2章08 『5月1日』
5月1日 金曜日。
G.W前の最後の登校日だ。
明日の2日から6日までは休日となる。
朝の教室、HR開始前の時間。
この連休の大部分を弥堂は資金集めに使用する予定だ。
そして場合によってはその資金を使って何処か遠くへ高飛びし、そのままこの学園にはもう二度と登校しない可能性もある。
(誰かに見られたらマズイものは処分しとかねばな……)
一応そういったモノが一切残らないよう普段から心掛けているつもりだが、念のため一通り確認しておくべきかと、机の引き出しをゴソゴソしながら記憶をチェックする。
どう転ぶにせよ、連休に入りさえすれば選択肢と安全マージンを少しは稼げる。
通常日程の最中で突然学園に登校して来なくなれば、誰かしらに心配されたり怪しまれたりもする。そしてそのまま何日も連絡がとれなければやがて捜索が入るだろう。
だが、連休中に行方を眩ませてしまえば、そうなるまでの日数を何日間か引き延ばすことも可能だ。
しかし、そんなことは追う側の者たちからしても百も承知だろう。
だから――――
(――今日を凌ぎ切る必要がある……)
それこそ――
(――どんなことをしてでも)
引き出しの中に堪っていた消しゴムの滓を床に落としながら弥堂がそんなことを考えていると、
「――おはよう。弥堂君」
頭上からそんな声をかけられる。
声で相手に見当は付いた。
弥堂が顔を上げるとそこに居たのは、この2年B組の学級委員であり弥堂と同じ風紀委員でもある
「おはよう、野崎さん」
弥堂は反射で挨拶を返し、彼女の顔を視る。
弥堂は誰かに話しかけられても基本的には無視をする。
自分の方に相手への用件がない場合、会話をしても時間の無駄だからだ。
だが、そんな弥堂も野崎さんには普段から挨拶を返すようにしていた。
何故なら野崎さんは便利な女だからだ。
だが、弥堂はもうこの学園には戻らない可能性が高いので、そうなったら彼女はもう用済みだということになる。
もう丁重に扱ってやる必要もないのだ。
挨拶を返した後にそのことに気が付いた。
そんなことを考えつつ、弥堂は野崎さんが用件を口にするのを待つ。
そういった下衆な値踏みが伝わったわけではないだろうが、無言のまま弥堂に見つめられる形となった野崎さんは、どこか居心地が悪そうに三つ編みをイジイジした。
そして困ったように苦笑いをし、口を開く。
「弥堂君、元気ですか……?」
「……?」
しかし、彼女にしては珍しく、意味の伝わりづらい曖昧な物言いをした。
弥堂は眉を寄せる。
「えっと、最近なにか困ってることとかないかなぁって……」
「どういう意味だ?」
野崎さんは改めて言い直したが、やはり弥堂には彼女の真意は掴めない。
面倒なので適当に答えることにした。
「それなら希咲のことだな」
「あー……」
「どうにかしてくれるか?」
「それは……、あやまろ?」
ダメ元で無茶ぶりをしてみたが、野崎さんはふにゃっと眉を下げた。
色々と弥堂に便宜を図ってきてくれた彼女にも、この件に関しては味方をしてくれる気はないようだ。
「あのね、弥堂君?」
そこまでで一つ間を置いて、彼女は弥堂の耳元に口を寄せる。
「謝ったっていう事実を、他の人からもわかるように残しておいた方がいいと思うの」
「……どういうことだ?」
顔のすぐ間近、左耳側にある彼女の目を眼鏡のレンズごしに覗く。
「二人の間だけの関係とは別にね。その後彼女との関係がどうなったとしても、そうしておいた方が他の人たちからの見え方がよくなると思う。印象が落ちると色々とやりづらくなっちゃうだろうし」
「…………」
コショコショと耳元で囁かれた彼女の言葉に、それは確かにそうだなと納得する。
野崎さん自身が今こうして小声で弥堂にだけ聴こえるようにこれを言っているのも、その印象とやらのためなのだろう。
その方法論だけを聞けば何か狡いことをしているようにも聞こえる。
だが、これは他人と上手くやるための処世術でもあるし、実際にそれで野崎さんが行うのは他人を思いやった善行だ。
人間関係というやつはよくわからないものだなと苦笑いを浮かべそうになるが、そんなことは今更かと自制した。
弥堂自身は他人からどう思われようと、どう見られようと構わないと考えている。
むしろ嫌われていた方が関わってくる人間が減って効率がいいとさえ思っている。それが弥堂なりの処世術だ。
しかし、誰かに何かしらの目的で言うことを聞かせる必要があった場合、嫌われているだけならともかく、激しく疑われて警戒されていると選択肢が減る。
最終的な手段としては暴力で脅せばいいのだが、最初から疑われていると嘘で騙すという選択肢がとりづらくなってしまうのだ。
現在、弥堂のことをよく知らない人間が持つ『弥堂 優輝という人物の印象』は、『よく知らないけどなんかヤバイ奴』という程度のものだ。
それが『嘘吐き』という確定情報が広まると、よく知らない人間を騙すための難易度が上がってしまう。
希咲との関係の処理をミスると、そういう事態になってしまう――
――という野崎さんからの忠告なのだろう。
弥堂はそのように受け取った。
この学園を去ることが確定したなら、そんなことはもうどうでもいいことになる。
だが、まだ在学を継続する可能性が残っている以上は一考に値する忠告だと判断した。
「……わかった。肝に銘じるよ」
「偉そうなこと言っちゃってごめんなさい」
「いや、構わない」
野崎さんは顔を離して、苦笑いをした。
こういった弁えた所作も、弥堂は好ましいと思っていた。
「困ってるのってそれだけかな?」
「そうだな……。考えれば出てこないこともないが、しかしまたどうしてそんなことを聞くんだ?」
順番が逆だったなとも思ったが一応彼女の動機を聞いてみた。
「え? えっと……、なんかね? ここのところ難しい顔してることが多いなぁって思いまして」
野崎さんは目線を一度、少しだけ横にずらしてからそう答えた。
「キミがそう言うのなら、そうなのかもな」
「うん。だから、心配して聞いてみました」
これも彼女の善意であり処世術なのであろうと思うことにした。
そして、それなら少しは真面目に答えてみるかと、弥堂は自身の困りごとの中で他人に言えるものを探す。
「――そうだな。それなら、かね……」
「うん?」
「……いや、何でもない。大丈夫だ」
しかし、いくらなんでも野崎さんから金をせびるのはどうかと考え直し、弥堂は口を噤んだ。
優秀な人間とはいえ彼女も高校生だ。自由に出来る金はそんなにないだろう。
そうするともう、他には言えることはない。
そうしてコミュ障男がクラスメイトの女子との会話を繋げることに失敗した時、時計塔の鐘が鳴り始める。
HRの開始を報せるものだ。
野崎さんがパクパクと口を動かす。
だが鐘の大音量でその声は伝わらなかった。
彼女はそのことに苦笑いをして、軽く会釈だけして自席へと戻っていった。
弥堂はチラリと右後方を見遣る。
教室内廊下側の最後方。
そこは今朝も空席のまま。
彼女は隠密行動を選択したようだ。
だが――
(今日の内、どこかで、必ず来る――)
前方へ目線を戻す。
連休前の最終日が開始した。
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