込みでも最低な物言いなので、希咲はクズへジト目を向ける。



「あんたさ。それが本当だったとしても、あの子はあたしの幼馴染なのよ? 浮気の中でも最悪クラスの浮気なんだけど」


「そうだな。だが、俺はもう反省をした。許せ」


「許せっていうか……。あぁぁぁ……、もうマジでわけわかんないぃ……っ」


「とにかく、確かなことは俺は紅月 望莱を抱いたということだ」


「とにかくキモい! とりあえず許さないし、あたしもあんたと付き合ってないから! それだけは確かよ!」



 誠意を尽くして本当だと思われることを打ち明けて謝罪をしたが、信じてもらえない上に、許してももらえなかった。


 正直に言っても謝ってもダメで、むしろ損したじゃねえかと、クズ男は憤る。



「やはり早乙女なんかのいうことを真に受けたのは間違いだったようだな。なにが必勝法だ、役立たずめ」


「ヒドイんだよ!」



 ジロリと早乙女を睨んで八つ当たりをすると、一応は善意からアドバイスをした彼女も憤った。



 やはり他人などは全て敵で、当てにしていいのは自分だけだと切り替える。


 天性のセンスなど持ち合わせていない弥堂にとって、頼れるのは自身の経験のみだ。



「俺も悪かったが、キミも悪い」


「は? ちょっと待って。あたし自分がどういう立ち位置で会話すればいいのかわかんなくなってきちゃったんだけど」


「安心しろ俺も同じ気持ちだ。キミが俺を置いて旅行になんて行ってしまうから寂しかったんだ。その寂しさを埋めるためについ……」


「きもいっ! つか、その旅行にみらいも一緒に行ってたのにどうやって浮気すんのよ!」


「リモート浮気だ。リモートで彼女を抱いた」


「いみわかんないっ!」



 どうにか『浮気はしたが、それをさせたのはお前だ』という方向に持っていけないものかと弥堂は悪あがきをする。


 そんな情けない姿を元カノは呆れた目で見ていた。



『あれ。私と付き合った後もリンスレットと関係を続けていたことが発覚した時にしたのと同じ言い訳です』


『つまりオマエが成功体験を与えたせいってことか?』


『……そのような事実はありません』



 エルフィさんはそれ以上の言及を避けた。



「キミがいないと僕はどうにかなってしまうんだ。いつの間にか、気が付いたらそうなってしまっていた。こんなにも好きにさせたキミが悪い。責任をとって僕の傍でずっと僕を監視していてくれ」


「僕って言うのやめて! キモすぎんのよ!」


『あれはルナリナの小説の台詞ですね。あれを読みながらルナリナとも関係を持っていたんです』


『それもお前が許してたからあのバカは女をナメちまってんだよ』



 なおも弥堂は抵抗を試みていたが、母や歴代の父の浮気に幼い頃から振り回されてきた希咲には一切通用しなかった。



「あぁーもうっ! わけわかんないけどっ! とにかく、あたしはあんたと付き合ってないから浮気にもならないし! つか、そんな言い方であたしのこと好きとか、絶対に信じるわけあるかっ!」



 極めて冷静かつ一般的な回答を出されてしまう。


 だが、執念深い男はそれでも相手の弱点を探るためにネチネチと愛の言葉を繰り出す。



「付き合っているのも認めない。俺が好きだというのも認めない。まったくワガママな子だな七海は。そんなところも好きだよ」


「ぎゃぁぁーーっ⁉ 何回聞いてもきもいぃぃっ! 好きって言うのやめてって言ってんじゃん!」



 試しにもう一度告白してみたが、やはり希咲は怒鳴り返してくる。


 しかし、その姿勢は若干弱腰だ。



 弥堂はそこに勝機を見出す。



 効いている――と。



 やはり『好き』と伝えるのは有効な攻撃手段のようだ。


 ただ付き合っていると言い張るよりも相手の勢いを削ぐことに成功している。



 冷静に戦闘データを分析してあることに気が付いた。


 これは先日の悪魔との戦いと似ていることに。



 存在として弥堂よりも格上な悪魔や魔物たちには物理的な攻撃が徹らなかった。


 それは“魂の強度”が影響をしている。


 しかし、その強度の差が縮まったり、あるいは逆転した場合には途端に攻撃が通じるようになった。



 あの時のように勇者の力を解き放って“魂の強度”を上げることは出来ない。


 だが、相手を弱らせることは出来る。



 つまり、女の堕とし方とは悪魔の殺し方と同じだ。



 相手を弱らせ、他の選択肢を選べない所にまで追い込めば、きっと告白が徹るようになるはずだ。


 そうすればこの勘違い女を自分の女にすることが可能となる。



 その為には何度も「好きだ」と伝えて相手の魂を弱らせればいい。



 だが――



(――それだけではまだ、足りない……!)



 好きだと言えば確かに希咲を動揺させることは出来ているが、これではまだ弱い。


 あと、もう一手足りない。


 そのように感じる。



 一撃一撃の「好き」の威力を上げる必要がある。


 だが、弥堂の「好き」はこれ以上パワーアップはしない。


 もうクスリまで使ってしまっている。



 ならば、相手の防御力を削ぐしかない。


 剥き出しの女の子のハートに直接「好き」をぶちこむのだ。



 それはつまり――



(愛の零衝――)


『いい加減にしなさいユウキ。殺しますよ?』



 お師匠様の応援の声を受けて、弥堂は頭を回転させる。



(なにか……)



 なかっただろうかと記憶を探る。


 このような状況に有効な手段を。


 希咲の弱点となるような何かを。



 いつかどこかで似たような状況はなかっただろうか。


 本当は付き合ってはいないが、付き合っているフリでゴリ押して、実際に付き合っていることにしてしまう。


 そんな経験がなかっただろうかと、記憶の検索をフル回転させる。



(クソ……っ! そんな意味のわからない出来事などあるはずが――)



 そう毒づこうとした瞬間――



『――なによ? セクハラするけどセクハラじゃないって。そんなのに騙されるかボケっ! セクハラしたらその時点でもうセクハラだっつーの! いい加減にしなさいよ!』



 脳裏にそんな言葉が過ぎる。



 それは過酷だった異世界での時の記憶ではなく、つい最近。


 4月23日の教室での記憶だ。


 そして奇しくも、現在目の前にいる希咲の言葉だった。



(なんだ……? セクハラはするけどセクハラではない……、セクハラした時点でもうセクハラ……?)



 一体なんの出来事だったろうか。


 現状の何と紐づいてこの記憶が喚起されたのか。



 セクハラなどで苦境を打開できるはずがない。



(だが……っ)



 何故だか弥堂には確信めいたものがあった。



 そこに至るまでの理屈や道筋はまだわかっていない。


 だがその先に答えがあると、強くそう思えてしまった。



(“ある”のなら、いける……!)



 誰でもない廻夜 朝次がそう言った。


 だから弥堂はこれに賭けることにした。



 魔眼に魔力を注ぎ込み、過去のセクハラの根源を視る。


 セクハラによってこの戦場に活路を見出すのだ。

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